七章:the Valley of the Spirit...59






 外に出ると、陽が傾きかけており、真紅に近い黄色の光が砂漠を照らしていた。息を呑むほどの絶景なのに、今は、その美しすぎる光景が世界の終末のように感じて、身体がざわざわと震えていた。
 私は両手を後ろに縛られたまま、ローブを羽織った男たちに追い立てられるようにして車に乗った。車輪の大きな4WD。カーラの男は、運転席と助手席に一人ずつ、後部座席の私の隣に一人、という配置だった。車はヘッドライトをつけて走り出す。
私は、この地から離れられることに安堵する反面、先生たちを残して行ってしまうことに不安を感じた。別れ際の先生の、あの表情。まっすぐに私を見る目つき。何かを決意したような、覚悟しているような、そういうものだった。どことなく嫌な予感がする。たとえば、そう。先生は自分の身を犠牲にして何かを成し遂げようとするような、そんな気がして   
 ううん、考え過ぎだ。先生は私を助けてくれたんだ。私がなんとかして、先生たちを救出しないと。

 幸い、室内は暗いし、私の隣りにいる男は一人。彼の懐には銃がしまわれているのを知っている。でも、気づかれないように後ろの手を動かすことはできると思う。
 シワに近づけば電波が入る。先生はそう言っていた。
 携帯電話を取り出すわけにはいかないから、なんとか後ろのポケットの中でボタンを押すしかない。確実に電波が入ってからボタンを押さないと発信はされないから、限りなくシワに近くなったタイミングでないといけない。シワに着いて車を降りてしまったら、落ち着いて携帯電話の操作ができる余裕がないだろうから、なんとかこの車の中で短縮ダイヤルを押してしまいたい。
 うまく、いくか。
 私は喉がからからに渇くのを感じて、ごくりと唾を飲んだ。その音は、車が砂の上をガタガタと走っているためにかき消された。

 縛られた両手に汗がにじむ。太陽が沈み、車の窓が開けられているので涼しい風が入り込んでくる。それでも背中には嫌な汗がつう、と流れていくのを感じた。
 もし、先生の言うとおりに短縮ダイヤルを押すことができなかったら。
 シワのホテルに行って、マッシュとアーチャーを巻き込んでしまう可能性が高い。二人に気づかれないように先生の部屋に行って、シドニーと連絡を取らなければならない。ここはいま日没を迎えたから、だいたい六時くらい。シドニーはエジプトよりも八時間進んでいるから、シドニーは真夜中。たぶん誰か一人くらいは研究室で待機してくれていると思う。それで、WEB電話で話をして、……。
 ううん。そもそも、短縮ダイヤルの先が誰かもわからない。警察なのか、先生の友人なのか。動いてくれるのかも、わからない。
 頭の中で必死にいろいろなことを組み立てて、思考がパンクしそうだった。それでも考えるのをやめてはだめだ。カーラに残った先生たちと、マッシュとアーチャー、研究室のメンバー、それに私。全員で助かりたい。そのためにはどうしたらいい?ここでおこなう選択の一つ一つが、仲間と自分の命に直結しているかもしれないのだと思うと、底の見えない恐怖に呑まれてしまいそうだった。先ほどの、カーラの長が浮かべていた蛇のような目つきを思い出す。彼らの闇に喰われてしまうのは、いやだ。
 
 そのとき。ブルブルとお尻の辺りに振動を感じてはっとした。震えたのは、先生の携帯電話が入っているポケットの中。これはメールの着信の振動だと、私は知っていた。
 ということは。もう電波が入るんだ。
 心臓がどくどくと大きな音を立てはじめる。縛られた両手が震えた。シワに着く前に早く行動しなければならないのに、失敗したらと考えると手が動かない。でも、シワに着いてしまえばゆっくりと携帯電話を操作する余裕なんてなくなる。今しか、ない。
 私は、少しずつ右手を動かして、ズボンの後ろ、右側のポケットに手を入れた。硬く無機質な四角い物質に触れる。感覚だけで凹凸を探り当てて、ボタンの位置を確かめる。先生の携帯電話は何度か目にしたことがあった。デジタルには疎いという先生は、操作がわかりやすい携帯電話がいいと、シンプルでコンパクトな形状をしたものを持っていた。通話とメールができればいい、と。シドニーを経つ前に、海外でも通話ができるように契約変更をしていた先生。その金額が高額だったので、私は通話の契約をしておらず、私の携帯電話はずっと圏外のままだった。シドニーのメンバーとコンタクトをとるときは、先生の携帯電話か、パソコンのWEB通話ソフトかメールを使っていた。だから、先生の携帯電話は何度か触れたことがある。
 たしか、「#」ボタンは右下のはず。ディスプレイがこの位置だから、こちらが携帯電話の上側。そしてボタンの配列が下にある。慎重に確かめて、私は「#」と思しきボタンを押した。左上が発信ボタン。その下に「1」のボタンがあって、その下が「4」で、さらに下が「7」。これだ   。私は「7」、そして発信ボタンと思われるものを押した。手のひらは汗でぐっしょりと濡れていた。
 車の音のおかげで、携帯電話の発信音は聞こえない。男たちにも気づかれてはいない。少しだけ胸を撫で下ろして、でも、これで終わりではないと自分を諌める。
 たとえ警察や先生の知人などに繋がるのだとしても、この状況を知ってもらわなければ何も対策を取ってくれない可能性がある。だから。

「カーラに捕まっている先生たちの命は、助けてくれるんですよね?」

 私は声を大きくして言った。ポケットの中の携帯電話にも届くように。とにかく、危機的な状況が伝わるような内容を。どうか、繋がっていますように。聞こえていますように。
 私の英語は聞き取れているはずだけど、男たちは何も答えない。隣にいる男はちらっと横目で私を睨みつけてくる。

「これから、シワのホテルに行って、シドニー大学のメンバーとコンタクトを取って、アレキサンダーの遺産をお渡しすれば、私たちの命は助けてくれるんですよね?」
「黙れ」

 男は英語で、短く言った。冷たい瞳で私を見下ろしてくる。でも私は、止めるわけにはいかなかった。

「あの女の人の言っていたことは本当です。彼女はベルモンドホテルの副社長で、ジュディ・ミラーといいます」
「黙らんと腕を切り落とすぞ」

 男は懐から刃の長いナイフを取り出してくる。鞘を取り外すと、暗闇の中でもはっきりと白刃が見て取れた。

「私たちは、アレキサンダーの遺産のことは黙っています。だから、どうか」
「黙れと言っている」

 ナイフの切っ先を喉元に突きつけられて、私は声を発することができなくなってしまった。ちくり、と喉に小さな痛みが起こる。息が止まった。
 私が固まったのを見て、男は「ふん」と小さく息を吐き捨て、ナイフを鞘にしまう。これ以上しゃべれば、本当に腕を切られそうな勢いだった。私は口をつぐむしかなくなってしまった。
 けれども、運転席の男が、

「どこのホテルだ?」

 と訊いてきたので、しめたと思った。私は私たちが滞在しているホテルの名前を告げる。
 カーラ。シドニー大学。ジュディ・ミラー。シワのホテル名。これでキーワードは並べることができた。あとは、電話が繋がっていることを祈るしかない。願わくばエジプトなりシドニーなりの警察が動いてくれれば、……。
 
 やがて、シワの街が見えてくる。男たちは街の入り口で車を止めた。おそらく夜になってしまった今、街の中に車で侵入していっては目立つから、だと思う。
 外からドアを開けられ、私は押し出されるように車から降りる。座席が高かったので、降りるときにうまく着地できずに膝をついてしまった。

「何をしている」

 男の一人が冷ややかな声で言う。なるべく時間を稼いだほうがいいと思って、私はわざとゆっくりと立ち上がった。
 男たちは目立たない裏路地に入って行き、そこからホテルに向かうようだった。私は彼らに挟まれて、スローペースで歩いて行く。しだいに男の一人が痺れを切らしたように舌打ちをした。

「貴様、早く歩け!」

 先ほど車の中でナイフを取り出した男とは別の人物だった。三人の中では一番若そうで、一番背が高い。この男も柄の長いナイフを取り出して、私に向けた。

「この女、わざと遅く歩いている。本当に腕の一本を切り落とすか?」
「腕はやめておけ。街では処理が面倒だ。耳の片方くらいならいいだろう」
「そうか、そうしよう」

 男はにやり、と唇の端を歪めるように上げる。ざわ、と全身に鳥肌が立った。私は思わず後ずさるけれども、別の男に取り押さえられてしまった。
 若い男がにやにやと気味の悪い笑みを浮かべながら、ナイフの刃を近づけてくる。身体が震えた。やめてと言いたいのに、喉の奥が張りついて声が出ない。男の腕を振りほどこうともがいてもびくともしなかった。
 どうして、こんなことになったんだろう。刃がゆっくりと近づいてくる絶望的な恐怖の中、私は今のこの状況の理不尽さに涙が出そうになった。
 私たちはアレキサンダーの遺産を調べていただけだ。まだ見ぬ歴史を解き明かしたいと思って。ただそれだけだった。それなのに、どうして今、こうなっているの?私が、私たちが、何をしたというの?
 悔しい。腹立たしい。怖い。嫌だ。いろいろな負の感情がぐちゃぐちゃになって、目の前が暗くなってゆく   
 パン
 そのとき、甲高い乾いた音が聞こえ、目の前にいた男が持っていたナイフが弾け飛んだ。

「なっ……!?」

 男たちは驚愕の表情であたりを見回した。いつの間にかその手には銃が握られている。かと思ったら、私の目の前にいた男の後ろに、すっと白い人陰が降りてきた。男が反応する間もなく、閃光のようなものが走って、彼は崩れ落ちた。男が私の視界から消えて、代わりに姿を現したのは、着物を着た男性。
 五エ門、だった。
 私は目を疑った。五エ門、と彼の名前を呼ぶやいなや、私の隣にいた男が五エ門に斬りかかる。けれども、またパン、という音に、男の持っていたナイフが彼の手からこぼれ落ちた。そして、今度は先ほどよりも少し低い、乾いた短い音が二回。私が何度か瞬いた後には、男たちは全員、地面に倒れていた。

 いったい、何が起こったの?気がついたら、私は呼吸することを忘れていて、息が苦しかった。
 目の前にはいるはずのない人   五エ門。そして、カーラの男たちが三人共倒れている。死んでいるのかとひやりとしたけれど、胸が上下しているので息はしているようだった。

殿、大事はないか?」

 五エ門が私を見下ろすように立っていた。その声も、紛れなく五エ門のものだった。五エ門の目線がやけに高いと思ったら、いつの間にか私は地面に座り込んでいた。腰を抜かしてしまっていたようで、足に力が入らない。

「ご……えもん……どうして、……?」

 私は、五エ門の質問に答える余裕がなく、情けない細い声が出てしまう。

「それは」

 五エ門はそう言いかけるとぴたりと止めて、私の背後を見つめた。つられて私も後ろを振り向くと、男性二人がゆっくりと歩いてくるところだった。
 帽子を目深にかぶった次元と。

「そりゃあこっちがいろいろと聞きたいところだ」

 ルパン、だった。

 

(17.8.1)