どうしていつも 伝わらなくても

※公式ヒロインではありません。




 月が、出ていた。神々しい光を放った満ちた月。
 大量の書簡をひと通り見聞し終えた玄徳は、ふと自室の窓からその月を見上げた。美しい、と思った。暗闇の中でも決して光を失わない。
 しばらく月を見つめていると、さらさらと心地の良い風と共に、人の気配を感じた。

か」

 玄徳が眺めていた窓から、すっと人影が現れる。黒い外套を目深に被った人物   は、玄徳の前に片膝を付き、頭を垂れた。

「戻りました」
「ああ。   もしかすると、俺が書簡を見終える機を待っていたのか?」
「……ええ。お邪魔かと思いましたので」
「邪魔なわけがないだろう」

 は顔を覆っていた外套を取り、視線を上げた。玄徳は苦笑している。

「それで……どうだった?仲謀軍の動きは」
「はい。孔明殿が懸念されていたように、孫夫人との婚儀は罠の可能性があるかと」
「……そうか」

 玄徳軍と共闘して孟徳軍を破った仲謀は、玄徳軍との関係をより強固にするために、仲謀の妹、孫夫人   尚香と玄徳の婚儀を提案してきた。
 赤壁で大敗したとはいえ、依然として孟徳軍の勢力は三国の中でもっとも大きい。孟徳軍に対抗するためにも、仲謀軍との絆はしっかり築いておいたほうがいい、という声が玄徳軍内でも多かった。
 しかし、軍師孔明は、「罠の可能性も否定できない」と言った。仲謀軍の参謀、公瑾の狙いは、天下三分ではなく仲謀軍による天下統一。まずは孟徳軍と並ぶために玄徳軍を滅ぼし天下二分にした後、孟徳軍を打倒するつもりかもしれない。孔明はそう説明した。
 そこで、仲謀軍の真意を探るべく、玄徳軍の間諜であるが探りを入れることになった。
 もともとは、の父が玄徳軍の間諜だった。本来、父は一人の君主に長く仕えることはしなかったらしい。ただ金銭の羽振りがいい君主を渡り歩いて仕えてきたそうだが、玄徳にはどこか惹かれるところがあったようで、今でも彼のもとに仕官している。もっとも、ほとんど引退しているような身で、人手が足りないときくらいにしか稼働しないけれども。

「ですが、罠を仕掛けようとしているのは仲謀殿ではなく、公瑾殿の独断のようです。孔明殿の仰っていた通りですね。仲謀殿は本当に玄徳様と同盟を強くされたいようです」
「それはまた厄介だな」
「そうですね……」

 玄徳が孫夫人との婚儀を断れば、仲謀軍との関係は悪化する。しかし、婚儀を受け入れても、何かしらの損害があるかもしれない。どちらを取っても、玄徳軍には不利になる可能性が高い。

「公瑾殿は、孫夫人を間者として玄徳様の元に差し向けるつもりのようです。孫夫人によく似た男性と公瑾殿が話しておりました。しかし、証拠は掴めませんでしたので……」
「尚香殿は間者だろうということを理由に、婚儀を断ることはできないわけか。公瑾殿のことだ、問い詰めてもしらを切るだろう」
「はい……申し訳ありません」
「謝るな。おまえはいつもよくやってくれている」

 玄徳はいつもの仕事を誉めてくれる。としても、それなりに彼の役に立っている自負はあった。
 女の間諜は、貴重だった。たいてい男は女という理由で油断をするので、何事も調査がしやすかった。

 はじめて玄徳に会ったときのことは、今でもはっきりと覚えている。父の紹介だった。早く戦の世が終わればいい。そのために何か自分にできることはないか。父の背中を見て育ったは、いつしか父と同じように間諜を目指すようになった。そして、信頼できる君主のもとで、平和な世の中に向けた役に立てたら良い、と。
 そんなときに、父の紹介で玄徳に会った。父は、玄徳に仕えてみないか、と訊いた。玄徳の熱のこもった瞳、声、言葉。孟徳が良いように扱っている帝を救出し、漢王朝を復興させる。玄徳は自身の夢を、に熱弁した。
 この人の元で、この人の理想を共に叶えることができたら、どんなに幸せだろう。そう考えて、父の提案にすぐに頷いた。玄徳のほうも、人手が足りなかったということもあって、のことをすぐに採用してくれた。
 それ以来、長い間玄徳に仕えている。任務のために彼のそばを離れることのほうが多かったが、彼と共にいるときに、彼の理想や真っ直ぐな眼差しを深く知り、“君主として”惹かれていった   
 玄徳は優しいので、いつもの任務について「よくやってくれた」と言ってくれるが、自身はそう思っていなかった。もっと彼の役に立てたはずでは、と毎回反省することが多い。

「いえ……私が物的な証拠を手に入れられれば、玄徳様は悩まれることはなかったと思います」
「公瑾殿のことだ、そう簡単に尻尾は掴ませてくれないだろう。それに、はっきりと罠だとわかったのなら、対策のしようがある」
「対策、ですか?」
「ああ。尚香殿が近くにいるときは剣を肌身離さず持つ、とかな」

 玄徳は笑ったが、は笑うことができなかった。
 やはりこの婚儀は止められないのだな、と思った。思ってしまった。
 仲謀軍との関係を強めるために、仲謀の妹と玄徳が婚礼するというのは、最善の道だということは解っている。解ってはいるが、目の前の玄徳が誰かの夫になってしまうということに、胸がぎすぎすと傷んだ。

(こんなことでは、間者失格だ)

 ただ、玄徳に仕えることができればいい。玄徳の理想のために少しでも役に立てたらいい。それだけの思いで、今まで歩いてきたのだから、これからもそれは変わらない。変えてはいけない   

「玄徳様」

 改まって呼びかけると、玄徳は笑みをたたえたまま「どうした?」と訊いた。

「私が、玄徳様をお守りします。私、玄徳様か、孫夫人の女官になります。そうすればいつでも玄徳様をお守りできますから」
「ああ、まあ、そうだな……」

 玄徳はどこか困ったように眉を寄せ、歯切れの悪い返事をする。

「俺の女官に、ということであれば反対はしないが……いや、やはり駄目だ」

 今までの提案には何かしら良い返事をしてくれていた玄徳。今回も断られるとは考えておらず、は思わず目を大きく開いた。

「あの、武術の心得はありますし、お役に立ってみせますから」
「いや、そういうことじゃなくてだな」

 玄徳は腕を組み、何かを言おうと逡巡しているようだった。
 玄徳は断りの文句を探しているのだろう。優しい人だから、なるべくを傷つけないよう、言葉を選んでいるのだ。
 悔しかった。玄徳の役にそれなりには立てているという自負はあったが、玄徳にとっては、命を預けられるほどではないのだろう。

「そう、ですよね。差し出がましいことを申しました」
「いや……ともかく、この件は孔明とも話し合っておく。、おまえにも動いてもらうかもしれないから、しばらくはここにいてくれ」
「承知しました」

 いつか、心から頼ってもらえるように。はそう誓いながら、頭を垂れた。






 先ほどよりも低い位置になった満月を、玄徳はため息をつきながら見上げた。月は、自由なのだろうか。思いのままに輝けているのだろうか。

   惚れた女に守ってもらうなんて、みっともなさすぎるだろ」

 ぽつりと呟いた声は、どこにもたどり着くこと無く、地に落ちた。












 三国恋戦記で孟徳をプレイする前に一番好きな人物でした。三木さんの声が素敵すぎる。三国志に関しては、北方謙三氏の三国志にかなり影響を受けています。(17.6.1)
title from:約30の嘘

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