六章:Presto Transition...48
どうして。どうして、次元が、ここに。
頭の中ではどうして、という言葉が歯車のようにぐるぐると回っていた。どうして、という問いの答えは見つけることなんてできないのに、その言葉が長い間リフレインされていた。
次に思い至ったのが、見間違いかもしれないということ。次元と一緒に行ったバーからの帰り道で、次元のことを考えていたから、似たような特徴の男性と見誤っているのかもしれない。でも、何度も目を瞬いてみるけれど、帽子を深々とかぶった男性の姿は、紛れもなく次元だった。
「おい」
次元は低く切り出す。すっかり固まってしまっていた私は、びくりと肩を震わせた。
「乗れ。話がある」
帽子の陰になって次元の表情がよく見えないけれど、声のようすから明るい顔は浮かべていないことはわかった。私がまったく動かないからかもしれない。久しぶりの再会を喜ぶようにも、まったく思えなかった。
今、次元は、車に乗れと言った。話があると。私に会いに来たというの?でも、私とは会わないように決めたんじゃ……。いや、違う。会わないと決めたのは、次元ではなく。
「聞いてるのか?さっさと乗れ」
「あ、うん、」
次元の声に我に返る。いよいよ不機嫌そうになってきた声音に、慌てて助手席へと駆け込んだ。私が乗るやいなや次元は車を走らせ、私は慌ててシードベルトを締めた。
二人乗りのオープンカーの座席は広くなく、鞄を膝の上に載せた。次元との距離が近く落ち着かない。次元の、ギアを握る手が、すぐそばにあった。近いと意識してしまった瞬間、心臓がどくどくと鼓動を立てる。そのくせ、なぜか次元の手から視線が離せなかった。ギアを動かす手つきが、ルパンに似ていた。煙草のにおいも。
早鐘のように動いていた心臓が、握りしめられたように痛んだ。
「寒くないか?」
次元は小さく訊ねる。私がエアコンを見ていたと思ったのかもしれない。次元の手からさりげなく視線を外しながら、私は「大丈夫」と答えた。
オープンカーとはいえ、フロントガラスが大きいのと、暖房がついていることもあって、暖かかった。暖かい車内に、わずかに感じる冷たい風。心地よかった。
話があると言ったわりに、次元は黙り込んでいる。沈黙が、気まずい。私のほうに視線を向けるようすもない。
黙られると、余計に次元のギアやハンドルさばきに目がいってしまって、いろいろなことを思い出してしまいそうになる。もう会わないことになったルパンと私のことを、次元は聞いていないのだろうか。
私から話しかけるべきかな。でも、いったいなんて?元気だった?どうしてここにいるの?話って何?そんな言葉が頭をかすめては、消えていった。
五エ門やルパンは元気?ルパンから、何か聞いてないの?
それらの問いも、やめた。ただでさえ次元と会ったことで胸がざわざわしているのに、自分からルパンの話題を振りたくはない。
「おまえ」
車が繁華街を抜け、喧騒が落ち着いてきたところで、次元が口を開いた。
「女がこんな時間で一人でうろつくな。おまえの仲間は女を一人で帰らせるような輩なのか?」
次元の言葉に引っかることがたくさんあって、すぐに答えられなかった。次元は相変わらず前を見続けたまま、車を走らせている。とりあえず、“仲間”の弁解をすることが先かなと思った。
「え、えっと……マッシュ
次元はあからさまに大きなため息を吐く。
「おまえな、大人しく送られてろ。危機感がなさすぎるぞ」
明るいところなら大丈夫かと思って。そう反論しようとした言葉を呑み込む。以前、次元に大人しく送られなかったから、危険なことに巻き込まれたのだった。
「そ……だね。軽率だった。ごめん」
日本暮らしが長かったせいか、明るい夜道なら大丈夫という安心感が根底にあるのだと思う。ニューヨークでも、イタリアでも、夜に女性だけで行動するのはやめたほうがいいと学んでいたのに。シドニーはニューヨークやイタリアよりも安全、なんて考えてしまっていた。
顔を伏せる私に、次元は煙草をくわえ、火をつけた。
「まあ、今日のところは俺が拾ってやったんだ。次からは気をつけるんだな」
「……そうする」
次元は女の人が苦手だといいつつ、優しい。基本的にはクールだけど、さりげない優しさがある。もしかして、話というのはこのことだったのかな。私が一人歩きをしているのをたまたま見つけて、注意をしに来てくれた…?
「あの、次元。もしかして、話っていうのはそのこと?」
次元は、首を横に振る。
「いや、違う」
次元は煙草の煙をふうと長く吐いてから、言った。
「アレキサンダーの件だ。おまえに、警告をしに来た」
(17.5.12)