#11. FAKE SMILE
「一昨日未明、絵画コレクターとして有名なカルロス・クロフォード伯爵のもとに、ルパン三世が現れました。クロフォード伯爵のコレクション数十点が盗まれ、警察がルパン三世の行方を追っています。伯爵によると、盗まれたコレクションはすべて贋作とのことで、ルパンは何を望んでいるのか疑問だ、とコメントを寄せています」
はため息ひとつ吐いてテレビの電源を消した。
すべて贋作、か
伯爵がそう公言しているのだから、ルパンたちもの言うことを信じてくれただろうか。それともやはり、と伯爵はグルだったのかと疑っているだろうか。
ルパンたちはどうするのだろう。伯爵からは手を引くのか。
はあの一件以降、何度も自分に言い聞かせた言葉を、再度呟く。
けれども、どうしてもルパンのことを考えてしまう。
の前に嵐のように現れたルパン。また風のように去って行くのだろう。それとも、もう去って行ってしまったのか、……。
なんなんだろう、この感情。あんな男性ひとり、しかも泥棒に心を乱されるなんて。
どこかおぼろげな胸のうずきを抱えていたは、突然鳴った電話のベルに身体をびくりと震わせた。
自分の家の電話だというのに驚くなんて、どうかしている。
は飲んでいた紅茶のカップをテーブルに置き
「はい」
「・さんですか?わたくし、クロフォード伯爵の秘書の者ですが」
クロフォード伯爵。彼のことを考えていた矢先だったので、思わず受話器を握る手の力が強まる。
「はい、そうです」
「伯爵がお話があるとのことで、このままお待ち下さい」
保留音が流れる。淡々とした電子音のクラシック。
伯爵から直々に電話。一体何だろう。まさか、先日ルパンに協力したことが悟られたのだろうか。
伯爵の秘書というが、不二子の声とは違っていた。新しい秘書を雇ったのか、別の秘書か。
動揺を落ち着かせようと、何度か丁寧に深呼吸する。待っている時間が永遠のように長く感じられた。やがて保留音が途切れる。
「か?すまないな、突然」
伯爵の声だった。第一声は、普段通りのもの。
「どうなさったんですか?伯爵が私の家に電話をかけてこられるなんて」
「ああ、ヴァージルの事務所にかけたら、君は非番だと聞いてな。どうだ、。今晩食事でも」
食事。なんだろう。
の心臓がどくどくと脈打つ。
「ええと……何か緊急のことでしょうか」
「いいや、そういうわけではない。以前話した、私が主催するオークションのことでね」
どうやらルパンのことではないらしい。ひとまずほっと胸を撫で下ろして、は答える。
「そうですか。今晩は、大丈夫です。空いています」
「ならば君のアパートへ迎えをよこそう。7時ではどうかね?」
「はい、大丈夫です。お待ちしています」
「では」
は通話が途切れるまで待って、そっと受話器を下ろす。
慌てていて詳細を訊ねることを忘れていたが、オークションの件とは何だろう。ヴァージルも来るのだろうか。それとも、他の鑑定士や関係者も?
は目を閉じた。
先ほど受話器の向こうに流れていた電子音のクラシックが、しばらく頭から離れなかった。
「いやあすまないな、待たせてしまって」
その台詞のわりにはゆったりとした足取りで、クロフォード伯爵が現れる。
の前に着席した彼は、ボーイを呼びワインを注文した。も彼の勧めで同じものを頼む。値段がわからないが、恐らく高級なワインなのだろう。は気が引けたが、伯爵の手前断ることもできない。
ロンドン市街の高級レストランの個室。伯爵の付き人に案内され、一足早く到着していたは、格式の高さに尻込んでいた。家具という家具が光を放つようにきらびやかで、シャンデリアの装飾も光も煌々と輝いていた。ボーイの佇まいにも気品が感じられる。美術界でたまにおこなわれるパーティー用の正装を着て来て正解だったと、は思った。
ワインが運ばれ、クロフォードと乾杯する。伯爵が到着した際には付き人が何名かいたが、料理が運び込まれると彼らは下がった。
個室にふたりきり。クロフォード伯爵と。
「こんなに素敵なところにお招き頂きありがとうございます」
「いいところだろう?料理の腕もロンドンで一、二位を争うと思う」
「はい。本当に美味しいです」
は微笑む。
「今日は
「ああ。君と食事をするために女性を連れて来ては失礼だろう?」
伯爵が口元を緩めたので、も笑った。
「それに彼女は先日祖母が亡くなったらしくてね。帰省しているよ」
嘘だ、とは直感した。
不二子は、そのまま伯爵の前から姿を消すつもりではないだろうか。ひとまず、自身の正体はばらさずにはいるらしい。
「
はさりげなく訊ねる。
「ああ。警察も手を焼いているようだ。私としては貴重なコレクションが盗まれたので遺憾だが、ルパンにとっては価値のないものだろうに。何がしたかったのだろうね」
遺憾と言うわりには、彼には少しもそのような様子がない。ルパンに盗まれたコレクションは、伯爵にとって盗まれても痛くも痒くもない、そういうことなのだろうか。
この件はそこで終わってしまい、伯爵はを呼び出した要件に移った。
「君に話というのはね、。電話でも述べたが、来年開く私のオークションのことだ」
「はい」
「。君に
言葉を忘れ、は目を丸くした。
オークションの前におこなわれる鑑定会。競売にかけられる品々を鑑定し、カタログに真偽を載せる。その大切な鑑定会を取り仕切る、筆頭鑑定士
「で、でも……筆頭鑑定士はヴァージル先生以外にはいらっしゃらないのでは……伯爵の大切な、はじめての主催オークションでしょう?」
「当初はそう考えていたがね。色々考えて、に頼もうと思ったんだよ。若くて有望な鑑定士に任せたほうが、鑑定界の今後に繋がる。いつまでもヴァージルばかりに頼っていてもいかんだろう」
伯爵の提案は、一見すると鑑定界やの将来を考えてのことと思える。けれども、そうした純粋な動機からではないような予感があった。
はためらいがちに、けれども注意深く伯爵の目を見る。
“若い”、そして“ヴァージルの助手”であり“将来が有望”と取り沙汰されたが筆頭鑑定士をするとなれば、美術界でも話題になる。オークションにも注目が集まるだろう。
「
「筆頭鑑定士にを、という考えは話してある。一案としてだがね」
そうか。先日からヴァージルの態度がさめざめしていたのは、このせいかもしれない。鑑定会では自分が指示するまで意見を言うな、とに忠告してきたのも、この件と関係があるだろうか。伯爵の筆頭鑑定士の座をに渡したくはない、ということか。自分よりも、に注目が集まることを恐れて
「どうだ、。引き受けてくれるか?」
は伯爵から目線を落とし、ワイングラスをじっと見つめる。
伯爵が認めてくれているのは、の鑑定眼というよりも、若さやの背景なのだろう。
けれども、筆頭鑑定士になれれば、ヴァージルの名を借りずに鑑定界に名を馳せるチャンスになる。
でも、……。
「
ヴァージルの了解を得ないまま事を進めては、彼に後々何を言われるかわかったものではない。鑑定界で今後もやっていくには、彼の機嫌を著しく損ねるのは得策ではない。
が顔を上げて答えると、伯爵は苦々しく笑った。
「。君の鑑定士としての腕は大したものだ。その若さではな。もう必要以上にヴァージルを顧みなくとも良いのではないか?」
伯爵の口元は笑っているのに、目の奥にはぞっとするような冷酷な光を感じた。はたじろがないようテーブルの下で拳を作る。
伯爵とヴァージルは深い仲のはずなのに。伯爵の口振りは、まるでヴァージルを切り捨ててもいいといったもの。
「
「そうか、わかった」
伯爵は苦笑して息を吐いた。
アパートの自室に戻るなり、はベッドに倒れ込む。
疲れた。作り笑いをずっとしていたせいか、頬が奇妙に強張っている。
は布団に顔を埋めたまま、伯爵のことを考えた。
彼は何を考えているのだろう。知りたくもあるが、知ってしまったら、伯爵の裏の顔に気づいてしまったら、もう戻れない。そんな恐怖がある。
鑑定界で這い上がるには、伯爵の提案に乗りたい。そして、伯爵の後ろ盾を得られれば。
しかし、伯爵と個別に懇意になれば、ヴァージルに余計に疎まれてしまうだろう。
けれども
はじっと目を閉じた。
純粋に絵の美しさに触れていたかった。
美術界は、鑑定界は、いつからこんなにも闇に呑まれたのだろう。金と力を持つ者たちの思惑によって、汚れてしまった。絵が好きで、鑑定ができるというだけでやっていくには、肩身が狭い世界になってしまった。
それを正せたらいいと思っていた。でも、立ち向かうには相手の力が大きすぎる。突破口があれば
不意にブルーのジャケット姿の男が脳裏に浮かび、は頭を振った。彼の姿をかき消したかったが、なかなか消えてはくれなかった。