11

 

 ロブさんが来るまでの間、ルパンは何か私に話しかけていたけれど、何を話したのか、何と返したのか、覚えていない。
 どうすべきか、私はずっと考えていた。
 やっぱり、ロブさんにこの件を降りると伝えよう。
 それが一番いい。
 ルパンたちにも私の正体を話してしまおう。
 お金はもういらないから、この件から手を引きたい。
 日本に帰ろう。

 そう、決めた。

「遅くなり申し訳ありま、」

 最後までロブさんが言い切る前に、彼が助手席のドアを閉めたとたん、次元はエンジンをかけ車を発車させる。
 ロブさんは驚いて、次元をまじまじと見つめた。

「なんだ、次元……」
「どうも執事さん、こんにちは」

 後部座席、私の隣から前方に向かってルパンが呼びかける。
 ロブさんは目を細めてルパンを見やった。

「なぜ、貴殿がここに」
「ん、まあいろいろと話があってね」

 車は地下を抜け、地上へと出る。
 いつの間にか雨が降り出していた。

「『アインシュタインの書』、あんた、知ってるんだろ?」

 ルパンの率直な言葉に、ロブさんは眉ひとつ動かさなかった。

「アインシュタイン……?いったい何のことかわかりかねますな」
「おたくのレベッカ社長がさっき、トイレで襲われそうになったのよ」

 ロブさんは今度ははっとして、私を見る。

「そこでの話によると、『アインシュタインの書を渡さなければレベッカ社長の命はない、五日をやる』、だそうだ」
「……なんのことか。先日の一件といい、おかしな連中がいるのでしょう。社長のことを羨む人間は多いものです。やはり女性のSPも雇ったほうがいいようですな。警備を強化しましょう」
「それじゃあなぁんにも解決しねえだろ。いいのか、彼女が本当に殺されても」
「いいわけがない。だから警備を強化する、と」
「あくまでしらを切るつもりか」

 ルパンは大げさに肩をすくめた   かと思うと、懐から銃を取り出し、私のこめかみに向けた。
 ロブさんも、そして私も息を呑んだ。
 次元は動じない。
 計画のうちだったというのか。
 この人も信用できなかったのか。
 どくどくと、胸の鼓動が皮膚を震わせる。
 こんな思い、もう二度と嫌だと思っていたのに。

「それなら、こういうのはどうだ?正直に話してくれないと彼女を撃つ」

 ロブさんは唇を噛みしめる。
 私はホンモノのレベッカじゃないと言いたいのに、全身が震えて何もできない。
 
   知らないものは、知らないんだ」
「あら、そ」

 ルパンは私に向けた拳銃に力を込め、そして   
 引き金を、引いた。
 ロブさんが驚愕する。本当に撃つとは、という表情で。
 私は一瞬心臓が止まった、と思った。
 死んだ、と思った。
 けれども。
 パン、と軽い音とともに、紙テープが舞い散る。

「ったく、強情だなぁ」

 ルパンは大きくため息を吐いて、私に言った。
 私はぽかんとルパンの手にある拳銃を見つける。
 その銃口からは紙テープがひらひらと飛び出していた。
    おもちゃ、……?

「悪かったな、女に銃を向けるなんて本当はしたくなかったんだけどもよ。執事さんがどうしても頑固なんで、試したくなっちまった。それに   きみも、言えば良かったのに」
「え、……?」
「本当のレベッカじゃないって言えば、済んだ話だろ」
「な……!」「えっ!?」「は?」

 ルパンの言葉に、その場の誰もが声を上げた。

「あー、やっぱりこっちはビンゴなわけね」

 ルパンはロブさんと私の顔を交互に見て、にやりと笑う。

「じいさんが頑なもんで半分はめるつもりで言ってみたが、当たりだったかー」
「どういうことだ、ルパン」

 先に言葉を繋げたのは次元だった。

「つまり、彼女はレベッカ社長の替え玉、なんだろ?ホンモノの社長はどこか安全なところにお隠れだ、と」
「なんだと……?」

 次元は信じられない、という口調だった。
 ルパン   気づいていたのか。
 私もすっかりレベッカになりきることを忘れていたから仕方ないとはいえ、次元はまったく気づいているようすがなかったから、ルパンはよく頭が回ったなと思う。

「お互いネタばらしをして協力しあう、ってぇのはどうだ、じいさん」
「なに……を」

 ロブさんはまだ目を白黒させながらも、ルパンを睨みつけるように鋭い目線で見ていた。

「俺たちは『アインシュタインの書』がほしい。だが、あんたたちはどうしても他に渡したくないようだ。でもな、レベッカの   ホンモノのレベッカの命には替えられねえ、だろ?だから、俺たちがアヤシイ連中のことはなんとかしてやっから、『アインシュタイン』をおとなしく俺たちに渡す、ってぇのはどうよ?俺としても女に手荒な真似はしたくねぇしな、いい取引だろ?」
   できない」
「おいおい、即答かよ」
「あれは、お嬢様の……夢、なんだ……何としても守ると誓ったんだ、私は」
「当の本人の命に替えてでも?」

 ロブさんは沈黙した後、口を開いた。

「もう少し……もう少しで、理論が完成しそうなんだ。それさえあれば……」
「なんだ、ワケアリってか」
「……書物を読み解きさえすれば、我々には不要のものになる。そうすればおまえたちに渡そう。それまでは、待ってほしい」
「もう少しって、いったいどれくらいよ?」
「ひと月……なんとか、あとひと月さえあれば」
「はぁ。それまで彼女に替え玉をお願いして、俺たちは護衛、ってか」
「それだけの金は払っているはずだ。それに、書物も渡すのだから、不都合はないだろう」

 ロブさんはちらりと私に視線を投げる。
 “それだけの報酬は払っている”、と私に釘を差しているのだろう。

「泥棒が待てを喰らうたぁ、ポリシーに合わねえな。だいたいひと月待ってとんずらされる可能性だってあるだろ」
「お互い疑うべきある点は同じだ。それに、泥棒とて契約書は交わしただろう、ルパン三世」
「俺の名を知ってなお、ってわけか」
「良からぬ連中が出てきたときに、あらゆる事態は想定したからな……」
「んー、じゃあ、レベッカ社長がアインシュタインにご執心なわけを、聞かせてもらおうか。それによっちゃあ、女の頼みと思って受けてやらなくもない」

 ロブさんは長い間黙っていた。車のエンジン音と、パタパタと雨が舞い落ちる音だけが聞こえる。
 やがて決心したのか、諦めたのか、ロブさんは小さく長いため息を吐いて口を開いた。

   お嬢さまの母上が、事故で亡くなった。十年前のことだ。当日の朝は、お嬢さまと奥さまは激しい口論をされていて……非はお嬢さまにあったのだが……お嬢さまは、「あなたの娘になんか生まれてこなければ良かった」と言ってしまった。そのまま、奥さまは事故で亡くなられ……不注意で、信号を見ていなかったらしい……。お嬢さまは、自分が奥さまを殺したのだと、それはもう痛ましいほど嘆いていらした。自分の言葉も行動も、すべて後悔をされた。最愛の奥さまをご自分のせいで亡くしてしまい……それ以来ずっと、過去に戻れるのなら、と考えておられる」

 『アインシュタインの書』がどういうものか、私にはわからない。
 けれども察するに、過去に戻れる方法が書いてあるのかもしれない。
 そんな非現実的な話がありうるのか、にわかには信じがたいけれども。もし本当に存在するのだとしたら、レベッカや、ルパンや、今日私を襲った連中が血眼になって求めるのも、わかる。
 それにしても、あのレベッカにそんな事情があるとは、想像すらしなかった。

「は、はー……ずいぶんと泣かせる話だこと」

 ルパンはぽりぽりと頭をかきながら言った。

「わがままなお嬢さんのことだ、いったい何のために過去に戻りたいのかと思ってたぜ。はねつけてやろうかと考えてたが、その話を聞いちゃそれはできねぇなあ」

 意外。泥棒というからどんな悪党なのかと不審感もあったけれど、じつはルパンは見たままのひとなのかもしれない。
 気さくで、明るい。彼の正体を知る前から抱いていた印象と、そう変わりはないのかもしれない。

「契約の延長は、二週間、だったな。それまでは待ってやる」

 ルパンの言葉に、ロブさんの表情が少し和らいだように見えた。

「きみはどうだ?えっと……まだ名前、聞いてなかったっけ」

 突然話を振られて、私は「えっ」と声を出したきり固まってしまった。
 名前。私の名前、……。
 口にするのは久しぶりになるその名前を、私は告げた。

、です」
ちゃん。きみにも経緯を聞きたいところだけど、まあおいおいってことで。きみはどうする?もっとも、きみが乗ってくれなきゃこの話は続かないんだけど」

 断ろう、と決めていた。
 でも、ロブさんが契約書のコピーを私に差し出してくる。
 契約の途中で破棄する場合、報酬の全額の差し戻しに加え、手数料として10万ドルの支払いを命じる、と書かれていた。
 もちろん私に10万ドル支払うことなんて無理だ。
 こちらも時間も労力も使っているのだから、契約を途中破棄されては困る、ということだったと思う。
 軽々しくサインしてしまったことが悔やまれた。
 
「代わりに、今回の件がうまくいったら50万ドル追加で払ってもいい」
 
 ロブさんが途方も無い数字を言うので、私は「ええ?」と素っ頓狂な声を出してしまった。
 50、万ドル。5000万円、ということだ。
 あまりに途方もない金額に唖然としてしまった。しかし、ルパンがにやりと笑い、私の代わりに答える。

「命かかってるんだぜ、50万は安いだろ」
「……では今回の報酬、トータルで100万ドル、はどうだ」

 100万ドル   一億円、だ。
 現実味のない数字に頭がクラクラした。

「人の命を金で買うつもりか」

 次元はため息混じりに言う。

「何と言われようと、私はかまわない。お嬢さまの心からの笑顔が見られるのなら」

 

2018.10.2

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