10

 次元は運転席、ルーピンは後部座席の私の隣に座る。

 見慣れた社用車の中、さらに護ってくれるひとがいるということで、私には彼らに説明ができる程度の冷静さは戻ってきた。まだ胸がざわざわするけれど、頭は動くようになった。

「女子トイレに入ったとき……誰かが私の後ろに立って、言ったの。約束の時間が過ぎている、回答がほしい、って」

 先ほどのシーンを再生させようとすると、恐怖で身がすくみそうになる。なるべく客観的に、分析をするような姿勢で振り返ることにした。
 私の身に起こったことではない、彼らはレベッカを狙ったのだ、と。

「脅しじゃないことを示したい、って言ってた……五日だけ待つ、って」

 そう言ってから、レベッカになりきらなくてはいけないことを思い出す。トイレから出て以来、私は“レベッカ・ハナサキ”であることをすっかり忘れていた。
 けれども、ルーピンも次元も不審に思ったようすはなく、何かをじっと考えているように押し黙っていた。
 少し時間を空けてから、ルーピンが口を開く。

「レベッカ社長、今回の件心当たりは?」

 彼は探るように私を見てくるけれど、もちろん“私”には思い当たるところは何もない。
 私が首を横に振ると、ルーピンは「そうか」とだけ言った。

 でも。
 でも、だ。
 ホンモノのレベッカとロブさんなら、心当たりがあるのかもしれない。 
 あの人物ははっきりと「レベッカ・ハナサキを狙った」と言っていた。
 わざわざナイフを取り出して虚言など言うだろうか。

 そう思い当たったとき、何かがきれいに結びついていくような気がした。
 もしかすると。
 そもそも、今回私にレベッカの代役が必要だった理由は。

 影武者。
 身代わり。

 そんな単語が頭を埋め尽くす。
 そう考えれば、この報酬が膨大であることに納得がいく。
 レベッカが何かの理由で何者かに命を狙われていて、影武者が必要だった   

 わからない。
 恐怖か、怒りか、後悔か、疑問か、疑念か、
 思考も感情もぐちゃぐちゃで、また身体が震え出しそうだった。
 
「あの執事は知ってたんじゃないのか」

 顔を上げると、次元がバックミラー越しにこちらを   ルーピンを見ていた。

「そうじゃなきゃ護衛なんか雇うわけがねえ」
「だなぁ。なーんかあっかと踏んでたけども、……」

 ルーピンは腕を組んで唸っていたが、やがてそれを解いて私に向き直った。

「レベッカ社長。単刀直入に聞きたい。『アインシュタインの書』について、だ」

 低いトーンで言うルーピン。
 唐突な彼の言葉を、私は口の中で繰り返した。

「アインシュタイン……?」
「そ」

 なぜこの流れで急に、物理学者の名前が出てくるのだろう。
 これまでレベッカになりきっていて、アインシュタインに結びつくものがあっただろうか。
 思考を巡らせるが、何も出てこない。
 怪訝そうな私の表情を見てだろう、ルーピンが「知らないのか?」と訊ねた。私は首を縦に振る。

「あっれぇ、おっかしいな。俺の調べだと、きみが持ってるはずなんだけど」
「てめぇルパン。まさか無駄足踏んだんじゃねえだろうな」
「いやいやちょっと待てよ次元。そう結論づけるには早計だって。もしかすっとあの執事が黒幕、か……?」

 ひそひそ話しているつもりなのだろうが、静かな車内において、ふたりの会話は私の耳にもはっきりと聞こえてきた。
 もう、何がなんだかわからない。
 レベッカやロブさんたちも、次元やルーピンたちも、何かを思惑して隠している、のだろうか。
 私はどうしたらいいんだろう、……。
 まずやるべきは、ロブさんのところに行って契約を破棄してもらうことだ。命を狙われることになるなんて、レベッカの身代わりになるだなんて、聞いていない。

「なあレベッカ。ちょいと話を整理しないか」

 ルーピンは脚を組み直して、私に言う。

「今日きみが襲われたのは、もしかすると『アインシュタインの書』を狙った連中の仕業かもしれない」

 『アインシュタインの書』なんて、聞き覚えがない。けれども彼の言葉に、何か引っかかるものがあった。
    そうだ。

「あ、……あの人、“書物を渡せ”って言ってた」
「お、ビンゴ!」

 ルーピンはパチンと指を鳴らす。

「でも、それがアインシュタイン……の書、のことだとは限らないんじゃない?」
「まあ百パーセントの確証はないけどな、いったんアインシュタインと考えて仮定してみようぜ。連中が狙ってるのが『アインシュタインの書』だとして、きみはそれのことを何も知らない、と」

 私は返答に迷った。
 “私”が知らないだけで、レベッカは知っていることかもしれない。
 いっそ彼らに本当のことを話すか。
 契約違反になるけれど、そもそもロブさんたちが重大なことを隠していることだって、もっと大きな違反だ。

「“私”……は、知らない」

 とりあえずもう少し、話の流れを様子見することにした。

「となると、きみの執事はどうだ?『アインシュタインの書』の存在を知っていて、きみ宛に脅迫状が来ていた。にもかかわらず、執事はきみに隠し事をしていた、と」
「そう……かもしれない」

 ロブさん、そしてレベッカなら、実状を知っている可能性が高い。
 私がゆっくりと答えると、ルーピンはじっと私の目を覗き込んでいた。

「ずいぶんとあっさり肯定するんだな。付き合いは長いんだろ?」

 ルーピンの指摘にどきりとしてしまう。
 この人のまっすぐな目、何もかも見透かされていそうな気分になる。
 つい視線を伏せて、「ああ、うん」だとか曖昧な返答をしていると、ルーピンが続けた。

「ま、いまきみを詮索するのはおいておいて……となると、やっぱりあの執事にカマをかける必要がありそうだな。それでいいか?」

 ということは、ロブさんたちを裏切って彼らにつく、ということになりかねない。
 それでいいのか迷うところはあるけれど、私はいまどうしてこんな状況に陥ってしまったのか、知りたかった。
 けれど、その前に、腑に落ちないことがある。

「……あなた、何者なの?アインシュタインの書がどうとか、単なる護衛のエージェントが知っている情報とは思えないんだけど」
「あら、やっぱりそこ気づいちゃう?」

 ルーピンは苦笑する。

「んー、レベッカ社長はシロってことだから、話してもいいか。協力してもらうことになるかもしんないし」

 ルーピンが次元を見ると、彼は「好きにしろ」と煙草に火をつけた。

「んじゃ、あらためて自己紹介」

 にこりと笑って、彼は世間話をするような軽い調子で、続けた。

「俺の本当の名はルパン三世。世界一の泥棒さ」







 ルパン三世。
 泥棒。
 落ち着きはじめていた思考が、またぐるぐるとかき乱される。

「ルパン、三世……?」
「そ。レベッカ社長も聞いたことくらいあるでしょ?」

 そういえば、雑誌で見たことがある、気がする。
 今どき怪盗だなんて、とんでもないことをする人がいたものだな、と驚きながらも、実在する人物だとは思えなかった。
 数々のものを盗んで捕まったことがないという、怪盗ルパン三世。
 都市伝説か、マスコミが作り上げた偽りの話かとさえ思っていた。
 もっとも、海外では彼の認知度は高いのだろうか。日本では何度か話題に上った程度だった気がするけれど。
 迂闊なことは言えないと思って、「まあ」と曖昧な返事をすると、ルーピン   ルパンは苦笑した。

「あらら……意外とうすーいリアクションどうも」
「だって、なんだか実感のないことばかりで……」
「ま、その気持ちはわからんでもないさ。とにかく話を続けると、俺サマと相棒の次元は『アインシュタインの書』を手に入れたかったわけ。で、レベッカ社長、きみが持ってるって調べがついたと思ってたんだけど」

 相棒の次元、ということは、彼も泥棒なの?
 腕のいい護衛だと思っていたのに。
 何かといろいろな人に裏切られたような気分になる。
    もっとも、私だって偽りの人物を演じているのだけど、……。

「それで、護衛のふりをして私たちに近づいた、っていうこと?」
「そうそう、そのとおり。でもここ二週間、なぁんにも出なかったからなぁ。次元がうまく探ってくれてると思ってたのに」

 ルパンがちらりと運転席に視線を投げると、次元は煙草を口から外して言った。

「こういうのは俺の仕事じゃねえだろ。だいたいおまえが言い出したくせに、不二子の用があるとか言って途中で抜けやがって」
「まあまあ。護衛の仕事はうまくやってたみたいじゃないの」
「何が護衛、だ……」

 ぶつぶつと苦言を言う次元には応えずに、ルパンは私に向き直る。

「まあとにかく。俺たちは『アインシュタインの書』のありかを探し出したい。だからきみの執事に話を持ちかけるために、きみの協力が必要になるわけだ。まさか社長サマが襲われたとあっちゃあ、執事も黙ってないだろうさ」

 話が困った方向に向きはじめた。
 私がレベッカではないと、隠し通せるだろうか。
 返答しない私に、ルパンはさらに続けた。

「きみが協力してくれるんなら、『アインシュタイン』を狙う連中のこともなんとかしてやってもいいんだけどな。どっちみち対峙は避けられそうにないし。どうだ、悪くない話だろ?」

 仮にルパンたちの提案に乗ったとして。
 ロブさんにその『アインシュタインの書』がどこにあるか訊いたところで、教えてくれるだろうか。
 私はホンモノじゃない。
 私が襲われたところで、ロブさんにデメリットはないはずだ。
 どうしたらいいだろう。

 そのとき、静まり返った車内にブーという携帯電話の振動音が響き渡る。
 私の鞄から、だった。
 待受画面を確認すると、「ロブ」と表示されている。
 ルパンは、「出たら良い」、と頷いた。
 頭が回らない私は、半ば反射的に受話ボタンを押ていたた。

「ああ社長、申し訳ございません。道が混み合っておりまして。今着きましたが、社長はどちらに?」

 スピーカーから聞こえてくるロブさんの声に、私は反応ができなかった。
 どうすればいい。
 誰に真実を告げて、誰を頼りにすればいいの。
 迷っていると、ルパンが人差し指を下に向けた。ここに来るように、ということなのだろう。

「レベッカ社長?」

 ロブさんが怪訝そうに訊ねる。
 私ははっとして、「地下の駐車場」と言い出していた。

「はい?」
「会議は……もう終わって、車のところにいるから」
「そうでしたか。失礼いたしました。とんだとんぼ返りですな。私もすぐに向かいますので」

 無意識のうちに会話が終わっていた。
 ルパンは「よしよし」と頷いている。

「執事のじいさんはいつもどこに座る?」

 ルパンが訊ねると、次元は親指で「そこだ」と助手席を指す。

「よぉし、んじゃ次元、じいさんが来たらすぐに車を出してくれ」
「……わかった」

 ルパンは楽しそうに、唇の端をくいっと上げる。

「ゆっくり話しあいといこうじゃないの」

 

2018.9.20

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