六章:Presto Transition...47
先生とミラー氏と別れた私は、マリアの姿を探す。普段とは異なった正装に身を包んだメンバーや、見知らぬ顔ぶれが多い中、マリアの姿はなかなか見つからない。私がきょろきょろしていると、すっと近づいてくる人影があった。マッシュ、だった。
「ミラー氏と何か話した?」
マッシュはシャンパングラスを渡してくれる。私は「ありがとう」と受け取って、首を横に振った。
「特に、これといっては何も。女性にはがんばってほしいとか、研究をはじめたきっかけとか、そういう話」
「ふうん」
マッシュは眉を寄せる。かと思いきや、私の腰に手を回して、ミラー氏たちに背を向け壁のほうへと歩き出した。
「っ……マッシュ?」
突然近づいたぬくもりに、心臓が跳ね上がる。
「ごめん。でも、このまま親密なふりをして。振り向かないで、そのまま聞いて欲しい」
マッシュはまるで恋人にそうするかのように私を引き寄せ、壁際まで歩いていった。
「視線を動かさないで、聞いて」
態度とは裏腹に、マッシュの声には甘さがない。真剣な色を含んでいて、私の胸のざわつきもすぐに消えていった。
「さっき、トイレに行くときに……ベルモンドの社員たちが立ち話しているのを聞いてしまってね」
マッシュの表情は柔らかい。傍から見れば、親密なふたりが会話をしている、としか見えないだろう。私もなるべく自然に振る舞うよう努力した。
「僕らへの投資は、ミラー氏が強引に決めたものらしい」
「ミラー氏が?強引に?」
「ああ。他にも有益な活動をしている学生や団体は多いのに、夢物語のような研究をしている僕らに、なぜミラー氏は投資するのか。そう疑問を持つ社員もいたらしい」
マッシュはあからさまにミラー氏を警戒しているようだった。ううん。警戒、というより、あまり好ましく思っていないような。マッシュが女性に対してここまで嫌悪感を持つことは珍しい。
私は、シャンパングラスを意味もなくゆらゆら揺らしながら、「うーん」と唸った。
「あの人は、昔考古学者になりたかったんだって。だから、個人的に思い入れがあったんじゃない?アレキサンダーの研究もしていたと言っていたし」
「そうかもしれない。でも、僕は、何か引っかかるんだ」
マッシュはシャンパングラスに口をつけ、くいと中身を飲み干す。
「それにさ……先生とミラー氏、何か親しげじゃないか?」
先生たちに視線を向けようとして、踏みとどまる。
たしかに。ミラー氏は先生をファーストネームで呼んでいたし、ふたりにはどこか話慣れたようすがあった。
「そう……かもしれない」
「そうだろ?先生とミラー氏が個人的に親しいから投資をしていたという可能性もあるだろうけど、それよりも、何か裏がある気がしてしまってさ。ミラー氏に」
「そう……かな?仕事ができて、頭の回転は早そうな人だけど」
「うん。僕らのことも、のことも、どこか値踏みするような目線があった気がするんだ」
そう、だろうか。マッシュが気にしすぎているだけじゃない?と言おうとしたけれど、ミラー氏の視線の鋭さには思い当たることがあって、考え込んでしまった。
「記者の端くれだからさ、僕は。何かあると疑いたくなってしまうんだろうな。それに、うちの会社……ライカート社のスポンサーの申し出をふいにされた妬みも、実はあるのかも」
マッシュは苦笑しながら言った。こういうふうに、自分にとってマイナスな情報も素直に話してくれるのは、マッシュの良いところだと思う。
「でも、も少し気をつけてみてくれよ。本当は、君がミラー氏と話す前に伝えられたら良かったんだけど」
「うん……そうしてみる」
「じゃあ、今度は僕がミラー氏と話してくる」
そう言い残して、マッシュは私から離れて行った。私は、遠目からさりげなく、ミラー氏と先生とマッシュが話しているようすを見守る。
ミラー氏の目線。微笑む顔。値踏みするような目線……あるだろうか。遠くからではよくわからなかった。
私がぼんやりしていると、マリアがやって来る。
「マッシュと仲直りしたの?」
「仲直りって……べつに、喧嘩をしていたわけじゃ」
「そう?ふたりともよそよそしかったもの。でも、仲直りを通り越して、急接近したみたいね?」
「そんなんじゃないよ」
腰に当てられたマッシュのぬくもりを思い出し、顔がほてる。何にせよ、マッシュと元の通りに話せて良かった、とは思う。ミラー氏に感謝してもいいくらい。
「マリアはミラー氏と話した?」
「うん。そばで見るとますます綺麗な人よね。あんなふうに年を取りたいな」
「たしかに、綺麗だよね。それで、どんな話をしたの?」
「うーん……話というよりも、いろいろ質問しちゃった。人生の目標とか、スタイルを保つ秘訣とか」
「へえ」
「毎日ジムに通ってるんだって。残業は基本的にしない。時間内に効率よく仕事を片付けるようにしている、って。あと、男性を見返したいんだって。ミラーさんが若いころ、女性は今ほど社会進出していなかったから、辛いこともあったみたい。それがバイタリティになっているって言ってた」
男性を見返したい、か。たしかに、何十年前は女性にとっては厳しい社会だっただろうな。
「は?何を話したの?」
「うーん、ミラーさんは本当は考古学者に憧れていたとか、女性の考古学者は応援したいとか」
「へえ、意外。でも、思っていたよりも親しみやすくて、優しそうな人だよね」
マリアの言葉に、「そうだね」と頷きつつ、マッシュの言葉が引っかかっていた。
親しみやすくて、優しくて、美しい女性、ジュディ・ミラー。あの笑顔には、裏があるのだろうか。じつは、お金の亡者だとか。じつは、今回の投資もビジネスのどろどろとしたものが背景にあったりするとか…?
まさか。マッシュの考え過ぎだろう、と思いつつ。ミラー氏の強い瞳が脳裏によぎる。まっさらな白い紙の上に、ぽつりと黒いしみが広がっていくような、すっきりとしない気分があった。
夜九時。何ごともなくパーティーが終わり、まだ飲み足りないというメンバーで二次会に行くことになった。先生は用事があるとかで参加せず、他のメンバーは全員行くというので私も参加したのだけど。
二次会のお店は、マッシュお薦めのバーで
私は、疲れもあったし、一杯だけ飲んで退散することにした。一緒に帰ろうかというマリアや、送っていこうと言ってくれたマッシュを、「タクシーで帰るから大丈夫」「明日早くに予定があるから」などと断って、一人店を出た。
マリアとマッシュにはああ言ったけれど。夜風に当たりながら、歩いて帰りたかった。料理を食べすぎてしまったので、カロリーを消費したかったのもある。今日はいろいろなことがあったから、歩きながら考えを整理したかった。研究のこと。ミラー氏のこと。マッシュのこと、……。これから、どうなるんだろう。
九月。春を迎えたシドニーの夜風は、冷たさの中にも柔らかな温かさがある。とはいえまだ少し冷えるので、ワンピースドレスの上にベージュのスプリングコートを羽織り、花柄のストールを巻きつけて歩いた。
ふと、黒いオープンカーが道の端に停まった。この時期にオープンカーなんて珍しい、……。
「えっ」
驚いた言葉は音にはならず、無声音のまま口から出た。その車に乗る人物の後ろ姿に、ぴたりと足が止まる。私がよく知る人の後ろ姿に、とても似ていた。
でも、そんな、まさか。うそだ。ありえない。
漆黒の車に乗った人物は、ゆっくりと振り返る。それは
(17.4.26)