次元が言った通り、お金持ちの力はすごい。
ビタミン類の点滴、注射、酸素カプセル、専属の医者など、凡人の私には逆立ちしても受けられないような治療ばかりが提供された。
スポーツ選手や芸能人が過酷なトレーニングやスケジュールの仕事をこなせる理由がわかった気がする。
回復した私は、レベッカとしての仕事を続けた。
体調不良であることは隠さなかったので、社員の多くが「大丈夫か」「働きすぎでは」「休んでください」などと声をかけてきてくれた。
単にわがままなお嬢様にも思えたレベッカは、意外にも社員に好かれているということがわかる。
身体は良くなったのだけど、気がかりなのはルパンから何の連絡もないということ。
何かトラブルに巻き込まれたんじゃないか。そんな心配を次元に問いかけると、「それはない」と即答された。
顧客先を訪れていた帰りの車内。
ロブはおらず、次元と私のふたりだけだった。
次元は煙草をくわえながら、ルパンについてとつとつと話し出す。
「いや、違うな……トラブルに巻き込まれてないわけじゃなく……正確に言うとトラブルの渦中にいるというか、むしろあいつ自身がトラブルメーカーというか……まあとにかく、やつのことを心配するだけ無駄だ」
「そんな、そっけない。心配じゃないの?パートナーなんでしょう?」
「あいつと長いこと組んでるからわかるんだよ」
そんな漠然とした回答にいまひとつ腑に落ちなかったけれど、羨ましいとも思った。
浅いようで、深く相手を理解しているのだろう。
いわゆる“男の付き合い”というやつ。
私は後部座席から、バックミラー越しに次元を見た。
帽子の陰になっていて目元が見えない。
このひととこうしてふたりで過ごせるのは、あと一週間と少しだけだ。
その事実が唐突に脳裏をよぎる。
あと少しで、私はレベッカ・ハナサキからに戻る。
たくさんのお金を手に入れて、日本に帰るのだ。
慌ただしい日々で考えることを忘れていたけれど、日本に帰ったら何をしようか。仕事なんてしなくたっていいのだ。
今とは違って、のんびりと、身の危険も感じず、ボディガードに守られることもなく過ごせるのだ。
そう思ったとき、素直に喜べない自分に気がついた。
仕方なく過ごしているつもりでいた現状は、じつは代えがたい体験なのではないか。
レベッカからの依頼が済んだら、私はもう二度とこんな日常は過ごせないだろう。
彼と別れればもう会うことはないだろう。
「
私は口を開いていた。
このまま車を本社に向けるのは惜しい気がした。
「仕事を思い出したの。行ってほしい場所があるんだけど」

次元は私が指示した場所に車を停め、しげしげと窓の外を眺めながら私に訊いた。人々の華やかな笑い声や機械音が耳に入ってくる。
「そう。後学のためにね」
「どう見ても仕事をする場所には思えねぇが」
「ここで学んだことを仕事に活かせるかもしれないでしょ」
「はぁ?」
次元は不服そうにしていたけれど、バックミラーに映る私を見て、振り返った。帽子の合間から開かれた目が見える。
「おまえ、そりゃあ……」
「レベッカだとバレないほうがいいと思って。化粧を変えたの」
レベッカになりきるために付けていた派手なリップやつけまつげ、アイラインの類は落として、比較的シンプルなメイクに変えた。
どうせ化粧を落としたらたいした女じゃないと思われるかもしれない。
でも、それでもいい。
一度だけでいい。本当の私を、知ってほしかった。
「レベッカ・ハナサキ」としての私ではなく、本当の私を、次元に。
「これで大丈夫でしょ。さ、行きましょう」
「おい、待て」
次元の返答を聞かずに、私は車から飛び降りる。
視界にはドーム型球場のような、巨大な施設があった。
最近ニューヨークに作られた複合型アミューズメントパーク。ゲームセンターや映画館、バッティングセンター、ボーリング場、テニス場、などさまざまな施設が入っている。
日本でも話題になった場所なので、今回の旅行でもともと訪れたかった場所でもあるのだけど、さすがにひとりでは来られないと諦めていた。
でも、今日は隣に人がいる。
私の滞在中で最初で最後のチャンスだと思った。
まだ午後の三時だ。ロブが気を利かせてくれてこのあとの仕事もない。
身体の調子が良くなって、心も軽やかになっているのかもしれない。これまでの私では考えられなかった、少し思い切ったアイデアだった。
次元は渋々といったようすで運転席から降りて来る。
「次元も仕事ばかりで息抜きも必要でしょう?」
「こんな騒がしい場所で息抜きができるか」
「クソ!壊れてるんじゃねえのか?」
赤外線のモデルガンで画面を撃ち、襲ってくるゾンビを倒してゆくゲーム。私たちは途中でゾンビにやられてしまい、画面には「Game Over」の文字。
次元は黙って「Continue」を選び、硬貨を機械に吸い込ませる。
どうやら私の分も入れてくれたようで、再びふたりでゾンビ倒しに興じることになった。
ただ、何度やってもクリアにはたどり着けない。
「ほら……これ、ゲームだから。実際の射撃の精度とは違うだろうし……次元の動きが速すぎるんじゃないのかな、きっと」
静かに悔しがる次元を私が励ます、という変な構造になった。次元は相変わらず機械の精度が悪いとぶつくさ文句を言っている。
まだ続けたがる次元をなだめて、他のゲームをしたり、バッティングセンターに行ったり、エアホッケーをしたりした。
楽しかった。
とても。
久しぶりに遊んだな、という開放感もあるのだけど。
次元の普段とは一面を見ることができて、心に温かいものが注がれるような心地がした。
クールに見えて意外と熱くなりやすいのだ、彼は。
チケットは二時間分を購入していた。
その限られた時間はあっという間に過ぎてしまった。
私たちは車に戻る。
私は、助手席に座った。
次元が何かもの言いたげな目で私を見たので、私は先に口を開いた。
「後ろの席って、気が詰まるのよ……いつも同じ席だから、たまにはいいでしょう?」
「好きにしたらいいだろ。うるさい執事もいないことだしな」
邪魔だ、と言われたらどうしようかと思ったけれど、受け入れてくれて良かった。
次元がエンジンをかけ車を走らせてから、私はもうひとつ頼み事をした。
「あの
「は?」
「ちょっとドライブしたいな、なんて」
「おまえ……俺を何だと思ってやがる。都合いい付き人じゃねぇんだぞ」
「都合がいいなんて思ってないよ。ただ、“たまたま”隣にいるのが次元だからお願いをしているだけで。ニューヨークをドライブって夢だったんだけど、外国で車の運転なんて怖くてできないから」
「あのな……」
「次元がいますぐ会社に戻りたい、っていうなら仕方ないけど」
「……俺だって戻りたいわけじゃない。機械だらけで息が詰まりそうだからな、あそこは」
次元は小さくため息を吐いて。
「仕方ねえ、付き合ってやる」
そう言ってくれた。
2020.5.15