三章:The color of dawn...23





 撃たれた、と思った。一年前の記憶と重なる。あのときと同じ銃声。身体に突き抜ける痛み。
 一瞬、まったく同じ光景が頭の中に再現された。「!」と叫ぶルパンの声が聞こえる。ああ、ルパン、心配してくれたんだ   うれしいな   おぼろげにそう感じながら、痛みに胸を抑える   けれども、その幻は次の銃声であっさりと冷めた。目を開けると、そこにいたのはルパンではなく次元。次元が、撃った。そして撃たれたのは私じゃない。はっとして後ろを振り向くと、マイヤーの肩から血が吹き出していた。その手に握られていたはずの拳銃は、地面に落ちていた。

 マイヤーの顔は苦痛にゆがめられ、肩を抑えていた。足元に手を伸ばし、銃を拾おうとしたところで、もう一度銃声。マイヤーが拾い上げようとしていた銃が弾き飛んだ。次元が銃口をマイヤーに向けて、ゆっくりと近づいてくる。

 マイヤーは歯を食いしばりながら次元を睨みつけていた。けれども、銃を向けられて観念したようにも見えた。私はほっと肩の力を落とした   でも、甘かった。マイヤーは私の持つ銃に手を伸ばしてきた。放心状態だった私は、対応できなかった。しまったと気付いたときには、さらにもう一度甲高い銃声。次元が放った弾は、今度はマイヤーの脇腹に当たった。マイヤーはのけ反り、地面に膝をつく。その腹部からも血が流れ出た。次元は私に近づいてきて、手を差し伸べてくれた。すっかり腰が抜けてしまっていたけれど、その助けを借りてなんとか立ち上がる。次元は私をかばうようにして私の前に立ち、マイヤーに銃を向けた。
 マイヤーは傷口を抑えながら、険しい表情で次元に目を向ける。彼の傷は深そうだった。シャツがみるみるうちに赤く染まってゆく。

「俺の負け、ってわけか……」

 自嘲気味に笑うマイヤー。声には先ほどまでの力強さはなかった。なのに、くっくっく、喉の奥で笑い声を立てる。今度こそ本当に観念したと思った。もうどうしようもない状況だもの。でも、マイヤーは傷口に当てていた手を素早く下に動かし、シャツのポケットに手を入れた。そこには小さな筒のようなものが握られていた。なんだろうと認識する間もなく、彼はその筒の先端を親指で押した。カチッという音の後、間髪入れずにバン、という大きな音と爆風が後方で鳴り響く。驚いて振り向くと、火柱が上がっていた。薄暗かった室内が、一気に明るくなる。

「出入口はあそこ一か所しかねえ」

 マイヤーの声に振り返ると、彼は大量の汗と血を流しながらも、深い笑みを浮かべていた。次元は舌打ちする。

「爆弾を仕掛けてやがったのか」
「万一のときのために、な。これでお前も俺もここで終わりさァ」

 火は周りの木箱に燃え移って、勢いを強めていく。むっとした熱気。赤々と立ち上る炎。うそでしょう   。どうすればいいのか思考が回らない。出入口は一か所。そこは炎で塞がれてしまっている。しかも、倉庫の中には燃えやすそうなものばかり。木箱の中身は紙類だった。絶望的。もうだめかもしれない。ただその言葉が頭を巡る。
 今まで悪い状況がなんとか好転してきた。だからまた奇跡を信じたいけれど、これじゃあ、もうだめ   
 ここで死ぬのかなあ、私、……。

「逃げるぞ!」

 放心していると、次元が私の腕を強く引いた。そのまま駆け出す次元に、引きずられるようにして後を追う。次元は地面に落ちていたマイヤーの銃を拾い上げ、マイヤーに一瞥をくれて倉庫の後方に向かった。マイヤーは傷の痛みからか、諦めからか、その場に腰を下ろして笑っていた。

「ムダだよ!お前も俺もここで死ぬのさ!」

 マイヤーの高笑いが響き渡る。後ろからごうごうと燃え盛る火の気配を感じた。すごく恐ろしいものに追われているような焦り。足がもつれそうになるのを必死で踏ん張った。ここで転んだら、炎に呑まれてしまう。
 木箱の山を抜けて行くと、行き止まり。ずっしりとした煉瓦の壁が目の前を塞いでいる。左右を見回しても、同じ。かなり高い位置に窓があったけれど、とても届く高さではない。ああ、やっぱり、だめなのか……。

「どうしよう……」

 泣きそうな声になってしまう。けれど、次元は冷静に「ぶち開ける」と言った。隣を見ると、次元は銃に弾を込めながら、壁との距離を開けるように後ろに下がっていく。

、お前も下がってろ」

 次元は顎で自分の後方を指す。私は頷いて、次元の背中に回った。もう炎の勢いはすぐそこまで来ている。暑くて暑くて汗が滝のように流れる。煙で目と喉と鼻が苦しい。
 次元は私が引くのを見ると、すぐに引き金を引いた。銃弾が飛び出す。弾かれるかと思いきや、煉瓦の壁に当たり、爆発した。もう二発、次元は撃つ。爆風と爆音で目も耳もくらんだ。私の前に立つ次元も、片腕で顔をかばうようにして爆風を防ぐ。それが収まると、ひんやりとした涼しい風を感じた。目を開けると、煉瓦の壁は崩れ、人が通れるほどの穴が開いていた。
 やった。心臓を鷲掴みにしていた恐怖から、解放されたような心地がした。絶体絶命の状況に明かりがさす。

「急ぐぞ」

 次元は短く言って、その穴に向かった。燃え盛る倉庫の中には、依然としてマイヤーの笑い声が響き渡っていた。炎に呑まれてもなお笑い続けていたのか。それとも、ごうごうと燃え盛る火の音が、笑い声のように聞こえていただけかもしれない。

 

 外に出ると、朝日が昇ろうとしているところだった。空が薄っすらと明るみを帯びて、薄い青色に染まっている。
 倉庫を振り返ると、もくもくと煙が昇り、窓がパンッ、と割れた。
 助かった   。脱力してその場に座り込んでしまいそうになるのを、次元が急かした。

「ゆっくり歩いてる暇はない。警察だのなんだのが来る前に、行くぞ」

 早足で歩く次元についていくと、セダンタイプの水色の車のもとにたどり着いた。乗るように促されて、助手席に滑り込む。次元も運転席に乗るや否や、エンジンをかけ、車を走らせた。港近くの倉庫街を抜け、一般車道へと入る。そこで、サイレンの音が鳴り響いた。消防車とすれ違う。異変を察して駆けつけたのだろうか。呼び止められることなどなく、通り過ぎてゆく。

    終わった……。
 私はふうと長い息を吐いて、シートに深くもたれかかった。

   悪かったな」

 次元の静かな声。目を閉ざしていた私はゆっくりと開けて、次元のほうを向いた。

「どうして次元が謝るの?」
「お前を巻き込んじまった」

 次元は前を向いたまま答える。
 返す言葉がすぐに見つからなかった。たしかに、マイヤーが私を次元の恋人だと勘違いをしたせいで、私はこんな目に遭った。でも、次元を恨む気持ちは少しも湧いてこない。むしろ、私が話を面倒な方向にしてしまった気がして、申し訳なかった。私は首を横に振る。

「あの人が勝手に勘違いしただけだし……あのとき、あのバーで、素直に送ってもらえれば良かったんだよね、次元に」

 重苦しい雰囲気が流れ始めていたので、私は少し明るいトーンで言った。でも次元は「いや」と答えたきり、押し黙ってしまった。
 “巻き込んだ”   私は、自分のひざ元に目を落とした。そこには、なんとか抱えて持ってきた私のバッグと、マイヤーから渡されて持っていた銃。これで次元を撃てと言われた。この引き金を引いたら、弾が飛び出して、人が死ぬ。このちっぽけな鉄の塊で、そういうことができてしまう。次元がいるのはそういう世界。必要があれば、人を撃つ。人も   殺す。次元も、そしてルパンも、五エ門も、不二子さんも、そういう世界を生きている。私とは決定的に違うところにいる。
 はっきりと、次元と私の間に線が引かれているのを感じた。今のこの沈黙には、そういう重さがあった。次元はこれを機に、私とは会わないと考えているかもしれない。命を狙われるなんて、あんな思いはもう二度と味わいたくないけれど、でも   次元と会えないのは、とてもつらい。
 それに。次元は今回のことを、ルパンに話すだろうか。そうしたらルパンは、どうするだろう、……。

 

 次元はシドニーの中心部から少し離れた駐車場に、車を停めた。盗んできた車だったらしいので、それで街中を走るのはまずいのだという。バーで伝言を聞いて、すぐに駆け付けてくれたのだとか。
 知っている場所だったので一人で帰ることもできたのだけど、事の後だったので、「送る」と言ってくれた次元に素直に従うことにした。
 私は次元に銃を渡した。少し肩の荷が下りた心地がする。
 街はすっかり動き出していた。会社に向かう人や車が少し落ち着きつつある時間帯。
 次元と何を話せばいいのかわからなくて、気まずいまま歩いた。ショックを受けて弱っていると思われてしまうと、次元がますます私から離れていってしまう気がしたけれど、明るく話をする気力はなかった。
 とにかく今は、帰って休みたい。シャワーを浴びて、ベッドに横になりたい。
 本当に、疲れた   
 ぼんやりと歩いていると、「あら」という高い声が聞こえて、顔を上げた。声の主に、驚いて立ち尽くしてしまった。
 目の前にいたのは、不二子さんと   ルパンだった。

 

(16.7.8)