七章:the Valley of the Spirit...58
こちらに銃口を向けてくるカーラの男たち。暗くてはっきりと見えないけれど、目視できるのは六人だった。カーラの男に囲まれて、私たちを冷ややかに見つめる老女。彼らに相対するように拳銃を構えるミラーの三人の護衛。その背後に、ミラーと、先生、私、ガイドさんが立っていた。
十を越えた人数の大人がひしめき合うには狭い空間だった。ぴりぴりと張りつめた空気が一瞬にしてこの場を支配する。けれども、ミラーは余裕のある表情を浮かべていていた。彼女の護衛も慌てているようなようすはない。カーラ一族の長も、一族の男たちも、口を真一文字に結んだまま動じない。この場でうろたえているのは、私を含め、先生とガイドさんだけ。先生は目を大きく見開いており、ガイドさんは「え?なに、なに?」とこの状況を呑み込めていないようだった。
私はただ立ち尽くすしかなかった。ガイドさんと同じく、目の前の出来事に頭がついていけていない。ようやくアレキサンダーの遺産に手が届くかと思っていた矢先に、どうして彼らは銃を向けあっているのだろう。
「あなたがたはそうやって、アレキサンダーの遺産目当てでやって来た者を葬ってきたわけね」
異様な空気の中、最初に口を開いたのはミラーだった。気がつくと、彼女は先生と私の前に立っていた。カーラと私たちの間に塞がるようにして、腕を組んでいる。気のせいかもしれないけれど、それはまるで、先生と私の盾になってくれているように見えた。そのミラーの後ろ姿に、私の思考は少しずつ動くようになっていく。
葬ってきた、とミラーは言った。カーラの一族が、アレキサンダーの遺産を守るために、ここに来た人たちを殺したという。まさか遺産を守るために人を殺すなんて、と考えた矢先、カーラの長がゆっくりと頷いた。
「いかにも」
彼女が肯定したことにも驚いたが、彼女が英語で話したことにも耳を疑った。そういえば、ガイドさんはミラーの言葉を通訳していない。にもかかわらず、カーラの長は返事をした。しかも、英語で。ガイドさんを見ると、ガイドさんも驚愕の表情を浮かべていた。彼も知らない事実のようだった。
「我々には、何人からもイスカンダル王の遺産を守るという使命がある」
カーラの長の英語は、アラビア風のなまりはあるが、充分に内容の解るものだった。周りの一族の男たちもまったく表情を動かさない。彼らも英語を理解できるのかもしれない。
ミラーは一切の事実に動じずに「ご立派ね」、と揶揄するように吐き出した。
「そのためにこの地に近づいた者を殺したわけね。私の夫もその一人なのかしら?」
「王の遺産を求めてここにたどり着く者は多くない。数年、いや、数十年に一度かという程度だ。ゆえに、ハインラインという男のことも覚えている。たしかに我々が殺した」
長は何のためらいもなく語った。人を殺したということを、まるで日常の一端とでもとらえているかのように。
ミラーの表情は、彼女の背中からは読み取れない。けれど、「そう」とだけ発した言葉からは、気落ちしているようすは受け取れなかった。
カーラの長は流暢に言葉を続ける。
「ここに来る者のほとんどは、遺産を探してたまたま当たりをつけてやってきた旅人や学者だ。そういう者の生死は話を聞いてから決める。放置しても差し障りがなければ生かしておくが、そうでなければ殺す。ハインラインという男はそうではなく、この地に根拠を持ってやって来た。王の遺産を守るためには、殺すほかなかった。王の遺産の存在は、けっして外に漏らしてはならぬ。我々が悪しき外界から守らねばならぬのだ」
「そんな」
かすれた声を漏らしたのは、先生だった。
「アレクサンドロスが、二千年後に公開するように伝えたという遺言についても嘘なのですか?」
先生に目を向けた族長は、「嘘ではない」と首を横に振った。
「我々精霊の民は、人の死後、魂の浄化と再生までに二千年を要すると考えておる。イスカンダル王もその信仰を良しとされ、死後二千年を経れば、自身もヘファイスティオン様も、この世に蘇ることができると考えられていた。しかし、万が一それが叶わなければ、二千年後に遺産を公開しても良いと定められた。ヘファイスティオン様が先に戻られているかもしれないと考えられたからだ」
「まさか、そんな……。し、しかし、アレクサンドロスが蘇るなど、そんなことがあり得るわけがない。現に、アレクサンドロスの死後、とうに二千年が経っているではないですか」
「外界の人間がそう考えるのも当然だ。しかし、我々の精霊は必ず王を蘇らせる。すでに二千年が経過しておるのは、王の魂が偉大すぎたゆえ。我々は王が帰還されるまで、この地を守り抜く。再び王が蘇られるそのときまで、我々は王の隠したものを守らねばならぬ。たとえ何を犠牲にしても」
「だが、本当にアレクサンドロスが望んだのか?自身の遺産を守るために、人を殺めるなど」
唐突にいろいろな事実を突きつけられたために、私はそれらを受け入れられないでいた。でも、私も先生と同じ意見だった。アレキサンダーの言葉が書いてあった石碑には、自らの遠征で失った者への侘しさや後悔、親友を追悼する王の真摯な思いが書かれていた。人を殺してまで遺産を守ることを、アレキサンダーは善しとするのか。
それになにより、死んだ人が蘇るなど、ありえないことだと思う。
「おまえたちは王について調べていたのではないのか?」
長は先生に対して軽蔑の色を浮かべる。
「今でこそ偉大な王とされているが、イスカンダル王は当時、孤独だった。唯一、ヘファイスティオン様と我々の一族のみが真に王の味方であった。あとの者は、恐怖や打算で王に従っていただけだ。王はそうした人間の醜さに嘆いておられた。そんな外界の者どもに、王の遺産を公開して良いはずがない」
どうやら彼女たちは、アレキサンダーと彼の親友のヘファイスティオン、そしてカーラの一族以外の人間を“外界のもの”として蔑んでいるようだった。その彼女の意見に異を唱える者は、一族の中にはいないのだろう。彼女の隣に並ぶ男たちは皆、まっすぐに、冷酷な瞳で私たちを見つめるだけだった。
「何を言っても無駄ね」
ミラーが口を開く。
「彼らは、アレキサンダーの遺産を守る、ということを生きがいとしているのね。代々その使命を誇りに思い、まっとうしてきている。こちらの都合や常識などは知ったことではないでしょうね」
ミラーの皮肉にも、彼らは怒りも否定もしなかった。ミラーは続ける。
「それで、私たちも殺すわけ?」
私の背筋がぞくり、と震える。ミラーはなんでもないことのように言ってのけるけれど、殺されるだなんて、そんなのは、……。
「
カーラの長が目を細め、言う。
「それを渡せば助けてくれるというの?」
「考えてもいい」
うそだ、と思った。ミラーの言うとおり、ここまで盲目的にアレキサンダーの遺産を守ってきた一族が、私たちを例外的に許すはずがない。
でも。でも、なんとかしないと、このままでは殺される。誰も言葉を発することがなくなった今、私は自分の息がやけに荒くなっていることに気がついた。背中には汗をびっしょりかいている。
彼らは本気だ。族長の命令があれば、すぐに銃の引き金を引いて、私たちを撃つだろう。彼らにとっては、私たちは知りすぎてしまっている。
どうしよう。どうすればいい?彼らはナスワンの石碑を求めているから、私たちをすぐに殺すつもりはないようだった。そこが突破口にならないか。
「
ミラーがおもむろに切り出す。
「万が一、私が三日経ってもシワに戻らなかったら、ここの場所を警察に公開するように友人に言ってあるの。警察や政界にも友人が多くてね」
長の眉がわずかに中央に寄せられる。
「我々を脅しているのか?」
「いいえ。交渉よ」
「何が望みだ?」
「アレキサンダーの遺産を公開すること」
「それは聞けないな」
長の目つきが厳しくなる。けれども、ミラーは構わずに切り返す。
「では、私たちの命を助けてちょうだい。遺産のことはけっして口外しないと約束する。ナスワンの石碑も渡すわ」
「その保証がどこにある?」
「あなたがたの“戦士”を私につければいいわ。私が約束を破ろうとしたら、殺せばいい。私たちを生かして返してくれるなら、ナスワンの石碑も渡す。たしか、アレキサンダーの腕輪や壺もあったわよね?」
ミラーは振り返り、先生と私に顔を向ける。先生は、少し戸惑って、「ああ」と頷いた。
「私たちはここの存在も遺産のことも誰にも口外しない。あなたたちに石碑も腕輪も壺も渡す。代わりに、私たちを生きたままシドニーに返す。この条件はいかがかしら?」
長は私たちをじっと眺め、周りの一族の男たちを話をはじめた。私たちには聞き取れない言葉だった。ガイドさんにも理解できない言葉らしい。
「一族の男は、ずいぶんと長に一途なのね」
ミラーが呟くようにガイドさんに訊ねる。ガイドさんはびくりと肩を震わせて、答えた。
「は、はい、あの、ここの一族の長は、代々女性なんです。精霊の加護を受けた女性が巫女となり、長を務めるのだそうです」
ガイドさんはたどたどしく答える。ミラーは「ふうん」と興味がなさそうに言った。
「その巫女様はアレキサンダーに忠実なのね。まるで恋は盲目、とでもいうみたい」
「わ、私も、こんなこと、全然、知りませんでした。イスカンダル王の遺産が、こ、ここに隠されてる、だなんて……。しかも、彼ら、英語を話せるなんて。今までにそんなこと、全然言わなかったのに」
「覚えたのでしょうね。“外界の人間”とコンタクトを取るには何かと便利なのでしょう」
ミラー言い終えるのと同時に、カーラの話し合いも終わったようだった。長がミラーに顔を向ける。
「
「それは、そちらだけが有利ではない?」
「当然だろう。追い詰められているのはおまえたちだ」
「私にも頼もしいボディガードがいるのだけど」
「ふん。そんなもの、我々の戦士の手にかかれば」
長はさっと左手を挙げる。その瞬間、カーラの男の一人が銃の引き金を引いた。狭い地下洞窟の中に、パン、というけたたましい音が響き渡る。私は驚いて身体を大きくのけぞらせた。その拍子に、隣の先生にぶつかってしまう。私には謝る余裕がなかった。目の前で、ミラーの護衛の男が一人、右腕から血を流して膝をついていた。彼が手にしていた拳銃が地面に転がっている。彼の周囲には真っ赤な血が滴り落ちていた。撃たれたんだ。
私は膝から崩れそうになる。けれども、後ろから力強い手で支えられていて、なんとか踏みとどまることができた。振り向くと、先生が私の肩を掴んでくれていた。私は泣きつくように先生を見る。
「せ、先生」
「#7を押すんだ」
「え?」
「シワに近くなったら電波が入る。私の携帯電話だ」
先生は私の耳に口を近づけて、小さな声でささやく。気がつくと、ズボンの後ろのポケットに何かが差し込まれている心地がした。いつの間にか先生が入れたらしい。先生の、携帯電話、なのだろうか。けれども、それを確かめる時間が私にはなかった。
「次は殺す」
長が冷たく言い放つ。ミラーは睨むように長を見つめていた。
「ナスワンの石碑を渡せ。イスカンダル王の腕輪も、壺もだ。そうすれば、お前たちの命は考えてやらんでもない」
“考えなくもない”というのは、ずいぶん曖昧な表現だと思った。あとからいかようにも捻じ曲げられてしまうような危うい交渉。それでも、私たちには、従うほか道はない。
ミラーは気遣わしげに、撃たれた護衛の男に目を向けた。彼は「大丈夫です」と消え入りそうな声で答える。
ミラーが口を閉ざしていると、先生が「わかった」と口を開いた。
「ナスワンの石碑、アレクサンドロスの腕輪、そして壺。すべてあなたたちに渡す。その代わりに私たちを帰してほしい」
「まずは石碑が本物かどうか確かめよう。話はそれから聞く。して、それらはどこにある?」
「シドニーの、私の研究室だ。事情を話すことなく、シワまで私の仲間に持ってきてもらう。シワのホテルにパソコンがあるから、それで彼らに連絡を取る。そういう方法でどうだろうか?」
「いいだろう。ならば、おまえと、我々の戦士三人を見張りにつけよう。少しでもおかしな真似をしたら、ここにいる全員を殺す」
「いや。シワに行くのは私ではなく、彼女にしてくれ」
先生が突然、私に顔を向けた。カーラの長も周りの男も、私に視線を移す。私は驚いて固まってしまった。
「え……?」
「私はパソコンのパスワードを知らない。パソコンを管理しているのは彼女だ。それに、この件の責任者も彼女であるから、シドニーとコンタクトを取るのは彼女のほうが適任だ」
嘘だ。先生はパソコンのパスワードを知っている。それに、先生からみんなに説明をしたほうが、すんなり事が運ぶに決まっている。なぜ、先生は私を推薦するんだろう。先ほどの携帯電話のことといい、先生は何を考えているんだろう。
「こちらはそれでかまわない。その娘のほうが扱いやすそうだ」
老女はじっとりとした視線で私を見ていた。その細い目は、まるで蛇のようだった。
「先生……」
私はすがるように先生を見る。
「、いいかい。自分の安全を第一に考えるんだ。他のメンバーには何も話すな。君と、仲間の命が一番だ。遺産に関する者はなんでも彼らに渡していい」
先生は、じっと私を見つめる。何か言いたいことがある、という空気をまとわせて。おそらく、先ほどの「#7を押す」ということを言いたいのだと思う。私のポケットに挟まれた、先生の携帯電話。おそらく警察か何かに繋がるのかもしれない。先生もミラーと同じように、ここに来ることを誰かに告げて、保険をかけておいたのかもしれない。
私がうまくやれば、先生たちを助けられるかもしれない。絶対にポケットの中身を悟られては駄目だ。
たぶん、先生が私を推薦したのは、ここに残ることが一番危険な道だから。カーラの男が三人ついてくるとはいえ、外に出れば逃げ道もあるかもしれない。最悪の事態になっても、せめて君は逃げろと、先生は考えているのだと思う。
でも、そんなことにはさせたくない。絶対に、先生も、ミラーたちも、みんなで生きてシドニーに戻りたい。アレキサンダーのためだなんて言って、平気で人を殺めるような連中に、おとなしく殺されたくない
「おまえたち、この娘を連れてシワに行け。無線機を忘れるな。何かあればすぐに報告するんだ。おかしな真似をすれば、ここにいる者を一人ひとり殺していくからな」
長は私に向けて、はっきりとした英語で言った。
彼女の言葉に、背の高い男たちが三人、私を囲うようにして近づいてくる。そして私は手を後ろに縛られた。ロープが手首に食い込んできて、痛みが走る。でも、シャツが長いため、ズボンのポケットはうまく隠れているようだった。彼らは、携帯電話には気づいていない。これならば、なんとか短縮ダイヤルを押すことくらいはできるかもしれない。
「行くぞ」
男は低い声で、私に向けて言った。強く肩を掴まれた私は、引きずられるようにして彼らの後に続くしかなかった。
「こいつらはここに閉じ込めておけ」
老女が言う。振り返ると、先生とミラーがこちらを見ていた。ミラーの視線からは何も読み取れない。ただ、ひどく疲れているようだった。
先生は、まっすぐに私を見ていた。
まるで。まるで、これが最後の別れ、とでもいうかのように。
(17.7.26)