魔法省。ロンドンの中心部からややそれた場所にあるそこは、いわば魔法界の国会議事堂。電話ボックスに乗り込み、地下へ潜り、辿り着いた先は、エントランス・ホールだった。
一番初めの印象は    とにかく、『すごい』。建物は地下10階まであり、このエントランス・ホールだけでも広大で、壁、天井、辺りはタイルのように輝いており、噴水、銅像、暖炉などのオプションも豪華絢爛だった。多くの魔法使いたちが忙しく動き回っており、人々の声が飛び交っていた。
しばらく呆然としていると、案内役のような女性がやって来た。

様ですね」
「あ、はい」
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

彼女の後に続いて歩いて行くと、いかにも『役人』という厳しい面構えをした中年の魔法使いと、マクゴナガルに似た雰囲気を持つ初老の魔女が待っていた。

「ここから先、神秘部には、重要機密に関わることが多くあります。我々が同行いたします」

魔女が低い声で言うと、2人は歩き出し、案内役の女性は「それでは」と去って行った。無愛想だなあ、まったく。マグルの国会議事堂だったら、きっともっと愛想の良い人を揃えておくだろうに。
不満を抱えながら彼らについて歩いて行くと、小さなホールに出た。金の格子扉がずらりと並んでいる。エレベーターだった。魔法使いが矢印が下へ向いたボタンを押すと、扉が開き、彼らはさっさとエレベーターに乗ってしまった。何か一言あっても良いだろうに、と一つ不満が増えたが、も黙って彼らの後に続いた。彼は『9』という数字の書かれたボタンを押す。

「まったく。本来ならタイムターナーは外への持ち出しは余程のことがない限りしてはいけないのに」
「仕方ないさ。ファッジはダンブルドアに弱いからね。彼に頼まれたら、ノーとは言えないだろうさ」
「おい、皮肉もほどほどにしないといつか首が飛ぶぞ」

魔法使いに睨まれ、魔女は首を竦めた。それからは無言が続いた。
やがて、『神秘部です』という声と共に、エレベーターの扉が開く。外に出ると、それまでの喧騒とはうって変わって、廊下は静まり返っていた。魔法法執行部、魔法運輸部、魔法事故惨事部など、魔法省には7つの部門があるが、この神秘部は得体が知れなかった。辺りを包む空気の雰囲気も、どこか異質なものを感じた。
2人についていくと、一つの部屋に出た。そこには、ありとあらゆる時計という時計が置かれていた。不気味だ、とは思った。ここまでずらりと時計が並ぶと、異様な光景だった。時計の針が動く音が耳につく。そして、魔法使いは、ガラス張りの戸棚から砂時計のような形をした、鎖のついた時計を取り出した。

「では、まず、壊れた時計を返してもらえるかな」

は頷いて、マクゴナガルから預かった逆転時計を取り出した。彼に手渡すと、彼はしみじみとそれを眺め、ううむと唸る。

「奇妙だな。おかしなところは何もないのに、何故作用しないのか」

魔法使いは、乱暴に壊れた砂時計をひっくり返したり戻したりしていたが、やがてその視線をに向けた。

「使い方が荒いからではないのか。生徒によく注意をしてくれ。今度こういったことがあれば、貸し出しを取り止めることになる。ただでさえ特別な処置だったのだ。これは、使い方一つであらゆることができる。それを分かってほしいものだな。そもそも、我々は」
「ああ、はいはい。あんたは話が無駄に長すぎるよ」
「無駄とはなんだ、無駄とは」

2人はを他所に言い合いを始めてしまった。彼らの荒声と共に、時計の針の音が耳障りで、は次第に腹立たしさが込み上げてきた。
ああ、でも、この時計ひとつで何でもできる、ということはもっともだった。
たとえば、教員試験の前に戻ってもっと勉強をしておくとか、もっとピアノの練習をして、伯父たちのバンドとの演奏会に参加させてもらうとか、    あの時の私に、『彼』を好きになるなと忠告をしたりとか。そうすれば、傷つくことはなかった。その傷がなければ、私は変わっていたかもしれない。

それにしても、逆転時計はどれほど前の過去まで戻れるのだろう。地球が誕生した時はどうだろう。人類が生まれた時はどうだろう。ショパンが生きていた時はどうだろう。
    ルーピンの学生時代。
は思いついて、はっとした。彼が、ホグワーツで、どのように、どんな学生生活を送っていたのか。
知りたい、……。

「君!」

大声で呼びかけられ、はびくりとして我に返った。魔法使いが、彼が手に持っていたタイムターナーをに押しつける。

「君はさっさと戻りなさい」

彼は早口で言い、魔女との口論を続けた。
まったく。いい大人が。
彼から受け取った時計をポケットにしまい、は呆れながらもとの道を引き返した。彼らには付き合っていられない。早く戻ろう、と大股で、早足で歩みを進めた。

「なんだと!」

突然、魔法使いあまりにも大きな声が室内にわんわんと響き渡り、何ごとだとは驚いて振り返った。その拍子に、傍にあった大きな時計にぶつかった。その衝撃で、床に倒れ、尻餅をつく。しかし、彼らはには目もくれず、口論を続けていた。
まったく、なんだというんだ。
憤慨しながら立ち上がって、彼らを睨みつけてからその場を去った。

 

ホグワーツの城を目にした時、どっと疲れが押し寄せてきた。夜は更け、点々とした明かりの灯るホグワーツ城を眺めながら、はとぼとぼと歩いた。魔法省の奇妙な雰囲気。そこで出会った奇妙な魔法使いたち。できることなら、もうあそこには行きたくない。
もう夜だから、マクゴナガルに時計を渡すのは朝になってからで良いだろう。早くベッドの上で休みたい。

歩きながら、ポケットに入れていた時計を取り出し、月にかざして眺めていた。その光を受け、ガラスの面がきらりと輝く。金の鎖も美しかった。綺麗な時計。アクセサリーとしてもなかなか良いかもしれない。そう思って、なんとはなしに首にかけた。
    あれ。ちょっと待って。
立ち止まり、もう一度、月光に当ててみると、細かい傷が見て取れた。新しい時計を貰ってきたはずなのに。いや、もともと傷がついているのかもしれない。以前使った者がいるのだろう。でも、これを渡した彼のことだ。まさか、新しい方ではなく、壊れていた方を渡したのでは    
試しに、使ってみよう。確かめてみよう。そう一度考えた後は、止まらなかった。1時間前くらいなら良いだろう。誰に迷惑をかけることもない。その辺りで時間を潰せば、……。

時計を1回、ひっくり返した。辺りの景色がふっと消え、ぐいと身体が引っ張られるようになった。
なんだ、ちゃんと新しい方をくれたのか。疑って悪かったかな。
しかし    
いつまで経っても、辺りの景色は変わらなかった。引っ張られているような、後ろ向きに飛んでいるような心地は止まらなかった。身体が引きちぎれそう。意識がふっと遠くなりかけた時、どさりと地面に叩きつけられた。

「いたたたた……」

腰を上げると、景色は変わっていなかった。夜。ホグワーツ。月。
なんだ、やっぱり結局壊れていたのではないか。もう一度、あそこへ行くことを考えて、気持ちが萎えた。またあの2人が応対するのだろうか、……。

ちがう。

さっきは半月だった。
けれど、今は    三日月。くっきりと、不気味にさえ見えるほど整った弧を描いた月。
は自分の身体から血の気が薄くなっていくことが分かった。ここは、一体『いつ』?私はどれくらい前に戻ったのだろう。2、3時間前ではない。数日ならまだ良いが、それ以上なら。
どうしよう。どうしようどうしよう。
迂闊に時計に手を出すんじゃなかった。は頭を抱えた。
落ち着け。落ち着かなくちゃ。まずは、この時間がいつか、確かめなくては。
混乱した頭でホグワーツ城に歩みを進めていると、城に近づいた時、声がかかった。

「誰です、こんな夜更けに?」

厳しい口調。薄明かりが照らしたその顔は、マクゴナガルだった。

「マクゴナガル先生、あの」

マクゴナガルはの顔を認めたが、首を傾げた。まるで、誰か分からない、といった表情。
まさか、……マクゴナガルと出逢う前の時間に来てしまったのだろうか。

「生徒……ではありませんね。新任の教師……違いますね。一体、誰ですか」
「私を分かりませんか、先生。です。です」

懇願するような口調になった。先生、私のこと、どうか分かってください。
しかし、その願いも虚しく、マクゴナガルは眉根を寄せるばかりだった。
話すしかない。逆転時計のことを。しかし、過去に関わることをして良いのだろうか。ここで、過去のマクゴナガルに自分の存在を知られて、影響がないのだろうか。けれども、今はもう、他の手段は考えられなかった。彼女に、そして校長に相談をすることしか、には思いつかなかった。
いや。そもそも、ダンブルドアが校長で、マクゴナガルが副校長の時代なのか、それすらも分からなかったけれども。

 

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07.10.14