深く暗い闇。ただひたすらの、闇、闇、闇。真っ暗。なにも、ない。わたしはひとり。
ここは、どこだっけ?私、何をしているんだっけ?
    私って、誰?

、ご飯よ』

お母さん。そう、そうだ。私は『』だ。

『学校はどうだ?楽しいか?』

お父さん。……うん。学校、楽しいよ。
本当は、そうじゃなかった。でも、お父さんがそうか、と笑う姿が見たくて、そう答えていた。本当は、違う。友達の……ううん、友達なんて呼べない、周りの人達の会話に適当に話を合わせているだけ。何もかも、『無難』にやり過ごしていくだけ。そんな毎日に、どこか虚しさを感じながらも、何もできなかった。

突然、両親の存在の意識が薄れていく。
お父さんもお母さんも、『いなくなった』。

どうして?どうして、私を置いていくの?私を独りにしないでよ。ねえ、お願い!お父さんとお母さんがいなくなったら、私、どうしたらいいの?


『むしろ、こいつが存在するって事実そのものがね』

    私は、いないほうがいいの?

『いい気にならないでよ』
『むかつくのよ』
『むかつく』

嫌だ。
わたしを、きらいにならないで。

『しばらく距離をおきましょう』

いやだ    行かないで!

嫌われるのが怖いなら、初めから近寄らなければいい。独りでいればいい。そうすれば、痛みはない。
孤独は辛いもののように思えるが、本来は優しいものだ。

    そうかもしれない。

ほら。この闇も、この冷たさも、心地良いものだ、……
ぜ ん ぶ わ す れ て し ま え

 

33. sequel to DREAM
ひとり、ゆめをみる

 

それから数日経っても、は目を覚ます気配を見せなかった。ジェームズを信じたものの、リリーの不安は消えることはなかった。次第に膨らんでいくリリーのそれを、ジェームズは感じていた。ジェームズ自身も、リリーと同じように不安を抱いていたから。そして恐らく、彼らも。
一度、の様子を4人で見に行った。蒼白なの表情と、ぴくりとも動かない身体を見て、4人は愕然とした。そのうち目を覚ますに違いないと信じていた。けれど、その思いが少しずつ揺らぎ始めた。
本当に、は目を覚ますのだろうか。
再び彼女の笑顔を見られるのだろうか。

何を弱気になっているんだ。今度こそ、僕の    僕たちの手で、彼女を助けるんだ。

「力を貸して欲しいんだ」

夕食の後、ジェームズは言った。シリウス、リーマス、ピーターに。親友たちに。

のことさ。このままじゃ心配で頭の毛がなくなりそうだから、僕らの手でなんとかしようと思って」
「なんとか、って?」

ピーターに首を傾げられ、ジェームズは詰まる。

「……それは……まだ策がないから、力を借りようとしてるんじゃないか」
「でもさ……ああいうけがとか病気にかかわることって、医者にまかせておいたほうがいいんじゃない?」
「ワームテール。が心配じゃないのか?」
「心配だよ!でも、……ぼくたちになにかできるとは……」
「やってもみないのに、分からないだろ」
「プロングズ。ワームテールを責めるのは、やめなよ」

リーマスが困ったような笑顔を浮かべ、言った。

「僕だって何とかしたい。でも、これは僕たちの範疇じゃない。専門家に任せるべきだと思うな。僕らが下手に出ていっても、仕方ない」
「ムーニーまで」
「何もできない、悔しいのは解る。僕だって同じだから。でも、待つしかない時も、あるんだよ」

リーマスは目を伏せ、言った。彼の長い睫毛が揺れていた。
秘密の共有者。共に遊び、学び、会話をし、日々を楽しんでいた少女。彼女の不在に、リーマスもピーターも心を悩ませないわけがない。
解っているんだ、それは。

「……悪かった。意見を押しつけるような真似をして。でも、考えるだけ、何か考えることはしておいてよ」

いつもの明るいジェームズの調子で、彼はそう言った。

 

月夜だった。半月。半分欠けた月が、ジェームズの横顔を照らした。まだ未完成の地図を眺め、そこに誰の名も写っていないことを確認し、立ち上がる。未完成ではあるが、その機能は完璧なはず。隠し部屋や地下など、まだ記していない場所もあるが、医務室へ行くには充分だ。
やっぱり、何もしないのは性に合わない。誰にも邪魔されない時間に行って、何かできることを探そう。
談話室のソファにかけた透明マントを掴む。そして、暗闇から現れた人影に気がついた。

「やっぱり行くんだな」

パッドフット、とジェームズは声を漏らした。月に照らされたシリウスの顔が現れる。

「止めたって無駄だよ」
「知ってるよ、そんなこと」

シリウスは微かに笑う。そして、少しだけ沈黙を続けた後、言った。

「俺も行く」
「え?」
「それ、使うんだろ?お前だけじゃ心配だから、な」

シリウスは地図を指差しながら言った。
まさか、シリウスも共に行くと言い出すとは、ジェームズは考えなかった。ジェームズと同じくらい、じっとしていることが嫌いなシリウスだが、女の子のことに関しては、彼が行動的になることはなかったから。いずれにせよ、彼が共に行ってくれるのはありがたいし、心強い。
それに、とシリウスは付け加えた。

「いつだって俺たちは共犯だろ?」

 

地図の効力は完璧だった。途中、フィルチの名前が近づいて来ることがあったが、その道を避けていくことで彼と遭遇することはなかった。そして、医務室に辿り着く。
地図にはマダム・ポンフリーの名はなかったが、念のため部屋の中をぐるりと一周して誰もいないことを確かめてから、マントを脱いだ。いくつかあるベッドはすべて空だった。ただ一つ、隅にあるカーテンに囲まれたところを除いては。
ジェームズは一直線にそこへ近づいて行き、シリウスもその後を追った。カーテンに手をかけ、引く。
    。月の光に照らされて眠っている姿は、本当に生きているのかと疑ってしまうほどだった。シリウスは、思わずごくりと唾を飲み込む。ジェームズも顔を歪めつつ、そっと手を伸ばし、甲をの頬に当てる。温かい。そして、彼女の寝息が微かに伝わってきて、ほっと胸を撫で下ろす。大丈夫だよとでも言うかのように、ジェームズはシリウスを振り返り、笑った。

「おーい、。起きろー」

ジェームズは声を押し殺しならがも、はっきりと呼びかけた。しかし、は眉一つ動かさない。今度は、一歩ベッドに近づいて、の頬を叩いた。反応はない。

「うーん、駄目か」

そう言い、腕を組む。

「何かこう……頭に落としてみる?」
「冗談だろ?」
「冗談だけどさ。ショック療法って言葉、知ってるだろ?」

こいつの場合、冗談に聞こえないなとシリウスは苦笑した。思っていた以上に芳しくないこの状況に、笑みを作るしかできなかった。
そういえば最近、と話をしていなかった気がする。あの言葉を聞いてしまって以来、シリウス自身を知らず知らずのうちに避けてしまっていたし    も、エリックの一件以来ジェームズたちから遠ざかっているような気がした。

「やっぱり、眠ったお姫様は王子のキスじゃないと目覚めない、か?」

ジェームズの声にはっとして、シリウスはその意味を考えた。

「何だよ、それ」
「マグルのおとぎ話にあるんだよ。マグル学でやった。たしか、毒リンゴを食べた姫が、王子のキスで生き返るとかなんとか。タイトルは……たしか、『スノーホワイト』、だったかな」
「それで死んだ人間が生き返ったら苦労はしないな」
「まあ、そうだねえ。でも、試してみる?」

にやり、とジェームズは笑う。

「……本気かよ」
「僕は常に本気だよ」

さすがに今度は冗談だろう、とシリウスは思った。しかし、悪戯っぽく笑った後、ジェームズの目は真剣な色を宿した。無言になって、の横たわるベッドの方に向き直る。そして、腰を屈めた。顔をゆっくりと、近づける。

「おい、ジェームズ!」

つい大声を出してしまったが、そんなことはもはや気にならなかった。お前、エバンズが好きなんだろ。ジェームズのローブを引っ張るが、彼はシリウスを振り返ろうとはしなかった。嘘だろ、と口に出したか出さなかったかの瞬間、ジェームズはの額にそっと口づけた。そして顔を上げ、にこりと笑う。

「唇にすると思った?」

シリウスは呆れて何も言えなかった。ただ、大きくため息を吐く。

「そんなに慌てるならお前がすればいいのに」
「ふざけんな。でも、が知ったら怒るぞ」
「怒らないよ。なら、僕なら」
「あ、そ。ならエバンズにばらすかな」
「やめてくれー」

懇願するように手を合わせたジェームズの声に、小さな呻き声が重なったような気がした。2人は驚いて、に視線を移す。眉が微かに震えたような気がした。



ジェームズはの肩を掴み、揺する。戻って来るんだ。僕たちは、ここにいるから。
ジェームズの呼びかけに反応したように、は眉をぴくりと寄せ      薄っすらと、目を開いた。



もう一度呼びかけると、開かれたの瞳が僅かに揺らぎ、2人を捉える。
誰だろう、この2人は。眼鏡の男の子。びっくりするくらい、ハンサムな男の子。
    知っている。私は、知っているはずなのに。頭がずきん、と痛んだ。それ以上に胸が痛い。きっと、とても大切な人なのに。

「大丈夫?」

何も言わないが不安になり、ジェームズは尋ねた。『記憶障害』というリリーの言葉が浮かんだ。

「私、……」
。僕らが分かる?」

しかし、の眉は中央に寄せられたままだった。

「……記憶、障害」
「なんだって?」
「ポンフリーが言ってたそうだ。頭を打ったから、記憶に障害が残るかもしれない、って」

そんな、馬鹿な。シリウスは口を開けたまま呆然とを見つめた。彼女は戸惑った顔で、ジェームズとシリウスと交互に見つめている。
忘れてしまう。今までのこと、ぜんぶ。
ジェームズもシリウスも沈黙しての様子を見守ることしかできなかった。

「……、憶えてない?ほら、一緒にホグズミード、行ったろ?エバンズのプレゼント買いにさ」
「エバンズ、……?」
「そう。リリー・エバンズ。君の親友だろ?」
「しんゆう」

ひとりじゃないでしょう、わたしは。
胸の奥が疼いた。リリー。親友。眼鏡の男の子。

「なあ、俺とも行っただろ?憶えてないか?でも、途中でお前、リーマスを気遣って戻る、って言って」

知っている。彼と過ごした日々の嬉しさ。胸の痛さ。感じるのに。そして、リーマス。知っている。彼の名。彼の辛そうな瞳。
思い出せ。思い出さなければいけない。思い出せ!
ふと、眼鏡の少年と視線が重なった。この強い瞳。惹きつけられる瞳は、前にもどこかで    
『やあ。君も箒を見に来たの?君もクィディッチをやるの?』
不意に、幼い少年の姿と今の少年の姿が重なった。彼の、名は。
『僕は、ジェームズ。ジェームズ・ポッター。君は?』

「ジェームズ」

ジェームズ・ポッター。そして、彼は。

「……シリウス」

確かめるように、呟く。一気に、靄が晴れたようだった。彼らの顔がぱっと輝く。

「良かった。良かった、良かった。僕らのこと、分かるんだね」
「私………どうしたんだっけ……?」

ゆっくりと記憶を辿る。頭が痛い。頭を、打った?どうして?そうだ。階段から、落ちて。どうして?ハッフルパフの女子に囲まれて     その前に、決闘クラブがあって。そうだ……エリック・ニルソン。彼との、キス。その生々しい感覚が蘇ってきて、は覚醒した。
    思い出した。全部。ばっと上半身を起こすと、ずきんと頭が痛んだ。

「……っ」

頭を抑えるに、ジェームズとシリウスは身を乗り出した。

「大丈夫!?」

ずきんずきんと頭が疼く。しかしぎゅう、とこめかみを押すと、その痛みは次第に引いていった。

「うん、大丈夫……」
「頭を打ったんだ、無理もないよ。でも、本当にどうしようかと思ってたんだよ。ずっと目を覚まさないから」

責めるようではなく、むしろ優しくジェームズは言った。

「うそ……何日くらい眠ってた?」
「2日。いや、3日目かな。エバンズが、ずっと付き添っていたんだよ」
「そうなんだ……」

リリーが。リリーに会いたい。リリーの顔が見たい。リリーの声が聞きたい。
けれども、考えてみると、今は夜中のようだが、2人は忍び込んで来てくれたのだろうか。

「2人とも……来てくれたんだね」
「そりゃあ、そうさ。何かできることはないかと思ってね」

爽やかに笑うジェームズに、ずっと口を閉ざしたままのシリウスは、疑わしそうに眉をひそめた。

「ありがとう」
「リーマスもピーターも、心配してたよ」
「……そっか。会いたいな、みんなに」

そうぽつりと呟くに、ジェームズはそっと言った。

「そうだね。でも、今はゆっくり休んだ方がいいよ」

ジェームズの優しさは嬉しかった。でも。

     私も、戻りたい」

グリフィンドール寮に、彼らと一緒に。もう、ここは嫌だ。闇の中は嫌。独りは嫌。それでも良いかと思う時もあるけれど、こうして光の中に出てしまうと、再び闇に包まれるのは堪らなかった。今度闇の中に行ってしまったら、もう戻れないような気がした。

「……。君の気持ちはよく解る。でも君を連れ出したら、僕たちポンフリーに殺されちゃうよ」

こう言えば、彼女が嫌と言えないことを、ジェームズは知っていた。彼女なら、友達を犠牲にしてまでここを出たいとは言わないはずだ。の気持ちは解る。けれども、病み上がりの彼女を連れては行けない。

「……そうだよね、ごめん」

ジェームズの思った通り、はそう言った。ジェームズは心の中でごめんよ、と呟く。

「どうせ明日には会えるしね」

無理に笑う彼女が、痛々しかった。同時にも、これ以上2人の顔を見るのは辛かった。もっと一緒にいたいと思ってしまうから。帰らないでと言ってしまいそうだから。

「それじゃあ、リリーに宜しく言っておいてね」

そう強引に、別れを告げた。
やっと見つけた光を、手放した。

 

TOP | BACK | NEXT
07/9/25