顔を埋めて泣いていたので、布団が少し湿っている。
は仰向けになって、これからどうしたら良いか考えた。ダンブルドアはいつ来るのだろう。
そんなことをぼんやりと考えていると、お腹がぐうと鳴った。そういえば、昨日から何も食べていない。この宿は朝食付きなのだろうか。そう思ったけれども、部屋の外へ出る気力が湧いてこなかった。誰かと顔を合わせたくはなかった。
私はこれから、どうすればいいんだろう、……。
03. Which is OVER, dream or reality ?
終わったのは、夢も現実も
そのまましばらくぼんやりしていると、こんこんと戸が叩かれ、はびくりと肩を震わせた。誰だろうと考える前に、「トムです」という声が外から聞こえてくる。
トム。誰だろう。いや、聞き覚えがある。確か昨日、ハグリッドが口にしていた。「トムに話はつけてある」と。ということは、この宿の主人?
閉口していると「いらっしゃらないんですか?」という声がやってくる。は慌てて「います」と返事をしてしまった。すると戸が開かれ、老人が入ってくる。
「お食事をお持ちしましたが」
老人はトレーを持っており、そのトレーにはベーコンの載ったトーストと、コップが置かれていた。
「時間になっても食堂にいらっしゃらないので」
とトムは言って、テーブルの上にトレーを置いた。随分サービスがいいな、とは思った。普通、客が食事の時間に来なかったからと言って、わざわざ持ってきてくれる宿屋があるだろうか。ともあれ、空腹だったので「ありがとうございます」と言って頂くことにした。
トムは何も言わず、すぐに部屋を去ってしまった。再び独りになったは、テーブルまで歩いて行き、椅子に座る。少々量は少ないが、贅沢は言っていられない。冷めてはいたが、トーストは美味しかった。
何故生きているのだろう。あの時、あの男に魔法をかけられて、私は死んだと思った。でも、死にたくないと思った。死ぬのは怖い、と。それから、気づいたらあの言葉を言って、倒れていた。そして目を覚ましたら、奇妙な老人がいた。魔法使い。魔法学校の校長。優しそうな人、……。
独りだ。私は、独り。お父さんも、お母さんもいない。なのに、どうして私だけが生き残ってしまったのだろう。両親がいなければ生きてはいけない。昔、そう思ったことがあった。戦争の映画を観た時だ。あの時代は、家族が死んでしまうことは当たり前だった。でも、は自分の両親が死んでしまったら生きてはいけないだろうと思った。
でも、生きている。私は生きている。お父さんもお母さんも、いないのに。
2人がいなければ死んでしまうと考えていても、本能では生きようとしていた。やはり、死は怖かった。死ぬのは怖い。でも、両親がいないのに生きていくことができるだろうか。
再び涙が流れてきた。止まらなかった。止められなかった。
気がつくと、夜になっていた。ずっとぼんやりしていた。もう涙は出なかった。涸れ果ててしまったのだろうと思った。今自分の中にあるのは、絶望と悲しみだけ。
魔法が使えると知って、魔法学校に入学できると知って、嬉しさに浮かれていたのに。やっとあの、何かが虚しい日々が終わると思っていたのに。今は、鋭い痛みに胸が貫かれていた。
やがて、また扉の叩かれる音がして、ははっとした。トムが夕食を持ってきてくれたのだろうか。しかし、扉の向こうから聞こえてきた声は老人のものではあったが、トムの声ではなかった。「わしじゃ」、と言う聞き覚えのある声。柔らかい声。
「起きておるかの?」
「は、はい」
ダンブルドアだ。は硬直した。彼は、しばらく来ないと思っていたから。その日までまだ時間はあると思っていた。昨日の今日ではないか。
扉が開き、穏やかな表情を浮かべた老人が入って来た。
「驚かせてしまったようじゃな」
口を開いたままのを見て、ダンブルドアはそっと言った。そして、ベッドへ近づいて来る。
「……ハグリッドから話を聞いての」
はぐっと拳を握り締めた。だから、早くやって来たのか。
ダンブルドアは、静かにの隣に腰掛けた。スプリングがぎしり、と音を立てる。
「
拳が震えた。ダンブルドアは怒っているだろうか、軽蔑しているだろうか。
「……ほんとう、です」
消え入りそうな声で、は言った。自分でも情けない声を出してしまったと思った。
「そうか……君には辛いかもしれんが……わしにすべてを話してくれんか?」
ダンブルドアはゆっくりと、優しく言った。覚悟を決め、は昨日の出来事を語った。男がやって来たこと。男の言ったこと。杖を拾い、あの言葉を口にしたこと。けれども何も知らなかったのだということ。
「ううむ、そうか」
ダンブルドアはとても遠い瞳をしていた。淡いブルーのそれは、海のように深かった。しかし、が「あの」、と切り出すと、その目をに向けた。
「私、……牢屋に入れられるんですか?それとも……」
死刑ですか。その言葉は口に出せなかった。
あの謎めいた言葉。それを口にしたら、父も男も倒れていた。そうして目を覚ました時には、彼らは死んでいた。自分が殺してしまったという実感はなかったが、ダンブルドアやハグリッドの言動から察して、それを認めざるを得なかった。私が殺した。私が、……。
しかしダンブルドアは、首を傾げた。何故じゃ、と。
「だって、私のせいなんですよね?私があの変な言葉を言ったせいで、……あの言葉は魔法で……」
がむしゃらに語るの肩に、ダンブルドアは手を置いた。皺だらけの手。けれども、温かかった。
「落ち着きなさい。一緒に、整理していこう」
そう言われると、不思議と頭がすっと冷めた。ゆっくりと頷くと、ダンブルドアは微笑んだ。
「君は魔法界のことは分からんじゃろうから、分からないことがあったら言っておくれ。まずは
死喰い人。確か、あの男……認めたくはないが、祖父が『あのお方に取り合って、お前も死喰い人にしてやる』と言っていた。あのお方。もしや、それがその闇の魔法使いのことなのだろうか。
「トム・マールヴォロ・リドル。ホグワーツの卒業生じゃ。現在ではヴォルデモートと名乗っておる」
ヴォルデモート。不思議と恐ろしい響きを持つ名前だ、と思った。
「彼はマグルの
ダンブルドアの目は嘆いているように見えた。その闇の魔法使いは、ホグワーツの卒業生だと言った。それなら、校長である彼が苦しむのは無理もないのかもしれない。
「君のお祖父さんは、死喰い人じゃった。そしてヴォルデモートに忠誠を誓っておった。じゃが、君のお父さんは違った。君のお父さんの一族
昨日、ハグリッドが教えてくれた話だ。
「そして、日本人である君のお母さんと出逢い、日本へ行った。2人は結婚し、君が生まれた。じゃが、君のお母さんの両親は、君のお父さんのことを良く思わなかったようじゃ。彼らとしては、娘には日本人と結婚してもらいたかったと聞いておる。じゃから再び、イギリスへ戻って来た」
「そんな、……初めて知りました……」
「そうか。わしも、君のお父さんがこちらに戻って来た時に聞いた話じゃ。彼はのう、家に見つからないような場所はないかと、わしに相談をしてきてくれた。わしは、イギリスの外れにある、田舎町を紹介した。あそこなら大丈夫じゃと思っておった
ダンブルドアは目を伏せた。何故だろう、彼に謝られると、胸が痛い。
「……家はの、君のお祖父さん以外の者は、闇祓いや魔法省に捕まるか、殺されてしもうた。故に、家は最近では滅びてしもうたと思われておる。だから、君のお父さんはもう家に関わることはないと思うておった。……彼は『の名を棄てたい』と言い、君のお母さんに反対されたそうじゃ。家名を棄てるのは駄目だ、と。どんなに家系を嫌だと思おうとも、あなたが育ってきた家であるのは事実だから、と。わしもその意見に賛成じゃと言った。もうの名を名乗っても、純血を誇りとしていたあの『』だと気づく者もおるまいと」
両親から語られることのなかった事実。それを今、一気に別の人物の口から聞くのはなんだか変な気分だと思った。あまりに突飛過ぎて、頭がついていかない。
「じゃが、わしが甘かった。君のお祖父さんは君たちを見つけ
そんな、とは声を上げ、首を振った。ダンブルドアのせいではない。彼は、最善を尽くしてくれたのだろう。父のために。父が卒業してもなお、相談に乗ってくれていた。悪いのは、あの男。そして、……。
「……私が、……私のせい、なんでしょう?」
ダンブルドアの温かい人柄に触れて、涙が溢れてきた。もう涙は涸れ果てたと思っていたのに。
「随分苦しんだようじゃの……もっと早くに説明してあげれば良かった」
ダンブルドアはそっとの背を擦りながら、言った。
「君が唱えた言葉、『アバダ ケダブラ』は、闇の魔術の一種。しかも強大な魔力を使うので、魔法使いでも使えぬ者は多い。だから、魔法を学んでいない君が使えることは、まずありえない」
は目を擦り、顔を上げた。ダンブルドアのブルーの瞳とかち合う。
「恐らく、。君が手に取った杖は、君のお祖父さんのものだったんじゃろう?君のお祖父さんはとても強い闇の魔法使いだったゆえ、その力が杖にも移ったのかもしれん」
杖。そういえば、杖を持った時に、奇妙な心地がした。
「恐らく、要因は他にある。だから無闇に自分を責めるのはおやめ。この件に関しては不可解なことが多過ぎる。わしも調べてみよう。じゃがきっと、君は自分を責める必要はないよ」
ダンブルドアはの背から手を離し、自分のマントに手を入れた。そして懐から黄色味掛かった封筒を取り、に差し出した。見覚えのある封筒だった。
「開けてみなさい」
は封筒を受け取り、宛名を見た。『・様』とエメラルドグリーンのインクで書いてある。中から手紙を取り出し、その内容を読んで、驚いた。
『このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されたこと、心よりお喜び申し上げます』
手紙を持つ手が震えた。こんなことになってしまって、もうホグワーツへの入学は諦めていた。なのに、どうして。
「君の家は、申し訳ないが
「うそ……そんな、……」
「学びなさい、。そうすることが、今の君には必要じゃ」
「でも!」
「ホグワーツに入学したくないというなら別じゃが」
が首を大きく振るのを見て、ダンブルドアは微笑んだ。
「学校で必要なものは、すべてこの横丁で揃う。ホグワーツが始まるのは9月1日じゃ。それまでだいぶ時間があるから、ゆっくり見て回ると良いじゃろう」
「でも、でも、私、お金……持ってません」
「そのことなら、心配はいらんよ。君の父上がきちんと銀行に預けておる」
そう言いながら、ダンブルドアはまたごそごそとマントを探り、鍵を取り出した。
「グリンゴッツ銀行の君の金庫から、この鍵でお金が取り出せる。銀行は横丁にあるから、後でトムに場所を聞くといい」
はダンブルドアから小さな金色の鍵を受け取った。それを見て、にっこりとダンブルドアは笑って立ち上がった。
「それでは、そろそろ行くとするかの。何かあったらふくろう便で送ろう。
「可能性?」
「そうじゃ。そして、学ぶのじゃぞ。魔法以外にも、多くのことを」
にこりと笑ってダンブルドアは、「それでは、ホグワーツで待っておるぞ」と言って、消えてしまった。
ダンブルドアが言った通り、そこで学ぼう。きっと、両親もそれを望んでくれるに違いない。彼らは、の不幸を望んでいない。あの両親なら。誰よりもの意志を理解してくれた両親なら。
もし天国というものがあるなら、2人はそこで見守ってくれているはずだ。もし2人が夜空の星のなったというなら、昼夜問わず瞬いて、を見てくれているはずだ。彼らは、がくよくよして不幸になっていくことを決して喜ばない。
それならば、懸命に生きていこう、と思った。
そして、ホグワーツでの可能性に、自分のすべてを懸けてもいいと思った。
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07/7/3