眠れなかった。眠れるはずが、なかった。シリウスが帰った後も目が冴えてしまって、寝つけなかった。それまでずっと寝ていた分、支障はなかったけれども。
シリウスの言葉。あれは本当に、実際に起こったことなのだろうか。シリウスが戻って来てからの出来事を、細かく思い返してみる。
シリウスが、ハッフルパルの女子たちとの会話を聞いてしまったと言った時、もう終わりだ、と思った。もうシリウスの傍にはいられない。シリウスと話をすることすらできなくなる、……。
けれど、シリウスは時間が欲しい、と言った。答えを見つけたい、と。本当に彼を好きになって良かった。
優しくて、誠実なシリウス。伝えられなかった想いはたくさんあるけれど、それまでもやもやとの中を渦巻いていた雲が晴れて、胸の中が温かく明るくなった気がした。

 

34. Beautiful Morning
あさ そのうつくしさ

 

うとうととまどろみ始めた頃、勢いよくカーテンの開く音ではっとした。

!」

赤毛の少女。美しい少女。の自慢の親友。上半身を起こし、その名を呟いた。

「リリー」
「良かった、……本当だったのね」

リリーは目に涙を溜めて、ベッド脇のスツールに腰掛けた。

「ポッターがね、教えてくれたの。朝一番に。昨日の晩、彼、ここに来たんですって?」

昨日の晩。ジェームズ。    シリウス。

「……どうしたの?ぼうっとして。やっぱりどこか悪いの?」
「え?ああ、うん、違う違う」

昨晩の出来事は、本当に起こったことなのだろうか。あまりに夢のようなことで、一度眠りの世界に落ちてしまった今では、あの事実が信じられなかった。私はシリウスに自分の気持ちを話して、シリウスはそのことに返事をくれた。予想もしなかった返事を。

「心配かけて、ごめんね、リリー」
「ううん。無事だったのなら、何より。本当に心配したけれどね」

久しぶりのリリーの笑顔。それに見惚れていると、彼女の目の下に隈ができていることに気がついた。ずっと付き添っていたんだよ、というジェームズの言葉を思い出す。
思わず、リリーの身体をぎゅうと抱き締めていた。

「ちょ、ちょっと」
「ありがとう、リリー……ずっと……会いたかった」
「……私もよ、

リリーも同じように強く、の背を強く抱いてくれた。温かい。戻って来られた。『私』の場所に。
すると、しゃっとカーテンが開かれ、マダム・ポンフリーが姿を現わした。とリリーは慌てて身体を離す。ポンフリーは一瞬、怪訝そうな顔をしたが、の顔を見ると、顔をほころばせた。

、目が覚めたのですね」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
「迷惑だなんて。私の仕事ですから。それよりも、良かったですね」

ポンフリーはにこりと微笑んだ。

「あの、……私、寮に戻っても良いですか?」
「念のために検査をしましょう。それからですね。順調なら、授業は明日から出られるでしょう」

明日。本当なら、今すぐにでも帰りたいのに。目を伏せると、リリーがぽんとの肩を叩いた。

「授業のノートはきちんと取ってあるから。しっかり検査して、戻って来てね」

 

そうは言ったものの、やはりの存在が近くにないことは、寂しかった。昨日や一昨日は、彼女の安否ばかり気遣って寂しがる暇もなかったけれど。
その日の最後の授業は、変身術。リリーはぼんやりと隣の空席を横目で見やりながら、マクゴナガルの板書を羊皮紙の写していた。
その時、教室の扉が開かれ、背後から声が聞こえた。

「先生、すみません……遅れました」

静かな教室に響いたその声に、全員が振り向いた。リリーはそうすることなく声の主を認識して、破顔した。そしてゆっくりと身体を後方に向かせる。

「ミス・。もう良いのですか?」
「はい。ご心配をおかけしました」

マクゴナガルに一礼をして、はリリーの隣に座った。途中、ジェームズたちの笑顔が視界に入ったが、気づかないふりをして歩いた。シリウスと、目を合わせられなかった。

、もう大丈夫なの?」

リリーは小声で尋ねる。ポンフリーの今朝の話では、が授業に出られるのは明日からではなかったか。

「ポンフリーに良い顔はされなかったけどね。検査では問題はなかったし、ちょっと強引に出てきた」

は苦笑しながら答えた。医務室を出る際の、ポンフリーの渋い顔を思い返す。けれども、もうこれ以上閉鎖されたあの空間にはいたくなかったし、授業に遅れたくもなかった。

「どこまで進んだ?」

そう尋ねると、リリーはにこりと笑ってノートをに差し出した。

 

数日休んだだけだというのに、授業はすっかり進んでいた。ノートを写す作業には骨が折れたが、リリーが手伝ってくれたお陰でスムーズに進んだ。夜の談話室からは、次々に生徒の数が減っていく。
伸びをすると、部屋の隅で、ジェームズとシリウスが机を囲んでこそこそ話している姿が見えた。その隣ではリーマスが読書をしていたが、ピーターの姿はなかった。眠ってしまったのだろうか。

「あとは何が残ってるの?」

リリーの言葉に、は彼女の方に向き直った。

「ええと、変身術、魔法生物、魔法薬学、薬学、防衛術……ルーン文字」

そうだ。ルーン文字がまだ残っていた。思わず顔を強張らせる。

「ルーン文字は、私は無理よ」
「……分かってる」

リリーは横目でちらりとジェームズとシリウスの方を見た。
分かっている。分かっているけれど。昨日の今日だから、シリウスと会話をするのは気まずい。

「見せてもらえばいいじゃない」

リリーは事も無げに言った。そうだ、彼女にはまだ言ってなかったのだ。

「そうなんだけど……さ。    あのね」

昨晩のこと。シリウスが、の言葉を聞いてしまっていたこと。が真実を彼に告げたこと。そして、シリウスから返ってきた言葉。それらを話して聞かせると、リリーは目を丸くした。

「……面白いわね、あなたたちって」
「おもしろい?」
「そう。簡単にはいかない関係なのね。それ以上に、とブラック、2人とも変わってるから」
「……それって」
「良い意味よ、もちろん」

リリーは笑う。

「普通なら、好きになること自体も、告白をすることも、付き合うか付き合わないかを決めることも、簡単にしてしまうでしょう。でもそれって、私はしっくりこないの。だって、人って、そんなに単純じゃないと思うから。そんな言葉や外見だけじゃ、その人の本質は分からないと思うから。まあ、直感的に何かを感じ取ることもあるのかもしれないけどね」

そう言うリリーも変わっている、とは微笑んだ。

「……素敵だと思う。あなたたち。良い返事を貰えるといいわね、
「ありがと」
「でも、悔しいわ。ブラックにをとられちゃうなんて」

リリーは冗談めかして言うが、彼女の瞳にはどこか悲しげなものが宿っているようにには思えた。もしがリリーの立場だったら、やはり寂しい、と思うだろう。リリーの心が離れてしまうのではないか、と。

「……シリウスに言えないことはあっても、リリーに言えないことはないよ。だから」
「解ってる。は違うって、解ってるから」

リリーは立ち上がって、ジェームズたちの方に視線を移し、言った。

「気まずい気持ちも分かるけど、今のうちにノートは見せてもらっておいた方がいいわ。おやすみ」

素早く言って、リリーは女子寮に身体を向けた。

 

「あの」

そう呼びかけると、ジェームズとシリウスは振り向き、リーマスは顔を上げた。

。もう大丈夫なの?」

そう尋ねたのはリーマスで、うん、ありがとうと答えると、彼はにこりと笑った。

「ねえ、。見てくれよ」

ジェームズは手招きをし、机上に広げてある紙を指差した。彼の向かいにいたシリウスは、一歩横に退く。少しだけどきりとして、はシリウスの隣に立って紙を眺めた。羊皮紙には『校長室』や『グリフィンドール寮』などと書かれいている。

「これ……地図?」
「そう。まだ未完成なんだけどね。叫びの屋敷までの秘密のルートとか、隠し部屋とか、この城の全部を網羅させようと思ってるんだ」

へえ、と感心したように呟いては地図をじっと眺めた。かなり詳細なところまで書かれている。

「でも、どうして?ジェームズたちなら、ホグワーツのことは知り尽くしてるんじゃない?」
「だからこそ、だよ」

ジェームズは微笑んで答えた。

「この知識を残しておけないかと思ってね」

得意気に言うジェームズに、シリウスは横から言った。

「それ以上に、これには仕掛けをしてあるんだ」

たとえば、とシリウスは人差し指を広間に突き立てた。

「光ってるだろ?『フィルチ』って」
「……まさか、本当にそこにフィルチがいるの?」

もちろん、とジェームズとシリウスは同時に頷いた。
一体、どこでこんな魔法を身に付けたのか。2人には本当に、感服させられる。

「すごいだろう?」
「すごいというか……ここまで来ると、言う言葉が見つからないよ」

得意気に言うジェームズに、苦笑しては言った。その言葉にリーマスははは、と笑う。

「僕もそうだよ。よくここまで頭が回ると思う」

本を閉じ、ソファーに座っていたリーマスは立ち上がって言った。

「それでいて勉強もできるんだから、人生の不条理を感じるね」

そう言うリーマスに、確かにとも頷く。不機嫌そうに言い合う2人に、ジェームズとシリウスは顔を見合わせ、笑った。

「そんなこと言われてもね。生まれつきこの頭だから」
「だな」

ジェームズの言葉に大きく頷くシリウスを見て、とリーマスも笑った。
     この雰囲気が好きだなと、は思う。大好きな友達がいて、隣には大好きな人がいて。みんな笑っている。幸せ、だった。全身に、指先から髪の毛一本一本までに、幸せが満ちている気がした。

「あ。何か用があったんじゃないの?」

リーマスに言われ、そうだったと思い出した。はゆっくりとシリウスに視線を移す。

「あの……ルーン文字のノート、見せてもらえますでしょうか」

シリウスは2、3度目を瞬かせて、ズボンのポケットから杖を取り出し、アクシオと唱えた。
ふらふらと羊皮紙の束がやって来る。

「どうぞ」

そう手渡されたノートを、ありがとうと受け取った。

「明日までには、ちゃんと返すから」
「明日?終わるのか?」
「今からやるから」

それじゃあ借りるねと、は3人のもとを去った。

 

予想以上に量は多かったが、それでも30分程度ですべてを書き終えることができた。シリウスは、意外にもノートはきちんと取っているようで。そのことに少々驚いたが、微笑ましくもあった。ぐっと伸びをして辺りを見渡すと、そこにまだジェームズとシリウスの姿があったことに気がついた。
まだ起きていたんだ。談話室にいるのは、3人だけだった。

「まだやってたの?」

そう呼びかけると、ジェームズがこちらを向いて微笑んだ。

「もう終わりにするよ。は?」
「私も終わった」

ジェームズは大きなあくびをしながら地図を折りたたむ。その様子を眺めていたシリウスのもとに行き、は彼にノートを差し出した。

「はい、ありがとう」

ああ、と言いながらそれを受け取るシリウスに、は続けた。

「シリウスって、意外に、字、きれいなんだね」
「意外に、ってどういうことだよ」

不機嫌そうに言うシリウスを、くすりと笑って見返すと、彼の後ろをそっとジェームズが去って行くのが見えた。ぱちり、と目配せをして。気を遣ってくれたのだろう。
     彼は、知っているのだろうか。シリウスは話したのだろうか。昨夜の、出来事を。

「……ほら、男の子って字がきれいじゃないイメージがあるから」
「お前、それ、偏見って言うんだぞ」

そう言いつつも、誉められたシリウスは満更でもなさそうで。

「まあ、プロングズより上手い自信はあるな。あいつの字、読めない時もあるし」
「ジェームズー。字が下手だって言ってる人がいまーす」
「おい、ノート見せてやったよな?」

が笑うと、シリウスは辺りを見渡して、ジェームズがいないことに気がついた。

「あいつ、先に寝やがったな」
「最近は遅かったの?」

思えば、昨日の晩もあまり寝ていないはず。

「地図を作ってる時は。     ほら、も早く休めよ。病み上がりだろ」
「……うん。おやすみ、シリウス」

そう言いながら、何故だかどきりとした。
『おやすみ』。一日を締めくくる言葉を、大好きな人に言えるなんて。そして、……。

「ああ、おやすみ」

そう返してくれる、喜びに。

 

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07/9/27