七章:the Valley of the Spirit...55





 翌日、ガイドさんが運転する4WDでシワ近くの集落のひとつへと向かった。ガイドさんいわく、このあたり一体は古くから“カーラ”と呼ばれており、複数の集落があるということだった。昨日彼が言っていた通り、いずれの部族も外との関わりを積極的に持ちたがらないらしい。

「まずはね、その中でも一番友好的な部族からいこうか。そのほうがあんたらも徐々に慣れていくからいいと思うよ、うん。いきなり冷たくあしらわれちゃったら、心が萎えちゃうかもしれないしね」

 あはは、と乾いた声で笑うガイドさん。私たちも愛想笑を返す。ガイドさんはどこか大げさに物事を伝える傾向があるので、このときは話半分程度に聞いていた。

 私たちがやって来たのは、シワから車で一時間ほどの場所だった。砂漠の真ん中に小さなオアシスがあって、そこを中心に大きなテント式の住居がいくつも並んでいる。この部族は昔砂漠を渡り歩いていたそうで、その名残で今でもテント式の住居で暮らしているらしい。
 村の人たちははじめこそ私たちにあきらかな警戒心を抱いていたが、ガイドさんが事情を説明すると、ぽつりぽつりと話を聞かせてくれるようになった。そのうちに話好きの老人たちが部族の昔話をはじめて、私たちは夕食までごちそうになった。
 彼らの話はアレキサンダーの手がかりにはならないものだった。でも、いくら外界と接触をしない民族だとはいえ、話せば解ってくれるということを発見したのは収穫だった。
 けれど。次の日、その次の日と別の集落を回るにつれて、初日の部族がいかに友好的だったか痛感した。このあたりの歴史を研究している、と告げると、部族の人たちは話しはしてくれるのだけど、「さっさと帰れ」「もう来るな」という表情を隠さなかった。中には「外国人に話すことなんかない」と追い返されることも何とかあった。しかも、何の成果もない。ガイドさんは「さあ次に行こう」と励ましてくれたけど、私たち四人の心労は少しずつ重なっていった。

 シワに来て五日目。アーチャーが朝から体調を崩していた。どうもここの水が合わない気がする、熱があってお腹の調子が悪い、という。
 先生もマッシュも私も疲れたが溜まってきていたので、今日は調査を休むことにした。
 シワの街に出て話を聞いてまわりたかったけれど、私は自室のベッドの上から起き上がれなかった。身体が鉛のように重い。目を閉じていたら、うとうとと夢の世界に引きずり込まれた。

 お父さんが、いた。たくさんの絵に囲まれて笑っている。そんなお父さんを目を細めて眺めているのはおじいちゃん。私も微笑みが漏れていた。
 三人で過ごす穏やかな時間から、いつの間にか場面転換。
 私が   一番幸せだったころの記憶が、断片的に蘇ってくる。
 フィレンツェの街並み。カプリの青い空と海。ひまわり畑の黄色。
 そして、私の隣には、……。

 目が覚めたとき、あたりはオレンジ色に染まっていた。この色はフィレンツェの高台から街を見下ろしたときの色。
 ああ、戻ってきたんだ、と思った。一周回って、私は戻ってきた。今までのことはぜんぶ夢で、私はいま、フィレンツェいるんだ。これからあの人に会える。グリーンのジャケット。赤く照らされた横顔。煙草のにおい。もうすぐ会える。もうすぐ、……。
 

 ぼんやりとした頭がしだいに覚醒していく。目に映るのは見知らぬ天井。まわりを見渡すと、見覚えのない部屋の中にいた。自分の置かれた状況がゆっくりと思い出されてきて、私の心を絶望で満たしていく。

 そっか。夢だったんだ。

 あまりの痛みに目を閉じる。この痛みはこうしてじっとやりすごすしかない。どんなにあがいても消せない痛み。
 そうだ。もうグリーンのジャケットのあの人は、いない。私の世界には、どこにも。

 今まで何度、鮮やかな夢を見ただろう。必死に忘れようとしているのに、私の頭の片隅に居座って離れない、愛しい記憶の断面たち。それらが私に勝手に夢を見せてくる。
 夢の中にいるうちは、いい。でも、そこから覚めるたびにこの世の終わりのような気分になる。もうあの日々は戻ってこないのだと、何度も自分に言い聞かせて踏ん切りをつけているのに、夢が私に意地の悪い仕打ちをしてくる。
 どうしたらいいんだろう。都合の悪い記憶だけを忘れる便利な道具があればいいのにな、と非現実的な考えを浮かべて、自分の情けなさにため息が出た。

 気がついたときにはあたりに薄闇が落ちていた。
 どうしても、日が落ちて闇の時間がやってくると、こうして弱気になってしまう。
 みんなのところへ行こう。明日の相談に行こう、と立ち上がった。
 残酷な甘い夢の名残は、黄昏の闇の中に溶けてしまえばいい、と思った。

 

「どういうことですか!?」

 先生の部屋のドアをノックしようとして、中から聞こえたマッシュの荒声に肩が跳ねる。温厚でいることの多いマッシュがこんなふうに声を上げるなんて珍しい。しかも、先生相手に口論なんて。どうしたんだろうと気がかりでノックをするも、話し声でかき消されてしまい届いていないようだった。
 仕方がないので、私は黙って扉を開けた。部屋の中にはマッシュと先生が向かい合っていた。そして   、先生の隣にはジュディ・ミラー。彼女のまわりには体格のいい四人の男たち。
 ミラー。予定よりも早く着いたんだ。彼女はジーンズにシャツというカジュアルで動きやすい格好で、それでも美しさと品を備えていた。彼女のまわりにいる男性も同じようにラフな服装だけど、体格や眼光の鋭さから以前取り巻きにしていたSPなのだろうなと思った。

「あら、さん」

 ミラーが私の姿を見て声をかけてくる。マッシュは厳しい表情で私を一瞥し、ミラーと先生を見回した。

   知らなかったのは僕だけですか」

 マッシュの声音は静かで、それでいて怒りと悲しみにも満ちているように聞こえた。

「いや、マッシュ」
「私が口止めを頼んだのよ」

 ミラーが先生を遮る。

「じつはお忍びでここに来ているの。仕事を休むと言ったら本社の連中がいろいろと口うるさくてね。彼らには親類が危篤なので休日を取ると言ってあるわ。口裏を合わせてちょうだいね」
「どうしてここへ?」

 マッシュは疑うような視線をミラーに投げつける。

「親睦会のときに話したでしょう?私は考古学者になりたかったの。アレキサンダーの遺産をこの目でみつけたくて来たのよ」
「ベルモンドの副社長であるあなたが、わざわざ?」
「副社長なんて肩書だけ。今は一人の考古学者崩れと思ってほしいわ」
「それじゃあこのいかつい男どもはなんです?」

 マッシュの息遣いが荒くなる。

「このあたりは民族間の紛争が多いと聞いたし、男手は何かと必要でしょう?」
「先生が他のメンバーを連れて来なかったのはあなたが原因ですか」
「少人数のほうがいいとアドバイスはしたわ」
「なんだって、あなたが!」

 声を上げたマッシュの身体がぐらりと傾く。踏ん張りきれずに先生のベッドに座り込んでいまった。

「マッシュ」
「大丈夫?」

 先生と私の声が重なる。マッシュはぎゅっと目をつむった。その顔をよく見ると目が充血して頬も蒸気していた。
 先生はマッシュの近くに寄り、額に手を当てる。そして「熱があるな」と言った。

「くそっ……なんだって、こんな」

 マッシュは悔しそうに吐き捨てて、拳を握った。

 


「さて。それじゃあ今までの成果を聞かせてくれる?」

 マッシュを部屋で休ませ、先生の部屋に集まったミラーと私。ミラーの雇った男たちは部屋の外で待機しているようだった。アーチャーは具合が悪化して、別の部屋を取り休んでもらっている。
 先生は苦々しげに、今まで回った集落の名前と数を説明した。そして、伝えるべき成果はない、ということも。

「そう。一週間で成果はゼロ。離脱者はふたり、というわけね」

 ミラーの声からは何の感情も読み取れない。
 私は彼女の言い回しにむっとした。アーチャーもマッシュも、水が合わないようで体調を崩しているけれど、ふたりとも必死にがんばっていた。少なくとも何かわからない思惑のあるミラーとは違う。彼らは純粋に歴史への探究心でここに集って、懸命に調査に当たっているのに。

「わかっているとは思うけれど、あと一週間で何の成果も上げられなければ、あなたのチーム全員にこの地に来てもらうことになるわよ。これから何が起こるかわからないこの土地にね」

 先生は絞り出すように「ああ」と返事をする。

「明日からは私も調査に参加するわ」
「え?」

 私は思わず声を上げてしまった。ミラーはにこりと私に笑みを向ける。

「あら、どうしたの?」
「いえ、……」

 意外だった。ミラーは部下に命令だけして自分は安全な場所で眺めているだけ、というタイプかと思ったから。

「一応、ジムで身体は鍛えているし、迷惑にはならないと思うわ」
「はい……」

 この人が、わからない。先生と私を暗に脅してきたかと思いきや、自分も調査に参加すると言うなんて。
 それから、明日の集合時間と行き先を確認して、別れた。

 

(17.7.6)