超大手企業の社長の代役を引き受けて。
正体のわからない連中に狙われていて。
世界的に有名な泥棒が味方してくれていて。
素性の知れない無愛想な護衛がついていて。
さらには、元恋人なんていう存在も出てきてしまった。
少し前まで日本のしがないOLだった私が経験するには、あまりに現実とかけ離れている状況。
レベッカを演じ続けていくにつれ、何が“リアル”なのかわからなくなってくる。
ただ。
それでも私をこの世界につなぎとめているのは、100万ドルという大金。
この一件を乗り切ることができたら、膨大な額のお金が手に入る。
一生遊んで暮らせるかもしれない金額だ。
何もかもを諦めてきた貧乏な生活とはオサラバして、反対に何もかも手に入るようになるかもしれない。
お金があれば、もっとあちこち旅行に行ける。働かなくたっていい。好きなものを何でも買える。
この“半現実”は、やがて終わる。
でも、お金がなければ貧乏生活は一生続くのだ。
だから、耐えなければ。

朝起きると、身体が鉛のように重かった。
それでも今日はちょっとした来客があるから、対応しなければならない。
自室を出てリビングに出ると、いつものように次元がソファで煙草を吸っていた。
ボディガードという身分なのにどこか偉そうに足を組んで、ソファの背もたれに片手を添えている。
「おはよう……」
いつものようにそう声をかけると、いつものように「ああ」という返事が返ってくるだけ
「……あんた、ひどい顔色だぞ」
「ちょっと、疲れてるのかな」
そう言った自分の声が自分のものではないように響いた。
かと思うと、急に足の力がふっと抜けて、立っていられなくなる。
ソファの背もたれに手をついたけれど、その手にも力が入らず、私はその場でへたりこんだ。
「おい」
次元が立ち上がり、駆け寄ってくれる。
ふっと煙草のにおいがした。
その香りが強まるにつれ、意識が虚ろになってゆく。
私のまぶたは重力に逆らえないかのように、落ちていった。
次元の大きな手が、私を抱きかかえてくれたような、気がした。
その揺れや温もりが、どこか心地よかった。
私は完全に意識を手放した。

視界にあるのは天井と、そして首を横に動かすとわずかに黄色みがかった液体が入っているパックが見えた。点滴をされているのだ。
頭が冷たいので、氷枕が敷かれているのだろう。
病院などではなく、すでに慣れ親しみつつある寝室だった。
どれくらい時間が経ったのだろう。
朝起きて、そのまま倒れてしまった
そのときに感じていただるさは、だいぶ軽くなっているようだった。
身体を起こし、サイドテーブルにあった水を飲み干すと、血液に力が入ったような心地がする。
もう少し水が飲みたいと思って、ベッドから降り立ち上がる。
わずかに足がふらついたけれど、思いのほかまっすぐに歩けそうだ。すでに量が少なくなりつつある点滴の管を外した。
リビングへの扉を開けると、デジャヴかと思った。次元がソファに深く腰掛けて、煙草を吸っている。
けれども今回は、扉が開く音にすぐ後ろを振り向いた。
「あんた……おい、おとなしくしとけ」
「あ……ちょっと、水が飲みたくて」
次元は一瞬だけ間を置いた後、立ち上がって、驚いたことに冷蔵庫からペットボトルの水を持ってきてくれた。
「ありがとう」
私の礼には応えず、次元はまたソファに座った。
「過労、だそうだ。まあ無理もないだろう
“一般人”。
その言い方がなぜか引っかかった。
次元と私は違う場所にいるのだと、明確な線引をされたようで。
違和感を覚えた自分にも奇妙な心地がして、私は話題を変えることにした。
「それに加えてわけのわからない人も出てきたしね」
ジャック・ローズというレベッカの元恋人を思い浮かべながら苦笑すると、次元もふっと笑って、「たしかに」と言った。
「二、三日は安めとあの執事が言っていた。会議だとかは全部キャンセルだと」
「そう……」
時計を見ると、その針は「10」を指していた。朝の雰囲気ではないから、夜の10時だろう。
半日以上眠っていたことになる。
「でも、今はだいぶ気分がいいわ」
「金持ちは羨ましいな。点滴だのナントカっていう注射だの薬だの、何万もする治療が受けらるんだからな」
「……ほんとにね」
体調を崩しても手、私の身体はよく今までもったな、と思う。
もっと休んでいたかったけれど、そうできない、気がかりがあった。
「ルパンから、連絡は?」
「
「え!?もう期限は過ぎているのに……」
「あいつのことだ、うまくやってるんだろ」
次元にはさして慌てるようすはない。
他人事なのか、それとも、ルパンという人のことを信頼しているのか。
「ルパンとは、いつから一緒にいるの?」
「さあ、忘れたな。腐れ縁みてぇにいつの間にかそこにいた」
つまり、時間を忘れるくらい長く一緒にいるということか。
まだたくさん聞きたいことがあったけれど、次元が言った。
「もう休んだらどうだ。また倒れられちゃかなわないからな」
「あ……そう、ね」
言葉は相変わらずぶっきらぼうなのだけど、声のトーンはだいぶ柔らかくなった気がする。
「護衛だけじゃなくて看病もしてもらったら申し訳ないし」
私が言うと、次元は鼻を鳴らした。
「ああ。あんたの氷枕を替えにいくなんざ、遠慮したいからな」
次元と私は静かに笑った。
この人、目に見えて弱っている人間には優しいのかもしれない。
それならもうしばらく病人を続けていようかな、と思った。
2019.7.25