七章:the Valley of the Spirit...62





 三人がいなくなった部屋の中で、私はひとりぽつんとソファに座っていた。外は少しずつ明るさを取り戻していく。完全に日が昇ったら、ホテルに戻らないと。
 そう思うのに、私は、その場から動くことができないでいた。急に疲れがどっと出てきたような感覚だった。身体が水の中に沈んでいるときのように重い。
 もし。もしここにずうっと居座っていたら、いつかはルパンたちが戻ってくるかもしれない。そんな考えが頭を過ぎって、私は未練がましい、と自嘲的に笑った。
 でも、もう会うことはないと思っていた人たちに会えて、私の中で彼らの存在がどれほど大きかったか、わかってしまった。もっと一緒にいたかった。話をしたかった。忘れようとしていた彼らへの想いが蘇ってしまった。いっそ再会なんてしなければ良かったのかもしれない。けれど、ルパンたちが助けてくれなければ、私は今ここにはいない。
 私はふう、と息を吐いた。ひとりぼっちの部屋の中で、その音はやけに大きく響いた。
 何にせよ、きちんと感謝は伝えるべきだった。ルパンたちに助けてもらった命を粗末にするような発言をすべきじゃなかった。後から後から、ああ言えば良かった、こうすれば良かった、という後悔がとりとめなく渦巻いてくる。
 ただ   、ルパンの言葉を素直に聞いておくべきだったと解ってはいても、ルパンたちと一緒に行きたかったという思いは捨て去ることはできなかった。足手まといだと解っていても。無謀だと解っていても。それでも、先生を助けに行きたかった。アレキサンダーの遺産を見つけたかった。ルパンたちと並んで行きたかった、……。

 行き場のない思考にぼんやりと身体を埋めていると、カツカツ、という乾いた靴音が聞こえてきてはっと顔を上げた。砂漠の街には不釣り合いの音。石畳の階段を上り、こちらに歩みを進めてくる音だった。
 私は、ざわざわと湧き上がる不安の中、身を隠そうか迷った。カーラの追手がここを掴んだのかもしれない。もしくは、本来のここの主とか、……。とにかく、顔を合わせるのはまずいと思った。
 けれど、私が腰を浮かせたところで、木の扉が勢いよく開いた。
 扉の外にいたのは、真っ黒のライダースーツに身を包んだ美しい女性だった。

「あら?」

 その声にも、顔にも、覚えがあった。
 不二子さん   
 私は固まってしまった。不二子さんの美しさが、現実離れしているように感じられた。
 不二子さんも私を見て目を丸くする。

「部屋、間違えたかしら?」

 不二子さんはすたすたと室内に足を踏み入れて、あたりを見回す。そして、テーブルの上に積み上がった灰皿に目を向けた。

「でもこれ、ルパンの煙草よね」

 不二子さんは私に視線を移す。私は不二子さんの一挙手一投足をぼんやり眺めていたけれど、目が合ってどきりと肩を震わせてしまった。
 私を見る不二子さんの目つきがだんだんと怪しいものに変わっていって、私は慌てて口を開いた。

「えっと、あの、ルパンたちはさっきまではここにいました」
「ふうん。あなた、ルパンの知り合いなの?そういえばどこかで会ったことあるかしら」
「前に、ルパンたちに助けてもらったことがあって……不二子さんにも、たしか二回くらい会っています」
「あら、そうだった?それで、ルパンたちはどこに行ったの?」

 話を聞こう、というように、不二子さんは私の目の前にあるソファにどさりと腰かけた。そしてすらりと長い足を組む。ぴったりとしたライダースーツは胸元が大きく開いていて、不二子さんが腕を組む合間からちらりと見えた。私は思わずどぎまぎしてしまって、目線をどこに留めていいのか迷った。結局、不二子さんの顎のあたりを見ることにして、話をはじめた。
 大学でアレキサンダーの遺産について研究していること。そしてこの地を突き止めて、アレキサンダーの遺産を隠し持っている部族に辿り着いたこと。カーラの裏の顔のこと。仲間が囚われ、ナスワンの石碑を持ち帰るために、私だけがシワに戻されたこと。そこでルパンたちに助けてもらったこと。
 私が手短に語り終えると、不二子さんは「なるほど」と深い息を吐いた。

「そういうことね。道理でジュディに連絡がつかないわけだわ」
「えっ?ジュディ・ミラーさんをご存知なんですか?」
「ええ。手を組んでいる、と言ったらいいかしら」

 そういえば、ジュディさんは「自分が戻らなかったときに、連絡を託した友人がいる」というような話をしていた。その友人というのが、不二子さんのことなのだろうか。

「何かあったのかと思ってたのよ。彼女から、昨日は連絡がなかったから。ここに来てからは毎日、行き先を私に伝えてきていたのに。だいたいジュディと私が予想していたとおりね。アレキサンダーの財宝を隠し持っている輩がいる、って」

 不二子さんは、ジュディさんの事情をどこまで知っているのだろう。ジュディさんも、不二子さんが泥棒だと知って手を組んでいるのだろうか。そういえば、ジュディさんのピンクダイヤをルパンが盗んだのは、もともと不二子さんのためではなかったっけ。

「カーラ、ね……なんだか血の気が多い連中のようね。どうしようかしら。お宝はほしいし……」

 不二子さんは眉を寄せながら宙を睨んでいたが、私に視線を戻した。

「ルパンたちもそこに行ったのよね。それならどさくさに紛れて頂いちゃおうかしら」

 不二子さんもカーラに行くんだ。
 ふいに羨ましい、と思った。私も連れて行ってくださいという言葉が頭をちらついたけれど、呑み込んだ。私が行ってもできることは何もないということは、自分でもよく解っていた。

「それで、あなたはここで何をしているの?」

 不二子さんは私に興味深そうな視線を向けてくる。

「え、っと……ルパンたちに、明るくなったらホテルに戻るように言われていたので……」
「ふうん?」

 不二子さんの探るような目つきに、私はさり気なく視線を外した。不二子さんに見透かされてしまいそうで、怖かった。私がかつて抱いていたルパンへの想いや、今の自己嫌悪感や、不二子さんを羨ましいと思ってしまっていることも。

「どこのホテル?」

 そう訊かれて、私は場所を答える。

「歩くと少し遠いんじゃない?送ってあげる。私、足があるから」
「いいんですか?」
「ええ、カーラに行く途中だから」

 不二子さんに促され、私は屋外へと出る。家の外には大型のバイクが停められていた。不二子さんは慣れたようすでそのバイクにまたがり、エンジンをかける。
 赤いメタルフレームが不二子さんのまとう黒いライダースーツとぴったり合っていた。細身ですらりと手足の長い不二子さんが、ごつごつした大型バイクに乗る姿は不思議と違和感はなく、むしろ目を奪われるほど魅力的だった。美しくて、格好いい。
 見惚れてぼんやりしていった私に、不二子さんは「乗って」とバイクの後ろを視線で指した。私はどうすれば良いかおろおろと迷ったあげく、不二子さんの背に抱きつくようにして、バイクの後ろにまたがる。ふわり、と爽やかな甘さの香水が私の鼻をくすぐった。
 不二子さんはハンドルをぐっと握り、バイクを走らせる。
 どれくらい不二子さんに密着すればいいか、その距離感にどぎまぎしてしまった。しっかりとくびれたウエストは、けれどもほどよく女性らしい柔らかさがある。私は遠慮がちに腰に手を回していたけれど、道が舗装されていないのでガタガタと乗り心地が悪く、不二子さんにしがみつくしかなかった。
 こうやってみっともなく不二子さんにすがりつく私がいなければ、バイクに乗る不二子さんはさぞ絵になったことだろうなと思った。私には到底かなわない。スタイルも、美しさも、強さも、格好良さも。私ではとても追いつけない。完璧な美貌なのに、相手を寄せつけない近寄りがたさはなく、どこか親しみやすさや可愛らしさがある。男性にも女性にもさぞ人気がありそうだな、と思った。
 そして、ルパンと肩を並べられる唯一の女性が、不二子さんなのだろう   
 かたや、砂埃にまみれたシャツとパンツという地味な格好に、凹凸のないスタイルの私。単なる考古学を志す学生。
 不二子さんがルパンの近くにいるのに、私が太刀打ちできるはずがなかったんだ。
 ふいに目の中に砂粒が入り込んできて、涙が出てくる。

「ルパンとはどういう関係なの?」

 まるで私の頭の中を覗き込んだような質問だった。私はすぐに返答ができなかった。不二子さんは明るい声で続ける。

「ルパンの恋人として、知っておくべきかと思って」

 “恋人”。ルパンのことはもうなんとも思っていないはずなのに、不二子さんの言葉は私の中に重石のように沈んでいった。すぐに答えられないでいると、不二子さんは「冗談よ」と笑う。

「ルパンとは、そうねえ   仕事上のパートナーだったり、ライバルだったり、そんな関係だから安心して。今は、ね」

 不二子さんは悪戯っぽく言う。

「でも……ルパンは不二子さんのこと、好きだと思います」
「どうかしら?ルパンのことは、私にもわからないことがあるの。ほら、ルパンって惚れっぽいでしょ?あなたも口説かれたんじゃない?」
「いえ、そういうんじゃ」
「ルパンってば相手が女だと優しすぎるから、しょっちゅう勘違いをさせちゃうのよね」
   そういうんじゃ、ないです。ルパンは、私の父が持っていた美術品を取り戻してくれて……そこからちょっとした縁が繋がっていただけで」
「ああ、思い出した。あなた、前に絵を直してくれたわよね」
「はい。それで、今回のアレキサンダーの件も私が調べていたことだったから……たまたま助けてくれただけで。本当は、もう関わるなって言われました」
「そこまで関わらせておいて、突き放すのはひどいわよねえ」

 不二子さんの流れるような言葉に、私は「いえ……」と口ごもるしか返答ができなかった。「でもね」と不二子さんは続ける。
「ルパンはね、無類の女好きだけど、どこか一線を引いてる感じよ」
「えっ……?」
「ルパンはひとつのところに留まるのが苦手なのよね。あとは、退屈とか平穏とか」

 それは、私もよくわかっていた。ルパンが何よりも求めているのはスリル。一定の場所に留まりたくないというのも、ルパン自身が言っていた。

「だから、ルパンが特定の一人と付き合うなんていうことは考えられない」
   でも、不二子さんは違いますよね。ルパンにとって、不二子さんは特別なんだと思います」

 自分に刻みつけるように、私は言った。

「そうね。ルパンと私は、同類だから」
「同じ泥棒ということですか?」
「それもあるけど、ルパンも私も、スリルっていう人生のスパイスがないと、生きられないのよ」

 けっしてかなわない。あらためて、そう思った。容姿だけでなく、考え方も価値観も、不二子さんはルパンの理想そのままだ。
 不二子さんも、これ以上ルパンに関わるなと言っているのだと思った。
 けれども、沈黙する私に、不二子さんは「違うのよ」と言った。

「私は何も、ルパンを諦めたほうがいいって言いたいわけじゃないの」
「そうなんですか?」
「そうよ。だって私にはそんな権利も義理もないもの。そういうことを全部わかってルパンに惚れるなら、好きにしたらいいと思うわ。ただ、後で泣くのはあなた自身になるかもしれないけど」

 不二子さんは笑いながら言った。
    その返事を頭の中で考えようとした直後、急にバイクを停止させる。私は前につんのめって、不二子さんの背中に鼻をぶつけた。
 すみませんと謝ろうと口を開く前に、不二子さんが緊迫した声を出す。

「こいつら   

 私は不二子さんの背中から顔を出し、不二子さんの視線の先を見た。
 二台の車から、外套をまとった男たちが何人も降りてきた。
 その姿に、背筋が凍る。見覚えのある風貌。フードから覗くぎらついた目つきは、カーラの男たちに思えた。

 

不二子は「私」と書いて「わたし」でも「あたし」でもお好きなようにお考えください。(17.8.31)