「お疲れのようですね」
ロブさんが淡々と言った。
私は彼と目線を合わさずに、ため息だけを返す。
レベッカの代役を務めることになってから一週間。
スケジュールの過密さは落ち着いてきたのだけれど。
会議では相変わらずわけのわからない言葉が飛び交っているし、人の名前はいまひとつ覚えきれないし、仕事のことだけでも問題が山積みだった。
それ以前に。
二週間程度の“訓練”で他人に成り代わるなど無理があるのだ、と痛感していた。
幸いロブさんのサポートが絶妙なので、周りにばれてはいないと思うけれど。
心身の疲労が、凄まじい。
ある行動を取るたびに、ある言葉を発する前に、“レベッカならどうするか”を考えなければならない。レベッカらしく振る舞わなければならない。
少しずつ“わがままなできる女”を演じることに慣れてはきたけれど、それでも自分の本意とは異なる言動をすることが、大きなストレスになっていた。
さらに私は
「あまり顔色がよろしくないようですと、周りの者が心配いたします」
ロブさんは“私”の身を案じてくれているわけではない。
周囲に“レベッカがおかしい”と悟られないか懸念しているのだ。
この件を引き受けたのは私の意思だけれど。
誰もかれもが、“レベッカ”、“レベッカ”って。
「せめて夜くらい休みたいのに、会社と同じビルで、しかも秘書と護衛が一緒じゃ気が休まらないわよ」
私はレベッカの口調で、ロブさんに言った。
そうだ。いっそ、心からレベッカになりきってしまえばいい。
「
「……は?」
「具は鮭とたらこね。味噌汁はワカメと大根と油揚げ」
「いや、ですが、」
「“私”は日系人なんだもの、日本食を欲しがっても不思議ではないでしょ」
「せめてスシにしていただけませんか……」
「うーん、仕方ないわね。お寿司と味噌汁で妥協してあげる」
「かしこまりました」
ロブは恭しくお辞儀をして、そそくさと部屋から去って行く。
フレンチのフルコースも。高級なワインも。
記念に一度、くらいなら良いのだけど、こう日々食べていると飽きてしまっていた。
贅沢な悩み。
日本食がいかにシンプルで優れているか、思い知る毎日だった。
ああ、どうせならマッサージも頼めば良かった。
そんなことを考えながら、ソファの上でうとうととしていると、ノックの音が聞こえた。
ロブがいなくなってから、三十分も経っただろうか。
随分と早い仕事をする人だな、と感心するより驚きながら、私は部屋の扉を開けた。
その先にいたのは、ロブではなかった。
よく考えてみると、ロブが扉をノックするわけがなかった。
私の目の前にいるのは、見覚えのある顔。
黒のスーツに白いシャツ、その中に赤いネクタイが映えている。
「こんにちは、レベッカ社長。ご希望の品をお届けに参りましたよ」
次元の上司だ、とすぐにわかった。
以前は青いジャケットで、眼鏡をかけていた。どこか胡散臭くて、そのくせやけに印象に残る人。
でも、彼がなぜ、ここに。
「あなたは、……ええと、」
「ルーピン、とお呼びください」
「それで、ミスター・ルーピン。なぜあなたがここに?」
「ですから、こちらをお持ちしたんです」
ルーピンと名乗った彼は、ドーム型の銀のカバーがかかったトレイを私に向けてくる。
「まさか、これ、お寿司?」
「はい」
「どうしてあなたが
「あー、執事さんなら急用があるとかで。わたくしめに交代していかれました」
「はあ……」
どうも怪しい人だ、と思う。けれど、不思議と悪い印象は持たなかった。
「部屋の中までお持ちします」
彼はそう言って、私を押しのけるようにして部屋に入ってゆく。止める隙もなかった。
ルーピンはテーブルの上にドーム型のトレイを置き、蓋を開けた。
綺麗に揃えられた握り寿司が、そこにあった。
まぐろ、えび、サーモン、イクラ、ウニ。
カリフォルニアロールもある。
反射的にごくり、と唾を呑み込んでいた。
ああ、やっぱり私は生粋の日本人なのだと痛感した。
「レベッカ社長、やっぱり日本の血が入っていらっしゃるからですかね?寿司をお食べになるなんて」
私は我に返る。
しっかりと“レベッカ”として対応しなければならないのだ。
「
「なぁるほど」
ひとつ頷いて、ルーピンは私にソファへ腰掛けるよう手で促す。
私は彼の示唆通りにソファに座り、テーブルの上に載る高級そうな寿司を見つめた。
「ささ、どうぞ。わたくしめにかまわずお召し上がりください」
ルーピンはどこかじっと私を見つめるような瞳で、言った。
「あいにく、そんなふうに見られながら食べるのは好きじゃないのよ」
「ああ、これは失礼しました。レディの食事姿を眺めるなんて悪趣味ですよねぇ」
ルーピンは苦笑して続ける。
「では、手短に一点だけ。うちの次元、どうです?じつは、そのことを伺いたかったんですよ、社長に」
「え」
“次元”の名前に思わず声が出てしまう。
先日の出来事をがフラッシュバックされた。
「おや……どうかなさいましたか?」
ルーピンは私の顔を覗き込むように見てくる。
私は、考えていたことをそのまま言うことにした。
「彼、配置換えしたほうがいいんじゃない」
「ええ?そりゃまた、どうしてです?」
「私のことが心底嫌いみたいだから」
「は、……」
ルーピンの笑顔が凍りつく。
私は自分の胸の中の黒いものを吐き出すために、そして次元自身のためにも、言った。私の護衛から手を引くことができれば、彼も本望だろう。
「私みたいなわがままな女は嫌い、だそうよ。だから担当を替えたほうがいいんじゃない?」
「いやあ、あいつがそんなことを?
ルーピンは顔を引きつらせる。
「申し訳ございません。次元という男は女性全般が苦手でして、けっしてレベッカ社長だからというわけではないんですよ」
「ふうん」
「本当はわたくしめが社長の護衛につけたら良いのですが、あいにく他の仕事が入っておりまして……ただ、次元の腕は間違いなく一流です。格闘でも負けませんし、この世であいつに敵う輩はそうはいないかと」
「へえ」
「あいつにはよおおおおく言って聞かせますので、このたびのご無礼はどうか、許していただけましたら」
「……まあ、私はいいのよ、べつに。嫌われるのには慣れているし」
たぶんレベッカならこう言っただろう台詞を、私は口にした。
「本当に申し訳ございません……あの、お時間が許すようであれば、もうひとつ伺いたいのですが」
「なに?」
早く目の前のお寿司が食べたい。
私は「手短に」、という視線でルーピンを見た。彼は頷いて切り出す。
「あの、レベッカ社長は
「おいおまえ、なんでこんなところに」
ルーピンの言葉を遮ったのは、彼の部下だった。
2018.3.15