二章:a little closer...12





 ランチを食べ終えたルパンと私は、そのまま公園をぶらぶら歩いた。途中、ソフトクリームを買って、ハーバー沿いの遊歩道を散策した。向こう岸の美しい街並み、青い空、温かな風、甘いソフトクリーム。そして、隣にはルパン。
    とても、幸せだった。
 夏の強い日差しに目がくらむ。
 いまこの瞬間が、私の人生で一番幸せなときかもしれないなあ。しみじみとそうに思った。
 時間が止まってほしい。ルパンと一緒にいられるときはいつもそんなふうに考えるけれど、今回も心の底から願った。こんなに穏やかで満たされるような幸せは、もうやってこないかもしれない。

 公園をしばらく散歩した後、ルパンはシドニータワーに登りたいと言い出した。シドニーの高層ビル群の中にひょっこりと建つ細いタワー。街中からいつも見上げていたけれど、私も登ったことがなかったので、ふたりで行ってみることにした。高さは309メートルなんだとか。その展望台からシドニーの街を見下ろす。普段歩いている通りを上から眺めるのは不思議な気分だったけれど、楽しい。景色がまるで違って見える。私は興奮気味に、ルパンに大学や行きつけのカフェを教えたり、知りうる限りの名所を説明したりした。ルパンも興味深そうに聞いてくれた。

 タワーを降りた後は、ルパンがコアラを見たいと言ったので、動物園に行った。「オーストラリアっていやあ、やっぱりコアラとカンガルーだよ」なんて言うルパン。なんだかんだで私もこの国に来てからコアラを見たことがなかったから、二つ返事でその提案に乗った。シドニーの中心部、ダーリング湾沿いにある動物園は、観光客や家族連れ、カップルで賑わっていたけれど、平日ということもあってゆったりと見物することができた。
 お目当てのコアラは、実物はイラストのような愛くるしさはあまりないのだけど、もそもそとユーカリを頬張る姿には癒された。
 コアラってしみじみ見ると獣だねえとか、ワニの迫力に驚いたりだとか、タスマニアンデビルってあんな動物だったんだね、とか……たくさんはしゃいで、たくさん笑って、たくさんしゃべった。

 なんだろ、これ。本当にデートみたい。

 ルパンがどう認識してくれているのかはわからないけれど。公園に、展望台に、動物園に。これって王道中の王道のデートコースじゃない。
 もっとも、ルパンにとっては女性と外に出かけることはみんな“デート”で、そういう意味でデートという言葉を使ったのかもしれない。
 でも、まあ、なんでもいいや、と思える。とても楽しいから。
 私はとにかく一分一秒を大切にしようと思った。ルパンの言葉、声、表情、しぐさ、匂い。ルパンと見た風景、動物たち、ルパンと食べたもの、共有したもの。ひとつひとつ、しっかりと心に刻もうとした。後から引き出して、思い返せるように。
 どうしようもないくらい幸せで、楽しくて、胸がいっぱいだった。
 でも、日が傾いてくるにつれ、少しずつ寂しさが私の心を暗くした。今日という日が終わってしまうもの悲しさ。こんなふうにルパンと身近なスポットを遊びまわれることは、もうないんじゃないかという切ない予感。
 けれど、今日は精いっぱい楽しもうと決めたから、そういう灰色の感情は奥底に押し込めた。

 動物園の外に出ると、辺りは薄いオレンジ色に包まれていた。ルパンが腕時計を見る。

「それじゃあそろそろメシにすっかな」

 まだ帰らなくていい、夜はこれからという事実が、私を明るさで包んだ。そういえば、豪華なディナーだって言っていたっけ。

「どこに行くの?」
「すぐそこ」

 ルパンは親指で海沿いを指した。

「すぐそこ、って……海?船、とか?」
「そゆこと」

 ルパンはにっと笑う。

「クイーンヴィクトリア号でのディナークルーズ」
「クイーンヴィクトリア!?」

 私は思わず声を荒げてしまう。クイーンヴィクトリアと言ったら、超が付くほどの豪華客船。国の偉い人とか政治家とかお金持ちとか、そういう人たちが乗るような船だから、私なんて一生縁がないと思っていた。
 いや、でも、私は場違いなんじゃあ……。

「で、でも、この格好じゃ、……」

 私はついおろおろとしてしまう。アンクルパンツにシャツ、ローヒールのパンプス。これじゃあさすがに豪華客船には相応しくない。どうしよう、帰って着替える時間はあるのかな。ううん、でも家に帰ったところで、ヴィクトリア号に相応しい服装なんてない。どうしよう。

「大丈夫大丈夫。そこで着替えりゃいい」

 ルパンは近くにあった高級そうなブティックをさらりと指さす。いや、あんな高そうなお店に入れないよ……。
私が躊躇っていると、ルパンは気軽に私の肩を抱いた。私がどきりとしている間に、ルパンは私をブティックに連れて行く。

「ええ?いや、でも、」
「だーいじょうぶ、心配ご無用。もっちろん全部プレゼントですよ。この前の修復のお礼」
「ええっ?」

 ブティックに入ると、三十代くらいの女性がもてなしてくれた。
「これからディナークルーズなんで、そこに合うような服装を。悪いが二十分程度しか時間がない。予算に限りはなし。俺は煙草を吸ってくる」、 そう言い残して、ルパンは出て行ってしまった。
 突然の珍客に女性スタッフは一瞬だけ驚いていたけれど、すぐに笑顔を見せた。

「どうなさいますか?」

 どうしよう。こちらが聞きたい。

「あの……とりあえず……時間がなさそうなので、フォーマルに近いものでお薦めを」

 私はたどたどしく答えた。

 

 女性が見立ててくれたのは、濃いネイビーパープルの半袖のワンピース。ふんわりと丸みのあるタイトなスカートは   コクーンシルエットというみたい   膝丈。袖はひらりとフレアがかかっていて、首元はUネック。パールのネックレスをつけてもらった。靴は艶のある黒いパンプス。今度は少しヒールがあるもの。外に出ると夏とはいえ冷えるので、八分丈のボレロを持っていくことにした。明るいベージュで襟が丸く、緩やかにカーブしていて   ショール・カラーというみたい   裾は腰より上。バッグはチェーンのついたゴールドのハンドバッグ。ストッキングは黒。
 髪には緩くウエーブをかけてもらい、パールのイヤリングをつけて、チークとリップとアイシャドウをさし直してもらって、バタバタと二十分で整えることができた。
 ああ、目が回る。
 それでも、鏡を見た自分の姿は、別人かと思うほど整って見えた。これなら豪華客船も乗れる   かなあ。どうだろう、……。

「いかがですか?」

 と女性は訊いてくれたけれど、もう時間がなさそうだったので、たとえ不満があったとしても直している暇はなさそうだった。といっても気になるところは全然なくって、「別人みたいです」と素直に感想を言った。女性は満足そうに微笑む。
 そこに、ルパンが戻ってきた。ルパンもいつの間にか着替えていて、グリーンではなく黒のジャケット、赤いシャツ、アイボリーのタイ、という普段よりフォーマルないで立ちだった。いつもと雰囲気の違うルパンにどきりとしてしまう。黒と赤のコントラストがルパンに似合っていた。
 ルパンは私を見て、ヒュウと口笛を吹く。

「いいねえ」

 面と向かってそう言われて、胸がどきりと弾んだ。顔が熱い。

「そうかな……」
「ええ、よくお似合いですよ。どちらのディナークルーズに行かれるんですか?」

 女性が訊いた。ルパンが「クイーンヴィクトリア」と言うと、彼女は目を丸くさせる。

「ええっ、ヴィクトリア号に乗られるんですか!?」
「そ。お姉さん、サンキュー。チップは弾んどくよ」

 ルパンは札束を女性の手に乗せ、彼女はさらに目を見開いた。

「えっ、こんなに!」
「じゃ、急いでるんで」

 ルパンは私の肩を抱いて、そそくさとブティックを後にした。

 

(16.3.23)