Ⅹ. 色とりどりの世界 ... 4



 ルパンと私は、ミケランジェロ広場の駐車場から、いつものイタリア車に乗った。フィレンツェ郊外やカプリ島に行ったときの、イエローの車。私のアパートの前で一度降ろしてもらい、スーツケースと『アルノ川の春』を積み込む。
 ルパンはエアコンをつけず、窓を全開にして車を走らせた。

 さようなら、フィレンツェ。

 私は心地よい風に吹かれながら、窓の外に移ろうフィレンツェの街を眺めた。フィレンツェとの別れは寂しい。でも今は、それ以上に、心に引っかかるものがあった。私の心は宙ぶらりんの状態であたりを彷徨っていた。
 ルパンは今、何を考えているんだろう。私のことを迷惑だと思っているのなら、こうしてローマまで送ってくれない、と思う。でも、何も言わない。私のなけなしの勇気は、なかったことにされている気がする。
 もしかしてこれは、やんわりと“ノー”という返事の代わりなのかな、と考えてしまう。せめて最後の情けという気持ちで、車に乗せてくれたのかな、……。
 どことなく居心地の悪いが詰まってきて、私は話題を探した。車はフィレンツェ郊外を走っていた。

「そういやさ」

 会話を探していたので、ルパンのほうから投げかけてくれたのは助かった。

「オーディンの台座っての。あれ、ほんとにあるわけ?」

 はじめは何の話をしているのかわからなかったけれど、すぐに思いつく。私がベルトリーニの屋敷で、敵を油断させるために言ったことだ。

「国ひとつが買えちまうほどの財宝、なんだろ?」
「ああ……あれはね、嘘」
「うそぉ?」

 ルパンは声を上げる。

「ベルトリーニの隙をうかがうために吐いた嘘。私が……割ってしまったカメオも、たぶん、ただのカメオだったと思う」

 美術品を床に叩きつけたときの感触が蘇り、胸がきりりと痛む。

「あー、っそ……なーんだ。どうりで俺も聞いたことないしろもんだと思った」

 ルパンはがっかりしたようにため息を吐く。ルパンのことも騙せたということは、私の演技力も捨てたものではないのかな、と少しおかしくなる。

「でもね、その嘘の元にした噂話はあってね。本当は、アレキサンダー大王の台座のことなの」

 ルパンは目を輝かせ、助手席の私を見る。

「へええ?」
「アレキサンダー大王の台座が、マケドニア   今のギリシャあたりに埋まっていて、当時王が征服地から集めてきた金品財宝も一緒に眠っているんじゃないか……って、考古学者の間では伝説のように言われていて」
「ほおー、そりゃあ興味あるなー」
「色々な説があるみたいなんだけどね。とっさに、それを北欧神話のオーディンに置き換えただけ」

 ルパンはもう一度、「ほお」と声を出す。あくまで噂話として伝わっていることでも、ルパンなら本当に見つけ出してしまいそう。
 緊張が解れつつあった私は、話題も切れたところで、気になっていたことを訊ねた。

「ルカは、……どうなったのかな……」

 新聞には危篤と書いてあった。あいつは、……生きているのか。

「次元が、撃ったんだよね……?」
「ああ、そうだ」

 私はルパンのほうに少しだけ視線を動かした。でも、ルパンの顔は直視できなかった。ハンドルを握る手を見つめる。

「公表されてるのは危篤状態、ってことだけどな、実際にはわからねえ。死んでる可能性もある」
「死……」
「次元が撃った弾は、急所は外してるはずだ。でもな、問題はバックのマフィアどもだろうな。ルカの意識が戻ったら、マフィアどもにとっては都合の悪いことをばらされる可能性がある。その前に、口を封じられるかもしれねえ」
「そんな、……」
「そういう世界だよ。あいつが踏み込んだ世界は   俺たちが生きる世界は」

 私は、何も言えなくなってしまった。ルカは憎い。でも、死んでしまえばいい、とは思えなかった。父さんの敵でもあるし、あいつのせいで嫌な目にたくさん遭ったけれど。それでも、殺されるかもしれないと聞いて、うれしい気持ちは湧いてこなかった。
 人の生死をやり取りする世界。恐ろしいところだと、思う。ルパンがいる世界も、そういうところ。暗に拒絶されているような気がした。私にはけっして踏み込めない領域、……。

 車内の雰囲気が暗くなりつつあったので、私は明るい話題を探した。せっかくの……最後のドライブなのに、こんな空気は思い出したくはない。
 でも、ルパンにかける言葉が見つからなかった。
 ルパンの言葉が、怖い。だから、私から適当な話題を振って会話を続けたほうがいいのに、何も思い浮かばない。

 流れゆくフィレンツェの田舎の景色を見ながら必死に模索しているところで、ルパンが口を開いた。

   じつを言うとな。絵を置いて、黙って消えるつもりだったんだよ」

 私は窓の外の景色から、ルパンに顔を向ける。ルパンは正面を見たまま、続けた。

「でも予想外の告白を聞いちまったもんでね」

 どういうこと?
 私はルパンの言葉を頭の中で反芻させる。“予想外の告白を聞いた”   なんだか嫌な予感を抱えて、ルパンの言葉を待った。

「お客さん、料金サービスしますよ」

 ルパンの口から発せられたのは、ルパンの声じゃないけれど、聞き覚えのある声。どこで聞いたんだっけ。わりと最近、……   まさか。

「まさか、……あの業者のおじさん?」
「ピンポーン」
「え? え、……う、うそ……変装してたの?」
「そゆこと」

 ルパンは一瞬だけ私のほうを向いて、にやりと笑う。そして、再び前方に顔を戻した。
 業者のおじさん。私の部屋に荷物を受け取りに来たおじさん。ピアノを聞いてくれたおじさん。ルパンから伝言を頼まれて、絵を受け取ったと言っていた。
 あの人が、実際は、ルパンだった?
 うそ。
 と、いうことは。
 あのときのやり取りが走馬灯のように蘇ってくる。
 私は、……長たらしい独白を、あのおじさんに聞かせた。
 ルパンはそれを   ぜんぶ、聞いていた……?
 うそ、でしょ。
 私、なんて言っていた? 頭のなかがぐちゃぐちゃに乱れて、思い返せない。でも、ルパンに直接聞かれていいことじゃ、ない。
 うわあ、最低だ。
 顔が熱くなってきて、頭に血が昇っていく。声を荒げていた。

「そんな、ひどい! 騙したんだ! 最低!」
「なーに言ってんだか。べつに騙してなんてないだろ? それに、俺のアドバイスが効いたんじゃないの?」

 ルパンはにやにや笑っている。
 言い返せなかった。たしかに、あの“おじさん”の言葉は、私の背中を押した。ルパンに気持ちを言うべきだ、って。その言葉の後押しもあって、私は今、ここにいるのだけど。
 それでも。それでも、最悪だ。
 しかも、当の本人がしれっとアドバイスしてくるなんて。
 “ルパン”という名前は出していないけれど、話の内容がルパンを意味することは、本人にもわかっていたはず。
 もしかして。私が生きていることを隠していた理由を、なんだかしつこく訊いてくると思ったら、まさか、私に言わせようとしてたの……?
 私は抗議めいた口調と目線をルパンに送る。

「知っていて   言わせたのね」
「なんのことかなー? 俺は“あくまで”良かれと思ってアドバイスしてやっただけさ」

 とぼけるように言うルパン。

「それに、騙したのはのほうだろ? 俺様を二回も欺いてくれちゃって」

 二回? 一度は“私が死んだ”という嘘のことを言っているのだろうけど、それとは別にルパンを騙したことなんてあっただろうか。先ほどの、オーディンの台座のことだろうか。

   二回も騙してなんてないよ」
「俺に言わせりゃ、のほうが俺に興味のない素振りだったけどな? むしろ、素っ気なかっただろ、俺が抱きついたりしても。ぜーんぜん気づかなかったもんなあ、の気持ちに。この俺が」

 次元は気づいてたのに。なんて非難めいた言葉は呑みこんだ。

「……気づかれないようにしてたもの」
「もっとアプローチせにゃ、男は落とせないぜ?」
「落とすつもりなんて」

 私はもう、諦めのような気持ちが湧いてきて、洗いざらい言ってしまおうかと思った。

「ルパンが……私の気持ちに気がついたら、ルパンとはもう会えなくなる気がして。そうならないように、隠してた」
「んー……どうだったったろうな」

 ルパンは視線を宙に泳がせ、しばらくしてから続けた。

「たしかにそれはあるかもな。の好意に気づいてたら、これ以上俺に近づけさせないようにしてたかもな」

 やっぱり。胸がちくりと痛む。私の行動は、正解だったんだ。ルパンへの気持ちは、最後まで伝えなくて良かった。

「ほら、俺ってもてるだろ? それに、泥棒だし、世界中の女が放っておかないわけ」

 ルパンはにひひ、と笑う。私も笑おうとしたけれど、苦笑いのような笑みになってしまった。
    これ。暗にルパンの答えなのかな、と思った。俺は女好きだから諦めてくれ、っていうことなのかな、……。
 ルパンがこのまま中途半端な返事を続けるのなら、いっそ、はっきり言ってほしいと頼もうか。ああ、でも、嫌だなあ。面と向かって、「おまえには興味がない」と言われるのも、辛い。けれど、そうすれば前に進めるのかな   
 私がそんなことを考えているとき、ルパンは不意に車を走らせるスピードを緩めた。
 どうしたんだろう。何気なく外の景色に目を移すと   息が止まった。
 あたり一面の黄色。

「うわあ……」

 青い空の下、太陽に顔を向けて、みな同じ方向を向いて咲き誇る花々。

「ひまわり……」

 私はぽかんと口を開けたまま、その光景に見惚れてしまった。なだらかな丘陵をひまわりが埋め尽くしていた。美しくて、可愛らしくて、力強くて、壮大な眺めだった。どこまでもどこまでも、世界の果てまでも続いていそうな黄色の絨毯。こんなにたくさんの数のひまわりを、今までに見たことがなかった。圧巻の景色だった。

「すごい……きれい」

 感嘆のため息を漏らす私に、ルパンは車を停めて、言った。

「少し歩こうか」

 

top | back | next
(15.10.3)