#04. FAKE INVITATION

 

 クリスティアーズの鑑定会が明るい時間に終わり、は足早に会場を後にした。
 美術館に行こうと思っていた。お気に入りの美術館で展示会がはじまるのだ。
 陽が差しているのに肌にぴりりと吹きつける風が冷たかった。身を縮ませながらは歩く。
 けれども気分は上々だった。展示会ではの好きなアルノワールの絵もいくつか展示される。

 しかし。しばらく歩みを進めたところで、「」と呼ばれて立ち止まった。
 一度聞いたら忘れられない声。振り返らなくても声の主を察することができた。
 はゆっくりと振り向き、予想通りの姿にため息を吐いた。

「またあなたですか」

 ため息が白い吐息に変わる。
 太陽の下だと余計に冴え冴えと映る青いジャケット。黒いパンツとシャツ、赤いネクタイ。
 薄着のように見えるけれど寒くないのだろうか。
 私はコートもマフラーも身に着けているのに、とは半ば呆れる。

「ああ。ちょっと訊きたいことがあってな。食事でもどうだ?」
「“ちょっと”ならこのまま伺います」
「でも寒いだろ?」
「歩きながら話せばいいでしょう。急いでいるんです」


 ルパンは両肩を上げ、残念がってみせる。は構わず歩き出した。
 ルパンは早足で後からついてくる。地下鉄の駅で撒いてしまおうと思ったが、その前にきっぱりと言った。

「先日の件でしたら答えは変わりませんよ」
「まあそうだろうな。簡単に心変わりしないってのは分かってる」
「それじゃあ何を訊きたいんですか?」
「贋作のことだ」

 ルパンはの隣に並ぶ。

「贋作のこと?」
「ああ。俺は今までたいして気に留めてなかったが、贋作ってのは世の中に結構あるらしいな?」

 何か企んでいるんだろうか。
 はちらっと目だけを上げてルパンの顔を伺った。
 鑑定士としての性分なのか、人の言動の真意も見定めてしまうことがあることを、は自覚していた。注意深く見ていると、この人は嘘を吐いている、何かを隠している、ということがなんとなくわかる。
 でも、目の前のこの男の腹の中はまったく読めない。
 始終余裕たっぷりの表情。飄々として見せているくせに、心のなかでは何を考えているのかさっぱり見当がつかなかった。
 深入りしては危険だと、の心が警鐘を鳴らしていた。
 なるべく当り障りのない内容を話すようには努めた。

「そうですね   たとえば世界的に有名な美術館でも、じつは四割は贋作だ、って言われています。美術界全体で見るともっとあるかもしれません」
「そんなにあるのか?」
「ええ」
「なんでまた?」
「富裕層が美術品を持ちたがるんですよ。社会的地位の象徴だとか投資だとかのために。オリジナルはひとつしかありませんから、贋作が出回るんです。お金持ちはその品が本物か偽物かなんて構いはしませんから」
「なるほどな」
「偽物でも売れるから、贋作家がお金のために贋作を作る。ますます贋作が出回る   そういうわけです」

 結局は金のため。は内心で吐き捨てる。
 絵や彫刻など美術品というものが生まれはじめた頃から偽物は作られていたというから、贋作の存在は近年にはじまったことではない。けれども、贋作がひどく目につくようになったのは、高度経済成長期。美術品の価値が上がり、金持ちがますます美術品を欲しがった。

「でも、おかげで鑑定士の仕事が増えたんじゃないのか?」
「そうですね、……」

 は目を伏せる。
 こんな話を彼に聞かせても仕方がない。でも誰かに聞いてもらいたいという気持ちがあった。
 同じ美術界の人間にはなかなか吐露できない愚痴。
 は少し躊躇ってから、口を開く。

「贋作が増えたから鑑定士の仕事が増える   というよりも、鑑定士がきちんと仕事をしなくなったから贋作が増えた   とも言えます」
「へえ?」

 は気づかぬうちに歩くペースを緩めていた。ルパンもの歩調に合わせながら隣に並んで歩く。

「巧妙な偽物が増えて、見破れない鑑定士が増えたのがひとつです。本物と偽物の垣根がだんだんなくなってきて……本物なのに偽物とされていたり、偽物なのに本物とされている絵が増えてきて……それを、わざわざ手間暇かけて正しい鑑定に覆す鑑定士がほとんどいないんです。美術館にある贋作は、美術館を運営する理事や資金を提供している貴族たちの目があるから、贋作だと公表されないことが多くて」
「まあそうだな。自分たちの美術館に展示されてたもんが“実は偽物でした”なんてわざわざ暴露したくないしな」
「そうです」

 一気に語ってしまってから、はしゃべりすぎたと後悔した。
 どうしてこんなことをルパンに話してしまったのだろう。
 話の流れを変えるために、明るく切り出す。

「だから、あなたの盗んだ美術品も半分くらいは偽物かもしれないですよ」

 は何気なく言ったつもりだったが、ルパンは目の奥を光らせたような気がした。
 少し間を開けて、ルパンが言う。

「じつはなあ。俺が盗んだ絵で、鑑定してもらいたいものがあるんだ」
「盗んだ絵?」

 そんなもの鑑定できません。
 が口を開く前に、ルパンが素早く割り込む。

「フランシス・ゴヤンの幻の『黒の絵』だ」

 は思わず顔色を変えてしまう。それを見てルパンがにやりと笑った。

「タイトルは『犬を喰らう男』。残虐すぎる絵で、人目にさらされなかった代物。そうだな?」

 フランシス・ゴヤン。17世紀の画家。
 スペインの宮廷画家だった彼は、スペイン最大の画家とまで言われた。しかし、晩年に徐々に視力を失っていく病に冒された。失意の中、狂ったように彼が描いた絵はおどろおどろしいものが多く、『黒の絵』と呼ばれた。
 病気になる前の彼の絵は、写実的で色鮮やかだったものが、『黒の絵』は暗い色調が多く不気味。悪性を風刺した絵や、革命や戦争で斃れる人々の絵が多かった。さらに、人目にさらせないほど残虐なものもあり、彼の周囲の人間によって隠されたものもあったという。
 後世になっていくつか公開されてきたが、未だに世に出ていない絵があったとは。

「どうしてそれをあなたが持っているんですか?」

 興奮を腹のうちにぐっと抑え、は訊ねる。

「芸術好きのフランスマフィアから頂いてきたんだよ」

 マフィア。それならば、表舞台に現れなかったことも頷ける、けれども。

「でも、まさか、嘘でしょう?」
「嘘じゃねえよ。俺は泥棒だが嘘は吐かねえ。どうだ、鑑定してみたいだろ?」

 は唇を噛む。
 フランシス・ゴヤンの『犬を喰らう男』。未だ美術界に日の目を見ない絵。
 観たい。すごく観たい。
 でも、泥棒についていくなんて。しかも、盗品だ。いや、盗品ではなかったら観られる機会はないかもしれない。マフィアが持っていたんだもの。それに、観るくらいならべつにいいじゃないか。盗みに加担したわけではないのだし。
 は短い間葛藤した挙句、結局、好奇心が勝った。

「わかりました……」

 観念したように吐き出すに、ルパンは片目を瞑った。

「じゃ、案内するぜ」