「ヒツジがちいさな木を食べるんなら、花も食べるのかな?」
「ヒツジは目に入ったものみんな食べるよ」
「花にトゲがあっても?」
「ああ。花にトゲがあっても」
「じゃあ、トゲはなんのためにあるの?」
わからなかった。そのときぼくは、エンジンのかたくしまったネジを外そうと、もう手いっぱいだった。しかも気が気でなかった。どうも、てひどくやられたらしいということがわかってきたし、さいあく、のみ水がなくなることもあるって、ほんとにおもえてきたからだ。
「トゲはなんのためにあるの?」
この王子くん、しつもんをいちどはじめたら、ぜったいおやめにならない。ぼくは、ネジでいらいらしていたから、いいかげんにへんじをした。
「トゲなんて、なんのやくにも立たないよ、たんに花がいじわるしたいんだろ!」
「えっ!」
すると、だんまりしてから、その子はうらめしそうにつっかかってきた。
「ウソだ!花はかよわくて、むじゃきなんだ!どうにかして、ほっとしたいだけなんだ!トゲがあるから、あぶないんだぞって、おもいたいだけなんだ……」

(『LE PETIT PRINCE』 Antoine de Saint-Exupery)

 

01. on the HORIZON
地平線のうえ 太陽が昇る場所 太陽が沈む場所

 

「ねえ、聞いてよ!」

顔を膨らませて教室に入って来た少女は、4人の少女が囲む机に椅子を持って来て、どさりと座った。

「アリスったら、アレックスが好きとか言っといて、マックスもいいなとか言ってるのよ!むかつく!」
「えーっ、最悪。プリシラがマックスのこと好きって知ってるんでしょ?」
「プリシラ、ちょっとピアノが上手いからって、いい気になってるのよ」

またはじまった、とは思った。けれども、うんざりした表情を見せないよう、取り繕う。
目を吊り上げていたプリシラは、仲間が賛同してくれたことに満足したのか、目元を緩める。彼女はさり気なく爪を皆に見せるようにして机の肘をつき、指を絡めた。そこには、先日ロンドンへ行って買ったという、流行りのマニキュアが塗られている。

「大丈夫、プリシラの方が可愛いし」
「えー、そうかな?そんなことないわよ」

照れたような笑みを浮かべながらも、きっと内心では嬉しくてたまらないだろうな、とは冷ややかに考えた。プリシラはそうやって褒めてもらうことが大好きで、わざと、しかしさり気なくそれを促すようなところがある。

「ところで、ジョアンナ。ジェシーとジャック、どっちにするか決めた?」
「うん……ジャックにしようかと思って」

「やっぱりね!」と皆口々に言った。ジョアンナは慌てて、「彼、優しいの」と加える。
嘘だな。ジャックの方がハンサムだからに違いない。先日、2人の男子に告白されたというジョアンナ。どちらの告白を受けるか、それとも受けないかで悩んでいたが、初めからには分かっていた。彼女が、より顔の良いジャックを選ぶことは。大抵、そうだ。人なんて異性を顔で選ぶ。

「ねえ、は?そういう話、全然ないけど」

突然話題を振られ、えっ、とたじろぐ。

「誰か好きな人、いるんでしょ?」
「え、っと……いないんだよね、それが」

えーっ、と4人の声が調和する。信じられない、嘘、と口々に言い合う。苦笑いに近い笑みを浮かべながら、はくだらない、と声を荒げたくなるのを堪えた。好きな異性がいないと変なのだろうか。恋をしていないと駄目なのか。大体、人を好きになるって何だろう。顔が格好良かったり、スポーツができたり頭が良かったりするだけで、その人のことを好きになれるものか。
けれども、4人の表情があまりに大袈裟なものだったので、は慌てた。

「気になる人くらいなら」

そう付け加えると、誰、誰?と身体を前かがみにして尋ねてきた。適当に、無難な男子の名を口にすると、皆「へえ、意外」とか「でも分かるわ」などと口にしていた。
馬鹿馬鹿しいとは思いつつも、彼女たちの話題に遅れて除け者にされることが嫌で、上手く話を合わせている自分に対して腹が立った。
こうして、好きな人を暴露しあって、励ましあって。そこに何があるというのだろう。は内心で大きなため息を吐いた。

 

彼女たちと別れ、は家路をとぼとぼと歩いた。
    疲れた。いつも、この路ではどっと疲労が押し寄せてくる。
私のせいだ。それは、解っている。愛想笑い、適切な相槌、思ったこととは反対のことを言うこと。悪いのは、自分。本音や本当の自分を隠して、他人との間に壁を作って生活してしまっている。客観的に人を分析し過ぎる。いつから、こうなってしまったのだろう。
昔から本やおとぎ話が好きだった。もっと上の年齢の子供が読むような本も幼い頃から読んでいた。そのせいかもしれない。人より達観しているような部分があった。自分で認めるのもおかしな話かもしれないけれど。自分の他にもう一人自分がいて、自分を上から眺め下ろしているような、そんな気分。客観的に、冷ややかに。夢中になれるものも何もなかった。流行とか男の子とか学校とかクラブとか。
友達はそうしたことに夢中だったけれど、何かがちがうな、と思っていた。ここ数年、それが顕著になってきた。友達は皆、流行のファッションを真似したり、恋の話をしていたり。それらは何かが違うと思った。そういうことについていけなくなってしまった。けれどもそれを口にしてしまえば、仲間外れにされたり虐められたりする。そういうのは面倒だし嫌だったから、適当に愛想良く振舞っていた。

その代償に、本当に打ち解けて話せる親友という存在はいなかった。
これからも、こういう生活を続けていかなければならないのだろうか。
けれど、急に変われと言われても無理だ。積極的に明るく元気に振舞えば、多くの人が好いてくれるかもしれない。でも、それは『私』ではないような気がした。

 

 

「ただいま」と扉を開けると、すぐに「おかえり」という声が返って来る。そこで、ようやく肩の力を抜くことができた。
リビングへ向かうと鼻歌が耳に入ってきた。母のハミング。第九だ。この前はバッハが好きだと言っていたのに。
ドアノブに手を掛け、それを引く。部屋の中には甘い匂いが漂っていた。テーブルの上にはケーキが置かれている。ソファにはこちらに笑顔を向けた母の姿があった。肩まで伸びた黒い髪が、微かに揺れる。

母は日本人だった。この国    イギリスに留学していた時にイギリス人の父と知り合い、結婚したのだという。が幼い頃、何年か日本に住んでいたことがあった。しかし、母の希望でイギリスに移り住んだ。母は日本があまり好きではなかったらしい。分かるような、分からぬような。日本の文化や伝統、書籍はも好きだった。けれども良くない部分も確かにあった。人々が忙しい。国の大部分の場所に何かしらの建物や電柱が立っていて、落ち着かない。面積は日本もイギリスも変わらないが、イギリスの方が広く感じた。母は日本で暮らしてきたから、の知らない日本の嫌な部分も多く見てきたのだろう。
しかし一方で、父は日本に留まりたがった。理由は、詳しく知らない。ただ日本が好きなのだと言っていたが、母に負けてこちらに引っ越すことになった。ただし、イギリスといっても外れの田舎町。けれど、ゆるりと流れる時間は、は嫌いではなかった。近くには学校も図書館も教会もある。買い物は少々不便だが、車を使えばたいした距離ではなかった。

「それ、どうしたの?」

ケーキを指しながら尋ねると、母は作ったのよ、と答えた。

「チーズケーキ。、好きでしょう?」
「好きだけど……誕生日でもないのに、どうして?」
「誕生日じゃなくても、ケーキくらい作って食べても良いでしょう?」

そうだね、とは苦笑した。母の気まぐれな性格は、今に始まったことではない。

。お父さんの書斎から、また本持っていったでしょ」
「ああ……うん」
「読書家なのは良いけど、ちゃんともとの場所に戻しておくのよ」

はい、と投げ槍に言ってみせると、母は顔をしかめたが、ケーキに口を付け「美味しいね」と言うと、満面の笑みを浮かべた。

 

は自分のベッドの上に鞄を投げ捨て、机の上の本を手に取った。『不思議の国のアリス』と『銀河鉄道の夜』。大好きな本。後者は日本のもの。日本にいた頃から読書が好きだった。そしてそれは、今も変わらない。お陰で日本語は話すことはあまり上手くできないけれど、読むことはできた。
違う世界に迷い込めたら良いななんて、いつも考えた。その度に、そんなこと無理に決まっているじゃないかと、現実的な思いに苛まれるのだけれども。
兎でも列車でも何でもいい。何処か違う世界へ連れて行ってくれれば、良いのに。
そうすれば、私は……もう一度、やり直せる。そんな気が、した。

 

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今回、作中に何度か小説の引用をさせて頂きましたが、著作権に関しては一応調べてあるので問題ないと思います。ですがもし何かあったら連絡下さい!冒頭の話はサン・テグジュペリの『星の王子さま』です。 07/7/1