#03. FAKE SECRETARY
大学で講義を持っていたマルセス・ヴァージルの研究室に入り、彼に才能を見出されたは、以来彼の助手として働いていた。
はじめは単なる雑用に過ぎなかったが、少しずつ絵画の鑑定を任せてもらえるようになった。
大学を卒業してからは、ヴァージルのオフィスで働くようになった。
忙しいヴァージルに代わり、相変わらず雑務も多かったが、おかげで資産家や美術館の職員などとの繋がりが広がり、彼らから指名で入る鑑定の依頼が少しずつ増えた。
もっともそれも“ヴァージル”のネームバリューによるところが大きいのだけれども。
ヴァージルのオフィスでは、に一部屋が与えられていた。
紅茶でも淹れようかと外に出たところで、はこちらに向かって歩いてくるふたつの姿を見つけた。
ひとりは見知った顔。仕立てのいいスーツを身にまとい、指には高価そうなリングをいくつも煌めかせている男。豊かな白髪を中央で分けている。
カルロス・クロフォード伯爵だった。
もうひとりは、女性。
クロフォードの一歩後ろについて歩いている。
息を呑むほどに美しく、スタイルのいい女性だった。ブロンドの髪を頭の上方でひとつにまとめ、紫色の縁の眼鏡をかけている。真っ白のシャツに、黒のスーツ。タイトなスカートからはすらりと長い足が伸びている。
誰だろう。はじめて見る顔だった。まるでモデルのようだとは思った。
「。久しいな」
クロフォードが声をかけてくる。は軽く会釈した。
「お久しぶりです。伯爵がこちらにいらっしゃるなんて珍しいですね」
「ああ。来年私が主催してオークションを開こうと思っていてね。その相談だ。あと、私の新しい秘書も紹介したくてね。ヴァージルはいるか?」
は、伯爵の後ろに控える女性に視線を移す。
目が合った。
彼女はに向かって目礼する。
「峰不二子くんだ。不二子くん、こちらは。ヴァージルの第一助手だ」
「第一だなんて、そんな」
「謙遜するな、。美術関係者の間ではそう取り沙汰されつつある」
「まあ、お若いのに」
女性は
「いえ……ヴァージル先生のご指導のおかげです。先生を呼んで参りますね。応接間までご案内致します」
苦笑して答えると、クロフォードは頷いた。
「そうだ。いずれ落ち着いて君と話をしたかったんだ。今度時間を開けてくれるか、」
その瞳は深く暗い色を宿しているような気がして、は自然と目をそらし、「はい」と答えた。
広い応接間にクロフォードと峰不二子を案内して、はヴァージルにふたりの来訪を伝えつつ、お茶を淹れに向かった。
先ほどクロフォードは、来年オークションを開く、と言っていた。おそらくその
オークション前に行われる鑑定会を取り仕切る鑑定士
名誉ある役目であり、鑑定士の誰もが憧れる仕事だが、ヴァージルが筆頭鑑定士になることは火を見るより明らかだ。
クロフォードは絵画コレクターとしても画商としても有名だが、オークションを開催するのははじめてのこと。きっと話題になることだろう。
私ももっと責任のある役職に就ければ。
思考を巡らすの脳内に、唐突にひとりの男の顔が浮かんだ。
『カルロス・クロフォード。知ってるだろ?俺が狙ってるのは、やつの持つ真作だ』
ルパン三世
彼に出逢って以来、その存在が気になっていた。ふとした拍子に脳裏に過る、彼の得意げな表情。ぎらぎらとした眼差し。
クロフォードの絵を狙うという彼の存在は、危うい。妨げにならなければいいけれど、とは危惧した。
でも、もしも本当にルパン三世が噂通りの泥棒なのだとしたら。今まで盗めなかったものがないというなら、彼を利用する手もあるのではないか。
私の計画には、
やかんがピィと蒸気を発する音に、我に返る。
やっぱり泥棒の手なんて借りたくない。
ひとりでもやっていける
はティーカップを三つトレイに載せ、応接間へと向かった。
ヴァージルと来客者に紅茶を出し、は自室に戻った。けれども資料室に用事があったことを思い出し、部屋を出る。
廊下を歩いていたところで、峰不二子と遭遇した。
「何かお探しですか?」
彼女が辺りを窺っている様子があったので、はそう訊ねた。
峰不二子はを見て、きらびやかな笑みを浮かべる。
「ええ、お手洗いを。おふたりで話がしたいとつまみ出されてしまって」
「ああ。先生と伯爵はいつも人払いをされますからね」
「それほど内密な話がしたいのかしら?」
ふと、どこか探るような目つきを感じた。
は「さあどうなんでしょう」と苦笑いを浮かべる。
「お手洗い、ご案内します。峰さん」
「ありがとう。不二子と呼んで下さって構いませんわ」
は歩き出す。不二子も後をついてきた。
なんだろう。不思議な女性だとは思った。
美しく、凛としているのに、可憐な雰囲気もある。
女のでさえ、ついつい心を許してしまいたくなる。あの厳しい伯爵も、不二子には柔らかい態度だった。
伯爵が新しい秘書を迎えたという話は近頃耳にしていないから、彼女が伯爵のお付きになってそう日は経っていないはず。それにもかかわらず、伯爵は既に不二子に心を開いているように見えた。
もっとも、ヴァージルとの会談の場に同席させなかったのは、そんなお気に入りの秘書にも聞かせたくない、極秘のことを話し合っているのか。
「クロフォード伯爵とヴァージル氏のお付き合いは長いのかしら?」
不二子が後ろから訊ねてくる。は少し顔を後ろに向け、不二子と前方を視界に入れながら答えた。
「そうですね。もう三十年ほどだったと思います」
「そう。仲がよろしいのね」
は顔を前に戻す。
「
「伯爵の贋作コレクションも、ヴァージル氏が鑑定しているのだとか?」
「ええ」
「世界一の鑑定士が側にいるからなんでしょうね。伯爵が価値の高い贋作も本物もコレクションができるのは」
「そうですね」
単なる世間話を装ってはいるが、不二子は何かを探りたがっている。はそんな印象を受けた。
「私、じつはヴァージル氏のファンだったの。今度ヴァージル氏に何かをプレゼントしたいと思うんだけど、何が喜ばれるかしら?」
はもう一度後ろを振り向き、不二子を見た。
無邪気な笑顔。でも眼の奥には何か深い光があるような
「さあ……何でしょうね。でも不二子さんのような綺麗な方にファンですなんて言われたら、それだけで先生は喜ぶと思いますよ」
「そうかしら」
不二子は他愛無い笑みを広げた。
クロフォードと不二子が去ってから、応接間の紅茶を片付けていると、「」と呼びかけられる。が振り向くと、ヴァージルが立っていた。
雑談をしに来たわけではなさそうだった。口元がきゅっと結ばれている。もっともヴァージルは笑顔が多いわけではないけれど、今は眉間にも皺が寄っていた。
「なんでしょう?」
はテーブルにトレイを置いたまま、立ち上がってヴァージルに向き合う。
「
は眉をひそめたかったが、無表情で訊ねた。
「なぜですか?」
「おまえ以外の優れた鑑定家を育てたいからだ」
以外の優れた鑑定家。にとって誉め言葉だった。けれども、……。
はヴァージルを見つめた。
年老いたなあと思った。
彼に教えを請いたくて入った大学。そこで熱心にアプローチし、ヴァージルもの才能を徐々に認めてくれるようになった。
その頃は覇気や肌のハリもあったのに。今は目元が疲れ切っているし、顔つきもどんどん厳しくなっているように思えた。
「
がゆっくりと答えると、ヴァージルはひとつ頷いただけで部屋を去っていった。
以前はもっと親切にしてくれていた。
けれども、が美術界で台頭してくるのに比例して、ヴァージルの態度は冷たくなっていった。にだけ、だ。
は気づかないふり、気にしないふりをしていたが、その理由は推測ができていた。
『ヴァージルはおそらくもう前ほどの眼力がないんだろ?』
先日のルパン三世の言葉がまた脳裏に蘇ってきて、は目を閉じた。