#23. REAL WARMTH
は反射的に目を閉じた。
殺される。
息が止まった。
背筋にぞくりと戦慄が走る。
ズキューンという耳をつんざくような銃声が鳴り響く。
ああ、私、死ぬんだ
恐怖と諦めが入り交じった感情が全身を支配する。
けれども、しばらく経っても、の身体に痛みはやってこなかった。
不審に思って目を開けると、目の前には腕から血を流しているクロフォードの姿が目に入った。はぞっとして身体を反らせる。
クロフォードの手に拳銃はなく、遠方に弾き飛ばされていた。そして彼は、歯を食いしばりながら一点をじっと睨みつけている。
も首を横に向け、その方向に目をやる。
ルパンが立っていた。拳銃をまっすぐにクロフォードに向けている。
さっきの銃声は、ルパンが撃ったのだろうか。
「貴様……!なぜ、なぜだ!ガスが効いていないのか!?」
ルパンは銃をそのままに、ゆっくりとクロフォードに近づいて行く。
「マスクを持ってたからな」
ルパンは答えながら、銃口をクロフォードの額に突きつけた。クロフォードの顔が蒼白になる。
「や、やめろ……と、取り引きをしようじゃないか……なあ」
クロフォードは媚びるような目つきでルパンを見上げた。
「取り引き?」
「ああ……そうだ。か、金ならやる……いくら欲しいんだ?」
「へえ。あんた、自分の命を金で買おうってのか?」
ルパンは唇の端を吊り上げる。クロフォードの目は完全に泳いでいた。
「ああ!いくらでも出す!だから、撃つな…!」
「いくらでも?千億ドルって言っても?」
「くっ……そ、そんな金、すぐには……」
「じゃあいくらなら出せるんだ?自分の命に」
「う……今すぐ出せる金は……そうだ、ここの絵をすべて売ればいい。ダヴィンチもだ!そうだ、ダヴィンチ!そうすれば、千億ドルに近づく!」
「言っただろ?お宝は頂いた、ってな。ダヴィンチの『最後の審判』はもう俺のもんなんだよ」
「なっ……!」
「俺はなあ、あんたの命にも、それにかかる金にも、興味はねえ」
ルパンは冷笑しながらゆっくりと語り、引き金にかける指の力を強めた。
「まてっ……」
クロフォードの顔は恐怖でいびつな形に引きつる。は思わず目を背けた。
ダン、と先ほどよりも静かな銃声だった。
何かが違う、おかしい。
恐る恐る薄目を開けて見ると、ルパンの銃口はクロフォードの身体に向けられていた。
ルパンは引き金を引いたはずなのに、クロフォードの身体からは流血していなかった。けれども、クロフォードの目が見開かれたかと思うと、虚ろになり、膝から崩れ落ちた。ルパンは拳銃を下ろす。クロフォードは床に倒れ込んだ。
死んでしまったのかと、は一瞬ひやりとしたが、どうやら気絶しているだけのようだった。クロフォードの背が微かに上下に動いている。
ルパンは拳銃を懐にしまい、座り込むに近づいて来る。そして右手を差し出してきた。
「立てるか?」
「え、ええ……」
はルパンの手を取る。引っ張りあげてくれたルパンのお陰で、立ち上がることができた。
「ありがとう……ございます」
「怪我は?」
「ありません……伯爵は……?」
「麻酔弾だよ。死んじゃいねえ」
そう答えながら、ルパンはの足元に落ちていたマスクを拾い上げる。
「よくマスクなんて持っていましたね」
「まあな。じつは俺も催眠ガスを用意してたんだよ。ここから逃げるための、な。だからマスクも持って来てたわけだ」
「二つも……?」
「いや。おまえに渡したこれだけ。俺がかぶってたのは変装用のマスク」
ということは、ルパンはわざわざを助けてくれたのだろうか。ヴァージルや銭形もいたというのに。
「それなら……どうして……私を助けてくれたんですか?その用意していた催眠ガスで、私も眠らせるつもりだったんでしょう?」
「ま、致死量はなさそうだったけどな、万が一毒ガスだったらやばいだろ?微量でも女子どもには後遺症が残る可能性もある。だからお助けしたわけ」
「それは
ルパンは恩着せがましく言ってみせるが、は素直に感謝した。“女子ども”という言い方が多少引っかかるけれども、嬉しい、と思ってしまった。理由はどうであれ、ルパンが助けに来てくれたことが。
そう思いかけて、考えを改めた。は身構える。
「でも……どうせまた眠らせるつもりなんでしょう?」
ルパンは苦笑した。
「いや、まあ、今からわざわざ眠らせたりはしないさ」
本当かなあ。
は疑ったが、その前にルパンに訊きたいことが山のようにあった。
「ダヴィンチは、ルパンが持っているんですか?」
「ああ、頂いた。ダヴィンチの幻の一作となれば相当の値がつくよな」
「そうでしょうけど
「そ。この屋敷に来たときから、な」
「私だけじゃ、伯爵が私を信用しないと思ったから、ですか……?ヴァージル先生になりすまして、喚き散らして、伯爵の“ヴァージル”に対する信用を失墜させたんでしょう?」
「まあ、そんなところだ」
「ヴァージル先生も共犯だったんですか?なぜこの扉の指紋やパスワードを解除できたんです?」
「ヴァージルは、事情を話したら“快く”協力してくれたんだ」
「そんな……ああそういえば!ルパン、刺されて血を流していましたよね!?どうして無事なんですか?」
「あのナイフはおもちゃだからな。血も偽物」
ルパンはナイフを取り出し、その刃を指で押した。柄の中に刃が簡単に出し入れできるものだった。
「ああそうそう、リプライとか言ったあの男は、上の書斎のクローゼットの中で眠ってるぜ」
「それじゃあ、」
「悪いが」
が次々と問いかけようとしたところを、ルパンが遮る。人差し指を立て、の口の前に突きつけた。
「ゆっくりおしゃべりしてる暇はねえんだ。そろそろ銭形が目を覚ますだろうからな。その銭形に任せときゃ大丈夫だよ。貴族だの金だのには怯まない男だからな」
「でも、」
ああ、ルパンは去ってしまうのだ。
そうしたらそのまま二度と会えない気がして、は必死に言葉を紡ごうとした。けれども、声が出てこない。
ルパンはの頭にぽんと載せた。
「これで万事大丈夫だろうよ」
ルパンは二度、軽くの頭を叩き、手を引っ込めた。
は何も言うことができなかった。
ルパンに触れられたの部分が、熱を持ったように火照るのを感じた。
頭を撫でられることがこれほど心地よいものだとは、思わなかった。
ルパンが、行ってしまう。
行かないでほしい。まだ聞きたいことがあるのに。まだ話したいことがあるのに。
けれども、引き止める言葉がない。
ルパンはに背を向け、言った。
「じゃあな、。縁があったらまた会おうぜ」
ルパンはそう言うけれど、もう彼とは会えないような気がした。
行かないで。
その言葉が喉から出かかる。
は自分を支配する感情に戸惑って、何も言えなかった。
世紀の大作、ダヴィンチの『最後の審判』を持って行かれてしまったこと。
伯爵たちの不正を暴いてくれたこと。
を二度も窮地から救ってくれたこと。
文句や感謝や、まだ話したいこと、伝えたいことがたくさんあるのに。
が何も言えぬ間に、ルパンの姿は消えていた。