※『峰不二子という女』第4話の設定を用いています。
本シリーズの狡猾でダーティで目的のためなら手段を選ばない、そんな銭形です。
コミカルな銭形ではないのでご注意ください。
カランと乾いた音が静かなバーに響き渡る。銭形は音のほうには目もくれず、目の前のロックグラスを見つめていたが、やがて大きな足音共にやって来る気配に背後を振り向いた。パンツスーツ姿の部下
「どうした?事件でもあったか?」
銭形は、青筋を立てている彼女に冷ややかに言い放つ。は怯まずに、バーカウンターに座る銭形に相対した。
「銭形警部
「何がだ?」
銭形は彼特有の渋い濁声で、興味がなさそうに訊く。は静かに声を荒げた。
「峰・不二子です!」
ああ、と銭形は低く言って、ロックグラスに口をつけた。そのことか。
「あんな女と
は非難をたっぷりと浮かべた目線で銭形を睨みつける。一方の銭形は動じる気配を微塵も感じさせず、煙草に火を付けはじめた。
数日前、女怪盗・峰不二子を捕らえた。警察内は歓喜に沸き、ルパン逮捕に向けて士気も上がっていた。
それなのに。あろうことかそのルパン逮捕を仕切る銭形が、峰不二子を逃してしまった。
ルパンから、有名オペラ歌手の仮面を盗む、という予告状が届いた。そして銭形はその仮面の護衛を、峰不二子に依頼。恐らく銭形は彼女をだしにルパンを逮捕しようと目論んでいるのだろう。だが、警察の、しかも人の上に立つ人間が、泥棒と取引をして逃してしまう、だなんて。
しかも。の同僚のオスカーに聞いたところでは
「言ったはずだ。俺はルパン逮捕には手段は選ばない」
銭形はさらりと言い、煙草を吹かす。はぎゅっと拳を握った。
「銭形警部は
「ほお、そうか?」
銭形はどこか面白そうに呟く。
「正義やプライドはないんですか?」
「正義?そんなもんを振りかざしたところでルパンは逮捕できない。やつの逮捕に必要なのは、知恵と手段だ」
は呆気にとられて、目の前の上司を眺めた。
尊敬していた。上司としても、人間としても。恐ろしく頭の回転が早く、運動神経も良く、射撃の能力も警察内でトップと言っていい彼。ルパン逮捕に人一倍熱心で、汚れた実情も多い警察のなかで、確固たる信念を持つ珍しい人だと思っていた。この人に一生ついていきたいと思った。この人に褒められるならなんでもしようと思っていた。
なのに。
犯罪者を
ちがう。
一番許せないのは、彼が彼女と
峰不二子の美貌は、女のもぞっとするほどだった。実際に峰不二子は、自身の美しさを駒に数々の盗みを犯してきた。
所詮は銭形もただの男だったというのか。峰不二子と寝たがる男の一人だったというのか。
「ルパン逮捕のためなら何でもすると……そういうわけですか……」
心のなかの悶々とした思いを吐き出すように、は低く訊く。あっさりと「ああ」という返答が返ってきた。は大きな黒々とした感情に飲みこまれてしまいそうになった。信頼していた人物に裏切られた心情。怒り。悲しみ。憤り
「だからって、あんな……泥棒と寝るなんてそんなの、……」
呆然と漏らすに、銭形は不敵な笑いを浮かべる。
「やけに拘るな?俺があの女狐と寝ようがお前には関係ないだろう?」
そうだ。銭形の望みはルパンを逮捕すること。それさえできれば、警察の大手柄だし、銭形の部下のにだって、恩恵は必ずある。ルパンさえ捕まえられればいい。銭形が峰不二子を利用し、彼女と寝たところでには関係がない。銭形がどんな女と何をしようが、関係がない、……。
ちがう、……ちがう。関係がないなら、この気持ちは何だろう。胸をえぐるような激しい痛み。これは、なに……?
「っ、…私、警部のこと尊敬してました。頭が良くて射撃の腕も一流で、警官としてのプライドもあると」
は震える声で絞り出す。
そう。銭形に好意を抱いていたからこそ、余計に傷ついた
の心情などつゆ知らずといった様子で、銭形は冷ややかな笑みを浮かべている。
「どれも当たってるぞ」
「でも!」
「今回の行為は警官にあるまじき、か?」
銭形はの言葉を遮り、淡々と続ける。
「俺はな、お前に尊敬されるために警官になったんじゃない。犯罪者を
そう語る銭形の瞳の奥には、ぎらぎらと燃えたぎるものがあった。
は不覚にもその目に見惚れてしまった。
「正義?プライド?そんなものでルパンを逮捕できると描いていたかつての俺は、もういないのさ」
銭形なりに多くのことを見聞きしてきたのだろう。銭形に比べれば、は警察にいる期間は短いにせよ、既に内部の汚職をいくつか見てきた。それに、ルパンの犯行の鮮やかさ、奇抜さも。だから正当な方法ではルパンを捕まえることはできないというのは、理解できる。
ルパンを逮捕する。そのためならば全力を尽くす。筋は通っているし銭形なりに信念もあるのだろう。
でも。
「
は絞り出すように低く言って、銭形を真っ直ぐ見た。銭形もを見返してくる。
「なんだって?」
「私が
銭形は強い視線を投げてくる部下を、鼻で笑う。
「お前にできるとは思えんな。ルパンは女には弱いが
は今まで溜め込んでいた苦々しいものが、お腹の底から一気に這いあがってくるのを感じた。頭にかっと血が昇って、気がついたらカウンターのグラスを手に取り、中身のアルコールを銭形にぶちまけていた。
「警部なりの信念は分かりました。それなら、私は、私の信念をもってルパンを逮捕します。正義もプライドも、最後まで捨てません」
はそう言うなり、深々と礼をしてバーを去った。
店の外のひんやりとした空気に、は我に返り、俯いた。
ああ……やってしまった。上司に酒をぶちまけるなんて。私、クビかなあ。
でも、発言の中身は後悔はしていない。銭形のことは
それならは、いつか自分の正しいと思う方法で、ルパンを捕まえてみせる。
いつか
とりあえず、クリーニング代は明日返そうかなあ。
は軽くため息を吐いて、帰路についた。
まったく、とひとりごちながら、銭形はマスターの持ってきたタオルで顔を拭いた。部下に
けれども、彼の表情に怒りの色はなかった。唇の端を、愉快そうに歪める。
「
銭形は新たに注がれたロックグラスの中身を飲み干す。
「だが
fin.
峰不二子シリーズや次元大介の墓標の渋いクールな銭形を一度描いてみたかった!4話の、銭形が不二子と寝たというくだりは全然賛同できませんが(苦笑)、設定として思いついたので使いました。
(15.10.31)