Ⅱ. はじまりの記憶は赤とネオン ... 2



「そういや、きみの名前をまだ聞いてなかったな」

 車を走らせて少し経ったとき、彼が訊いた。

です。
「女の子に先に名乗らせちまったなあ   俺は、ルパン」
「もしかして、泥棒のルパン三世さん?」
「知ってるのか?」

 彼は   ルパンは、少し目を丸くしてこちらを向く。
 やっぱり。彼がルパン三世じゃなかったら、私がここにいる意味がない。

「日本でそんなに有名だったかなー」
「私、海外にいることも多かったので、新聞で見たことがあったんです」
「じゃあ最初ハナっから俺のことは気づいてたってわけだ?」
「なんとなく。はっきり確信したのは、家に帰って調べてからですけど」
「へえ。で、俺をルパン三世と知ったうえでついてきた、と」
「……はい」

 ルパンは車を首都高に載せた。窓の外では東京の街が放つ色とりどりの光が流れてゆく。電車から見ると無機質なものだったのに、こうして車に乗りながら見ると胸が高鳴るのはなぜだろう。

「ルパンさん、」
「ルパンでいいよ。ちゃん」
「私のことも呼び捨てでいいです」
「オーケー」
「あの    『エジプト文明とナイル展』に、何か盗みたいものでもあるんですか?それとも、博物館の常設展に?」

 私の問いに、ルパンは口端を上げて笑う。

「単に考古学に興味があるだけさ」
「それだけで、わざわざ“天下のルパン三世”が個人の博物館に? てっきり、何か盗みたいものがあって情報を得たいから、私を食事に誘ったのかと思いました」
「やーだねえ。きみを食事に誘ったのは、きみに興味があったからだ」

 一瞬どきりとしてしまったけれど、他の女性にも声をかけていたことを思い出して、「冗談でしょう」と返す。

「変装までして中に入って、下見か何かじゃないんですか?」
「変装?」
「あなたが博物館の中にいたら気づくはずだもの    その赤いジャケットで」
「きみが見てなかっただけかもしんないよ」
「昔、ルパン三世は変装の達人だって新聞に書いてあったのを覚えてます」
「へえ」

 ルパンは薄く笑っている。あくまで白を切るつもりなのだろうか。それもそうか。博物館のスタッフの私に、盗みを宣言するわけがない。
 ルパンは左手でハンドルを握り、右手で運転席と助手席の窓を少しだけ開けた。春の夜の爽やかな風が吹きこんでくる。暖かく、冷たい風。
 しかたない。私の話を先に切り出すしかないか……。私はそっと息を吐いて、膝に載せた拳をきゅっと握りしめた。

    じつは、あそこから盗んで欲しいものがあるんです」

 ルパンの視線が私に向けられるのを感じる。私は正面を走るトラックのテールライトを見ながら、続けた。

「『フォロ・ロマーノ』という絵画です。アラン・アントニーニという画家が描いたものなんですけど」
「へえ。そりゃまた、どうして?」

 私はお昼にルパンと再会して以来、頭に描いていたシナリオを反芻させた。けれども、やはり現実離れしているようなことに思えて、尻込みしてしまう。世界的な大泥棒に盗みの依頼なんて、一蹴されるだけだろうか。
 私が黙ってしまうと、ルパンが言った。

「俺のところに盗みの依頼をしてくるやつもいるがな、俺は基本的に自分のためにしか盗ないって決めてるのよ。何でも屋じゃあないんでね。俺に得があるとか、おもしろそうな仕事だとか、そういうことなら別だけど、な。んでも、きみは見たところわけありのようだ。まず話だけなら聞こうか」

 ルパンはただの盗賊とは違うね。いつだったか、新聞を見ながら父さんが言っていた言葉が蘇る。彼は単に金品が欲しいんじゃない。なんというか、彼なりの“美学”がありそうだ。興味深そうに語る父さん。
 まさか、そのルパン三世と直に会って話すことになるとは、思いもよらなかった。

    『フォロ・ロマーノ』……もともとは、父の絵だったんです」
「ほお」
「父は美術商をしていて。美術家やオークションから美術品を買い集めて、それを美術館や博物館や“良心的な”コレクターに売っていたんです。でも、本当に気に入った作品は手元に残して、小さなギャラリーを持っていました。ニューヨークに」

 首都高は渋滞することなくスムーズに流れていく。たくさんのヘッドライトやテールライトが行き交って、光の海を走っているよう。こんなドライブは久しぶり……ううん、はじめてかもしれない。夜の東京をドライブ、だなんて。不安と、父さんを思い出す悲しみのなかに、少しだけ胸が躍るような明るさがあった。
 世界中を飛び回っていた父さん。母を幼い頃に亡くした私は、父さんとおじいちゃんだけが家族だった。自由奔放な人で、母さんとは駆け落ち同然で入籍をしたので、親戚とは疎遠だった。同じように美術を愛し、父さんの仕事にも理解のあったおじいちゃんだけが味方だった。
 父さんは美術品に対してとにかく情熱のある人だった。いつも活き活きしていた。私はずっと父の背中を見ていた。こういう風に人生に色を持たせられる人になりたいと思っていた。

「でも……去年、全部、奪われてしまったんです。そのうちのひとつがあの博物館にあるとわかって、取り戻したくて」

 私が言葉を切ると、ルパンは人差し指でトントンと何度かハンドルを叩く。

「奪われた?」

 私は小さく息を吐いて、前を走る車のテールライトを見つめる。あの忌まわしい出来事を人に語りたくはなかった。でも、父さんの美術品を手に入れるために    ルパンに盗んでもらうためには、説得力のある話をしなければならない。そのためには真実を語るのがベストだと思った。

   殺されたんです」

 ルパンは何も言わなかった。彼も正面を見たままだった。私は、なるべく感情を込めずに続けた。

「犯人は捕まりませんでした。警察は積極的に動いてくれなかった。“通り魔に刺された”ということで、処理されてしまいました。そもそも父が不正に美術品を手に入れていた、殺されて当然だ、なんて主張するブローカーまで出てきて……。そいつらに父の持っていた美術品はすべて奪われてしまったんです」

 美術商にはふたつのパターンがあった。あくまで私のなかでの区別、だけれど。ひとつは、父さんのように純粋に美術品を愛している人間。そうでなくても、美術品に対して真摯な目を持っている人間や業者。美術品の転売だけではなく、自前のギャラリーを持っていたり、気に入った美術家を売り出すためのスポンサーになったりすることもある。
 もうひとつが、ブローカー。単に“儲け”のために動いている。いかにして美術品を安く買い、いかにして高く売るかということを目的としている人たち。ブローカーの中には、美術品を単なる商売道具としか思っていない連中もいた。父さんは後者の組織に殺されたのではないかと、私は思っていた。
 窓の外を移りゆく人工的な光が、目に染みる。
 病院で、動かない父さんを見たときの衝撃が、蘇ってくるようだった。それはあまりに突然で、信じられなくて、……。それからのことは何も覚えていない。気がつくと、葬式が終わっていた。

「父が不正に美術品を手に入れていたなんて、ありえない話なんです。あんなに美術品を純粋に愛していた人は、いないんです」

 私はぎゅっと拳を握る。
 だめだ。あまり感情を入れては、続けられなくなる。私は小さく息を吐いて、続けた。

「父さんには人とのトラブルもなかったと思うし、考えつくのは美術品絡みでブローカーに目をつけられてしまった、ということくらいでした。だから、祖父と私で調べたんですけど、犯人の目星がつけられなくて」
   親父さんの美術品はなんで奪われたんだ?」

 ルパンは低い声で訊ねた。

「それもわからないんです……父の美術品は、それなりに価値のあるものはあったけど、そんな……殺してまで手に入れようとするものが、あったのかどうか……。美術商にも色々な人がいて、単にお金のためだけに美術品を売りさばくブローカーもいるんです。そういうやつらに奪われたんだろうとは思うんですけど……」

 なるべく感情を押し殺して語らないと、悲しみや怒りや悔しさが一気に溢れてきてしまいそうだった。私はなるべく、淡々と事実だけを話すようにして、続けた。

   だからせめて、父さんの大事にしていた作品は取り戻したいと思ったんです。ブローカーは父さんの作品を色々なところに売りつけたみたいで、全部はさすがに無理だけど、本当に父さんが好きだったものだけでも、取り戻せたらと思って。健全な美術館やコレクターのもとにあるならいいんですけど、そうじゃないのなら父さんが浮かばれないなと思って……ううん……私個人的に、気に入らなくて」

 父さんがニューヨークで殺されてから、日本で暮らしていたおじいちゃんがやってきて、一緒に父さんの死の真相を調べようとした。けれども、真相は何もわからなかった。あのときの無力感、脱力感、悔しさ、怒り、悲しみ、歯がゆさ。ブローカーに対しても、警察に対しても、真犯人に対しても、憎しみがこんこんと湧いてきて止まらなかった。それをやりくるめるには、“父さんの美術品を取り戻す”という楔が必要だった。息子を殺されたおじいちゃんと、父を殺された私には。

   で、いくつかは取り戻せたのか?」
「ひとつだけ。父の保険金で、買い戻しました」
「そうか。さっきの話だと、今回のターゲットは“健全”じゃないってことか?」
「ええ。館長は手段を選ばずに色々なところから美術品を手に入れてきたみたいです。あの博物館自体も、今回の展示会もすべて、自分の利益のためなんです」
「なーるほどな」

 いつの間にか外の景色は横浜の夜景に変わっていた。観覧車や高いタワーが光を放っている。美しいなあ、と思った。心の中でざわざわと動く黒い闇が、少しだけ薄くなるような気がする。

「それにしても、きみはどうやって『フォロ・ロマーノ』を手に入れようとしてたのかな? まさか盗もうとしてたわけじゃあないよなぁ?」
「それは……館長の弱みを握る、とか……どうにか言いくるめるとか……」
「んー、危ない橋なんでない? きみに何かあったら悲しむ人がいるでしょうに」

 そんな人、いません。私は開きかけた口を、閉ざす。
 父さんは殺され、三か月前におじいちゃんも心筋梗塞で亡くなり、父さんが不正行為をしていたと信じる親戚はますます遠ざかってしまった。友だちや同僚など親しい人はいるけれど、私の死を嘆いてくれる人はいるだろうか。

   最終的にはまたお金で解決、とも考えたんですけど、あの館長がいくら積むか分からないし。いずれ私も美術商になって、館長と交渉しようと思って、今のうちに館長を調べてコネを作っておこうと思って……あそこで働きはじめたんです」
「それにしても時間がかかるだろうな」
「はい。そんなときに天下の大泥棒さんが現れてくれたので、お願いしてみようと思ったんです」

 一昨日会った人物がルパン三世だと確信してから、もう一度彼に会えたら話をしてみよう、と思っていた。盗みの依頼なんて受けてくれるかわからないけれど、駄目でもともとだ。

「事情はわかった。だが、俺は見返りのない仕事はしない主義なんでね」
「そう……ですよね」

 ルパン三世。世界的にも有名な泥棒。そんな彼が、軽々しく私の依頼を聞いてくれるわけがないか。わかってはいたけれど、私は落ち込む表情を隠すのが精いっぱいだった。

「そ。でも、いいことを思いついたんでね。きみがナイル展とあの博物館についての情報をくれるんなら、盗んでもいいぜ、その絵」

 私ははっと顔を上げてルパンを見た。ルパンは片目をつむって笑う。

「俺も頂戴したいもんがあるんだ」

 

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(15.6.27)