04


「お疲れのようですね」

 ロブさんが淡々と言った。
 私は彼と目線を合わさずに、ため息だけを返す。

 レベッカの代役を務めることになってから一週間。
 スケジュールの過密さは落ち着いてきたのだけれど。
 会議では相変わらずわけのわからない言葉が飛び交っているし、人の名前はいまひとつ覚えきれないし、仕事のことだけでも問題が山積みだった。

 それ以前に。
 二週間程度の“訓練”で他人に成り代わるなど無理があるのだ、と痛感していた。
 幸いロブさんのサポートが絶妙なので、周りにばれてはいないと思うけれど。
 心身の疲労が、凄まじい。
 ある行動を取るたびに、ある言葉を発する前に、“レベッカならどうするか”を考えなければならない。レベッカらしく振る舞わなければならない。
 少しずつ“わがままなできる女”を演じることに慣れてはきたけれど、それでも自分の本意とは異なる言動をすることが、大きなストレスになっていた。

 さらに私は   護衛にまで嫌われてしまっていて。

「あまり顔色がよろしくないようですと、周りの者が心配いたします」

 ロブさんは“私”の身を案じてくれているわけではない。
 周囲に“レベッカがおかしい”と悟られないか懸念しているのだ。
 この件を引き受けたのは私の意思だけれど。
 誰もかれもが、“レベッカ”、“レベッカ”って。

「せめて夜くらい休みたいのに、会社と同じビルで、しかも秘書と護衛が一緒じゃ気が休まらないわよ」

 私はレベッカの口調で、ロブさんに言った。
 そうだ。いっそ、心からレベッカになりきってしまえばいい。

   ロブ。おにぎりと味噌汁を持ってきて」
「……は?」
「具は鮭とたらこね。味噌汁はワカメと大根と油揚げ」
「いや、ですが、」
「“私”は日系人なんだもの、日本食を欲しがっても不思議ではないでしょ」
「せめてスシにしていただけませんか……」
「うーん、仕方ないわね。お寿司と味噌汁で妥協してあげる」
「かしこまりました」

 ロブは恭しくお辞儀をして、そそくさと部屋から去って行く。

 フレンチのフルコースも。高級なワインも。
 記念に一度、くらいなら良いのだけど、こう日々食べていると飽きてしまっていた。
 贅沢な悩み。
 日本食がいかにシンプルで優れているか、思い知る毎日だった。

 ああ、どうせならマッサージも頼めば良かった。
 そんなことを考えながら、ソファの上でうとうととしていると、ノックの音が聞こえた。
 ロブがいなくなってから、三十分も経っただろうか。
 随分と早い仕事をする人だな、と感心するより驚きながら、私は部屋の扉を開けた。

 その先にいたのは、ロブではなかった。
 よく考えてみると、ロブが扉をノックするわけがなかった。
 私の目の前にいるのは、見覚えのある顔。
 黒のスーツに白いシャツ、その中に赤いネクタイが映えている。

「こんにちは、レベッカ社長。ご希望の品をお届けに参りましたよ」

 次元の上司だ、とすぐにわかった。
 以前は青いジャケットで、眼鏡をかけていた。どこか胡散臭くて、そのくせやけに印象に残る人。
 でも、彼がなぜ、ここに。
 
「あなたは、……ええと、」
「ルーピン、とお呼びください」
「それで、ミスター・ルーピン。なぜあなたがここに?」
「ですから、こちらをお持ちしたんです」

 ルーピンと名乗った彼は、ドーム型の銀のカバーがかかったトレイを私に向けてくる。

「まさか、これ、お寿司?」
「はい」
「どうしてあなたが   ロブは?」
「あー、執事さんなら急用があるとかで。わたくしめに交代していかれました」
「はあ……」

 どうも怪しい人だ、と思う。けれど、不思議と悪い印象は持たなかった。

「部屋の中までお持ちします」

 彼はそう言って、私を押しのけるようにして部屋に入ってゆく。止める隙もなかった。
 ルーピンはテーブルの上にドーム型のトレイを置き、蓋を開けた。
 綺麗に揃えられた握り寿司が、そこにあった。
 まぐろ、えび、サーモン、イクラ、ウニ。
 カリフォルニアロールもある。
 反射的にごくり、と唾を呑み込んでいた。
 ああ、やっぱり私は生粋の日本人なのだと痛感した。

「レベッカ社長、やっぱり日本の血が入っていらっしゃるからですかね?寿司をお食べになるなんて」

 私は我に返る。
 しっかりと“レベッカ”として対応しなければならないのだ。

   それもあるし、ニューヨークではジャパニーズ・フードが流行っているのよ。ヘルシーだから」
「なぁるほど」

 ひとつ頷いて、ルーピンは私にソファへ腰掛けるよう手で促す。
 私は彼の示唆通りにソファに座り、テーブルの上に載る高級そうな寿司を見つめた。

「ささ、どうぞ。わたくしめにかまわずお召し上がりください」

 ルーピンはどこかじっと私を見つめるような瞳で、言った。

「あいにく、そんなふうに見られながら食べるのは好きじゃないのよ」
「ああ、これは失礼しました。レディの食事姿を眺めるなんて悪趣味ですよねぇ」

 ルーピンは苦笑して続ける。

「では、手短に一点だけ。うちの次元、どうです?じつは、そのことを伺いたかったんですよ、社長に」
「え」

 “次元”の名前に思わず声が出てしまう。
 先日の出来事をがフラッシュバックされた。
 
    あんたみたいなわがままな女は大嫌いでね。

「おや……どうかなさいましたか?」

 ルーピンは私の顔を覗き込むように見てくる。
 私は、考えていたことをそのまま言うことにした。

「彼、配置換えしたほうがいいんじゃない」
「ええ?そりゃまた、どうしてです?」
「私のことが心底嫌いみたいだから」
「は、……」

 ルーピンの笑顔が凍りつく。
 私は自分の胸の中の黒いものを吐き出すために、そして次元自身のためにも、言った。私の護衛から手を引くことができれば、彼も本望だろう。

「私みたいなわがままな女は嫌い、だそうよ。だから担当を替えたほうがいいんじゃない?」
「いやあ、あいつがそんなことを?   あンの馬鹿   

 ルーピンは顔を引きつらせる。

「申し訳ございません。次元という男は女性全般が苦手でして、けっしてレベッカ社長だからというわけではないんですよ」
「ふうん」
「本当はわたくしめが社長の護衛につけたら良いのですが、あいにく他の仕事が入っておりまして……ただ、次元の腕は間違いなく一流です。格闘でも負けませんし、この世であいつに敵う輩はそうはいないかと」
「へえ」
「あいつにはよおおおおく言って聞かせますので、このたびのご無礼はどうか、許していただけましたら」
「……まあ、私はいいのよ、べつに。嫌われるのには慣れているし」

 たぶんレベッカならこう言っただろう台詞を、私は口にした。

「本当に申し訳ございません……あの、お時間が許すようであれば、もうひとつ伺いたいのですが」
「なに?」

 早く目の前のお寿司が食べたい。
 私は「手短に」、という視線でルーピンを見た。彼は頷いて切り出す。

「あの、レベッカ社長は   
「おいおまえ、なんでこんなところに」

 ルーピンの言葉を遮ったのは、彼の部下だった。

 

2018.3.15

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