でも、結局、いつも同じ結論にたどり着いてしまう。あのひと以上に心震える相手に出逢えない、と。
だから、エピローグのゆくえがわかっているラブストーリーでも、読み進めていくことしか、できない。
少なくとも、今の私には、……。
未完成ラブストーリー
十二月のシドニーは暖かい。南半球のオーストラリアでは、北半球のイタリアや日本とは季節が逆になるので、今は夏。といっても、平均気温は25度ほどで猛暑というわけではない、のだけど、日によっては30度を超えることもある。そのくせ日が落ちると20度を下回ったりするから、初めは服装の調整に慣れなかった。去年は夏だから半袖を、と思っていたけれど、それは安易な考えだとすぐに知るはめになった。急な雷雨で一気に10度や20度気温が下がることもあるから、羽織るものが欠かせない。一日の中に四季がある、なんていう言葉も聞かれるくらい、シドニーは気温の変化が激しい街だった。それでも、イタリアや日本の夏の暑さや冬の寒さほど厳しくはないので、過ごしやすかった。
あれからもう一年が過ぎるのだと思うと、時間の流れの早さをひしひしと感じる。イタリア、フィレンツェでのあの濃密な日々。たくさん悩んで、傷ついて、幸せだった時間。今でも昨日のことのように思い出すことができる。
そこで私は、一度死んだ。
命は助かったのだけど、名前と姓を捨てることに決めた。ある事件に巻き込まれて
今は、オーストラリアの日系人として生活している。生まれ変わった私が新しく生きる土地に選んだのが、ここシドニーだった。多くの国籍の様々な人々が暮らす大都市。そして私がやりたいことのある場所。
「!」
ベンチで本を読んでいた私は、顔を上げた。赤茶色の長い髪の女性が、紙袋を抱えて小走りにやって来る。
「マリア」
私は手を振りながら彼女の名前を呼んだ。ベンチの端に寄ってマリアのためのスペースを開けると、彼女はにこりと笑ってそこに腰掛ける。そして、紙バッグに手を入れ、ドーナツを一つ取り出した。
「も食べる?」
「うん、ありがとう」
私はピンクのチョコレートがびっしりコーティングされたドーナツを受け取った。マリアは紙袋からもう一つドーナツを取り出し、むしゃむしゃと食べ始める。
「やっぱり甘いものは脳に効くわねえ」
マリアはうっとりとして言う。私ももらったドーナツを口につけた。美味しい、のだけど、全部砂糖でできてるんじゃないかというほど甘い。でも、マリアの言う通り、勉強や身体を動かすことに従事する私たちは、この胸焼けするような甘さがたまに恋しくなる。
「来年はいよいよ実地に行けるのね。楽しみ。今までは室内での研究ばかりだったものね。たまに出かけるとしても学会や国内の発掘し尽くされた遺跡だったし」
「そうだね」
ドーナツの過剰な糖度に顔を歪めながら、答えた。
私は、このシドニー大学で考古学を学んでいた。考古学者になって、遺跡や美術品の発掘に携わりたくって、大学に入り直した。私が入った学科は二年間で考古学をひと通り学べるコース。去年の九月に入学して、もう一年以上通っていることになる。この一年は本当にあっという間だった。ひたすら勉強をして、何度か国内の遺跡に発掘研修に行って、アルバイトをして、習い事をして。
シドニー大学を選んだのは、私が興味のある分野を研究している教授がこの大学にいたから。この点も私が新天地にシドニーを選んだ理由のひとつだったりもする。
マリアとは、同じ研究室だった。同性で、しかも年も近いとあって、自然とよく話すようになった。マリアも私と同じように一度社会を経験して、大学に通い直している。仕事をしてみて、やはり子どもの頃から興味のあった分野に進みたいと思ったらしい。アメリカ人のマリアは明るくてサバサバしていて、一緒にいて心地が良い。
大学にはさまざまな年代や国の人々が、学問を修めようと集まる。私より年下の学生もいれば、マリアと同じように、会社を辞めて大学で学び直している社会人、さらには、引退して趣味のために通いはじめた年配の方もいる。私が入った研究室のメンバーは十人ほどで、十代から六十代、老若男女が集まっていた。いろいろな見解が聞けるので、なかなかおもしろい。
「ねえ。そういえば、マッシュが誘ってくれたパーティー、行くの?」
マリアはさり気なさを装っているけれど、目の奥に探るような様子があった。
「
「もちろん行くわよ。オペラハウスでのパーティーだなんて、一生行けないと思ってたもの。さすがは出版社の御曹司よねえ」
マリアの口調は少し大袈裟。私とマッシュがどうにかならないかと期待しているらしい。私が呆れ顔でドーナツを頬張っていると、マリアは続けた。
「が行かないと、マッシュ、絶対悲しむわ。私への招待も取り下げるかも」
「そんなことないでしょ」
「いいえ、そんなことあるわよ。行きましょうよ、というか、行きなさい」
「うーん……」
「それとも、なあに?イブに予定があるとでも言うの?」
痛いところを突かれて、私は項垂れる。イブの予定。あったらどんなに良かったことか。
私は力なく首を振った。
「ほうら!だったら行きましょう。オペラハウスよ。ダンスパーティーもあるっていうし」
だから行きたくないんだよ。その言葉を呑み込む。
ダンスなんて全然気が乗らない。何とも思ってない
イタリアで別れて以来、会ったのはその二回だけ。そんな気まぐれな男からの連絡を期待してどうするの。だったら、どんどん前に進んでしまったほうがいい。とびきり素敵な男性を見つけるとか、周りが見えなくなるくらいに何かに打ち込むとか。そのために考古学を学びはじめたんじゃない。
何もないクリスマスイブをひとりめそめそと過ごすくらいなら、パーティーに行ってセレブの男性と知り合いになるほうが、きっとよっぽどいい。
「
「やった!」
マリアは機嫌よくドーナツをもう一つあげると言ったけれど、私は断った。
甘いドーナツも甘い恋も、私は望んでなんかない
(15.12.12)
ヒロインは前作とは違う名前の設定のため、改めて名前変換をして頂ければ幸いです。
シドニー大学って実は本当にあるんですよねえ。でも他にいい名前がなかったのでそのまま使いました。考古学について二年で学べるとかその辺は捏造です。