七章:the Valley of the Spirit...56





 翌日は、体調不良のマッシュとアーチャーに代わり、ミラーの言葉通り彼女と三人の護衛も調査に同行した。マッシュはミラーが調査に同行するなんて、と熱にうなされながら呟いていたけれど、ガイドさんは綺麗な女性が来たとミラーを歓迎していた。ミラーが雇った男のひとりは本社との連絡係だということでシワに残っていた。

 今日はシワから一番近くの集落へ向かう。アーチャーとマッシュがいない代わりに、ミラーと護衛の男たちも聞き取りに回ったが、この日も目立った成果はなかった。あいかわらず部族の人たちの態度は冷たい。
 ミラーも現実を理解してくれただろうか、と思って彼女の顔を盗み見ると、ミラーはなぜか満足げな表情を浮かべていた。成果がなければシドニーから他のメンバーを招集することになる。ミラーの思惑通りになることが嬉しいのかもしれない。


 シワのホテルの自室に戻って、私はベッドに身体を投げ出した。シャワーを浴びる気力も出てこない。暑さや生活環境の違いで、私の身体にも疲れが回っていた。でも、父さんの美術商という仕事柄、子どもの頃から各国を飛び回っていたおかげか、環境への順応は比較的耐性がついているのかもしれない。だから体調を崩さずに済んでいるのだと思う。

 エジプトは父さんも来たことのない国だった。父さんがいたら、あちこちに埋もれている美術品にさぞかし目を輝かせていただろうな。そう考えると胸がちくりと傷んだ。

 そのとき、コンコン、と扉がノックされる音に身体を起こす。「はい」と返事をすると、「少しお話をしない?」という声が返ってくる。
 声の主は、ジュディ・ミラーだった。私は顔をこわばらせ黙っていると、「お邪魔するのは私だけ。警戒はしないで」と言う。少し躊躇って、結局私はドアを開けることにした。ミラーの考えを探ってやろう、という気持ちがあった。
 ドアを開けると、ミラーはにこりと笑って部屋の中に入ってくる。あいかわらずラフな格好だけど、清潔感と上品さがあった。私もシャツにパンツという彼女と同じ格好なのに、私だけ地味に見える。

「少しお酒をどう?」
「いいえ、遠慮しておきます」
「そう。ではペリエはどうかしら?」
   いただきます」

 ミラーは自分で持ってきたウィスキーとペリエとグラスをふたつ、テーブルの上に置く。そして片方のグラスにはペリエを入れ、私に差し出した。もう片方にはウイスキーとペリエを注いでいく。
 乾杯、とグラスを掲げてきたので、私もそこに合わせることにした。カラン、と乾いた音が部屋に響く。冷たいペリエを飲むと気分がすっきりした。

「どうもお酒の力がないと眠れなくてね」

 ミラーは苦笑のような笑みを浮かべる。

「なぜ、ですか?」
「時差はあるし、暑いし、シドニーとは環境がまるで違うから」
「そんなことは承知でいらっしゃったんじゃないんですか?」

 つい、棘のある言い方になってしまう。ミラーは困ったように微笑んだ。

「そうね。そう、だったのに」

 ミラーはウイスキーをくっと飲み、しばらく沈黙した後口を開いた。

さん、あなた、出身はどちら?」

 日本です、と頭に浮かんだ言葉をかき消しながら、「メルボルンです」と答える。

「日本ではないのね」
「はい。祖父母の代からオーストラリア暮らしです」

 私は日系オーストラリア人。そういう自分の“設定”を感傷なく語る。

「日本に帰りたいとは思わないの?」
「何度か日本に行ったことはありますが、やっぱりオーストラリアのほうが居心地が良くて」

 私はどんどん嘘を重ねていく。でも、ミラーにはすべて見透かされているような気がして、不安を感じた。彼女の眼光は私の嘘も見破ってしまいそうな鋭さがある。

「それよりも、ミラーさんのことを聞かせてください」
「私のことはジュディ、と呼んでもらえると嬉しいわ」
「……ジュディさんのことを知りたいです」

 これ以上質問されるとぼろが出かねないので切り返すと、意外にもすんなり「私の何を知りたいの?」と訊かれた。

「ええと、その……どうしてそこまで必死になって、アレキサンダーの遺産を追っているのか、とか」
「ああ、そのこと」

 どうせ訊ねても教えてくれないのだろうと思った。でも、ミラーは「そうねえ」とウイスキーを片手に語りだす。

「私の夫のことはレイモンドから聞いた?」
「はい」
「夫の無念を晴らすため、よ。アレキサンダーの遺産を探っている途中におそらく殺されたあの人の思いを叶えるため、私も大王の遺産を追っているの。何よりも夫が殺された真相を知りたい」
「そのために……私たちを巻き込んで……?」
「手を貸した、と言ってほしいわね。あなたたちだけで何も知らずに調査していたのでは、もしかするとこの土地で殺されていたかもしれない。でも、私が腕に覚えのある用心棒を雇ったから、安全性は上がったと思うわ」
「それほど、旦那さんのことが大切だったんですね」

 多少の嫌味を込めて言ったつもりが、ミラーがふふ、っと本当に可笑しそうに笑ったので驚いた。

「さあ、今度は私が質問をする番。さん、あなたはいったい何者?」
「え……?」
「普通の女性なら、私が雇った男たちに囲まれたとき、あんなに落ち着いてなどいられないわ。それに、今だってそう。訳がわからない状況のはずなのに、怒りも怯えもしない。なぜなの?」
「そんなことありません。正直なところ、あなたに腹は立っていますし、何が起こるんだろうって不安もいっぱいです」
「でもそうは見えないわ」
「以前からそういうふうに言われることはありました。喜びとか悲しみとか、喜怒哀楽があまり表に出ないねって。私は精いっぱい喜んだり悲しんだりしているんですけど」

 よくそう言われたのは、父さんもお祖父ちゃんも亡くなってしまった頃からだった気がする。それが徐々に治ってきたと思ったら、今度は何度か危険な目に遭って、そういう耐性がついてきてしまったのかもしれない。

「そう。それはいいことね。ポーカーフェイスの女性は出世するわ」
「そうでしょうか」
「ええ。でもね、感情が表に出ないことを抜きにしても、あなたの目には普通にはない光がある」

 私は眉を寄せる。

「目、ですか?」
「そう。あなたの目、とても好きなの。私と似ている気がして。と言ったら失礼かしら?」
「いえ……」

 ミラーは同性の私から見ても魅力的な容姿。そういう人に褒められるのは悪い気持ちではないのだけど。

「でも、どんなところが似ているとおっしゃるんですか?」
「そうね。けっして手が届かないものを追い求めているような、そんな目がね」
「え、……」

 けっして手が届かないもの。それが何か私にはすぐに思い浮かべることができてしまって、それを否定するように強く首を振った。

「私は……そんなことは、ありません」
「そう?たとえば、恋愛はどうかしら?恋人はいる?   と、プライベートなことに踏み込みすぎね。ごめんなさい」

 私は首を横に振る。

「恋人は、いません」
「あのマッシュという彼は違うのよね。彼はあなたのことが好きみたいだけど、あなたは違うみたい」

  私はつい顔をしかめてしまう。でも内心では、さすがに副社長まで登りつめた洞察力だな、と素直に感心してしまった。

「私、は……マッシュのことは、好きなんですけど……友だちとしか思えなくて」
「そう。他に想い人がいるのね」
「いえ、違うんですけど」

 つい語調が強くなってしまう。ミラーの話し方、間のとり方、声音。なんだかカウンセリングを受けているような、もっと話したくなってしまうような、そんな気持ちになっていた。

   私……今年のはじめくらいに、……その、失恋、してしまったんです」

 話すつもりはなかったのに。私はいつの間にか口を開いていた。ミラーは小さく目を細める。

「その人のことがとても大切だったのね」
「え!?いえ、あの、そういう、わけでは」
「あなたが正直に教えてくれた分だけ、私も正直に話してあげる」

 ミラーはどこか興味深そうに柔らかな笑みを浮かべている。
 私は少し迷って、話すことに決めた。彼女の真相を知りたかったし、たぶん、同じ女性ということもあるのだと思う。ここ最近は男性ばかりが近くにいて少し肩が狭いような思いをしていたから、女性と話ができてほっとしている面もあった。

   私が家族を亡くして辛かったときに、その人に会ったんです。それから、……いつの間にか惹かれていたんですけど……その人とは住む世界が違うし……女好きなので……最初から望みがないのはわかっていたんです。だから、もう」
「住む世界が違う?それは、どういうこと?」
「ええと、なんというか……たとえば……芸能人、みたいな」
「ふうん?」
「たとえば、の話です」
「それで?」
「それで、半年くらい前に、もう会うのはよそうってふられてしまって」

 大丈夫。大丈夫、笑って話せている。

「でも、いまひとつ踏ん切りがつかないのね」
「そ、そんなこと……!ない、です。ちゃんと気持ちに区切りはつけました」
「そうかしら?あまりそうは見えないけれど。それに、本当に好いていた人なら、何十年も引きずってしまうわよ」

 ミラーの言葉が意外だった。もっと前向きな励ましがあるのかと思っていた。

「私はね、人が心から愛せるのは一生のうちにひとりだと思ってるの。その人を逃したらもう自分の恋はおしまい。来世があるならそこに賭けるしかない」
「そんな」
「そういう魂から惹かれるような人と結ばれることは、本当に奇跡に近いのよ。それ以外の人と恋愛をするくらいなら、失った恋に生きるのも悪くないと思う。そういうラブストーリーもおもしろいと思わない?」
「おもしろい、ですか……私はそうは思いません。そんな辛いラブストーリーなら本を閉じてしまいたいです」
「でもあなたは本が閉じられないでいる。違う?」

 違う、とすぐに言えなかった。私が黙っていると、ミラーは「責めているわけじゃないのよ」と微笑んで、「今度は私の番ね」とウィスキーを飲み干し語りはじめる。
 
「私の夫はね、研究がすべてだった。骨の髄まで考古学者だったわ。私が妊娠しているときに、夫はちょうどエジプトにアレキサンダーの調査に来ていてね」

 ミラーに子どもがいるんだ。男子でも女子でもさぞかし眉目秀麗なのだろうなと思った。その矢先。

「その時期、私は、病気で流産してしまった」
「えっ……」
「夫に帰ってきてほしいと連絡をしたのだけど、彼は帰ってこなかった。今ここを離れるわけにはいかないと」

 そんな。思いも寄らないミラーの過去に絶句してしまう。
 ミラーはこの事実をもう何度も自分の中でかみ砕いて、消化して、気持ちに整理をつけているような気がした。感情を入れずに、この悲しい事実を語り慣れている。

「私は夫を恨んだわ。私がこれほど辛い状態なのに、それよりも研究を   アレキサンダーの遺産の調査を優先するのかと。アレキサンダーのことさえも憎んだ。彼が帰ってきたら離婚でもつきつけてやろうかと思っていた。でも、ついぞ夫は帰って来なかった」

 ミラーは私のグラスをじいっと見つめながら語った。ときおり氷が溶けてからんと高い音を立てる。

「当時は訳も分からず、夫の死の真相を調べることに必死になった。そうすることで、悲しみやもどかしさや怒りや、はっきり名前のつけられない感情を押し込めていた。夫が殺されたと判ると、その真相を知ることに躍起になった。
 それと当時に、アレキサンダーの遺産についても調べはじめた。それを私の手で見つけることは、復讐なの。夫への、ね。彼が恋い焦がれて見つけられなかった大王の遺産を、私が見つける」

 復讐というのも本心なのだと思う。でも、もしかしたら、アレキサンダーの遺産を追い求めることで、彼女は旦那さんの影も追っているのではないかと思った。

   好きなんですね。今でも、旦那さんのことが」
「愛情の反対は憎しみ、ではないのよね。愛情も憎しみも紙一重なのだわ。私よりも考古学への情熱を選んだことが憎くもあり、どうしようもなく愛しくもある」

 ミラーはふふ、と美しい笑みを浮かべて私を上目遣いで見つめた。

「この話をしたのはあなたがはじめて。きっとこの地にきて興奮をしているのね。それに、あなたなら私の気持ちを共有してもいいと思った」
「……それで……ミラー   ジュディさんは、再婚しないんですね。そんなに素敵なのに」
「あら嬉しいわ、ありがとう。でもね、私にはボーイフレンドはいても、愛する人はいないのよ。もう、私の人生にはね」
「そういうふうに割り切れるのはジュディさんが強いからです」
「強くなんてないわ。今でも死んだ夫の夢を見るもの」

 昨日まさに夢に囚われていた私は、「えっ」と声を上げてしまう。

「心から愛する人に出逢えない人生もあるのに、それができて幸せだった。もうそれだけでいいの。私のラブストーリーはそこで完結している。これ以上をロマンスには求めない。あとは私自身の物語を描き続けていくだけよ」

 ミラーの言葉が突き刺さる。失った恋の代わりを見つけること。その人以上に愛する人を見つけること。それを目的とすることもひとつの道だし、ミラーのように失くした愛に生きて他の恋愛を閉じてしまうこともまた、ひとつの道なのかもしれない。

「あら、もうこんな時間。おしゃべりがすぎたわね。また明日も調査なのに」

 ミラーは腕時計を見て、言う。

「いえ……お話を、ありがとうございます」
「私も話せてよかったわ、さん」

 ミラーは私の分のグラスと空になった瓶を持ち上げる。
 それじゃあまた明日。そう挨拶をして部屋を出ようとしたときに、ミラーは私を振り返った。

「あなたにそんな顔をさせる人に一度会ってみたいわ」

 そんな顔、ってどんな顔をしていたんだろう。
 私が曖昧に微笑みを返すと、ミラーは「おやすみなさい」と言って去っていった。

 

(17.7.12)