七章:the Valley of the Spirit...54






 空港からカイロの街に出て感じたのは、シドニーとさほど大きな差はないんだな、ということだった。高いビル群、そびえ立つ電波塔、走りかう車。もっとアラビア風の歴史的な街並みを想像していたのに、カイロは“都市”だった。フィレンツェのようなしっとりとした古めかしさはなく、活気に満ちていた。太陽がさんさんと照りつけてくるが、思ったほどの暑さはない。夏のピークは過ぎた時期だからかもしれないね、とマッシュが言った。
 この近代的な都市のすぐ近くに、何千年も前に建てられたピラミッドがあるんだなと思うと、お腹のあたりがざわざわと騒いだ。ここにはエジプト文明の遺跡も数多く眠っているし、博物館や美術館もたくさんある。こんな状況ではなかったら、浮かれ気分で観光をしたかった。でも、とてもそんな気分にはなれそうにない。たぶん先生も同じ気持ちなのだと思う。カイロに足を踏み入れて、先生は少しだけ熱のこもった目で街を見ていたけど、どこか気持ちが乗りきらないようすだった。
 一方で、マッシュとアーチャーは興奮していた。時間があったらピラミッドに行きましょうとか、モスクにも行ってみたいですね、などとはしゃいでいた。ふたりの気持ちの盛り上がりが考古学者として正常なのだと思う。彼らに不自然だと思われないように、彼らの気分の高さにあまり引き離されないように偽るのが大変だった。

 私たちはまず、目的地カーラ近くのシワという街へ向かう。シワは、エジプトとリビアの国境付近にあるオアシス都市。シワには当然のことながら空港などはなく、鉄道もないので、ひたすらバスに揺られて西を目指すしかなかった。
 カイロを出発して、砂漠やその中にある遺跡を見たときは鳥肌が立つくらい感慨深かったけれど、一時間もするとすぐに飽きてしまった。どこを見渡しても、砂、砂、砂。しかも、きちんと舗装されていない道をゆくのでガタガタ揺れるし、バス自体もリムジンバスのような立派なものではないので、乗り心地は良くなかった。
 幸い、酔い止めの薬を飲んでいたのと、時差ボケのおかげでほとんどの時間を眠ることができたので、大きく体調を崩すことはなかった。それでも半日近くバスに揺られて、シワに着いたときには身体がぎしぎし音を立てるような疲れがあった。カイロは夕方出発したので、シワに着いたのは早朝だった。

 シワは、カイロとはかなり異なる雰囲気の街だった、カイロのように高い建てものはなく、車も走っていない。観光客の数も少ない。女の人は黒いベールをまとっていて、目元以外を隠していた。私も肌の露出はしないように注意をされていて、長袖のシャツにパンツ、帽子にリュックという動きやすい服装をした。
 あとは、カイロにあった活気というか熱気も、シワにはなかった。人々はゆったりと落ち着いた生活を送っていた。先生によると、シワに暮らす人の多くがエジプト人ではなく、北アフリカに古くから住むベルベル人なのだとか。
 私たちが今回ガイドを頼んだのも、ベルベル人のおじさんだった。彼はバスを降りた私たちとひとりひとり握手を交わして歓迎してくれた。ガイドのおじさんは、青いスカーフを顔に巻きつけ、ベージュのゆったりとしたローブを着ている。四十代か五十代か、年齢は定かではなかったけど、とても気さくで明るい人だった。他のベルベル人とはまた違った雰囲気だった。

 彼は「疲れたでしょ?」となまりのある英語で聞きながら、私たちをホテルへと案内してくれた。
 ホテルは、私だけ一人部屋で、先生とガイドさん、アーチャーとマッシュ、という組み合わせの部屋割りだった。私たちは部屋に荷物を置いて、朝食がてらガイドのおじさんと話をすることにした。

「昔はこのあたりにも何人か学者のセンセが来たこともあったんだけどね、最近はめっきり。ほとんどが観光客とかカメラマン。アレキサンダーの財宝とやらも一時期ブームになったけどね、なあんにも手がかりが出てこないんで忘れ去られちゃったねぇ。
 で、アナタたちはカーラに行きたいんでしょ? あのあたりは気難しい民族が多くてね、おのおの集落を作ってるけど、深い谷があったり、彼らの愛想が良くなかったりで、観光に来る人はまずいないかな。部外者が行こうもんなら追い返されちゃうね」

 ガイドのおじさんは話好きなのか、私たちが口を挟む間もなくしゃべり続けた。
 私たちはエジプトのパンをつまみながら、適当にあいずちを打つ。

「でもね、大丈夫。交渉ごとなら私に任せて。昔荷物運びをやっていたから集落に知り合いもいるしね」

 荷物運びというのは、私たちでいう宅急便のような仕事らしい。
 このガイドさんは、先生の知り合いのエジプト文学者に紹介してもらったそうだ。ガイドが一人で良いのか不安もあったけど、人数が多くても荷物やお金を持ち逃げされることもあるそうだから、一人に絞ったほうがいいということだった。このガイドさんにはミラーがかなりお金を渡しているようで   成果をあげればさらに支払うことになっているらしい   今回の件にかなりやる気を見せていた。
 ともあれ、調査に向かうのは明日からということで決まった。今日は疲れを取るために休みつつ、シワで情報収集をすることになった。





 女性の一人歩きはだめ、とガイドさんに言われて、私はマッシュと街中を捜索することになった。
 土の煉瓦でできた家々。道を走るロバの荷車。珍しいものが並ぶ市。砂漠の中にぽつりとあるそのオアシス都市は、とても趣がある。ゆっくり見てみたいなと思った。



 目的も不安も忘れて、わくわくした気持ちで市を見回っていると、マッシュに呼び止められた。

「ねえ。何か、あった?」
「え?」
「なんだか元気がないからさ。も、先生も。シドニーを出てからずっと」
「そうかな? たぶん……ほら、前に話したでしょう? 私、乗り物に弱くて。飛行機とかバスとか」
「ああ」
「さすがに移動が多くてちょっとしんどかったな。けど、もう治ったから大丈夫」
「……そう」
 
 マッシュは私の嘘に気づいているだろうか。でも、ミラーに言われているから何も話せない。
 マッシュはしばらく何も言わなかった。ただ、ひと言だけぽつりと言った。

   僕じゃ、きみの騎士ナイトにはなれないのか……?」







 夜、私は先生の部屋に行った。ガイドさんはシワの自分の家に戻るということを聞いていたので、先生とふたりきりになれると思った。シドニーを出てからずっとそのタイミングを測っていたのだけど、マッシュとアーチャーがいたので、その機会はなかなか巡ってこなかった。
 私は先生に、ミラーから連絡があったのかどうか訊いた。

「ああ。ジュディは仕事の都合を無理やりつけて、一週間後にここに来るそうだ」

 先生の顔には疲れが滲んでいた。

「それにしても、まさかマッシュがテリーの代わりに来るとはね。よほどきみが心配なのか、好奇心が強いのか」
「……後者、だと思います」
「どちらも、だろうね」

 先生は微かに笑う。でもすぐにその笑みも消えてしまった。

、いいかい。何があっても単独行動はしないこと。私たちから離れないこと。マッシュやアーチャーにも釘をさしておいたが、きみも重々承知しておいてくれ」
   はい」

 先生の目の奥には強い光が見えた。それがなんだか思いつめたもののような気がして、私は不安になる。ミラーから呼び出されて以来、先生はそういう表情をすることがあった。「私のせいできみを巻き込んだ」と言う先生の悲痛な声が忘れられない。

「ここはジュディの夫が消された場所かもしれないんだな……このオアシスにはそうした不穏な空気はないが、カーラはどうなのかがまったく読めない。気をつけてくれ」
「はい……」
「二週間、か。それ以内に手がかりを見つけなければ、他のメンバーも危険にさらすことになるのかもしれない。もう何が危険なのか、危険があるのかどうか、先がどうなるのか、まったく見えないな」

 先生は自嘲的に笑った。

「こんな状況でなければどれだけ良かったか。ここはアレクサンドロスが眠る土地だというのに」
「先生、……」
「すまないね、愚痴だよ。でも私は大丈夫だ。もう覚悟は決めたよ。先に進むしかない」

 “覚悟”。先生はどういう意味で言っているのだろう。何か不穏な予感がして、私は必死になって言った。

「先生、絶対、一緒にシドニーに帰りましょう。アレキサンダーの遺産を見つけて」
   そうだね。大丈夫、そんな神妙な顔はしないでくれ。私は自分がしがない考古学者だと心得ているから、無謀なことはしないよ」

 先生は苦笑する。

「約束だ。四人全員で、シドニーへ戻ろう。アレキサンダーの遺産とともに、ね」

 

(17.6.29)