二章:a little closer...11
ルパンと私は、シティレールに乗ってハーバー沿いにある植物園へと行き、近くのカフェで軽食をテイクアウトすることにした。ルパンはホットドッグを、私はサンドイッチ、ふたりともコーヒーを一杯ずつ。
シドニーの中心部にあるその植物園は、その名の通りたくさんの花や草木が植えられていて、美しい公園になっている。シドニーの高層ビル群と、オペラハウス、ハーバーに囲まれた庭園。まさに都会のオアシスといった雰囲気で、多くの人がのんびりと過ごしていた。ピクニックをする家族、楽しそうに談笑する友人のグループやカップル、ひとり気ままに食事を摂るビジネスマン、ランニングやウォーキングに励む人々。温かな日差しに包まれて、思い思いに過ごす人たち。
そういう浮足立った気持ちもあったけれど、不安もあった。だってこの公園は、よりにもよって、ルパンが先日盗みを働いた現場の近く。誰かが「ルパン三世だ!」なんて騒ぎ立てないか、初めは気が気でなかった。でも、ルパンに関心を払う人は誰もいない。ルパンが言っていたように、自分の周りにルパン三世がいるだなんて考えつかないのかもしれない。私だって、ルパンと知り合っていなかったら、まさか世間を賑わせる泥棒が近くにいるだなんて考えなかったと思う。
何より当のルパンが周りの雰囲気に馴染んでいて、自分の正体がばれてしまうだとか、まったく気にする様子がなかった。私も平然としていたほうがいいんだろうなと思って、心配するのはやめにした。
そう割りきってしまえると
この公園は、私のお気に入りの場所。晴れた日に、ここで食事をしたり、遊歩道を散歩したりするのがとても気持ちいい。まさかここでルパンとランチができるだなんて。楽しそうなカップルを見るたびに、ルパンが隣にいたらいいのにと何度夢見ただろう。それが、いま、ルパンが隣りにいる。草むらに座った私たちの間に柔らい夏の風が通り抜ける。のんびりとホットドッグを頬張るルパン。
これ以上の幸せは、もうやってこない気がした。
「シドニーには何度も来てるってのに、こうやってしみじみと街を見渡したのは初めてかもなあ」
ルパンは食後のコーヒーを飲みながら、ゆったりと言った。退屈していないか気がかりだったけれど、そういう様子はなかったのでほっとした。
「なかなか良いところだよね。ああいう都会的なビルもあれば、美術館や聖堂や、歴史的な建物もあるし、緑もあるし。不思議とそういうのがマッチしていて、不自然じゃないし」
私は緑生い茂る公園の向こうにそびえる高層ビル群を眺めた。
「そうだなー。でもには物足りないんじゃないのか?美術館だの博物館だのは多くないだろ?」
「うん、まあ、フィレンツェと比べちゃうと、ね。初めは恋しかったけど……今はシドニーも好きになったよ」
ルパンは木漏れ日を眩しそうに見上げていたけれど、私にそのままの視線を向けた。
「楽しそうだもんな、」
「そう……かな?」
「ああ。初めの頃はたまに思いつめたような目してたもんなあ」
そう
でも。ルパンと出逢って、ルパンの明るさに触れて、人と関わることの楽しさを知って
「そうだった……かも。でも、今は、……いろいろ状況が変わったし、やりたいことも見つかったし、楽しい……かな」
ルパンのおかげ。その感謝をしんみりと込めて、私は言った。
「そうだそうだ、大学生活はどうなんだ?ちゃあんと卒業できんのか?」
ルパンがからかうように訊ねたので、私は笑って答える。
「大丈夫……だと思う。今のところは」
「考古学だっけ、が勉強してんのは」
「うん」
「考古学って何すんの?遺跡の発掘とか?」
「そう。でも、歴史や遺跡の観察方法とか分析方法を勉強したり、遺物とか遺跡について考察したり、そういうことが多かったかなあ。実際の遺跡に調査に行けたのは数えるくらい」
「へーえ、すっかり学生やってるじゃねえか」
「あとはね、卒業研究に取りかかるところなんだけど、それがちょっと不安かなあ」
「卒業研究?」
「自分でテーマを決めてね、それについて研究して、論文を書くの」
「ほお、論文ね。俺には無縁のしろもんだな。で、の研究テーマとやらは?」
テンポのいい会話にのっとって反射的に答えそうになったけれど、はたと留める。ルパンに話したものかどうか。だんまりする私を見て、ルパンは眉を上げる。
「どったの?」
うーん、アレキサンダー大王が隠した財宝について調べていると言ったらルパンは興味津々だろうなあ。お宝と目の色を変えてくるかもしれない。でも、そんなふうに私が戸惑ってしまったのがよろしくなかったようで、ルパンは余計に関心を持ち出してしまった。なんだなんだと訊いてくるので、私は観念した。
「
「ヘレニズム、ってぇと……ギリシアと東洋文化が混ざってできたやつ、だっけか」
「そう」
私は短く答える。ルパンは懐から煙草の箱を取り出したけれど、すぐ側に『no smoking』と書かれた看板を見つけて、渋々内ポケットに戻した。
「シドニーはこういう公共の場所とか室内は禁煙が多いみたいね」
「おー、そりゃ健康になれそう」
ルパンは肩をすくめる。話をそらせようと思ったけれど、その前にルパンが言った。
「ヘレニズム
気のせいかルパンの目の奥がきらりと光った気がした。私はコーヒーに口をつけて、ルパンの目線には気づかないふりをして、「よく知ってるね」と頷いた。
「まあまあそりゃあねぇ、俺様博識だからさ。んで、アレキサンダーって言やぁさあ、ちゃん、前にアレキサンダー大王が隠したお宝がどうのとか言ってたよねーえ?」
ルパンの声のトーンが一段階明るくなる。ああやっぱり、ルパンも気になってたんだろうな。
「
「そりゃあ、な。あの大英雄がお宝を隠してたなんて興味あるじゃないの」
「あのときも言ったけど、あくまで伝説的なことだよ。アトランティスとかバベルの塔とか、まだ解き明かされてない世界の不思議、みたいな、その程度の話で」
「でも、完全にないとも言い切れないんだろ?」
「まあそうだけど……」
「伝説だろうが噂だろうが仮説だろうが。何でもいいから聞きたいなあ」
ルパンが無邪気な笑顔を向けてくる。
「もし実在しているとしたら、ルパン、盗むつもりでしょ?」
「さあどうかなー」
「盗まないわけがないよねえ。でもね、金銭的な価値以上に、歴史的価値があるものなんだよ。新たな事実とか歴史とか文化が発見されるかもしれないし」
「わかってますよ。じゃあさ、俺が見つけたら半分だけもらう、ってのは?」
「ほうら、やっぱり盗むつもりじゃない」
「最近さあ、面白い仕事がなくて退屈してんだよ」
「退屈っていったって、半分っていったって、世界の歴史に関わることなんだよ!」
「俺はね、歴史とか過去には囚われないの。“今”がいっちばん大事だろ?」
「そういう信念とはまた別の話でしょ!」
「んーじゃあ、……歴史的価値がありそうなもんだけ学者さんたちに返しますよ」
「うーん」
私ってば、なにを真剣に悩んでいるんだろう。アレキサンダーの発掘物をルパンが盗んでいいかどうかだなんて、私の独断で決めていいわけがないのに。
いずれにしても、アレキサンダー大王の財宝について、ルパンに話してもいいかもしれないと思いはじめてきた。ルパンなら何か手がかりを持っているかもしれない。ナイル川に沈んだ遺跡でさえ発見をしたルパンだから。
それに、私が何と言ったところで、ルパンは興味があれば盗むに決まっている。でも、ルパンが望んでいるのは、盗んだものそのものの価値よりも、盗む過程のスリルといったたぐいのもの。交渉すれば、発掘物は返してくれるかも、……。
私は小さく息を吐いて、口を開いた。
「
「なあんだ、の卒業研究ってやつは、それか。なんだかんだも気になってたんじゃないの」
ルパンにフィレンツェで語ったことがきっかけだなんて、癪なので言いたくなかった。ルパンを適当にあしらって、私は午前中にブライトン教授と話したことを語った。財宝はエジプトにあるのではないかということ。解読されていない文字があるということ。ルパンに促されて、先ほど先生にコピーさせてもらった資料を見せた
ルパンは壺と腕輪の写真を眺めながら、ふーんと呟く。
「見覚えがあったりする?」
「んー……いやー……ない気がする」
「そうだよね……。この文字が解読できれば、先に進めるんだけど。先生が言うには、ごく限られた場所でしか使われてなかったんじゃないか、って」
「手がかりは少ない、ってわけか」
腕を組むルパン。ルパンでさえ未知のものを調べようとしている。そもそも、先生だって二十年かかっても調べられていないことなのに。私はテーマの選択を間違ったかもしれない、と今さらながら不安が増してきた。歴史的な発見がしたいとか、先生の論文の情熱に感化されてとか、父さんとルパンに近づきたいとか、興奮でここまでやってきてしまったけれど。
「やっぱりこれで卒業論文を書くのは無謀、かなあ……」
私がぽつりと呟くと、ルパンは笑った。
「なあに弱気になってるんだよ。未知なるものを探り当てるのが考古学者、だろ?諦めてどうすんの」
うん、それはそうだけれど。まさかルパンに励まされることになるなんて、なんだか可笑しい。
「俺も今度エジプトに行ったら調べてきてやるよ」
「えっ、本当?」
「ああ。ただしのほうも何か掴んだら教えてくれよな」
「うーん……泥棒と共同作業か……」
「なーんだよ、優秀な調査員だろ、俺」
ルパンはニッと笑う。私も笑った。まあ情報交換くらいいいか。
「ルパン、泥棒はやめて考古学者になったら?」
「冗談。俺が学者になっちまったら世の中の先生方はみーんな廃業だろ?」
「そうかな」
ルパンと私は声を立てて笑いあった。私たちの笑い声はシドニーの高い夏の空に吸い込まれていくような気がした。
(16.3.13)