08


 次元がリンツという男を捕らえた瞬間のことが、瞼の裏に焼きついて離れなかった。
 はじめて見た圧倒的な銃の力。
 次元の流れるような所作。
 落ち着いた振る舞い。

 そのすべてが   私の理想だった。



 私の家は、俗にいう“貧乏”だった。
 私がまだ小学生のころ、父親が会社から解雇された。
 けれども再就職先が決まらず、母はパートに出て、父も警備員のアルバイトをはじめた。
 ただ、三人姉弟の私たちを養うにはとても足らず   借金をしていた。

 そういう事情で、小学生の時分からろくに物を買ってもらえなかった私は、周りから浮いてしまう存在になった。
 服や持ちものばぼろぼろ。
 給食費が払えないことを周囲に露見され、同級生からもその親からも指をさされるようになった。
 しまいには、下駄箱に食パンを入れられたりと   嫌がらせを受けたことまであった。
 あとから姉と弟に話を聞くと、ふたりも辛い思いをしていたそうだ。

 このころから私は、“強くなりたい”、“お金持ちになりたい”と心から願うようになった。

 強くなって周りを見返してやりたい。いじめっ子を懲らしめてやりたい。
 お金持ちになって、不自由なく暮らしたい。

 幼いころからの“強さ”と“お金”への憧れは、社会人になり給料をもらえるようになってから少しの間だけ、薄らいだ。

 先日退職した勤め先は、最初は業績が良く給料も高かった。
 自然と身につけた節約スキルを活かして、コツコツ貯めたお金で旅行に行く。
 誰も、私のことを知っている人がいない土地へ。

 それが唯一の楽しみだったのに。

 会社の業績不振から徐々に給与を下げられていき、これ以上切り詰めるのは無理だと感じたところで、退職した。
 会社にも上司にも仕事自体にも納得がいかなくて、心身ともに疲れてきてしまったから、仕方がないと自分に言い聞かせた。

 けれども、再就職活動がなかなかうまくいかず、本当に滅入ってしまうかもしれないと思ったところで、このアメリカ行きを決意した。
 リフレッシュして気持ちをさっぱりさせれば、きっと就職活動もうまくいくはず。
 そのための旅行だったのだけど。
 思いがけない仕事が降ってきた。

 社長の代役で1000万円。
 まさしく“うますぎる話”に飛びついたわけだけど、今考えると今回のように多少の身の危険があったがゆえの金額だったのだと思う。

 ただ、これでお金が稼げるなら、私はいいと思っていた。

 また危険な目に遭うのは怖い。
 でも、貧乏暮らしや我慢ばかりの生活に戻るのは、もっと辛い。 
 周囲から同情や軽蔑の目を向けられるのはいやだ。

 世の中はすべて“カネ”で回っているのだと、私は知っている。
 お金がなければ食料が買えないし、嗜好品が買えなければ気持ちも満たされない。充分な医療もいろいろなサービスも受けられない。
 お金がないと、満足に生きてはいけない世界。

 だから、私は。

「更新してくださらないかと思いましたよ」

 ロブさんは、いつもの口調よりも少し砕けたトーンで言う。
 “レベッカ”に対してでなく、“私”に対して向けた言葉だからだろう。

 私は提示された契約書にサインし、ロブさんに渡した。
 もともとは、ひと月の契約だった。
 二週間はレベッカに成り代わるための訓練機関で、二週間は実践期間で。
 今日、さらに二週間の契約延長を依頼された。
 なんでも、レベッカがバカンス先で感染病にかかり、寝込んでいるらしい。恋人と南米の奥地に秘境ツアーに行ったところ、現地の虫に刺されてしまったそうだ。

 レベッカが戻って来られないのであれば仕方がないと思い、私はあまり悩まずにサインをした。
 当初から延長の可能性はあると話されていたし、何より、あと二週間の延長で5万ドル   500万円の報酬を払ってくれるということだし、不満はなかった。

 リンツ氏に襲われたことで、ロブさんは私が今回の件を降りると思っていたようだ。

「これからは警備を強化するから、大丈夫だって仰っていたでしょう」
「はい、もちろんです。それに、次元氏も契約延長に同意してくださいました」

 良かった、と安堵してしまう感情をはっきりと認識する。
 腕利きのボディガードがそばにいるという安心感は、いまの私には重要だ。
 この契約でネックになっていたのは、また私怨で“レベッカ”に襲いかかられないか、という不安だったから。

「それじゃああと二週間   よろしくお願いします」

 久しぶりに本来の私として、ロブさんに言った。


 その夜、次元がバルコニーで煙草を吸っていた。私は聞きたいことがあり、彼に話しかける。

「契約、延長してくれたそうね」

 後ろ姿に呼びかけると、次元はわずかに首を横に向かせて、小さく「ああ」と答えた。あいかわらず、どことなく近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
 私はバルコニーの入り口に寄りかかるようにして立ち、次元の背中に訊ねた。

   ねえ、……あなたはどうやって強くなったの?」
「は?」

 次元は、今度は先ほどよりも頭を私のほうに向け、怪訝そうに声を出す。
 突拍子もない質問だろうとはわかっていたけれど、聞かずにはいられなかった。

「何か格闘技をやっていたとか?昔警察にいたとか?」
「……何を言ってるんだ、あんたは」
「え、ええと、その、」

 怪訝そうな声を出す次元。
 うろたえるのはレベッカらしくないだろうに、私はうまい言葉が出てこなかった。
 そうだ、ある程度は私の経験で話してしまって良いかもしれない。

「あー、あの、私、刑事ドラマとかスパイ映画が好きなのよ。それでね、その……」

 過去の貧乏暮らしで数少ない楽しみだったのが、刑事ドラマやアクション映画を観ることだった。
 主人公や仲間たちがバシバシと敵を倒してゆくさまが痛快で心地よく、私もこうなれたらいいな、と幼心に思っていた。
 推理漫画のヒロインが空手を習っていてやたら強いものだから、私も空手部に入ったりしたけれど、身についたのは武道の決まった型だけだった。
 フィクションとノンフィクションは違う、と虚しさを感じていたものだけれど。
 次元の動きはまさに、映画やドラマに出てくるような“ヒーロー”のような鮮やかさだった。
 だから、どのようにその強さを身につけたのか知りたいのだけど。

「あ、わかった。ガンマンの養成所とかがあるの?」

 次元は煙草を外し、ごほごほと咳き込む。

「そんなもんあるわけねぇだろうが」
「それなら、どうやって強くなったの?素人の私の目から見ても、あなたの動きが洗練されてるってなんとなくわかるもの。それに、あなたのボスが、あなたは“我が社最高のガンマン”って言ってたでしょう?」
「……あいつの言うことは信用するんじゃねえ」

 次元は帽子をおさえ、バルコニーのテーブルに置かれている灰皿に煙草を押しつける。

「なんだってあんたはそんなに強さにこだわるんだ?」
「質問してるのは私のほうなんだけど?」
「むやみやたらに自分の話なんかできるか」
「それなら、私が話せばあなたも話してくれるのね」
「そうわけじゃねぇが、」
「強く、なりたいから」

 帽子の陰から、次元の目が光ったような気がした。

「言ったでしょ、アクション映画とかドラマが好きなの。格好いいじゃない?」

 次元は少し間を置いて、言った。

「あんたはすでにカネだの権力だの、欲しいもんは手に入れたんじゃないのか。これ以上何かをモノにする必要なんてないだろうが」

 それは私じゃないと、言ってやりたくなった。
 今回のレベッカの代役でお金は多少手に入ったけれど、権力は当然なく、仕事もない。友人も多くない。
 あなたこそ、強さもお金も持っているじゃない、と次元に言いたかった。

 何も言い返せないでいる私を、次元はじっと見つめてくる。
 次元大介という名前だし容貌からも日本人のはずだけれど、遠慮がない言い方や態度は日本人のそれとは思えなかった。

 けれど。
 どこか、新鮮な気もする。
 日本人は、影でこそこそ束になって人を嗤い、遠まわしに困ったように微笑みながらも人にクビを宣告してくる。
 それに比べれば、次元の物言いは直球で棘があるけれど、正直だ。

 “レベッカ”として取り繕うことに限界を感じてきたので、私はこの話をストップさせようかと思った。
 でも、次元が先に口を開いた。

「俺は、ただ生きてきただけだ。汚れた仕事も山ほどやった。その結果が、これだ。あんたの考えてる強さとやらとは違うだろうよ」

 突き放すような言い方ではなく、ただ事実を述べているという口調だった。

    いったい、どういうことだろう。
 問いを迷っている間に、次元は「それだけだ」、と言い残し、私を押しのけて部屋の中に入ってしまう。

 私のイメージでは、次元は元警察官のエリートで、警察に納得がいかずにフリーになった、などというドラマでよくある設定を想像していた。
 ちがう、のだろうか。

 唐突に、アメリカに来る前に見た占い雑誌に書いてあった一文が思い起こされた。
 見えているものだけが真実ではない、と。
 

 

2018.8.16

BACK # TOP # NEXT