六章:Presto Transition...45





 ベルモンドとの交流パーティーは、ベルモンドが展開するホテルの小ホールでおこなわれることになった。
 午後七時、十五分前。会場にやって来たマリアと私は、係員に案内されてホールへと入る。そこには、すでに先生や何人かの調査メンバーの姿もあった。ベルモンドの関係者はまだいないようで、数人のウエイターが料理の準備に忙しく奔走していた。
 “パーティー”と名のつくものに参加するのは何度目だろう。毎度のことながら慣れないな、と胸の中で息を吐く。ネイビーのワンピースドレスの裾をきゅっと掴んで、手のひらに浮かんだ汗を拭った。
 小ホールと言いつつ、広々とした室内。天井には豪華なシャンデリア。ヒールの下には厚さが感じられる絨毯。美しい模様が縫われた重厚そうなカーテン。値のつきそうな絵画や骨董品。長方形のテーブルの上には、美味しそうな料理の数々が並んでいる。
 見知った顔ぶれが多いはずなのに、正装に包まれたいつものメンバーにはどこか緊張感が漂っていた。
 開始時刻の七時が近づいてくるにつれて、メンバーも集まってくる。その中にはマッシュの姿もあった。あの食事の日以降、どこか気づまりを感じてしまっていて、マッシュの顔から視線をそらせる。まともに目が合うのが怖かった。
 マッシュはマリアと私の姿を見ると、目を細めて手を上げたけれど、先生たちが集まるほうに歩いて行ってしまった。

「いつもなら、“綺麗だね、君たち”なんてこっちに来るのに、ね。よっぽど傷心なのかしら?」

 マリアが意地悪っぽく私を見る。なんとなく事情を察しているマリアは、私に気を遣わせないように、あえてあけすけに言ってくれているのだと思う。私も苦笑して答えた。

「もう……そんな目で見ないでよ」
「ふふ、ごめんごめん   あ」

 ぺろりと舌を出したマリアは私の背後に視線を滑らせる。私もつられて振り返ると、一人の女性が会場に入って来るところだった。ブロンドのショートカットに、ワインレッドのスーツ。タイトスカートからすらりと伸びた足を迷うことなく動かし、颯爽と部屋を横断していく。とても華のある人だった。会場の雰囲気が変わったような気がする。彼女の周りだけぱっと明るくなったような。
 彼女がジュディ・ミラーだ。雑誌で写真は見ていたし、実物も、一度だけ遠巻きに見たことがある。   ヴィクトリア号の屋上デッキで。あのときは暗がりではっきりとは見えなかったけれど、明るい照明の下で見ると、やはり美しい女性だった。とてもじゃないけど五十代には見えない肌のツヤやスタイル。美しいのと同時に、格好いい。凛とした横顔にいつまでも見惚れてしまっていた。
 私は、こんな人を他に知っている。
    峰不二子さん。同性から見てもうっとりしてしまうほどの美貌。可愛らしさも美しさも、強さも妖麗さもある。逆立ちしたって私にはなれないような人、……。
 隣のマリアも、「写真より断然綺麗な人だね」とぼんやりしている。
 ミラー氏は会場の前方へと赴き、演台にすっとたちマイクを握った。

「定刻ですし、そろそろはじめても良いかしら?」

 会場は静まり返り、誰もがミラー氏に注目する。

「シドニー大学のみなさん、はじめまして。ベルモンド副社長をしています、ジュディ・ミラーです。まずは、ご多忙な中オファーに応じてくださってありがとう。ここにいる弊社のスタッフは、社内でもたいした役職の人間ではないから、どうぞリラックスしてください」

 ははは、という笑いが漏れる。辺りを見回すと、研究室のメンバーの他、見慣れない男性や女性が十数人会場に混じっていた。

「今まで顔を出せずにごめんなさい。正直に言うと、みなさんがこれほど大きな成果を出してくださるとは思わなかったの。もちろん、地元の学生だから支援したいとは思っていたのだけど」

 下手に言い繕われるより好感が持てるなと思った。ベルモンドに何かあるのでは、と疑っているマッシュはどう感じているだろう。 

「じつは、私も昔、ヘレニズムやアレキサンダーの謎を追っていたことがあってね。手がかりを見つけられず、雲をつかむような話だと実感していたから、今回も難しいのかもしれないと考えていました」

 ミラー氏もアレキサンダーの研究をしていたなんて。私はマリアと「そうだったんだ」という視線を交わした。研究室のメンバーにも、社員たちの間にも、同じような反応が起こっている。
 二十年前、“大王の遺産が隠されている”という手記が見つかったときは、歴史関係者も素人も調査に乗り出したのだという。一時期ブームのようになったそうだから、ミラー氏も興味本位だったのかもしれない。

「けれど、このたび新しい文字の解読に成功したとか。本当に素晴らしいことです。歴史的な発見への大きな一歩を踏み出したのだから。そんなみなさんにいろいろ聞かせて頂きたく、この場を設けました。どうぞ楽しんで頂くと同時に、我々に素敵なお話を聞かせてくださいね」

 ミラー氏はそう結ぶと、ウエイターにシャンパングラスを配るよう指示した。そして、グラスを掲げ、微笑む。

「偉大なるアレキサンダー大王に」

 乾杯、という声が会場内を埋め尽くす。シャンパンをくいっと喉に流すと、上品な香りがふんわりと鼻を包んだ。
 ベルモンドが資金提供をする背景には裏がありそう。マッシュの言葉が脳裏をかすめるけれど、今のミラー氏の言葉からはそういう後ろめいたものは感じられなかった。
 むしろ、情熱を感じた。そう   先生と、同じような。

 

 それ以降は、先生がベルモンドへのお礼のスピーチをおこなっただけで、形式張った挨拶はなく、和やかな雰囲気でパーティーが進んでいった。
 ミラー氏やベルモンドの社員   営業や広報、マーケティングといった部門の人たち   と、料理やアルコールを片手に談笑する。料理はこちらのホテルのシェフがこの会合のために用意してくれたものだそうで、とても美味しかった。
 私も何人かの社員の人と話をした。もっとも、研究のことはそれほど興味がなさそうな印象だった。他のホテルで気になったブランドがあれば教えてほしいとか、あったらいいアメニティはあるかとか、そういう話で。ホテルの経営に関わるような人たちだから、自然とそういう話になってしまうのだろう。
 今まで参加してきたパーティーよりも、今回は一番肩を張らなくていいな。なんて考えていたところで、ふとブライトン教授と目が合った。先生はにこりと笑って私を手招きする。その向かいにいるのは、ミラー氏。
 なんだろう。
 すっかりリラックスしつつあった私は、胸の鼓動が少し早くなっていくのを感じた。マリアはお手洗いに行っており不在だったので、私はグラスをテーブルに置いて、先生のもとへ向かった。

 

(17.4.13)