絹糸のように静かに降る雨。その中で立ち尽くす人影があった。
壮絶な光景だった。
血まみれのマント。横たわる遺体の数々。唯一その場で立っている人物は、微動だにしない。
エルヴィン隊長も、ミケさんも、私も、馬に乗ったまましばらく呆然とその様子を眺めていた。
第23回壁外遠征は、エルヴィン隊長が考案した、長距離索敵陣形の試験運用を兼ねて開始された。はじめこそ順調に思われたその行程も、突然の悪天候により信煙弾が使用できず、その索敵能力は失われた。さらに悪いことに、ひどい雨と霧で各隊が散り散りになってしまった。
壁外遠征は中止。当時のキース団長と私たちの隊など近くにいた兵団のメンバーは、一旦安全な場所で待機することとなった。
雨が小ぶりになり、私たちの隊は状況を確認しながら帰還を目指した。
その道中、もくもくと立ち込める蒸気を発見した
雲の切れ間からゆっくりと青空が顔を覗かせてきているのに、地上の景色は惨憺たるものだった。
私は、おそるおそる地面へと視線を向けた。
もう物を発しなくなったフラゴン分隊長と、隊のメンバー
くらり、と視界が歪む。
フラゴン隊長は
隊のメンバーとはあまり言葉を交わしたことはないけれど、共に死地を潜り抜けてきた仲間だった。
そして。
イザベルと、ファーラン。
イザベルの無垢な笑顔と、ファーランの真っ直ぐな瞳が頭を離れない。
呼吸が、できない。吐き気がする。
私は愛馬に手を当て、なんとか自分を保とうとした。
蒸気が治まってきたころ、エルヴィン隊長が馬から降りた。それに倣ってミケさんと私も馬から降りるが、何をすれば良いのか、どんな言葉を発せばいいのかわからず、私は馬に寄り添って立っているしかできなかった。
「生き残ったのはおまえだけか、リヴァイ」
全身が真っ赤に染まったその人物に、エルヴィン隊長は投げかけた。
反応は、ない。
「
エルヴィン隊長は静かに言い、笑った。
私は驚いて顔上げ、エルヴィン隊長をまじまじと見てしまった。
いくらなんでもその言葉はありえないだろうと。調査兵団に入って以来はじめて、エルヴィン隊長を軽蔑しかけた。
けれども。
エルヴィン隊長が一切の表情を吹き消していたので、私は何も言えなくなってしまった。何か意図があるのかもしれないと思った。
あとになって考えたのは、エルヴィン隊長はあえてその言葉を投げつけたのではないかということ。
おそらくこのとき、同情や哀れみを示しても、仲間を失ったひとの心には届かない。
だからあえて選んだのかもしれない。嘲笑、ということを。そして自分に怒りを向けさせたのではないか。
そうだとしたら
ただ、その言葉を叩きつけられた本人はさぞ不愉快だっただろう。エルヴィン隊長に斬りかかる。
「てめぇを
エルヴィン隊長は避けることをせず、刃を手で受け止めた。
ミケさんが動こうとしたけれど、エルヴィン隊長に目で制される。
そしてエルヴィン隊長は、封がされた書類を地面に投げ捨てた。
エルヴィン隊長の話で、私は知った。なぜ彼らが調査兵団に入ったのか。
ニコラス・ロヴォフという議員が、調査兵団の壁外調査に反対していた。ロヴォフは壁外調査で浮いた資金を横領していたらしい。エルヴィン隊長はその証拠を掴んでいた。
イザベルたちはロヴォフの依頼で動いていた。横領の証拠書類をエルヴィン隊長から取り戻し、隊長を殺すために調査兵団に入った。
証拠書類はとうにザックレー総統に届けられていたというのに。
たしかに彼らの力は、調査兵団の大きな戦力になる、かもしれなかった。
目的のためなら手段を選ばないというエルヴィン隊長の判断力は、冷徹さを感じることもこれまで何度かあった。それでも結果的に見事な采配でもあったから、尊敬していた。
けれどもこの日はじめて、私はエルヴィン隊長の選択を手放しに歓迎できなかった。
イザベルとファーランを失ったふたりのリーダーは、その場で膝をつき崩れた。
「私が憎いか、リヴァイ」
エルヴィン隊長が静かに問いかけると、リヴァイ兵長は顔を上げ一心にエルヴィン隊長を睨みつける。
「それとも、自分の選択を悔いているのか。自分が仲間のもとを離れなければ、と」
エルヴィン隊長は膝をつくリヴァイ兵長を見下ろす。その右手から鮮やかな赤い血が滴っていた。
「
「なん、だと……?」
「後悔はするな。後悔の記憶が次の決断を鈍らせる。そして、決断を他人に委ねようとする。そうなればあとは死ぬだけだ。結果など誰にもわからない。ひとつの決断は次の決断のための材料にしてはじめて意味をなす」
エルヴィン隊長は、そうやって何度も後悔をして選んできたのだろうか。
彼はいつかと同じように、膝をついて語りかける。
「おまえの仲間を殺したのは、おまえの選択でも、私でもない。巨人だ。そして、ひいては人類の無知だ」
エルヴィン隊長の声はどこまでも静かだった。
「我々人類は、巨人や世界に対して何もかもを知らなすぎる。無知でいる限り巨人に食われる。壁の中にいるだけでは何もわからない。外の世界に何があるのかも、巨人がなぜ我々を食うのかも、何もかもだ。このままでは人類の劣勢は覆せない。だが、百年もの間壁の中で安寧に暮らしてきた人類の中には、おのれの利害だけしか見えず、我々が壁の外に出ることを阻む連中がいる。おまえはどうだ。リヴァイ、おまえも同じか?おまえの目は、何を見ている?おまえのその力は、何のためにある」
イザベルとファーランが言っていた。自分たちは王都の地下で、ずっと空を求めてきたと。
だから
「私を殺して地下に戻るか?それとも、その力を
エルヴィン隊長は立ち上がり、言った。
「もう一度選べ、リヴァイ」

調査兵団に加わることを。
ただ
彼ら三人がいつからどのような関係を築いていたかはわからない。けれど、過酷な地下街で、お互いを頼みにしながら生き抜いていたのだろうということは想像できた。
そんな仲間を失ったのだ。
少しやり取りがあった私でさえ、あのふたりの不在が痛いほどに胸に染みていたのだから、兵長の苦しみはどれほどだっただろう。
私は、目を閉じるとイザベルの明るい声が、ファーランの涼やかな微笑みが、しばらく頭から離れなかった。
一緒にいた期間は短かったけれど、ああ、また仲間を失ったな、という喪失感が私の心をかき乱した。同期や先輩を失い続けて、癒えかけていたと思っていたのに。
そんな折、エルヴィン隊長から「リヴァイのことを気にかけてほしい」、と頼まれたときには驚いた。
エルヴィン隊長も、イザベルとファーランのことには何かしら思うところがあったのかもしれない。私はそう信じようとした。
ただ、“気にかける”ということを、当の本人は望まないのではないかと思った。そしてエルヴィン隊長にそれを訊ねると、「そうだろうな」という肯定があっさりと返ってきた。
「言葉が悪かった。リヴァイの様子を探ってきてくれないか」
「え……!?私が、ですか」
「今私がリヴァイに対してどんな言葉をかけても、悪い方にしか転がらないだろう。だが近いうちにまた壁外調査がある。今のように孤立したままでは、状況はあまり良くない」
「いや……でも、悪いほうに転がるのは私も同じでは……」
「そうかもしれない。だが、きみは私が知る人物の中で一番、人に対する配慮が上手い、と思う。きみが話をして駄目であれば、誰であっても寄せつけないだろう。それに
たしかに私は、紅茶が好きだ。ただそれは、私の出身地で採れる紅茶への自負、とも言える。
悲しみや、ひいては憎しみに心を満たしているひとに近づけるとは思えなかった。
「もちろんこれは隊長命令などではなく、俺個人としての頼みなんだが、引き受けてくれれば嬉しい」
「
私が苦笑すると、エルヴィン隊長は「そうか」と微かに笑みを浮かべた。
やはり人の悲しみに寄り添っているというよりも、兵団の士気に関わるから、という配慮なのかもしれないけれど。
それでも、上官としてではなく、エルヴィン・スミス個人の配慮だと、信じたかった。