四章:Blues in March...38






 ルパンにロープを手渡すと、慣れた手つきで男二人を縛り上げ、バルコニーの柱に括りつけた。これで身動きが取れなくなったわけだけれど、ルパンはこの二人をどうするつもりだろう。あと、地下に閉じ込められているマルカーノたちも。

 気がつくと、夜が明けていた。柔らかな朝陽がリビングの中に入り込んでくる。長い夜だった   。急に、身体がぐっと重くなる。身も心も疲れ果てていた。本当に、長い夜だった。もう二度と朝が来ないんじゃないかと思った。

   じいさんを埋葬してやるか」

 ルパンが静かに言った。私は小さな声で「うん」と答えた。





 ルパンがエミリオさんを運び、私は納屋にあったスコップを持って外に出た。コテージの外には、澄んだ青い空が広がっていた。うっすらと浮かぶ白い雲。優しい日差し。春の訪れを告げるかのような、冷たい中にも温かさのある風。ルパンの背中。グリーンのジャケット。
 不意に、胸がぎゅうと締めつけられる。
 エミリオさんが生きていたのなら。カプリの春空の下で、ゆっくりと話がしたかった。あのコテージのリビングで、春の日差しを浴びながら、一緒にお茶を飲んで。ルパンやルパンのお祖父さんの昔話を聞きたかった。

 それはもう、叶わない。二度と。

 ルパンは、コテージからすぐ近くの海の見える場所に、エミリオさんをそっと下ろした。グリーンのジャケットを脱いで私に手渡し、代わりにスコップを受け取る。黒いシャツの袖をまくって、一心に穴を掘った。私はその間に、コテージから濡れたタオルを持ってきて、エミリオさんの顔を丁寧に拭いた。
 穏やかな顔。発作の苦痛からは開放されたようなその安らかな顔に、少しだけ心が救われる気がした。
 でも、エミリオさんは呼びかけても、もう言葉を返してくれることはない。エミリオさんの魂はもう、ここにはない   

 穴を掘り終えたルパンは、エミリオさんを抱え、その中にゆっくりと下ろした。ルパンは黙祷し、私もそれに倣う。

 どうか、安らかに。
 エミリオさんの愛したこの地で、ゆっくりと眠りにつくことができますように。

 そうとしか、声をかけられなかった。本当は、逝かないでほしかったと言いたかった。でも、それを告げてしまったら、せっかく安らかに眠るエミリオさんの魂が、どこにも行けなくなってしまうような気がした。

 私が目を開けると、ルパンはじっとエミリオさんを見つめていた。そして、私に気がついて少しだけ微笑み、エミリオさんの身体に土をかけてゆく。
 父さんもお祖父ちゃんも火葬だったから   土葬というのは、はじめてだった。今にも息づかいの聞こえてきそうなエミリオさんに、土をかけ、埋めてゆく。不思議な気持ちだった。それに、気持ちがついていかない。踏ん切りがつかない。エミリオさんがまだ生きているような気がしてしまう。

「苦しいぞ、やめんか!」

 そんなことを言いながら、エミリオさんが起き出すことをかすかに期待したけれど、当然そんなことが起こるわけもなく。エミリオさんの身体にはどんどん土がかけられていき、やがて見えなくなった。
 ルパンは、どういう気持ちでいるのだろう。傍観している私でさえ身が切られるような思いなのに、エミリオさんを穴に埋めていく当のルパンは、どれほど辛いのだろう。
 目をそらしたかったけれど、気持ちに区切りをつけるためにも、エミリオさんに土がかけられる一部始終をしっかりと胸に焼きつけるようにした。それに、もっと辛い人が横にいるのだから。
 やがて、ルパンは完全に穴を塞いだ。

「ちょっと待ってろ」

 ルパンはそう言ってスコップを投げ捨て、コテージに向かった。すぐに、酒瓶を持って戻ってくる。穴を埋めた場所に屈んで、コルクを開け、土の上に注いでいった。中身がすべて空になると、その瓶をそのまま土の上に突き立てる。

   エミリオが好きだった酒なんだ。よくここでじいさまと飲んでたなぁ」

 ルパンは昔を偲ぶように語りだす。

「フィレンツェの年代もんでよ。じいさまが死んじまった後、エミリオはちびちび飲んでやがったな」

 瓶のラベルを見ると、赤ワインのようだった。ルパンは屈んだまま、じっとその瓶を見つめている。

「昔   エミリオとじいさまは組んでたんだよ」
「えっ」

 エミリオさんとルパンのお祖父さん   ルパン一世が、組んでいた?エミリオさんも泥棒だった、ということ?

「ああ見えて、エミリオは腕の立つ金庫破りだったんだぜ。じいさまと“仕事”をすることも多かった。ふたりで結構な無茶もやったらしいな」

 ルパンは遠い目をして笑う。
 驚いた。エミリオさんも盗みを働いていたなんて。あの温厚そうなエミリオさんが。

「んだが、エミリオは女に惚れて、結婚するってんで泥棒稼業からは足を洗った。夫婦でカプリここに移り住んだ矢先、嫁が病気で死んじまって   それからはずっと一人だ」

    ルパンがこうして思い出話を長々と話すなんて、珍しい。過去は振り返らない人なのに。
 ルパンはふう、と息を吐いて、続けた。

「じいさまは、ここを気に入ってちょくちょく足を運んでな。このコテージを建てて、エミリオと酒を飲んだり、“仕事”の相談なんかしたりな。で、あの地下室を作って、盗んだお宝を気まぐれに置いていったわけよ。そん中には、昔じいさまとエミリオが盗んだお宝もあったからな。金銭価値以上に大事なもんだったんだろ、エミリオにとっては」

 そうだったんだ……。早い時期に奥さんを亡くしてしまったエミリオさん。ルパンのお祖父さんやルパンのことを、さぞ大切に思っていたんだろうな。
 本当に、もっとたくさんエミリオさんと話がしたかった、と思った。ルパンのことも、ルパンのお祖父さんのことも、エミリオさんのことも聞きたかった。
 けれど、もう、どうしようもない。どんなに泣いても足掻いても、エミリオさんは言葉を発することができない。“死”とはそういうものだった。無慈悲な悲しみ、喪失感。そして、けっして取り返せない後悔が突きつけられる。父さんとお祖父ちゃんのときと同じだった。この苦しみは、時間が少しずつ少しずつ癒やしてくれるのを待つしか、方法がない   
 エミリオさんが最後に言ってくれた言葉。「お嬢さん、ありがとう」   その言葉が、少しだけ救いだと思った。私がルパンに伝えたことは、エミリオさんの役に立てたんだ。最後に、エミリオさんは喜んでくれた、……。そう思うことで、小さな慰めになった。
 鼻の頭がツンと痛む。でも、泣いてはだめ。私なんかよりも、エミリオさんと親しかったルパンが涙を見せていないのに、私ひとり、泣けない。
 ルパンは、悲しみの表情を見せなかった。ただただ、遠い目をしていた。そのことが余計に胸が締めつけられる。
 私は何も、ルパンにかけるべき言葉が見つからなかった。目を閉じて、三月の冷たく柔らかな朝陽をまぶたの裏に感じていた。

 

(17.1.26)