それからの一週間は、ぼんやりと過ぎてしまった。何をしていたのか、よく憶えていない。
これでよかったのこれでよかったんだこれでよかったのだから。
その言葉を、呪文のように何度も何度も繰り返した。

    その日、しばらく本部を離れていたリーマスが戻って来た。彼とは何日か会わなかっただけなのに、ひどく懐かしく感じた。彼の柔らかい笑みを見て、泣きたくなった。

 

99. Cogito, ergo sum
I think, therefore I am

 

、大丈夫かい?」

その夜、リーマスがの部屋へやって来て、尋ねた。

「何が?」
「あまり元気には見えないよ」

リーマスの気遣いが、優しさが、胸に詰まった。笑ってみせようとしたが、そのせいで笑い切れなかった。リーマスはそっと戸を閉め、腕を組む。

「何があったのか、話してくれるかい」

ここ最近、リーマスに頼りきり。甘え過ぎだ、彼の優しさに。

「ちょっと運動不足かもしれない。ここに閉じこもりきりでしょう?」
「シリウスと何かあったね」

のはぐらかしなどには耳を貸さず、リーマスはを見つめた。

「首から提げていた指輪、どうしたんだい?」

    駄目だ。彼には見透かされている。聞いてもらいたい。そうすれば少しは楽になるかもしれない。そして、私の選択は間違っていなかったのだと同意してほしい。

「シリウスに返した」
「返した、って」
「私ね、どうしても先のことを考えてしまう。たとえば、今、シリウスを愛したとする。でも、彼は先にいなくなってしまう。私はその悲しみを抱えたまま、ずっと長生きしていく。そんなの、耐えられそうにないの」

堰を切ったように、は語った。

「それなら、シリウスの幸せは別のところにあるような気がする。ハリーと一緒に暮らして、素敵な女の人を見つけて、    結婚をして、……子供も……。私以外の人に、シリウスの幸せがあるような気がしてならないの」
。シリウスにとって何が幸福かは、シリウスが感じることだ」

ああ。どうして同じことを言うの。

「自分の幸せは、自分で掴むものじゃないかな。君は、どうしたいんだい?」
「私は……これで良かったと思ってる。言ったでしょう?辛いのよ」
「君だっていつか死んでしまうだろう、

は口を噤んだ。

「私もいつかは死ぬ日がやってくる。でも、そんな風に先のことばかりを考えていたら、せっかくの人生、勿体ないとは思わないかい?」

リーマスはそっとの肩に手を載せた。

「生きていれば、辛いことや悲しいことはたくさんある。でも、この世に生を受けて、確かにここに存在しているんだ。そして、この広い広い世界の中で、私たちは逢うことができた。楽しい日々を過ごせた。もちろん、今もね。私は、そのことに感謝をしたい。私が歩んできた過去と、今ここにいること、それがすべてなんだ。まだ見ぬ未来じゃない」

前を向いて生きてゆこうと決めたのに。後悔のないように、一瞬一瞬を。
そのことは、大切な大切なふたりが亡くなってしまって、改めて痛感したのではないか。もっと、ふたりと話をしたかった。傍にいたかった。共に幸せを分かち合いたかった。あの時、もっと一瞬一瞬を大切に、大事に生きてゆけば良かった。そう思って、彼らに別れを告げたことを後悔したではないか。
ふたりは死んでしまった。けれど、その痛みは痛みしかもたらさなかったか?そうじゃない。ふたりが遺してくれたものがある。大切な思い出、歩んできた日々。それは、ずっとずっと失われることなく、私の中にあり続けるもの。
それなのに、私はまた過ちを繰り返そうとしている。先のことばかりを考えて、今を閉ざそうとしてしまっている。

「私の好きな本に、こんな言葉があったんだ。『人の至福とは、心の底から愛せる人がいることだ』、と。その通りだと、私は思ったよ」

ジェームズとリリーは死んでしまった。けれど、残っているものがある。
ふたりを愛した、私のこころ。ううん、違う。今も、『愛している』。

「生きていくなかには、不幸もある。辛いこともある。でも、大切なのは、幸せだった時をいかに幸せに過ごしたかだと、私は思う。そして、その幸せは、考えるものじゃない。感じるものだ。自分を幸せと思わなかったら、今を大切に生きなかったら、勿体ないだろう?」

そう、そうなんだ。いつ死ぬかじゃない。いつ終わるかじゃない。それまでどう過ごしたかが、大切なんだ。私は先のことばかりを考えすぎる。ただ、今を、どう生きるか。精一杯に、幸せに。私はそれを放り出そうとしてしまっていた。

。私は、君には幸せでいて欲しい」

ダンブルドアも、かつてそう言ってくれた。
目に涙が溜まってきて、慌ててそれを拭う。

「なんて、偉そうにすまないね」
「ううん。リーマスは、すごいな。ありがとう。ほんとうに」

リーマスは微笑んだ。あなたの笑顔が見られることを、私は幸せに思う。
大好きだよ、リーマス。ありがとう。

踏み込まなければ。ずっとずっと、そこを通ることを避けて来た。そのせいで、苦しめた人もいる。それを後悔したではないか。もう繰り返さないと決めたはずだったのに。
怖い。不安もある。でも、もう、そんな感情に振り回されるのはやめ。たとえ傷ついても、私が傷つくのなら、良かったんだ。
大切なひとが笑顔で暮らせること。それが、私のしあわせだ。

 

 

「やあ、すまない。待たせたね」

リーマスが自室に戻ると、不機嫌そうな顔をしたシリウスの姿と、チェスボードがあった。

「誘ったのはお前だろう」
「すまなかった。のところへ行っていてね」

リーマスはシリウスの向かいに腰掛ける。ボードには既に駒が配置されていた。

「リーマス。お前    が好きなのか?」
「ああ、もちろん」

リーマスは躊躇うことなくさらりと答える。

「彼女が私を好いてくれているように、私も彼女が好きだよ」
「それはそれは」

シリウスはおどけて言ってみせるが、やがてぽつりと漏らした。

「お前たち2人なら、上手くいくかもしれないな」

リーマスは片眉を上げる。

「シリウス、言っただろう?この前のことは誤解だと」
「分かってる。『もし』の話だよ」
    その『もし』はないな」

初めから、その『もし』はない。がシリウスを好きになった時点で。それを知った時点で。

「シリウスだって、のことが好きだろう?」
「……さあ」
「さあ、って」
「あいつのことは、もういいんだ」

せっかく彼女が心を開きかけたのに、彼がこの様子では。リーマスは顔をしかめた。そうだった。愛情ということに繊細な彼。それをまた失いかけている。手遅れにならなければいいが。

 

ある晩、ごそごそと話し声が聞こえてきて、は目が覚めた。部屋を出ると、声は地下から聞こえてきているのだと分かった。クリーチャーだろうか。いや、違う。複数の声がする。地下の階段をそっと下りていくと、シリウスの怒鳴り声が聞こえた。

「口で言うのは簡単さ。ここに閉じこもって!そっちの首は懸かってないじゃないか!」

双子の声だ。どうして、彼らがここに?
厨房へ入ると、テーブルを囲んで、シリウス、ハリー、ロン、ジニー、そしてフレッドとジョージがいた。
テーブルの上にはバタービールが6本、置いてある。

「どうしたの?」

そう声を出すと、6人は一斉にを見た。

 

アーサーが、任務で酷い怪我をしたこと。ハリーがそのことを夢に見たこと。校長室のポート・キーで彼らがここに来たこと。それらのことがシリウスとジニーによって語られた。
その中、羊皮紙が一枚の羽根と共に落ちてきた。フォークスのものだった。アーサーはまだ生きており、モリーが聖マンゴへ向かっているところ。手紙には、そうあった。しかし、アーサーの容態が分からない今、子供たちは沈んでいた。部屋で休んだ方がいいと提案したが、彼らはここにいることを望んだ。今何を言っても無駄だろう。諦めて、は彼らに温かいスープを振舞った。

(アーサー)

はすぐにでも聖マンゴへ飛んで行きたかったが、子供たちが待っているというのに、それはできない。人懐っこくて、温かくて。そんな彼が、どうしてこんな目に遭わなければならないのだろう。やはり、何もできないというのは歯痒い。

やがて夜が明けようという時、モリーがやって来た。蒼白な顔つきだったが、彼女が大丈夫ですよと言うと、全員が安堵するように息を吐いた。

 

午後になると、アーサーを見舞いに行く子供たちの護衛をするため、トンクスとムーディがやって来た。

「私も同行したいんですが」

は切り出したが、ムーディにあっさり首を横に振られた。

「ならん。またフィンスターに出て来られては、面倒なこと甚だしい」

聖マンゴに行くくらい、と思ったが、ぎろりと鋭い目を向けられ、反論できなかった。

「え、え?何、フィンスターって」

トンクスには申し訳なかったが、そのことを話すのは気が引けたので、は聞こえないふりをした。

 

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Cogito, ergo sum 『われ思う、ゆえにわれあり』 08/1/18