七章:the Valley of the Spirit...61
ルパンたちが寝泊まりしているという家屋は、シワの街中にあった。石造りの二階建てで、無人だったところを勝手に使っているらしい。電気は通っているようで、明かりを点けたルパンは、私を二階へと導いた。一階に一部屋、二階に一部屋という小ぢんまりとした家だった。
部屋に入ると、ルパンはその中心にある古びたソファに私を促して、水を出してくれた。私はお礼を言って、コップに口をつける。久しぶりの水分だった。カラカラに渇いた口と喉をすうっと潤してくれる。止まらずに一気に飲み干してしまった。
私がコップを置いて顔を上げると、五エ門は私の向かいのソファの上で正座をし、次元はそのソファの肘掛けに腰かけて煙草を吸っていた。ルパンは、私の左手にある窓に寄りかかって、次元と同じく煙草をふかしている。
時間があまりないことを思い出してはっとした私は、慌てて口を開いた。
「それで、ええと……」
ここに来るまでに頭の中で組み立てていたことを、話す。
「先月のベルモンドと私たちの研究チームとの交流会の後に、“次元”が私のところに来てね」
じいっとルパンに強い視線を送ると、ルパンは苦笑していた。今は私の話を聞いてもらうことが先決なので、そのことは後で追求するつもりだった。
「その次の日に、私のアパートにミラーのSPの男が来て
それから私は、なるべく簡潔にこれまでのことを語った。ミラーのもとに行くと先生がいて、彼女に脅されるようにして結局エジプト行きは免れなくなってしまったこと。シワを拠点にして、このあたりの集落を調査していたこと。そこで、カーラにたどり着き、彼らがアレキサンダーの遺産を守る一族だったということ。その一族に先生もミラーも私も囚われてしまったこと。ナスワンの石碑
私が語り終えると、ルパンが煙草を灰皿に押しつけた。
「だいたい想像してた通りだよ。俺たちの事情も手短に話すとだな、まず
ルパンは頭をかきながら気まずそうに笑う。
「近ごろいい獲物がないんで退屈してたところに、次元がアレキサンダーのお宝のことを思い出した。が調べてるってな。ちょうどそんときに不二子も一緒で、その話に喰いついてきやがった。そんで、俺たちのターゲットはアレキサンダー大王のお宝と決まったわけだ」
アレキサンダーの遺産がすっかりお宝扱いになっていることに私は苦笑する。ここは“次元”から聞いたとおりのことだった。
「んでもって、おまえたち調査チームとベルモンドが親睦会なんぞを開くていうんで、何かあるんじゃないかと踏んだ俺は、そこに潜り込んだ。そこで、おまえたちが行こうとしてるカーラって場所のことと、ジュディ・ミラーが何か企んでやがるってことを聞いた。こりゃあたち学生諸君は手を引いたほうがいいと思ったわけ。そんで、俺が……次元に成り代わって、おまえのところに行って、そのあと先生のとこまで行ったのさ」
「勝手に俺の姿を借りたわけだ」
と次元は不満げに言うけれど、なぜそうしたのかは訊かなかった。もしかすると、ルパンと私の事情を何か察しているのかもしれない。あんなふうにはっきりと私に別れを言い渡しておいて、ルパンの姿のままで私の前に現れにくかったのだと思う。
ルパンは曖昧に笑って、続ける。
「先生のとこに行ったときにな、俺たちの正体と連絡先を教えたわけ。何か情報があったら教えてほしいってな。お宝は頂くけども、学者連中にもちゃんと分け前をやるから、この件からは手を引けとも言った。先生から連絡があったことは一回もなかったけどなぁ。半信半疑だったみたいだし。でもまあ、俺の連絡先を短縮登録するくらいには信用してくれてたってわけだ」
先生も賭けだったのかもしれない。警察に話したところで動いてもらえない可能性が高い。それならば、ルパンたちなら何とかしてくれるかも、と考えたのかもしれない。ルパンには不思議な雰囲気があるから、初対面であってもなんとなく惹かれるような、この人なら何かをしてくれるんじゃないかと期待させるようなものがある気がする。
「でもなあ、俺も先生が連絡してくれない可能性は考えてたんで、先生の携帯に発信機をつけてたのよ」
「えっ、発信機!?」
「そそ。で、先生がシワに向かったとわかって、俺たちもここに来たわけ。ここら一帯のどっかにお宝があると思って調べてたんだけどな。その崖の集落にも行ったんだけどよ、なあんにもなかったんだぜ」
「そう、だったんだ」
集落のごく一部しか知らないことなのか。それとも、全員で隠し事がうまいのか。
それにしても“また”発信機だなんて。なんだかんだ言っても、その発信機で助けられているのだから、文句は何も言えないけれど。
「で、先生の位置情報が消えたんでおかしいなと思ってたとこに、当の先生から電話がきて出てみたら
ルパンはいつの間にか煙草をふかしていた。
そういうことだったのか。そういえば、助けてもらったお礼をまだ言っていないことに気がついた。
「ありがとう……助けて、くれて」
私がルパン、次元、五エ門に向けていうと、ルパンが「どういたしまして」と微笑む。次元はふん、と鼻を鳴らしただけで、五エ門はうむ、と頷いた。
ああ、この感じ。私、ルパンたちといるんだなあ、という実感がむくむくと湧き上がってくる。素っ気ないけれど気遣いもしてくれる次元。真面目で真摯な五エ門。それに、……人懐っこいルパンの笑顔。
一度完全に失ったと思っていたものが、また目の前にある。
胸がずきずきと痛む。けれども今は、感傷に浸っている余裕はない。
「でも、これからどうすればいいかな。ナスワンの石碑を渡したところで、カーラが先生たちを助けてくれるとは思えない」
「十中八九、そうだろうな」
ルパンはなぜかにやりと口角を上げて、懐から何かを取り出した。煙草の箱かと思ったけれど、それよりも二回りくらい大きな四角いもの。ルパンがカーラの男たちから奪った無線機だった。
ルパンはその無線機のアンテナをつうっと伸ばし、スイッチを入れる。ザザッ、というノイズが続いた後、聞き取れない男の言葉が無線機の向こうから返ってくる。カーラの言葉だった。
「あー、もしもし?こちらルパン三世」
「!?」
男は声を上げた後、「何者だ?」と英語で訊いた。
「世界一有名な大泥棒のルパン三世。ご存知ない?」
「なっ……!?何を、ふざけたことを。我々の戦士はどうした!?あの女は!」
「おたくらの戦士とやらはおねんねの最中。女は俺が頂きました。あとナスワンの石碑とやらも、な」
「なんだと!?」
「アレキサンダーのお宝は俺たちが頂戴する。俺は無駄な殺生が嫌いでね。おまえたちが捕まえた学者さんたちを殺したら、おまえたちの戦士も殺す。いいな?」
「き、きさま!」
「んじゃ、きみたちの族長さまにもよろしく」
ルパンがボタンを押すと、プツリと通信が途絶えた。私は呆然としてルパンを見つめる。
「ルパン……先生たちを、助けてくれるの?」
「ま、先生にもお宝の分け前をやるって話を持ちかけちまったからな。何より気に入らねえんだよ。アレキサンダーの遺産を守るなんて正義を振りかざしておいて、やってるこたぁ人殺しだろ。そんなやつらの鼻を明かして、お宝も手に入れて、ついでに先生方も助けてやるよ」
ルパンはにんまりと笑う。
私は全身からすうっと力が抜けてゆくのを感じた。ルパンたちが味方をしてくれるのなら、百人力だ。目の前がぱっと明るくなってゆく。
「ありがとう
「いんや、礼はいらねえよ。代わりにお宝はたんまりいただくからな」
にひひ、とルパン。これほど頼もしい味方はいない。私は勢いよく立ち上がった。
「それじゃあ、早く行ったほうがいいよね」
ルパンがああ伝えたとはいえ、あいつらが先生たちに危害を加えないとも限らない。カーラに戻るなら、早いうちのほうがいい。
勇む私を、ルパンは怪訝そうに見た。
「んん?まさかとは思うけども、ちゃんも行く気?」
「え……?」
もちろんそのつもりでいた私は、眉をひそめるルパンの前に目を点にしてしまった。
「だ、だって……先生が、捕まっているから……私の身代わりみたいなもので……」
そうは言いつつも、私の言葉は尻つぼみに小さくなってゆく。
そうか。ナスワンの石碑も必要なくなったのだし、私がわざわざカーラに行く必要はないんだ。ルパンたちはカーラを訪れたことがあると言っていたから、案内も要らないのだろう。
「先生なら俺たちに任せておけって。ちゃんはここでお留守番してなさい。外が明るくなって、人通りが出てきたら、ホテルに戻んな」
ルパンの言うとおりにすべきだ。そうは頭で解っていても、感情がついていかない。
私も先生を助けに行きたかった。私を代わりに外に出してくれた先生を、救出に向かいたかった。
それに、アレキサンダーの件は、ルパンたちよりも先生や私が先に調べていたことだ。それを途中で投げ出したくはなかったし、私も遺産をこの手で見つけたかった。
私だけ蚊帳の外に置いていかれるようで、焦りのような、悔しさのような気持ちがあった。ただただ、私も一緒に行きたいと、思った。
「で、でも、……交渉役くらいにはなれるかもしれないし」
そうは言ってみたものの、それは難しいだろうなというのはわかっていた。でも、何かの役には立てるかもしれない。ううん、何か、役に立ちたい。
私の言葉に、ルパンの目の色が変わる。
「だーめ。足手まといなんだよ、学者さんは」
お腹のあたりがかっと熱くなる。ルパンの言い方は穏やかではあったけれども、問答無用で突き放すような響きがあった。
ルパンの言っていることのほうが確実に正しい、という事実もやるせなかった。
“足手まとい”。そのひと言が、ルパンたちと私の、絶対に埋められない溝を象徴していた。悔しかった。黙っていることが、できなかった。そうすればルパンたちとの距離は永遠に埋まらない気がして。
「……先生、思いつめたような顔してた……何か良くないことを考えてるんじゃないかと思って。だから、」
「だからっておまえが戻ってどうする?先生は何のために大事な教え子を逃したと思ってんの」
「でも……」
そんなこと、わかってる。
引き下がらない私に、ルパンの口調は厳しいものになっていく。
「それとも何か?俺たちがまた守ってやれるとでも思ってんのか?言っとくけどな、」
「そんなふうに思ってない!」
私は声を荒げてしまう。気持ちの抑えがきかない。不安定な場所にある天秤のように、ぐらぐら揺れているようだった。
ルパンの言うとおり、だった。危険な目に遭っても、ルパンたちが助けてくれるかもしれない、と期待してしまう部分は否定できない。もう駄目かもしれないという場面を、何度も助けてくれたルパンたち。その彼らへの甘え。ルパンたちに頼ることしかできない、自分の無力さへも腹が立つ。
「先生は大切な人だから……私も助けに行きたいっていうだけで」
父さんも、お祖父ちゃんも。エミリオさんも、ルパンたちも。私の大事な人はみんな、私の人生からいなくなってしまう。
「だからってわざわざ死に行くつもりか?」
私だけおいていかないで。
もう気持ちがぐちゃぐちゃだった。卑屈になっていた私は、考えもなしに口にしていた。
「
「ばかやろう!」
ルパンが怒鳴る。私は驚いて肩を震わせた。
とっさにルパンの目を見ると、いつになく憤慨した表情だった。
完全に私の失言だった。ルパンたちに助けてもらった命なのに。
自分の発言に深く後悔をしたけれど、私は、ルパンに謝ることができなかった。いろいろな感情が頭の中で複雑に絡み合っていて、全然解けない。落ち着いて物事が考えられなかった。
私に別れを言い渡したくせに、次元になりすまして私に忠告をしに来たルパン。先ほども助けに来てくれたルパン。どうして放っておいてくれなかったんだろう、なんていう不条理な腹立たしさが浮かんでくる。どうして私の前に現れたの?必死に必死に気持ちにふたをしてきたのに。ようやく封じ込められたところだったのに。私の前にやってきて、優しくして、結局また突き放すようなことを言うなら、もう近づかないでほしかった。
口を開いてしまったら、これ以上良くないことを言ってしまいそうで、私はきつく唇を結んだ。ルパンから目を反らしたら負けだと思って、拳をぎゅうと握りしめてルパンを見つめる。
お互いに何も言わずに向き合って、ぴりぴりと張りつめた空気が流れた。
先に顔を背けたのは、ルパンだった。はあ、と音を出さずにため息をつく。
「とにかく、昼になったらホテルに戻んな。先生たちは助けてやっからよ」
行くぞ、と次元と五エ門に向けて言って、ルパンは足早に部屋を出て行く。ばたん、と扉が閉まる音に、完全に拒絶されたような気がした。まるで駄々をこねるような私に、呆れているようにも見えた。
しばらく重い沈黙が続いた後、次元が気まずそうに頭をかく。
「んー……あー……ルパンのやつが女に声を上げるなんざ、珍しいな」
次元の言葉に、五エ門は「ああ」と頷く。
「ま、ルパンのやつはな、女子供に危険が及ぶのが嫌なだけだよ」
次元は軽く言って、ルパンの後を追うように去って行った。“女子供”という次元の言葉が胸に痛い。
残された五エ門は気遣わしげに私を見ていた。
「ルパンと何かあったのだな?そうでなければ、ルパンが次元のふりなどをして、殿のもとに行く理由がない」
「
「そうか」
「ルパンが言ってたことは、全部わかってる……つもりなの。でもね、悔しくて、腹が立って、悲しくて……。私は絶対に、五エ門やルパンや次元には近づけないから……。本当は、いろいろ助けてもらった恩を返したいのに。本当は、私だってアレキサンダーの遺産を発掘したかたのに。先生を助け出したいのに……」
ルパンとのやり取りを思い出すと、自分に嫌気が差してきた。私の窮地を救ってくれたルパンに対して、どうしてあんな態度しか取れなかったんだろう。そう考えるのと同時に、あのときに感じた悶々とした気持ちも拭いきれなかった。
うつむく私の肩を、五エ門がぽんぽん、と叩いてくれる。
「拙者はルパンの考えていることなどはまるでわからん。わからんが
「……そうかな。たまたま私が、ルパンがほしい情報や何かを持っていただけじゃないかな」
「あやつは無類の女好きだが、こう何度も会う女人というのは、不二子以外には殿だけだ、と思う。拙者が認識している限りは、であって、他に女がいることも否定できないのだが」
「うーん……」
「おそらく、ルパンは殿を危険に巻き込みたくなかったのだろう」
良く言うと、そうかもしれない。でも、『足手まといだ』と言っていたルパンの言葉のほうが本音のような気がする。たぶん、五エ門もそれは感じているのだと思う。けれど私に対して気遣って、こうして励ましてくれるのだろう。
「ありがとう。五エ門は、優しいね」
「いや
「うん……よろしく、ね」
五エ門は深く頷く。私は少し考えてから、続けた。
「あと……ルパンに、さっきのことを謝ってほしいな。三人に何度も助けてもらってるのに、死んでもいい、みたいなことを言ってしまって」
「伝えておこう」
そして、五エ門も私に背を向ける。
ああ、行ってしまう。三人とも、結局私の前からはいなくなってしまう。
気をつけて。ありがとう。よろしくね。かける言葉を見つけられないまま、五エ門の姿は部屋から消えた。
(17.8.23)