「あ、さん、昨日はすみませんでした」
兵舎を歩いていると、救世主オルオくんが声をかけてきた。
「なんか兵長と取り込み中だったみたいなのに」
「ううん、まったく、全然」
むしろ、これ以上ない良いタイミングで来てくれてありがとう、と言いたい。
「え、でも兵長が「大事な話の最中だったのに」って言ってましたよ」
「それは皮肉だよ……きっと」
「皮肉?」
オルオが首をかしげていると、近くにいたペトラが会話に入ってきた。オルオとは同期の女の子だ。
「さんって……その……兵長と、どういう関係なんですか?」
「は?」
一切の予想をしていなかった類の質問に、私はペトラを責めるように声を上げてしまった。ペトラは心配そうに表情を曇らせる。
「あ、その、だって、あの兵長が大事な話、なんて言うくらいだから」
「ああ……それは、……私が兵長を怒らせてしまったから、嫌味で言ったんだよ……」
「うわあ、何しちゃったんですか」
どこかおもしろそうなトーンのオルオ。彼の言葉に応える前に、ペトラが問いかけを続けてくる。
「あの、これは私の話というわけじゃなくて、兵長はとても有名な人だから……同期や後輩の間でも、兵長に特別なひとがいるのか、っていう話題になったりして、気になっていたんです」
リヴァイ兵長は、巷では“人類最強”だなんて言われている。本当にそれほどの強さを持つ人だから、関係者内外からの人気も高い。
実際に兵長の人となりに軽く触れると、口は悪いし協調性はないし潔癖症だし、近寄りがたい人でもあるのだけど、その強さを目の当たりにするとやはり羨望の眼差しのほうが強くなる。
だから
「さあ……そういう話題はしたことないからなあ。本人に聞いたらまず間違いなく一蹴されそうだし」
「そうですよね」
私が苦笑して答えると、ペトラも同じように笑う。
「えー、でも兵長にオンナのひとりやふたり、いるんじゃないっすか?あれだけ強いオトコに憧れないオンナはいないでしょ」
「ちょっと黙っててくれる?というか、どこかに行ってくれる?」
間に割り込もうとしたオルオを睨みつけ、ペトラは私に向き直る。
「
ペトラはまだ十代の年ごろの女の子だ。こういう話題に興味を持つのもわかる。
でも。
そんなペトラを見て、私の感情はすっと一段階冷えた気がした。
「エルヴィン団長が
「え……?」
こんな話をすべきじゃないと頭ではわかっているのに、心がついてゆかない。
「いつ自分が死ぬかわからないから、家族を作らないようにしているのかも」
「え、……」
「
ペトラの瞳に複雑そうな色が宿る。
私ははっとして、自分の言葉に内心で舌を打った。
こんな自分の考えを人に披露すべきではなかった。ましてや、まだ十代の希望に満ち溢れている若人に。
誰がどんな選択をしようが、その人の自由なのに。
「ああ、ごめん。今のはあくまで私の考えだから、気にしないでね。逆に大事なひとがいることで大きな力になるだろうし」
私は
ペトラは私よりも若いし腕もいい。実際、リヴァイ兵長が実力を認めて何度か任務に同行させている。彼女の隣にいるオルオも同じく、だ。
彼女だって訓練兵からの同期を失って、仲間が死にゆくさまを見ているはずなのに、この子はきっと、大事なひとを見つけてそのことを力に変えられるのだろう。
そして、もしかするとそのひとは
私にはない強さが、眩しい。
だからつい、冷たい現実を長い間見てきた私の考えを、突き出したくなってしまったのだ。
そんなことでペトラの決意は揺るがないだろうに。
「俺としては、さんとエルヴィン団長の仲が気になりますね。団長と団長補佐って、何か秘密めいた響きがあるし」
オルオがしたり顔で会話に入ってくると、ペトラが「鬱陶しい」とはねつける。
このふたり、なんだかんだ良い相性をしているんじゃないのかな、と思った。

でも、私の考えは間違ってはいない、と思う。
調査兵団に入る理由は、ひとそれぞれだ。
人類が自由を得るための力になりたい。
巨人を倒したい。
壁の外に何があるのか探求したい。
ウォール・マリアを奪還したい。
そんなおのれの夢や目的のために、全員が心臓を捧げる覚悟を持っている。
私が調査兵団に入ったのは、同じ調査兵だった父や兄の背中をずっと見てきたから。
そして、ふたりの影響もあって、人類は壁を越えて自由を手にするべきだと幼いころから考えてきたから、ここに入る以外の選択肢をまるで考えなかった。
私も調査兵として心臓を捧げるつもりでいるけれど、死にたくはない。簡単に死ぬつもりもない。
でも
壁外調査では毎回何人もの仲間が死んでゆくし、自分がいつその立場になるかわからない。
勇ましい夢だけを持っていた訓練兵時代から、調査兵団に入団して、地獄のような現実を見てから私は、一時感情が消えてしまった時期があった。
巨人の圧倒的な驚異を目の当たりにして、自分の無力さを痛感し、仲間が次々と死んでゆく。
入団したばかりのときは、あのハンジも私も、精神的にだいぶ滅入っていた。
でも、私の心を殺したのは人の喪失であったけれど、同時に私を蘇らせてくれたのも人だった。
志を持った仲間との戦いは、過酷でもあり充実してもいた。
エルヴィン団長がかつて分隊長だったころ、私はエルヴィン団長の隊に入っていて、ミケさんや隊のメンバーなど素晴らしい兵士と共に生活していた。エルヴィン団長が隊長として直属の上官になってからは、近くの仲間の死が遠のき、少しずつ余裕が生まれてきた。
それから
ただ、今でも仲間を失うのは心底辛い。
兵団のメンバーと少しでも言葉を交わせば、その瞬間に情が移ってしまう。
今日のようにペトラとオルオと気さくに会話してしまったら、もう彼らを失うのが怖くなる。
逆に、自分が死にゆく瞬間には、彼らともっと一緒に戦いたかった、と懇願しながら逝くのだろう。
いつか、おそらくそう遠くない未来にやってくる別れのために、私はどうすればいいのか。
調査兵団にもう何年も身を置いているのに、未だに正解にはたどり着けていない。
せめて、私にできることはふたつだった。
ひとつは、前に進むこと。
仲間を失った痛みを巨人への怒りに変え、死んでいった仲間の無念を晴らすために調査兵団の役に立ち、これ以上仲間を失わないように、強くなる。今、できる努力を必死に行なう。
そしてもうひとつが、せめて私もエルヴィン団長に倣って、恋愛の類はしない、ということだった。
「もともとおまえが勝手に敬語使ってきたんだろうが」
もう眠ろうと目を閉じると、唐突にリヴァイ兵長の声が蘇ってくる。
昨日と今日とでやけに兵長の話題が出たな、と思う。
そのせいで、私は兵長と出逢ったときのことを振り返らずにはいられなかった。
844年。超大型の巨人によって壁が壊される前の年。
思い出すには辛すぎる記憶。
それでも思い出さなくなればきっと、その人たちの存在はなかったことになってしまう。
だから私は、みしみしと震える心臓を投げ打って、昔の想い出を取り出すことにした。