「とりあえず、良かったね」

変身術の教室に近い小さな部屋の中で、リーマスが言った。

「ほんとうだね。もっと厳しい罰になると思ってた」

ピーターの言葉に、も頷いた。

「あ、そうだ」

言いながら、リーマスは小さな四角い鏡を2枚、ポケットの中から取り出す。

「それ、何?」
「両面鏡さ」

 

21. There's no reason in LOVE
恋愛に理論なし

 

「あ!そういえばプロングズが言ってたね。パッドフットと別々に罰則を受けるようになっちゃったら持って来てくれ、って」
「そう。これを片方ずつ持って名前を呼ぶと、対を持った方と話ができるんだ」

ピーターとリーマスの説明に、へえとは感心した。便利だなあ。どう見ても、普通の鏡なのに。まさか、この鏡もジェームズたちが作ったものなのだろうか。

「ピーター、透明マント、持ってたよね?」
「ああ、うん。フィルチに見つかるぎりぎり前に、プロングズが投げたから」
「じゃあ、手分けしようか。僕はジェームズに渡しに行くから、ピーターはシリウスに持って行って。透明マント、使っていいから」

リーマスは鏡の1つをピーターに手渡す。ピーターはそれを受け取りながら頷くと、ポケットからマントを引っ張り出した。

「でもムーニー、だいじょうぶ?マントなしで」
「大丈夫。僕もと同じで、言い訳は得意だからね」

 

「占い学の教室って、どこだっけ……」

リーマスが去るのを見送ってから、ピーターははっとしたように呟いた。

「北塔だよ。……そうだ。ピーター、私も一緒に行っていいかな」
「え、ええっ!?」

ピーターは目を丸くする。そうして、強く首を振った。

「だ、だめだめ。できないよ。透明マントを2人で使うのって、すごくたいへんなんだ。ぼくがやると、2人とも隠れきれない」

でも。は、ジェームズかシリウスに会って、彼らの無事な声を聞きたかった。何か少しでも役に立ちたかった。私にも関わりのあることで、彼らが罰を受けたのだから。

「それじゃあ、ピーター、アニメーガスになれば?」
「だめ、だめ。まだ、ジェームズたちに手伝ってもらわないとできないんだ」
「じゃあ……私が行く。ピーターはリーマスの後を追いかけて。私がシリウスに届けに行く」
「ええ!?あぶないよ!」
「大丈夫。マントもあるし」

きっぱりと言うに、ピーターはたじろいだ。

「ううん……しかたないなあ……」

が譲る様子を見せないので、渋々、ピーターはマントと両面鏡を手渡した。

 

ジェームズやシリウスの役に立ちたいというのもあったけれども、一人でマントを使ってみたい、という気持ちもあった。夜のホグワーツ。少しばかり不気味で、けれども、普段なら生徒や教師が歩いているはずの、誰もいない廊下を一人きりで進んでいくスリル。どきどきする。確かに楽しい。
北塔の螺旋階段を上がって行き、まもなく占い学の教室に辿り着くという頃だった。フィルチの声が聞こえて、飛び上がった。

「今度何かしでかしたら退学になる可能性もあるんだからな!」

怒りと皮肉を込めたフィルチの声。けれども大丈夫、透明マントを羽織っているのだから。
恐る恐る、は教室に近づいていった。中に入ると、水晶玉を運び出すシリウスの姿と、腰に手を当てたフィルチの姿が目に入った。

「まあもっとも、ポッターはそうなったとしてもお前は免れられるだろうが」

フィルチはにやり、と口の端を上げる。シリウスが手をぴたりと止めた。

「なんといっても、お前はブラック家の坊ちゃん    
「やめろ」

低い声で言って、シリウスはフィルチを睨みつけた。フィルチは顔を歪める。

「俺とあの家は何の関係もない」

シリウスがこんな声を出すなんて。怒りに満ちた声。いや、怒りというよりも、憎悪。シリウスはそれほどまでに『ブラック家』を憎んでいるのだろうか。
フィルチはふんと鼻を鳴らし、の方を向いた。どきりとしたが、こちらが出口なのだから彼がこちらを向くのも当然だ。

「お前がどんなに憎もうとも、生まれ持った家名からは逃れられんぞ」

しっかり磨けよ、と言って、フィルチはの横を通り過ぎて部屋を去って行った。去るフィルチの後ろ姿を、シリウスはずっと睨み続けていた。そうして、くそっ、と床の上の水晶を蹴る。余程丈夫なのか割れることはなかったが、重い玉はごろり、と転がった。
はしばらく透明マントを脱げなかった。場の空気が張り詰めていた。ここにいてはいけないような気がした。シリウスの怒りが肌で感じられる。シリウスの表情は薄暗いので見て取れなかったが、彼が息遣いすらも全く音を立てなかったので、却ってそれがを困惑させた。
はしばらくぼんやりと立ち尽くしていたが、シリウスが大きなため息を吐いて、床の上に腰を下ろした。辺りを見回して、多すぎだろと呟く。少なくともその声音には怒りの色は含まれていないように感じたし、せめて鏡だけでも渡して帰らなければと、勇気を出して「シリウス」と声をかけた。シリウスははっとして顔を上げる。しかし周りに人がいないことが分かると眉をひそめた。
ああ、そうだった。マントを被っていたのだった。それを脱ぐと、シリウスは驚いてわっと声を上げた。

……!?」

シリウスは信じられないといった様子でをまじまじと見つめた。

「これ、渡しに来たんだ」

四角い鏡を取り出し、水晶の山をかき分け、シリウスの近くに寄って鏡を手渡した。

「両面鏡か」
「ジェームズの方には、リーマスとピーターが」
「あいつらが、に頼んだのか?」
「……違う。私の独断」
「何考えてるんだよ。フィルチはまた戻ってくるぞ。見つかったらどうするつもりなんだよ」

シリウスは目を吊り上げた。怒っているようではあったけれども、先ほどのフィルチとのやり取りの際に見せた怒りとは異なっているように思えた。あれは、先ほど彼が見せた感情は、間違いなく『憎悪』だった。フィルチに対するというよりも、『ブラック家』に対する。
彼のそんな感情を拭い去れれば良いなと、は少しだけ明るく言った。

「私、掃除、得意なんだ。手伝うよ」
「駄目に決まってるだろ。早く戻れ」
「どうせ、ジェームズの方はリーマスとピーターが手伝ってるよ」
「これは俺が受けた罰則なんだよ」

シリウスの言葉を無視し、は腰掛け、手を伸ばして水晶を取った。思っていたよりもずっしりと重く、両手でなければ持てなかった。シリウスの横に積まれていた布を1枚取り、それを使って球を磨く。その様子を見て、シリウスは肩を竦めた。

「まったく。お前って本当、頑固だな。しばらくしたら戻れよ」

そう言って、シリウスも水晶を磨き始めた。変わっているの次は頑固、か。

「それ、リーマスにも言われた」
「やっぱり」
「意志が固いって言って欲しいなあ」
「それを3文字で言うとガンコ、なんだよ」

そうかなあ。そんなに頑固かなあ。苦笑して、磨き終えた球を隣に置き、別の球を取った。

「……どこから聞いてたんだ?」

シリウスはさりげなさを装って答えた。けれど、どこか真剣な様子も伝わってくる。先ほどのフィルチのことは言わない方が良いだろうか。

「マクゴナガル先生の事務所のところ。OWLのこととか」
「ふうん」

シリウスはそれ以上尋ねて来なかった。もフィルチのことについては何も言わなかった。

「アニメーガスを調べる時は見つからなかったの?」

確か、その時も閲覧禁止の棚にお世話になっているはず。

「ああ……今回はたまたましくじっただけだ。スニベリーのやつが、俺たちを尾けてたんだ」

ぴたり、とは手を止めた。

「それに気づかなかった俺も馬鹿だったけどな。それであいつ、フィルチを呼んで来やがった。あの弱虫、こんなことでしか俺たちと張り合えないんだよ」

シリウスは再びくそっと吐き棄てた。は何も言えなかった。
張り合えないのは仕方ないよ。ホグワーツの秀才2人が揃ってるんだよ。いい加減、セブルスに構うのはもうやめなよ。そう言いたかったが、2人は自分のために禁書の棚に向かってくれたのだ。それが、注意できる立場ではない。
持っていた布をぎゅっと握り締め、は言った。

「……閲覧禁止の棚を調べるのは、もういいよ」
「え?」

シリウスは手を止め、を見た。

「ダンブルドアもシリウスと同じこと言ってた。杖に強い闇の魔術が宿ったんじゃないか、って。先生が言うんだから、きっとそうなんだよ」
「いや、ちゃんと調べた方が     
「いいよ、もう!」

声を上げるに、シリウスは口を閉ざした。つい声を荒げてしまった。気まずい沈黙が部屋を包む。月明かり。僅かに灯った明かり。それを反射した水晶。

「もう……嫌なんだよ……今回は平気だったけど、……もし……退学なんてことになったら」

シリウスとジェームズとリーマスとピーター。誰が欠けても嫌だ。フィルチが先ほど、ブラック家の名があるからシリウスが退学になることはないと言っていたが、もし彼以外の誰かが退学になったのだとしたら、きっとシリウスもホグワーツを辞めるだろう。もしくは、彼以外の誰かが退学に追い込まれたら、シリウスが責任を取って退学をするのではないか。シリウスが遠くに行ってしまう。
そんなの、いやだ。
シリウスの低い声音を思い返した。家系を憎むシリウス。それ程までに憎悪するには、どんな理由があるのだろうか。
あいつは、深いんだよ。
ジェームズの言葉。シリウスの深い瞳、深い表情。笑顔。
時折見せるふとした深い表情も好きだったけれど、シリウスが笑ってくれると嬉しかった。
ざわり、と全身に鳥肌が立つ。
私にとって、シリウスは、……

「それはないだろ。退学なんて、よっぽどのことがないと、ダンブルドアが許さない」

軽い声でシリウスは言った。しかし、は何も言えなかった。もし、今声を出してしまったら、涙まで出てしまいそうだった。
胸に湧き上がってきた感情。それまでは押し留めていたけれど、今になっての心を支配していた。
そうか。私は、きっと、    

『パッド……フット』

不意に、シリウスのものではない声が聞こえてきて、ははっとした。シリウスは四角い鏡を手に取る。その鏡の中にはジェームズの顔があった。

『やあ、。ワームテールから話は聞いたよ。無事だった?』
「うん……まあ……」
「プロングズ。そっちはどうだ?」
『順調だよ。ムーニーとワームテールがいるからね。あーあ、でもふくろうの羽根まみれさ』

肩を竦めるジェームズに、シリウスは笑った。も笑みを作る。

「でもな、こっちなんかひたすら球と格闘してるだけだ。ふくろうと戯れてた方がいいんじゃないのか」
『おー、そりゃあ良かったじゃないか。玉遊びなら好きだろ?』

むっとするシリウスを見て、ジェームズは笑ったが、次は真面目な顔で言った。

『それより気をつけろ。フィルチがそっちに向かったぞ』

ジェームズの言葉を聞き、シリウスは頷いた。

、もう戻れ」

分かった、とも嫌だ、とも答えられなかった。本当は首を振りたかったが、その前にシリウスが床に置いてある透明マントを掴み、の頭の上から強引に被せた。

「マント、預かっててくれ」
「でも」

ようやくそこで声が出た。そして水晶の山に視線を向ける。
でも、シリウス。まだこんなに残っているのに。

、今回ばかりは僕もパッドフットに賛成だ。早く戻るんだ』

透明マントを力を込めて掴み、は頷いた。もう私にはどうしようもない。何もできない。私には。
小さくそれじゃあねと言って、は立ち上がった。

「……。今回のことは、俺たちが悪いんだ。だから、のせいじゃない」

項垂れるの様子を察してか、シリウスは言った。は横に首を振って、部屋を出た。
ちがう。違うんだよ、シリウス。私は、シリウス独りを残して行くのが嫌なの。シリウスの役に立てないことが嫌なの。こんなに水晶が残ってるのに。またフィルチが来て、家系のことを持ち出すかもしれないのに。分かってるのに、何一つ力になれない。ジェームズやリーマスみたいに、気の利いた言葉でも言えたらいいのに。リリーみたいに、明るくて頭が良くて、可愛かったら、……シリウスも、気が楽になったかもしれないのに。
分かってる。私は可愛くなんてないし、気の利いたことも言えない。明朗快活でもない。それに比べて、シリウスは容姿端麗で聡明で優しくて、みんなに人気がある。だから、彼を好きになっても手が届かないと思っていた。だから、胸の隅にあった感情に気づかないようにしていた。それをなかったことのようにしようとしていた。
けれど、今はっきりと気づいてしまった。
そうした考えが全部流れてしまうくらい、私は    シリウスのことが、好きなんだ。

 

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07/8/13