Epilogue〜最後の一ページ
エジプトに拠点を移して、三ヶ月が経った。
警察の協力のもと、私たちシドニー大学のチームは、カーラの地下に発掘に入った。遺産の部屋にあったものは、次元たちがエレベーターで船着き場まで運び出していたはずだけど、カーラの人間がエレベーターを起動させてもとの場所に戻していたらしい。途中、カーラが張り巡らせた罠を丁寧に除去しながら、ひとつひとつの部屋を調べた。
三ヶ月かけてすべての部屋を調べ終え、遺産はカイロに運び出された。カイロ大学に場所を提供してもらい、協力をして遺産の調査に当たる。
ここでひと区切りついたので、私たち大学のメンバーはいったんシドニーに戻ることになった。束の間の休息を取るために。
けれども私は、行きたい場所があって、寄り道をすることにした。
カイロ空港で、私はひとりひっそりとローマ行きの飛行機に乗った。
春を迎えたカプリ島は、それでも冷たい空気に包まれていた。観光客の数は少なく、まだ冬の気配が残っている。けれども、日差しのなかには確実に暖かさが含まれていて、春の訪れをしっかりと感じる。地元の人いわく、今年は暖冬だったらしい。
私はカプリの港に降り立って、ケーブルカーに乗り、街を抜け、林を辿り、白いコテージへとやって来た。
ルパンへの気持ちの区切りをつけるために、ひとつだけずっと心残りがあった。
私は、ポケットから一本のソムリエナイフを取り出した。柄の部分に“A.L”と掘られている。
ちょうど一年前。カプリにやって来た私は、倒れているエミリオさんを見つけた。そこで、ルパン一世の遺産を付け狙うマフィアたちに巻き込まれて、
そのどさくさに紛れて、私はキッチンからソムリエナイフを拝借してきてしまっていた。あのときは、ナイフがあれば何か役に立つかもしれない、なんていう無謀な考えで手に取ったのだけど。“A.L”、おそらくArsene Lupinのものなのだと知って、エミリオさんかルパンの大事なものだったのではないか、と思った。
このナイフを、ここに返しに来たかった。
ずっと私の部屋で眠っていて、静かな存在感を放っていたこのナイフを。
ルパンと繋がる、唯一の心残りを。
この場所に返して、エミリオさんのお墓参りをすることで、私が思い残していることは消え去る。
私はカプリの海を見渡せる崖に立ち、屈んだ。エミリオさんが好きだったというお酒の瓶が、三分の一ほど土に埋まって立っている。
あのときのままだった。
あのとき、ルパンは亡くなったエミリオさんをこの場所に埋め、エミリオさんが好きだったというお酒を注いだ。
ぐっと胸が詰まる。エミリオさんの柔らかな笑顔は、今でも思い出すことができた。
けれども、いつか薄らいでゆくのだと思う。
もう会わなくなってしまった人の面影は、時間が経つにつれて、少しずつ少しずつ、消えていく。
記憶も想い出も。
かなしみもうれしさも。
ただ、幸せだった記憶は、その気持ちだけは残していきたいと思った。
私の人生には、たしかに、人生を変えるような出逢いがあって、胸を焦がすような恋があって、愛おしさでいっぱいの想い出があった。
その事実だけは、けっして忘れないようにしよう。
私はソムリエナイフをエミリオさんのお墓に添え、手を合わせた。じっと目を閉じる。
エミリオさん。
勝手に持っていってしまって、すみませんでした。
あと、一周忌に間に合わなくて、ごめんなさい。
発掘のスケジュールの都合、というのは言い訳なんです。
本当は、一周忌に合わせてここに来るのが、怖かった。
そして、ルパンと会わないことも、怖かったんです。
今さら情けない、ですよね。
エミリオさんの一周忌に合わせてここを訪れれば、私の心の隅では、嫌でもルパンとの再会を期待してしまう。
そして、本当に会ってしまったら、今度はどんな顔をすればいいのかわからないんです。
でも、大丈夫。
ちゃんと、ルパンと別れられました。
ありがとうって言えました。
出逢えて良かったと、伝えられました。
だから。
今日、ここで、きちんとエミリオさんにもお別れとお礼を伝えられれば。
私はルパンへの想いの、最後の糸を切ることができる。
エミリオさん。
エミリオさんと会ったのは、たった二回ですが、エミリオさんと会えて、良かったです。
私のピアノを聞いてくださって、好いてくださって、ありがとうございました。
どうか、安らかに。
私は目を開けた。
目が覚めるような青い空と海。水面を照らす白い光。木々の緑。
私の目ははっきりと色を意識して、私の心ははっきりと美しさを感じ取っている。
もう、大丈夫。
ルパンのおかげで、取り戻せたよ。
私の色も。打ち込めるものも。友人も。幸せも。
エミリオさん。
オスカーさん、マルコさん。
不二子さん。
五エ門。
次元。
ルパン。
私の好きな人たち。
もう会うことのない人たち。
それでも私は、想い出だけで生きてゆける。
彼らとの出逢いで、強くなれたから。
幸せというものも、取り戻せたから。
「ありがとう、……」
頬をひと筋、熱いものが流れる。
けれどもその涙は、風に乗って飛んでいった。
私は私のラブストーリーを、ここで閉じようと思う。
最後に、この文字を添えて。
(17.12.7)