一章:Ballad for Christmas...4





 ルパン。
 予想もしなかったその名前は、私の胸を鋭く突いた。一瞬呼吸の仕方を忘れて苦しくなり、頭がクラクラする。
 予告状。ルパンの。エリザベス女王のティアラを盗む。
 まさか   本当に、ルパンが今夜、ここに?

 ルパンに会えるかもしれない。

 静止していた心臓が勢いよくばくばくと音を立て始めるのを感じた。
 ルパンがここに来る。会えるかもしれない。いつ以来だろう。ほぼ一年ぶり、……?
    ううん。でも、違う。ルパンは私がここにいることを知らない。私に会いに来てくれるわけじゃない。むしろ、シドニーに来るというのに連絡をくれなかったのだから、私に会うつもりはないのかもしれない。ティアラを盗みに来るだけ。
 興奮や驚きは一気に冷めてしまった。代わりに物寂しさが胸を暗くした。そうだ。連絡をくれたわけじゃないんだ。前回会ったときは、事前にメールをくれた。でも、今回は何もなかった……。

「ルパン三世って、あのルパン?泥棒の?」

 マリアがどこかおもしろがるようにマッシュに訊ねている。

「そう。パーティーは中止したほうがいいという意見もあったらしいんだけどね。予算がだいぶかかっているし、イギリス王室関係とかオーストラリアの首脳陣とかもオペラを観に来るから、取りやめたり延期したりすることはできなかったみたいだ。人命が関わるわけではないからね。何より警察が   ICPOが来て、ルパンは逮捕してみせますって豪語したらしいから、このまま開催することにしたらしい」
「へえ!じゃあもしかしたらルパン逮捕の瞬間が生で見られるかもしれないんだ!」

 無邪気に興奮するマリアに、私は内心でむっとしてしまった。ルパンが捕まるなんて。ありえない。

「いや、どうかな。ルパン三世を逮捕できたことなんてないらしいし。でも最高の見ものになるだろうね」

 マッシュもおもしろがっている。正しくは、ルパンは捕まったことはある。でも、そのたびに脱獄をしている   と本人が言っていた。私はルパンと会ったことがあるから『ルパンはルパン』だと思っているけれど、そうじゃない人にとっては『泥棒ルパン三世』という有名人なんだなあと、あらためて思い知らされる。

「まあとにかく。会場に入ろう。そろそろはじまるみたいだから」

 マッシュに促され、マリアと私はオペラハウスの中へと進んで行った。
 まさか、こんなところでルパンに会うことになるかもしれないなんて。私は驚きと興奮と、複雑な気持ちを抱えて、マリアとマッシュの話をほとんど受け流してしまっていた。

 

 パーティー会場は、オペラハウス内の大きなホール。高い天井。豪華な食事。高そうなドレスや装飾品を身にまとった人、人、人。
 私は去年、同じ上流階級のパーティーに参加したことがあるけれど、そのときと雰囲気は似ていた。でも、イタリアの   ベルトリーニのパーティーのほうが落ち着いていた、気がする。こちらは人の数も多いし、会場も大きいし、業界も様々な人が集っているのだろうから、活気がある。でも、やっぱり場違いさを感じて萎縮してしまうのは前回と同じだった。ここに呼ばれている人たちは、マッシュのように各界の関係者、しかもトップ層が多いのだろうから、たかが学生の私たちはほんの小さな存在に思えてしまう。

「うう……セレブのような人ばかり……私たち、大丈夫かしら」

 マリアも同じく尻込んでいた。一方のマッシュはさすがというべきか堂々としている。

「大丈夫大丈夫。何か聞かれたら、ライカートの関係者だと言えばいいよ」

 私たちがそわそわと雑談をしていると、セレモニーのオープニングがはじまった。けれど、一番初めに壇上に上がった人物に、仰天してしまった。ドレスやタキシード姿の人々の中、一人ブラウンのトレンチコートを羽織った男性。

「えー、私はICPOの銭形という者です」

 銭形警部。
 去年の事件   ベルトリーニの一件のときに顔を合わせた。あのときに銃に撃たれて死んだことになっている私が銭形警部に見られるのはまずい。しかも私はルパンたちと一緒にいた。もし銭形警部に見つかったら、何を問い詰められるか。ううん、でも覚えているとも限らないし、私も名前と雰囲気を変えた、つもりだし、これだけの大人数がいるんだし、大丈夫だよね、……。

「じつは、ルパン三世がエリザベス女王のティアラを狙っています」

 聴衆がざわりと揺れる。けれども、すでに噂では耳にしていたようで、そこまで大きな混乱にはならなかった。

「しかしご安心を。記念すべき式典を邪魔立てしようとする輩は、我々が必ず!阻止します。エリザベス女王の神聖なティアラは必ずお守りしますので。皆さんはどうか過剰な心配をせず、パーティーをお楽しみください」

 銭形警部はきりりと敬礼して、舞台から降りて行った。その後、オペラシドニーの代表者の挨拶があり、マッシュの父ライカート社長をはじめ著名人が何人か祝辞を述べた。でも、私はその大半を聞いていなかった。
 銭形警部が来ている。ルパンをずっと追っている銭形警部が。ということは、ルパンは本当にこの会場に現れる   

 私はそればかりに気を取られていた。気がつくと、司会進行役の女性から、パーティーの流れについて説明があるところだった。これから乾杯があり、ダンスパーティーをおこなった後、会場を移してオペラの上演があるらしい。イギリス王室やオーストラリアの首脳陣など超VIPはオペラ鑑賞から参加するようだった。

 壇上にはオペラシドニーの創設者が姿を現し、ゲスト全員で乾杯をした。警備に当たる警官たちはさすがにそれを眺めているだけで、どことなく羨ましそうな目線でゲストを見つめていた。クリスマスイブに仕事だなんて大変だな。これもひとえにルパンのせい、か。彼らは会場の至るところに張り付いていて、私服警官もいるらしい。なんだか落ち着かいない雰囲気が流れていたけれど、ダンスパーティーが始まるということで、徐々に人々の緊張が溶け始めていくのを感じた。

「ねえ、もうすぐダンスが始まるって」

 マリアが言った。マリアと私とマッシュ。女性二人に対して、男性は一人。
 私は二人が口を開く前に、さっと言った。

「私はお腹がぺこぺこだから、先に食事をしたいな。二人で踊ってきたら?」
「え?でも、
「それに私、ダンスなんて踊ったことないから……食事をつまみながら二人を見守ってる」

 マリアの言葉を遮って、半ば強引に二人をくっつけた。戸惑っていたマリアとマッシュだったけれど、オーケストラが現れて生演奏をはじめたので、周りに流されてダンスの輪に加わっていった。

 私はそっとダンスのために開けられたスペースを後にした。
 部屋の端には、豪勢な料理が並べられたテーブルが置かれている。ダンスに参加せず談笑をしている人たちに向けて、ボーイがシャンパンを配っていた。私はシャンパンひとつを受け取って、マリアとマッシュの姿を探した。けれど、広いホールでたくさんの人が踊っているので、なかなか二人の姿が見つからない。
 あの調子だと、いずれマリアが「マッシュと踊ったら」と言いかねないから、なんとかダンスの時間が終わるまで見つからないようにしたかった。なぜそこまで頑なにダンスを拒否してしまうのか。たぶん   想い出を上書きしたくないから、だと思う。
 私はシャンパンを片手に、美味しそうに盛りつけられている前菜を頬張った。せめて、この高そうな料理はたくさん食べて帰ろう。

 私が料理を取り分けていると、オーケストラの曲が変わった。華やかなモーツァルト。西洋の人たちはダンスというものが好きだなあ、とつくづく思う。みんな笑顔を浮かべながらダンスを踊っていた。授業で習ったりするんじゃないかと思うくらい、誰もがきれいに踊れている。

 私は、……数えるほどしか踊ったことがないからダンスは苦手だけれど   ダンスが上手い人と踊るのは少し楽しいかも、と思う。
 上流階級が集まるパーティー。そして、ダンス。本当に、一年前半前のイタリアの春を思い出す。
 ファッションブランドのベルナルド・ベルトリーニ。今はもうなくなってしまったベルトリーニの、創立二十周年を記念したパーティーだった。そこで私は、   

『やっと笑った』
『今日はずーっと堅ーい顔してたもんなぁ。せっかく綺麗な格好してんのに』

 不意に、あのときの想い出が頭の中を駆け巡る。
 苦い出来事もあったけれど……今思い返すと、本当に素敵な想い出。
 このまま浸ってしまったら、しばらく過去の時間を彷徨ってしまいそうで、私はシャンパンを飲んで強引に思考を引っ張り戻した。

    私は、前に進めているのかなあ。こんな隅っこで小さくなりながら料理を食べているだけ。そうじゃなくて、ダンスに参加して、素敵な男性と知り合ったほうがいいんじゃないだろうか。そう考えて、このパーティーに来たというのに。
 いつやって来るかわからないような人を、ただ待っていたって、しかたない。
 そうは思いながらも、足が動かなかった。あんなふうにきちんとダンスができる人たちの中でなんて、踊れない。
 結局私は、シャンパングラスを手にぼんやりと人々を眺めていた。
 でも   

「お嬢さん、お一人ですか?」

 声をかけられて、顔を上げる。私の左に男性が立っていた。金髪でブルーの瞳、白いタキシードの男性。年は三十代前半くらい。

「いえ……友達と来ているんですけど」
「お友達はどこに?」
「ダンスを踊ってます」
「あなたは踊らないんですか?」
「私はダンスが苦手で、……料理のほうがいいかなって」

 私は苦笑して答える。男性は目を細めた。

「ダンスなんて、大事なのは雰囲気ですよ」

 大事なのは雰囲気。
    どこかで聞いたことのある台詞。

「せっかくのパーティーなのに勿体無い。良かったら私と踊りませんか?」
「えっ?」

 男性は気品のある格好をしているのに、口調や態度は気さくだった。口を開けて固まる私の手からシャンパングラスを取り上げると、ボーイに戻してしまった。そして、空いた私の手を取り、ダンスの輪の中に引っ張っていく。
 私はなすがままになっていた。抵抗が、できなかった。

 

(15.12.17)