世界的な会社の社長、レベッカ・ハナサキに成り代わってから、三日が過ぎた。
私は心身ともにすり減っていった。
とにかく、スケジュールが過密すぎて身体が疲弊する。
社内の打ち合わせ、社外の顧客との会合、IT誌やファッション誌の取材、会社の承認作業、などなど。
ロブさん
私は、母国語ではない英語を聞き取ろうと耳を澄ませなければならないし、たくさん会う人の名前を覚えていなければならないし、取材ではレベッカの書いた台詞を暗記して披露しなければならない。
ロブがサポートしてくれるので、かろうじてこなせている状況だった。
いつかボロが出てしまうのではないか。
そんな不安も、じわりと私の精神を締め上げていた。
それでも逃げ出そうという気持ちにならないのは、ひとえに大金が手に入るから。
それが私の、唯一かつ絶対的なモチベーションだった。

息が休まる時間は、夜の数時間しかない。
会社の最上階にある、自室のドアを閉めた瞬間の、少しの間だけ。
メイクを落として、レベッカ・ハナサキからに戻る。
私は毎日、鏡を見てほっとしていた。
もっと目が大きかったらいいのにとか、鼻筋が通っていたらいいのにとか、コンプレックスのある顔ではあるけれど。
生まれてこの方、愛着のある顔だった。
ふと思い立って、私はバルコニーに出ることにした。外の空気が吸いたかった。
バルコニーは私の部屋から直接行くことはできないから、広間を経由する必要がある。
自室の外に出るということは、護衛の次元と鉢合わせる可能性があるということだから、私はメイクを落とさずに、そっとバルコニーのドアを開けた。
冷たい夜風が入り込んでくる。
気持ちがいい。
高い場所から見下ろすニューヨークの夜景は素晴らしかった。
そびえ立つビルディング。
輝くネオンが、まばゆい。
そんな場所で私は、いつわりとはいえ、世界を動かせるほどの企業の社長を演じている
「あんた、外には出ないほうがいいんじゃないか」
後ろから声をかけられて、私は驚いて振り向いた。
闇に紛れそうな黒いハット。
ワインレッドのシャツ。
私の護衛
今はジャケットを脱ぎ、シャツの袖をまくって、煙草を吹かせていた。
「え、……」
外に出ないほうがいい。
その言葉から、私が偽物だとばれてしまったのかと思った。
けれど、次元は帽子を押さえながら「あー」と言い、
「どこで何があるかわからない、だろ」
と口ごもる。
ああ、そういうことか。
このひともロブさんと同じく心配性なのかもしれない。
次元は人ふたり分程度のスペースを空けて、私の横に並んだ。
この人と交流を深めるチャンスかもしれない。これまでは必要最低限の言葉しか交わさなかったけれど、彼は私の護衛なのだから、ある程度は仲良くなっておいたほうがいい。
何を話そうか迷っていると、意外にも口数の少ないと思っていた次元から切り出した。
「いいご身分だな、社長様ってのは」
その口調には、どこか含みがあった。
完全に、私の出鼻はくじかれた。
次元はさらに喰いかかってくる。
「黙ってりゃあ高級なメシが出てくる。羨ましいもんだ」
先ほど私が食べた夕食は、ミシュランで星を獲得した高級フレンチのフルコースだった。グループ企業のトップとの会合だったから、ほとんど味なんてしなかったのだけど。
私が反論しようかと思考していたところで、次元が続けた。
「俺は、あんたみたいなわがままな女は大嫌いでね」
そんな……言葉を、いきなり投げつけられるとは、思わなかった。
私のことではない、レベッカのことを言われているはずなのに。
身体がすうっと冷えていくのを感じた。
「今回は
レベッカの自由奔放ぶりは、雑誌でも話題になっていた。
それがレベッカの“キャラクター”であり、そこが人気の理由のひとつでもあるのだけど、たしかに鼻につくという人も多い。
次元はレベッカを
私のことじゃ、ない。
私のことを言われているわけじゃない。
そう解っているのに、面と向かって“嫌い”だという言葉を投げつけられてしまって、私は言葉が出なかった。
人に拒絶された。
いやな記憶が、蘇ってきそうになる。
ちがう、彼は私のことを言っているのじゃない。
私はレベッカ・ハナサキじゃない。
私だって、レベッカが羨ましい。
レベッカのようなお金持ちだったら。
毎日、安売りしている野菜や肉をチェックする必要もない。
電車賃を浮かせるのに数駅分歩く必要だってない。
欲しいものを我慢しなくていい、食べたいものを食べられる。
私だって、お金持ちになりたい。
私は
「なんだ、言いたいことがあるんなら言えよ。あんたのお得意なんだろ、相手を負かす話術は」
次元に指摘されて、私は眉間にしわを寄せていることに気づく。
「私、は、……」
何も言い返せない。
“レベッカ”として次元を言いくるめなければいけない場面なのに。
私はレベッカじゃない。
でも、レベッカのようになりたい。
悔しさと、恨めしさと、混乱とで、頭が真っ白になった。
黙っていては怪しまれる。
何かを、言わなければ。
「あなたこそ
私は半ば自分の本心を込めて、言った。
次元大介。見たところ衣服の仕立てがかなり良いから、お金はある人なのだと思う。
そういう人に貧乏の苦労はわからない。
さも自分は平民の代表のような顔をして、私に「いいね金持ちは」なんて言ったけれど。
帽子の下で、次元がむっとするのがわかった。
私は彼の返答を待たずに、バルコニーから部屋に戻った。
身体はぐったりと疲れているはずなのに、その日は眠りにつくことができなかった。
2018.2.22
BACK # TOP # NEXT