「プロングズ。マントか地図、貸せ」
今夜しかない、とシリウスは思った。今夜を逃したら、何もかもうやむやになって、奥底に沈んでしまうような気がした。そうすべきではない。心の奥で、そう感じた。
33. sequel to DREAM
ゆめのつづき
は身を起こしたまま、ぼんやりと窓の外を眺めた。
ああ、半月だ。ずっと月が満ちなければ、リーマスは苦しまずに済むのに。
「リ、マス……」
そうそっと呟いてみて、後悔した。会いたい。今、すぐに。
「ジェームズ……ピーター………リリー…」
顔が見たい。声が聞きたい。両親のいない
「
そう呟いてから、どうしようもなく哀しくなって、自己嫌悪に陥る。彼が、来てくれた。とても嬉しかった。諦めかけていた想いが蘇ってくる。壊れてしまったと思ったものが、修復されていく。
この気持ちは、変わらない。変えられないんだ。
じわり、と目頭が熱くなる。だめだめ。こんなところで、泣くな。余計に虚しくなるだけなんだから。
かたり、と音がした気がした。思わず身構える。ポンフリーが来たのだろうか。
次の瞬間、しゃっとカーテンが開かれ、その隙間から人影が現れた。心臓が飛び出るかと思った。
カーテンを閉め、その人物は振り返った。
「シリウス……?」
今度は独り言ではなく、彼に向けて言った。シリウスは曖昧に笑って、ベッド脇のスツールに腰掛けた。
「どうしたの?」
彼はなぜここにいるのだろう。彼はジェームズと出て行ったはず。幻でも見ているような気分だった。
シリウスはしばらく無言だった。に何か言わなくては、聞かなくてはとは考えて、とりあえず行動に移してみたのは良いけれども、何から話すべきか、本当に話すべきか迷っていた。
「……ルーン文字学、さ。課題出た」
それを、わざわざ言いに?はくすりと笑って、「困ったな」と言った。
「どんな課題?」
「羊皮紙一巻分のルーン文字の訳」
「……いつまで?」
「3日後」
げ、とは顔をしかめる。
「終わるかなあ」
「俺の、見せてやるよ」
「……優しいね」
「病人には優しくすべき、だろ」
病人、か。は苦笑した。けれども、シリウスの優しさは嬉しかった。いつだって、シリウスは優しい。でも、その優しさはいつもさりげないもので、こうして目に見えての優しさはあまりないことだった。
「……なあ。ちゃんと、憶えてるのか?」
「え?」
「さっきのプロングズの話だと、頭を打った後遺症で記憶に障害が出るかも、って」
「ちゃんと憶えてるよ。……都合の悪いことだけは忘れたかったけどね」
は笑みを作ってみせるが、シリウスは笑わなかった。何だろう。彼は、他に何か言いたいことがあるのではないだろうか。
そうだ。シリウスは見ていたんだ。あの私の醜い様を。壇上で復讐を成し遂げる瞬間を。あの時の、浅ましい感情を露にした、私の姿を。それを窘めにきたのか。軽蔑しているのか。ジェームズたちなら言わないだろうことを、シリウスは言いに来たのか。
「……シリウス。何か、言いたいことがあって来たんでしょう?」
沈黙に耐え切れず、は切り出した。シリウスは目だけを上げ、を見つめる。
「どうぞ。何でも言って。何でも」
シリウスは依然無言のままだったが、これでは埒が明かないと口を開いた。
「
どうしてこんなことを聞いたのだろう。ジェームズの言葉で、それは違うと分かっているはずなのに。が顔を歪めるのを見て、不味かったと思いつつも、彼女の口から真実を聞きたかった。
「ちがう……あの写真は……」
「そうだよな……悪かった。ジェームズから聞いたんだ。ニルソンに『弱み』、握られてるんだって?」
ジェームズか。彼はどこまで話したのだろう。彼のことだから、全てを話すことはなかったと思うが。
「……まあ、いろいろと」
「それに、今回のを突き落とした女子も関わってるんだな?」
「突き落とされたわけじゃないよ」
呪文に怯んで落ちたのだ。もっと運動神経が良かったら避けようもあっただろうに。自分でも驚くくらいに、彼女たちへの怒りは冷めていた。もう疲れた、のかもしれない。
「なんでこんなことになったんだ?あの……写真といい」
「警察の事情聴取みたい」
「探偵って言ってくれた方がいいな」
どちらともなく、2人は笑った。互いに本音を隠した笑いではあったが、場の空気が和やかになるのを感じた。
「どうして、だろうね……」
投げ出すようには呟く。たぶん、そもそもは
本当にそうだろうか。たとえシリウスを好きにならなかったとして、彼を友人だとは思っていただろうから、会話はしていただろう。それなら、事の発端はジェームズたちと親しくなった時なのだろうか。ジェームズと出逢ってしまったから、なのだろうか。
それに。シリウスと出逢って、シリウスを好きにならないようなことが、あっただろうか。
「必然、だったのかも」
シリウスは眉を寄せた。
「避けることはできたかもしれない。でも、それを避けるなら……私が本当に大切だと思っているものみんな、無いことになる。そうなるくらいなら、今回のことは全然大したことじゃないんだよ」
そうだ。ジェームズたちと逢っていなければ、こうなることはなかった。けれども、逢っていなければ、親しくなっていなければ、とは考えたくはない。考えられない。きっと、絶対に、今の自分はないだろうから。
本当に大切な人。そして、本当の『自分』や『自分らしさ』を、見つけられたのかもしれない。
「……大切なもの?」
「そう。リリーと、ジェームズと、リーマスと、ピーターと、……シリウス」
「俺も入ってるわけだ」
は、微かに目元に笑みを浮かべただけで、何も言わなかった。
「それが……どうして、今回のことと?」
「ああ、ええと……ほら、ジェームズもシリウスもリーマスも、女の子に人気があるでしょ?それで、私が3人と親しそうに話すのが、誤解されたみたいで」
誤解。そうか、誤解なんだ。シリウスは目を伏せた。あの言葉も、誤解なのか。
「女子って面倒くさいな」
「私も『女子』なんだけど」
「そうだったな」
シリウスは目を細めた。も同様の表情を作るが、笑顔は浮かべられなかった。
『女子』。シリウスにとって、私は『女の子』ではないんだ。
思い違いが、絡まってゆく。
「でも、そのニルソンの『弱み』をどうにかしないと、解決はできないんじゃないか?」
「ああ……そうかな。でもきっと、……どうにもできないよ」
「どうして?」
「どうしたらいいのか、分からない」
シリウスへの気持ちを諦める。シリウスに告白をする。どちらも、できそうにない。このままの関係に浸っていたいというのは、間違っているのだろうか。
「
「え?ああ、……違う違う」
「へえ。お前に弱みがあったなんてな」
の抱える過去のことを握ってを脅しているなら、エリックを許さなかっただろうなとシリウスは思った。他人の触れられたくないことに漬け込むなんて最低だ。いや、もっとも、どんな弱みであってもそこに付け入ることは悪いことだろうけれど。
「いいんだ、別に。リリーが……みんながいれば、それで」
どんなに女子に疎まれていても、リリーが傍にいてくれれば、それで良い。ジェームズが、リーマスが、ピーターが、シリウスが、みんなが笑っていてくれれば、それで。
「でも
「……なんだよ」
「もし、シリウスに……好きな人ができて、付き合うことになっても……私のこと、忘れないで欲しい」
何を口走っているのだろうとは思ったが、目頭が熱くなった。そんなのは嫌だと思いつつ、偽善を振りまく自分。馬鹿じゃないの、と思う。でも、臆病な私は、こんな風にしか自分を守れない。
「何だよ、それ。忘れるわけないだろ」
「そうだよね」
「お前の方が俺のことを忘れるんじゃないか?」
「それはないよ」
は目を伏せ、布団の上で絡めた自分の指を見た。それはない、ともう一度言う。
「……もう戻った方がいいんじゃない?」
「え?あ、……そうだな」
結局俺は何をしに戻ったんだと自問しつつも、シリウスはゆっくりと立ち上がった。もう、充分じゃないか。
『私は、表面だけじゃない、色んなシリウスを見て、好きになったの』。
本当なのか?どうして?俺の、どこが?
「シリウス、……ありがとう、ね」
視線を上げたを、見返す。複雑な感情の宿るその瞳に、あのさ、とシリウスは切り出していた。
「OWLの終わった後のルーン文字で……お前が、羽根ペンを失くした時……俺、それに気づいてを探したんだ」
は眉根を寄せた。シリウスを見上げる。心臓の鼓動が速くなっていく。まさか。
「どこかの部屋で……思えば、あの女子たちと、話してたよな……?
がつん、と頭をハンマーのようなもので叩かれたような気がした。あの時。あの時私は、何と言った?確か、……『シリウスが好き』と言ってしまった。それを彼は、聞いていた、だって?
言葉を探す。弁解の言葉。しかし、喉が張り付いて何も言えなかった。動揺しては駄目だ。悟られてしまう。けれど、そうするなと言う方が無理だ。
「シリウス、あれは……」
辛うじて、それだけ言った。その先の言葉が続かない。しかし、シリウスは動かずに、の言葉の続きを待っていた。
「……あれは」
シリウスは、大切な友達だよ。そう言えば済む。そうすれば、シリウスは「そうか」と言って立ち去るだろう。俺も友達だと思ってる、とでも返してくれるかもしれない。それはそれで、良い。でも、……あの時の言葉は、怒りに任せて言ってしまったものではあるけれども、本心だった。心の奥底からの、想い。それを否定するつもりなのか。
黙っていては駄目だ。肯定することになってしまう。……それならば、否定するというの?
手が熱くなったかと思いきや、冷たくなっていく。耳の奥で、どくんどくんという心臓の音が聞こえる。
逃げるべきではない。本当に、シリウスのことが好きなら。
「あれは、………そのままの意味だよ」
は顔を伏せ、目をぎゅうと閉じた。意識が飛んでしまいそうだった。
「私、……シリウスのこと
できるだけさりげなく聞こえるように、は言った。そうして、目を開ける。けれども顔を上げることはできなかった。シリウスの反応を見ることが、恐ろしかった。撤回したい。でも、したくない。
「……そのままの意味って、どういう意味だよ」
えっと口を開いて顔を上げると、シリウスは目を伏せてじっと床の方を見据えていた。
「ジェームズと同じようにか、それとも」
シリウスは言葉を切り、沈黙する。
シリウスは、ずっと考えていたのかもしれない。あのことを立ち聞きして以来。彼は、考えてくれていた。そこに彼のどんな思いがあるのかは分からないが、それでも気にかけていてくれたことには変わりない。
「本当に、……好きだっていう
これで、伝わるだろうか。視線を逸らしながらも彼の様子を窺った。シリウスはずっと、視線を下に向けたままだった。
「……俺は、分からないんだ。そういうこと、全部。そういうことが恋愛なのか、どこからが恋愛で、どこからが友情か。俺の、どこがいいのか」
は、ゆっくりと言葉を選びながら話すシリウスに、すべての神経を集中させ、耳を傾けた。
「なんとなく『違う』と思ったし、納得がいかなかったから、……女子からの告白は、受け流してた。実際、そういうことよりもジェームズたちと遊び回ってる方が、俺は楽しいと思ってたから」
ずっと家に縛られて、『本気』で遊びに身を投じたことがなかったから。ジェームズたちと過ごす日々は、刺激もあったし楽しかった。それだけがあればいいと思っていた。だから、女子からの告白はすべて、断わった。面倒くさかった。女子に合わせることが。
「今だって、そう思ってる。でも、……どんな女子にも同じ答えをするだろうって思ってたけど、……今は、……ちがう、と思う」
には、『ごめん』と簡単に返事ができなかった。それは少し違うと思った。でも、『それじゃあ付き合おうか』というのも、違う気がする。
「分からないんだよ。のことはずっと、友達だと思ってたから。恋愛との差とか、いろいろ……でも、………俺にとって、お前は、特別であることに変わりはないんだ」
今のシリウスの中の、の存在を表すとしたら、この言葉が適切だと思った。『特別』。他の女子とは違う。けれどもジェームズたちへ抱くような感情とも違う。一緒に過ごす時間は楽しい。友達のような、それでいてどこか違うような存在。
「だから、時間が欲しい
は呆然とシリウスの話を聞いていた。今までのシリウスを考えれば、当然『ごめん』と言われるのだと思っていた。また友達同士に戻れるかなあとか、気まずくならないかなあとか、そんなことを考えていた。けれども、シリウスのくれた返事は、……。
シリウスはそっと、視線を上げた。彼の瞳を直視はできなかったが、見つめる。
「ありがとう、シリウス。私にとって、……一番良い返事だと、思う」
シリウスは安堵したように、目元を緩めた。
「……怖かった。シリウスに本当のことを言えばきっと、……今までのようにはいられなくなるから。嫌われるかもしれない、って思ってたから」
まだ、信じられない。手が小刻みに震える。
「答えが出なくても、その答えが私の望むようなものじゃなくてもいいから
ああ、やっぱり彼女は特別だと、シリウスは思った。
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07/9/25