八章:Alexander the Great...73





 ルパンが再び先生の携帯電話と格闘しはじめたとき、ブーン、という低いモーター音が聞こえた。ルパンははっとして川岸に駆け寄り、私も後を追う。
 川上から、一隻のボートが水を切って走ってくる。個人がクルージングで乗るような形状だけれど、大きい。甲板から先生が大きく手を振る姿が見えた。

「お!やーっとお出ましか!」

 ルパンも手を振り返す。
 ボートが私たちの前で停まり、ルパンと私はデッキに乗り込んだ。先生とジュディさんが駆け寄って来てくれる。

!無事だったか……良かった……。カーラの追手が、君たちは川に落ちて死んだと、……」

 先生は声を詰まらせる。ジュディさんも笑顔で迎えてくれた。
 ふたりとも心配してくれたのだな、と胸が温かくなる。
 先生と再会して、ふっと足の力が緩みそうになるのを堪えた。

「約束したろ、先生」

 ルパンは先生の肩をぽん、と叩いた後、舵を握る次元に目を移す。

「次元、どうなってる?」
「遅くなって悪かったな。不二子のやつが、やたらとお宝を載せようとしやがるから手間取っちまった」

 次元は不二子さんを睨むように見つめる。不二子さんは、ルパンに近づいて行って、ルパンの腕を取った。

「ちがうのよ、ルパン。船がこんな大きさでしょ?お宝が全部載らなくて、厳選してたの」
「厳選、ねぇ」

 ルパンは目を細めて不二子さんを見る。次元が言った。

「ったく、そのせいで危うく蜂の巣になるところだっただろうが」
「あら、でも結果オーライでしょ」

 不二子さんがひらひらと手を振る。次元はため息を吐いた。
 次元の説明いわく、エレベーターが降りた先には小型船が三隻あり、アレキサンダーの遺産はその三隻を使えばすべて持ち運びできそうな量だったという。けれども、今は逃げることが先決だから、一隻のボートに乗り、残りの二隻を壊して追手を防ごうとしたらしい。でも、不二子さんが“お宝”を積んでいきたいと言い張るので時間を食ってしまい、カーラが追いついてきた。そこで、ルパンと私は撃たれ、崖から落ちたことを聞いたのだという。
 次元と不二子さんは隙をついて一隻のボートを奪い   不二子さんがいくつか遺産を積み込んでいた船   、残りの二隻を爆薬で破壊、命からがら逃げ出してきた。そして、こうしてボートで川を下ってゆき、私たちの姿を見つけたのだという。ルパンはそう簡単に死ぬはずがないから、きっと下流にいるはずだ、と。

「連中には俺たちを追いかける手段がないだろうしな、ひとまず安全だと思っていいだろう。それに、」

 次元は上着のポケットから小型の機械   無線機を取り出して、ルパンに投げて寄越す。

「さっき五エ門から通信が入った。ICPOのお出ましだとよ」
「おー、やーっとか」

 ルパンはにやりと笑って、無線機のスイッチを入れる。ザーザーというノイズ音の後、「次元か?」という声が聞こえた。五エ門のものだった。

「よぉ、五エ門。今どこだ?」

 ルパンは無線機に向かって問いかける。

『それはこちらの台詞だ。拙者はカーラの民家に隠れ忍んでいる。ずいぶん待ったぞ』
「悪かったな。んでも無事で何よりだ。なぁ、五エ門、とっつぁんを掴まえてくんねぇか?」
『銭形を?今は、長の屋敷でおぬしのことを聞きまわっているようだ』
「ちぃと代わってくれ」
『……相わかった』

 五エ門の声が一時的に途切れる。私たちは無線機のゆくえを、無言で待った。
 しばらくして、ザザッというノイズ音の後   

『あなた方もしつこいな。ルパンという男のことなんて知らん』

 訛りのある英語が、聞こえた。おそらくカーラの男の声。続いて、馴染みのある濁声が返ってきた。

『しかしですな、ルパンからはこうして予告状が届いておるのです。あいつは、やると言ったら必ずやる』
「お、とっつぁん。俺のこと誉めてくれるなんて、照れるな」
『何、ルパン!?ぬわっ!五エ門、きさまどこから!』

 無線機の奥から、銭形警部が慌てるようすが伝わってくる。

『ルパンからだ』
『ルパンが……!?』

 五エ門から無線機を受け取ったらしい銭形警部の声が、はっきりと聞こえる。ルパンは目に見えない銭形警部に向かって、告げた。

「とっつぁん、もうちっと早く来てくれっとありがたかったんだけどなー」
『な、なんだと、ルパン!きさま、今どこに!?』
「俺は今、地中海に向かってる。サルームって街に行こうかと思ってなあ。エジプトとリビアの国境にある場所だ」

 ルパンはそう言いながら、次元に目で合図を送る。次元は頷いて、ボートのエンジンをかけ、下流に向かって進みはじめた。
 たしかに、このまま船を進めたら、カーラの長が言っていたように地中海に出るのだと思う。そこに街がある……?

「とっつぁん、今からサルームに来てくれ」
『おまえなんぞに言われなくとも!何を企んでるのかは知らんが、おとなしくしてろよ』
「あー、ちょいと待った。カーラの連中からは、目を離さないどいてくんないかな」
『なんだと?』
「そいつら、人殺しだからさ」

 ざわり、と無線機の向こう側が揺れる。カーラの男たちもルパンの声が聞こえているのだろう。

「そこにいる連中は、アレキサンダー大王の遺産を代々隠し持ってやがった。それを世間に知られないために、その土地に辿り着いた人間を葬り去ってた、ってわけ」
『は……?何を、そんな……突拍子もないことを。おまえの言うことなんぞ信じられるか!』
「いやぁ、でも、事実だし。なんなら長の家の地下を調べてみたら?」
『しかし、だな……』
「私が保証するわ」

 ジュディさんがルパンの持つ無線機に向かって呼びかける。

「私は、ジュディ・ミラー。オーストラリアのホテル、ベルモンドグループの副社長よ。身元を問い合わせてもらえればわかるわ。シワに旅行していることになっているから」
『は……!?ベルモンドの、副社長!?い、いやいや、ルパン、きさまが声を真似ているだけだろう!』
「いや、俺じゃねぇって」
「私も証言できる」

 ルパンの言葉が終わらぬうちに、先生も口を開く。

「私はシドニー大学の考古学研究チームの責任者、レイモンド・ブライトン。私の身元も問い合わせてくれればわかるはずだ。アレクサンドロスの遺産を調査しにカーラに向かったが、そこで村の者たちに襲われ、ルパンに助けてもらった」
『な……、』
「証拠が必要であるのなら、カーラとの会話はすべて、録音してあるわ。それを提供しましょう」

 ジュディさんが言う。いつの間にそんなことをしていたのかと、私は驚いた。
 銭形警部も、絶句しているようすが伝わってくる。矢継ぎ早にいろいろなことが明かされ、唖然としているのだろう。
 けれども。次に聞こえてきたのは、銭形警部の声ではなかった。パン、という乾いた音が無線機の向こう側で響き渡る。銭形警部が「なんだ」と声を上げるのが聞こえ、そこで通信が途絶えてしまう。

「おそらく連中に撃たれたんだろうな」

 ルパンが無線機をポケットにしまいながら、肩をすくめる。それでも声に緊迫感はなかった。

「だ、大丈夫なのか?」

 先生が心配そうに問いかけるけれど、ルパンは「大丈夫だって」と軽い口調だった。

「とっつぁんならそう簡単にくたばるわけがねぇし、五エ門も一緒ならなおさらだ。とにかく、俺たちはこのまま地中海に向かおう。そこの街で、先生、あんたらの身元をICPOに引き渡してやっから」
「そうか……ありがとう」
 
 先生はルパンに頷く。

 船は、崖の合間を抜け、下流へを進んでいった。しだいに崖の幅が広くなってきて、どことなく潮の香りが鼻に届くようになってくる。
    ああ、これでぜんぶ終わるんだ。
 そう思うと、感慨深かった。
 この数日間は、何十年もに相当するような、長い長い時間だったように思う。
 どうしようもない危機的な状況から、ルパンたちとの再会、そしてアレキサンダーの遺産の発見、……。とにかくいろいろなことがありすぎた。
 身体が鉛のように重い。早く横になりたい。もう大きな危機は去ったのだろうと思うと、力が抜けて倒れてしまいそうになる。
 ぼんやりと風に身を任せていると、崖地帯が終わり、海に抜けた。太陽の光を受け、真っ青に照らされる、広大な海。地中海。
 これまで視界が狭まっていたぶん、海がずいぶんと偉大に思えた。どこまでも続く水平線。ずっと砂漠にいたから、水の青が眩しい。

   ルパン。ひとつ、頼み、というよりも、相談が、あるのだが」

 先生が神妙な顔つきでルパンに問いかける。
 不二子さんとともに、船に積んでいる遺産を見聞していたルパンは、顔を上げた。

「船の中に、アレクサンドロスとヘファイスティオンの棺を積んである。それを   ここに沈めるのは、どうだろうか」

 先生の言葉に、ルパンも不二子さんも、私も、驚いた。

「大王サマのミイラを持ってきてたのか?」

 ルパンが訊ねる。不二子さんが答えた。

「そうよ。場所を取っちゃうから私は反対したんだけどね。でも万が一、カーラに捕まるようなことがあれば、アレキサンダーのミイラを盾にできるでしょ?」
「ふうん。でも先生、本当に、いいのか?あんた、学者だろ」

 ルパンは苦笑する。先生は苦渋の表情だった。

「ああ。アレクサンドロスとヘファイスティオンのミイラなど、世を揺るがす発見だ。考古学者としても、公開をしたほうがいいと強く思う。だが   私、個人としては   王とその親友を、このまま静かに、眠りにつかせてやりたいとも思うんだ」
「先生、……」

 私は思わず、呟いていた。
 もしアレキサンダーとヘファイスティオンのミイラが公開されれば、いずれかの博物館でずっと日の目を見ることになる。何十年も、何百年も、ガラスケースに入れられ、人の目に晒される。
 アレキサンダーがいかにヘファイスティオンを大切に思っていたか、ルパンが見つけてくれた手記を読んだ先生と私は知っていた。
 だから、ふたりを静かに、休ませたい。先生がそう考える気持ちが、痛いほどわかった。でも、それは考古学者としてやっていいことなのか   
 先生はこの船が進んでいる間、ずっと何かを悩んでいるようだった。それがこのことだったのか。

「先生……私……私も、先生の考えに賛成です」

 私は口に出していた。

「アレキサンダー大王とヘファイスティオンを、ふたりで静かに眠らせたい。私個人としても、そう思います。私たちは棺なんて見つけなかった。それで、いいんじゃないでしょうか」


 先生は私を見つめる。ルパンも頷いていた。

「俺は先生の判断に従いますよ。ミイラなんて盗んだって仕方ねぇしな」
「私も異存ないわ。お金にはなるでしょうけど、なんだか祟りがありそうだし、ね」

 不二子さんも同意してくれる。次元は「俺はべつにどっちでもいい」と言いながら舵を握っていた。

「あなたが決めていいんじゃない、レイモンド」

 ジュディさんがそっと呼びかける。

「あなたは、何十年とアレキサンダーと向き合ってきた。カーラの一族よりも、ひょっとしたら真摯にアレキサンダーのことを見つめてきたんじゃない?考古学者としての選択も、あなた個人としての選択も、私はどちらでも支持するわ。もちろん他言はしないし」
「ジュディ……きみたち……すまない、ありがとう」

 先生は目頭を抑える。そして、言った。

   手伝って、くれるかい?棺をこの海に沈めようと思う」

 

 次元が船を停め、先生とルパン、次元の三人で、ふたつの棺を海に浮かべた。木の箱に、ゆっくりと水が染み込んでゆく。しだいに水面下へと沈んでいった。
 太陽に照らされ、きらきらと輝く海面。爽やかな、暖かい風が吹きつける。
 私たちは無言で、その一部始終を眺めていた。
 私たちの行為は、もしかすると批判されるべきものかもしれない。歴史上の偉大なる王を地中海に沈めてしまう、など。
 けれども、私たちは   先生は、真剣にアレキサンダーとヘファイスティオンのことを想い、決断をした。だから、罪悪感はあるけれど、この選択が間違っているとは思えなかった。

 アレキサンダーに囚われた一族から開放された王は、友と、眠りにつけるだろうか。ふたりは再会できたのだろうか。
 願わくば。王のその壮絶な人生から放たれて、安らかなる死後を過ごさんことを。
 私は胸に手を当てて、長い間祈った。

 

(17.11.20)