二章:a little closer...16
「」
マッシュは勢いよく走ってきて、ルパンと私の間に割って入る。マッシュは私に背を見せて、ルパンに対峙する形を取った。
「?」
ルパンは首を傾げる。私はマッシュの肩越しに、口元に人差し指立てて訴えた。ルパンはああ、と納得したように片方の口端を上げる。
「君!彼女、嫌がってるじゃないか」
マッシュは強い口調でルパンに言い放つ。マッシュ
「へええ?」
ルパンは面白そうににやりと笑みを浮かべる。
マッシュがルパンの正体に気づく前に、ルパンが変なことを言い出す前に、なんとかしないと。“ルパン三世”と私が知り合いだと発覚してしまうのは、何としてでも避けたい。このまま絡まれていたことにして、マッシュと逃げ出すのが得策かな。
でも、そんな私の策略虚しく、ルパンが先に言った。
「無粋な言い方はよしてくれ。」
「なっ…!」
声を上げるマッシュの後ろで、私は肩をがくりと落とした。まったく!ルパンってばどういうつもりなんだろう。
「、本当なのか?」
マッシュが振り向いて訊ねてくる。私は「ええと……」と言葉を濁すことしかできなかった。
「先日車に乗っていたときに、彼女の服に泥をかけてしまってね。そのお詫びにディナーに招待したのさ」
つらつらと嘘を並べるルパン。紳士面しているけれど、赤いシャツの袖を捲り上げている紳士なんて違和感があることこの上ないじゃない。こうなったら私もそれに乗るしかない。私はマッシュの背後から抜け出して、彼の横に並んだ。
「そうそう、そうなの。だから大丈夫、ありがとう」
マッシュは私を見下ろして、眉を曇らせる。けれどもすぐにルパンのほうに強い瞳を向けた。
「そうか。でももう遅いから、彼女は僕が送って行きます」
「いや、家に送り届けるまでがデートでね」
「デートって、あなた
「どうかな」
むきになるマッシュに対して、ルパンは意味深に微笑む。完全に今の状況を面白がっているようにしか見えない。
「君、“”の何なの?」
マッシュをからかうように訊ねるルパン。
「何なの、って
「へえ、そう、お友達。勇ましいから彼女のナイトなのかと思ったけど、違うのかなぁ」
「っ……!何なんです、あなたこそ。のことを知ったような口調で」
マッシュはルパンの余裕ぶった態度にいらいらしているようだった。眉間を引きつらせている。
「いやだってそりゃあ、君よりは色々知ってるし、ねえ」
「はあ?」
ああ、もう、ルパンってば!このままじゃ何を言い出すかわかったもんじゃない!
「違うのマッシュ、この人適当なこと言ってるだけで、最近知り合っただけだし」
「ああそうそう。このままだと適当なこともっとしゃべっちゃおうかなあ」
ルパンは目を細めて私を見る。大人しく送られろ、そうじゃないとマッシュに色々しゃべるぞと、ルパンはそう言いたげだった。今の私には、先ほどの悶々とした感情はどこかにいなくなっていた。もうこの場をやり過ごすことに必死になっていた。
「ええと、マッシュ、この人に泥をかけられた服をクリーニングから取りに行かないといけないから、またね」
「ええ?」
困惑するマッシュから離れ、私はルパンの腕を引いた。でも、咄嗟に手を伸ばしてきたマッシュに手首を捉まれる。
「待ってくれ、
私はルパンの腕をぱっと手放し、勢いよくマッシュを振り向いた。それ以上言わないでと、必死に目線でマッシュに訴える。当の本人がいる前で、その先を言って欲しくない。マッシュは口を開いたまま私を見つめて、ゆっくりと閉ざす。彼の目は真剣で、悲しげで。
クリスマスに、マッシュに語ったことを思い出した。
私は
「違うよ。この人、会ったばかりだもの」
苦笑してみせて、否定した。なぜだか胸がきゅっと痛む。マッシュに嘘ばかり並べていること。本当はマッシュの思う通りなのに、自信をもってイエスと答えられないこと。
「じゃあ、」
マッシュが力を込め、私を引き戻そうとする。それを
「はいはい、クリーニング屋閉まっちゃうんでねえ」
マッシュの手は私から離れ、宙を掻いて、落ちた。複雑そうな表情を浮かべるマッシュ。何か言い訳を伝えたかったけれど、何も思い浮かばなかった。
「後で説明するね」
また後で、と伝えて、マッシュと別れた。今は早いところルパンの姿をマッシュの前から隠したかった。早足で去るルパンと私。背中にマッシュの視線を痛いほどに感じた。
ごめんね、マッシュ。嘘ばかりで、ごめんね。マッシュへの罪悪感と、この場を切り抜けられた安堵感と、ルパンがマッシュに私を譲らなかったことへの嬉しさと、ごちゃ混ぜの気持ちを抱えて、私はルパンと歩いた。
マッシュのせいでというかお陰でというか、結局私はルパンに送られるかたちになった。今さらひとりで帰るだなんて言い張れない。でも、ルパンとの間に奇妙なわだかまりがなくなったのは、マッシュの登場があったから、だと思う。
「、って、の戸籍上の名前だろ?」
マッシュから離れて路地に入ったところで、ルパンが訊いた。
「そう……日系オーストラリア人っていう設定」
「へえ。じゃあもうって呼ばないほうが良かったな」
「ううん、それは」
咄嗟に声を荒げてしまう。ルパンには、と呼んでほしくない。ルパンには、本当の名前で呼んでほしい、……。
「
なるべくさりげなさを装って答える。ルパンは「そうだよなあ」、と煙草を取り出して、火をつけた。
「名前が変わるなんて大変だったんじゃないのか、」
「うん、大変だったよ。“”って呼ばれても気づかないときが何度もあった。だから、よくぼーっとしてるねって言われたもの」
苦笑すると、ルパンも煙草を吸いながら「だろうな」と笑った。
「あの金持ちのお坊ちゃん、」
「マッシュ?よくお金持ちだってわかったね。ライカート社の息子だよ」
「だって学生の分際であんな高級車乗らないだろ」
たしかに、マッシュが降りてきたのはドイツの高級車だった。
「クイーンエリザベスのパーティにを誘ったのってあいつだって?」
「ああ、うん、そうそう」
「なあるほど」
ルパンはにんまりと笑う。
「やっぱりあいつ、に惚れてるな」
何を言い出すの。私は顔が熱くなるのを感じた。
「大学の友達だってば。マッシュも言ったでしょ?」
マッシュが伝えてくれた気持ちは、ルパンに話すべきことじゃない。話したところで何にもならない。からかわれるだけ。だから、なるべく冷静に振る舞いたかったけれど、反射的に声を大きくしてしまった。
「まっさかぁ。あーんなに熱烈な態度見せられてんのに、気づかないわけがないでしょうに」
ルパンは興味津々といった様子だけれど、私は全然面白くなかった。こうやってからかってくるあたり、ルパンは何か事が起こるのを期待しているみたい。テーィンズとか女性同士が、誰が誰を好きかで盛り上がるみたいな感じ。
私は
なのに、今のルパンは、ただ楽しんでいるだけ。誰が私に好意を抱こうが、私が誰を好きになろうが、そこにはさして興味がないみたい。
私だけ。いつも私だけが、じたばたしてる。
これ以上この話題を続けても虚しくなるだけだったので、私はマッシュの話題から、ライカート社や大学の話に切り替えた。その間にシティレールに乗り、私のアパートへとたどり着く。
いろんなことがあって、気持ちとしてもばたばたしていたから忘れていたけれど。
ルパンとは、これでお別れ。
次はいつ会えるんだろう。
一時はひとりで帰ろうとしていたとはいえ、ルパンとの別れは胸が痛かった。さっきは顔を合わせたくないなんて思っていたのに、虫のいい話。
アパートの前にたどり着いて、私から先に別れを切り出そうか迷っているときに、ルパンが先に言った。
「そういやさあ……アレキサンダーのお宝の件」
ルパンの口から出たのは、「じゃあな」という別れの文句じゃなかったので、私は少しほっとした。
「うん?」
「あの写真、もっかい見せてくんないか?なーんか引っかかるんだよなぁ」
ルパンは腕を組んで、宙を見つめている。
「うん、いいよ」
鞄から資料を取り出し、ルパンに手渡す。でも、薄暗くて文字や写真がはっきりと見えなかった。ルパンは紙を顔に近づけて、目を凝らす。
「
不自然な提案ではない、むしろ親切な提案だと思ったので、思い切って私は切り出した。
「うーん、そのほうがいいな。全然見えやしねぇ。ちゃんが入れてくれるんなら」
「いつも勝手に入ってるくせによく言う」
にひひとルパンは笑う。私は眉を寄せてみせるけれど、内心では嬉しかった。
この後不二子さんのもとへ向かうであろうルパン。浮足立っているかもしれないルパンと一緒にいたくないと思っていたけれど、ルパンに急いでいる様子はなかった。そのことにほっとして、もう少し今日という日が延長できたことに、喜びを感じた。
(16.4.22)