一章:Ballad for Christmas...5





 人々がダンスを踊る輪の中に私を連れて行った男性は、遠慮など一切なく、腰に手を回してくる。私は思わず身を強張らせてしまうけれど、彼のほうはお構いなし。あまりに急な展開で、断る暇がなかった。驚きや戸惑いの代わりに、男性への腹立たしさが湧いてくる。どういうつもりなんだろう。初対面でいきなり強引にダンスに誘ってくるなんて。はっきり断らなかった私にも非はあるのかもしれないけれど。
でもそうした不満が、不意にぴたりとやんだ。
 男性が私の手を取り、私は彼のほうへと引き寄せられる。

    煙草の匂いがふわりと鼻に届いた。
 どこかで覚えのある匂い。
 これは、……。
 瞬時にその記憶の正体を察すると、胸苦しさが荒波のように私を襲った。

 呆然としていると、男性はぴたりと身体を密着させてきた。曲はしっとりとしたバラードに変わっていた。オーケストラの生演奏をバックに、男性シンガーが静かに歌い始める。優しい声。美しいバラード。照明が落ち、柔らかな緑と赤のライトが会場を包んだ。

 そんなまさか。私は男性に合わせてほとんど無意識に足を動かしながら、顔を上げた。
 すぐ近くにあった男性の顔は、微笑んでいた。金髪にブルーの瞳。顔は全然違うし、声も違った。
 でも、……でも、体型や背の高さは似てる。なにより、馴染みのある煙草の匂い。
 それに   この温もりと、ダンスのステップ。
 夢のなかで何度も何度も繰り返し再生させたシーン。
 偶然の一致なの?それとも   もしかして   ……。

「まさか……」

 そっと口を開くと、男性はぱちんと片目をつむった。
 まさか、ルパンなの?
 警官が目を光らせている手前、その問いはできなかった。
 でも、今の反応はく   この人は、ルパン……。
 ルパンなんだ。変装しているんだ。本当にここに来ていたんだ。エリザベス女王のティアラを盗むために。けれど今は、私の目の前にいる。
 顔は違うのに、私はすっかりルパンとダンスをしているような気分になっていた。
 不思議。一度踊っただけなのに、なんとなくルパンのステップだとわかる。女性の扱いにこなれていて、丁寧なのだけど、遠慮のない力強さもあって。
 何度想い願ったかわからない。ルパンとの再会を。
 何度不安になったかわからない。ルパンとはもう会えないんじゃないかって。
 私に会いに来てくれたわけじゃない。でも、声をかけてくれたということは、私の前から去ってしまおうとしているわけではないんだよね   
 ルパンと話がしたかった。でも、人も警官も多すぎる。
 この曲が終わってしまったら、きっとルパンはいなくなってしまう。ティアラを盗むために。
 そう考えると、ルパンと会えたことは心底嬉しいけれど、切なかった。

 このバラードが永遠に続けばいいのに。

 私の耳には男性シンガーの歌声とバックの音楽、それにルパンの息遣いしか聞こえてこなかった。周りから人が消えて、ルパンと私だけになった。金髪の英国紳士風の男性じゃなくって、ルパンの顔が見たい、……。

 ルパン   ……。

 私は込み上げてくるものに、視線を下げた。
 バラードは盛り上がりを迎え、そして終わった。

 

「モナベール伯爵!」

 ルパンの   英国紳士の背後から女性の声が聞こえて、はっとした。照明が明るくなり、音楽が止む。

「ちょっと、なにを呑気にダンスなんてしてるのよ」

 目を吊り上げた女性が、男性の耳を引っ張る。「いてて」、と彼は私の身体を開放した。
 モナベール伯爵…?それに、この人は……?
 私は突如現れた女性をぽかんと見つめてしまった。豊かな金髪にブルーの瞳。ワインレッドのノースリーブのロングドレスがよく似合う。豊満な胸元に引き締まった腰。スタイルが抜群に良く、女の私も魅入ってしまうほどの美貌だった。私がしげしげと見つめてしまったのは彼女の美しさもあったけれど、どこかで見覚えがあったから。

「なんだ、お前も踊りたかったのか?」
「そうじゃないでしょ!」

 引っ張られた耳を抑える男性を、女性はぎろりと睨む。かと思うと、私ににこりと笑いかけた。

「ごめんなさいね。私の夫、女性には目がなくて」

 夫、……。
 答える余裕がないままに、女性は男性の腕を引き去って行ってしまった。男性は一度振り返り、私に軽く手を振っていく。
 残された私は、夢から現実に強引に引き戻されたような心地になっていた。でも、思考はまだ夢のなかを彷徨っている。
 あの女の人。たぶん   不二子さんだ。峰不二子さん。
 一度しか会ったことがないけれど、その印象は強烈に私のなかに刻み込まれている。以前会ったときと髪と目の色は違うけれど、そんなものは染めたりコンタクトをしたりすれば変えられる。声や顔やスタイルは、以前の不二子さんのままだもの。
 不二子さんもティアラを盗むために潜入したのだろうか。モナベール伯爵という仮名で。夫婦を装って。
 “夫婦”……。
 ルパン、不二子さんと一緒だったんだ。
 ルパンと会えた嬉しさに夢見心地だった私に、さっと黒い影が落ちる。

!」

 ぼんやりとしていた私は、肩を叩かれてはっとした。振り返ると、しかめっ面のマリアと険しい顔のマッシュが立っていた。

「もう、どこに行ってたのよ」
「ご、ごめん……」
「オペラが始まるわよ。行きましょう」

 マリアはくるりと背を向け歩いて行く。何か言いたげに厳しい表情をしているマッシュの隣を通りすぎて、私もマリアの後を追った。

 

 会場をオペラホールに移し、『クイーンエリザベス』の上演が始まった。薄暗い会場の中、ステージだけに明かりが灯る。客席はステージに向かって緩やかに下っており、二階席もあった。私たちは一階席の後方だったけれど、音響設備が良く、歌声やオケの生演奏には迫力があった。

 イギリス女王エリザベスが、数々の困難を乗り越えて女王として即位するまでを描いたオペラ。おそらく、クライマックスの戴冠式のシーンで件のティアラが登場するのだろう。ティアラ登場までも何か変化はないかと会場の左右に配備された警官たちが目を凝らしている。ゲストはオペラを楽しみつつも、どこかスリルや興奮を期待しているような、そんな眼差しや落ち着きのなさが感じられた。

 世界最高級の施設でのオペラ鑑賞だというのに、私の意識はそぞろだった。
 ルパンと不二子さんがいたということは、次元と五エ門も来ているのかな。それともルパンと不二子さんのふたりだけ?ルパンはこの警備体制のなか、どうやってティアラを盗むつもりなのだろう。
 何よりも私が気になっていたのは   不二子さんが発した、“夫”という言葉。恐らくそういう設定でいるだけなのだろうけど、私には重かった。イタリアでは、不二子さんはいなかった。私がルパンと不二子さんを一緒に見かけたのは一度きり。だからよくわからない。ふたりがどういう関係なのか。次元は今ひとつはっきりしないようなことを言っていたけれど。
 この一年弱の間、私がルパンに会えなかったその時間も、不二子さんはルパンと一緒だったのかな、……。

    だめ。頭のなかがぐちゃぐちゃ。喉のあたりに圧迫感を感じて、息が苦しくなった。外の空気が吸いたい。

「……ちょっとお手洗い行ってくるね」
「えっ?」

 隣のマリアにそっと耳打ちして、私は席を立った。オペラに観入っている人々の間をかき分けて行くのは申し訳なかったけれど、この閉鎖された空間にいたくなかった。どんどん闇に引っ張られていくような、考えがどんどん悪いほうへ引きこまれていくような心地が耐えられなかった。
 緩やかな階段を身を縮ませながら上り、会場の後方へと歩いた。私が座っていた場所からは出入り口が近いのは幸いだった。
 そして、重い扉を開けた。

 

(15.12.19)