Ⅱ. はじまりの記憶は赤とネオン ... 5



 ルパンは「よっ」と言いながらロックグラスを掲げた。それを見て次元が言う。

「俺の役目はここまでだな」
「ご苦労さん。一杯くらいどうだ?」
「……ま、そうだな。久しぶりにここのバーボンが飲みてえ」

 次元はルパンを押しのけて彼の隣に座ったので、私はふたりの向かいに腰掛けた。私が席に着くと、ルパンが訊ねてくる。

ちゃんは何にする? ここは酒も飯もいけるんだ」
「え、と……何があるんだろう?」
「何でも。ま、俺が大概頼むのはウィスキーかイタリアンだなー」
「何でも? カキフライ定食とかも?」
「はい、カキフライ定食ひとつね」

 気がつくと、先ほどカウンターの奥にいたマスターがテーブルの隣に立っていた。私は思わず「わっ」と声に出してしまう。マスターは、顔色ひとつ変えずオーダーをメモ帳に記入していた。

「ああ、いや、えと……すみません、カキフライは例え話なんです……じゃああの、ピザ……マルゲリータはありますか?」
「はい、マルゲリータね」
「マルゲリータもうひとつ」
「俺はいつものバーボンを頼む」

 ルパンと次元が続き、マスターがメモを取る。

「あと、フライドポテト、チーズの盛り合わせ、チキンのバジルソテー」
「おめえ食いすぎだろ」
「うっせーな、腹が減ってるんだよ。ちゃんも食べるだろ? あ、あと刺身。新鮮なやつ」
「はいよ」

 お刺身もあるなんて。ここのお店、どんなところなんだろう。見たところただのバーのようなのに、品ぞろえはファミリーレストランのよう。

「お客さん、飲み物は?」

 マスターが私に視線を向け訊ねる。

「あ、えっと……アルコールが弱めの……何かおすすめ、ありますか?」
「アルコール弱めのおすすめね。はいよ」

 マスターは静かに言って、カウンターのへと去って行った。

「アルコールがダメならコーヒーもうまいぜ、ここは」

 ルパンが言う。

「お酒は嫌いじゃないんですけど、強くなくって。弱めのものがあるならありがたいです」
「そうか。本当は洒落たレストランでディナー、も考えたんだけどな。いろんな話をするならここのほうが都合が良かったのよ」

 ルパンが言い終えると、ちょうどマスターがお酒を運んできた。次元には“いつもの”というバーボンのロック。私には何かのソーダ割り。爽やかな甘い香りからすると、梅酒だ。

「じゃ、乾杯」

 ルパンの合図で、私たち三人はグラスを合わせる。カランという乾いた音が静かな店内に響いた。微かにジャズピアノの曲が聴こえるくらいで、物音を立てているのは私たちだけ。
 お酒に口をつけると、やはり梅酒のソーダ割りだった。まろやかなのに甘さは控えめで、アルコールが苦手な私でも飲みやすい。

「すごくおいしい。マスターはどうして私の好みがわかったんだろう」
「マスターは天才だからな。俺の好みのバーボンも一発で当てやがった」

 次元はそのバーボンを飲みながら満足そうに言った。“天才”、って。その一言で片づけられるレベルの才能じゃない気もするけれど。

「そういや次元、“あいつ”がよろしく言ってたぜ。またおまえと一杯やりたいとよ」
「また、だあ? 俺ぁやつと一杯やったことなんてねえぞ」
「知るかよ。あいつは次元、おまえに会いたがってたよ。おまえが行きゃあ良かったのによー」
「にしちゃあ長居だったな」
「うるせーな! 好きで長居してたんじゃねえ!」
「後腐れないように公平に決めただろ。文句を言うな」

 うぬぬ、とルパンは眉を奮わせている。話の筋が見えないので、ふたりの会話が止んだところで訊いてみることにした。

「ルパンは   女の人に会いに行っていて、遅れるから代わりに次元さんが来てくれた……んですよね?」
「んんん? 次元こいつがそう言ったのか?」

 「てめぇ」とルパンは次元を睨みつける。一方の次元は涼しい顔で答えた。

「何度も言うが、事は公平に解決したはずだ。おめぇがチョキで俺がグー、だろ?」

 ちぇっと吐き捨てて、ルパンはロックグラスの中身を飲み干した。それで怒りが少し落ち着いたのか、私に向かって説明をしてくれる。

「東京にその筋じゃ有名な情報屋がいてな。そいつの都合が今日しか空かねぇと言う。しかし俺には先約があった。ちゃんとの食事の約束だ。そこで、次元にそいつのところへ行って来て欲しいとお願いしたわけさ。ところがこいつは『嫌だ』の一点張り」

 ルパンの言葉に、次元はぽつりと呟く。

「……あいつは苦手なんだよ」
「俺だって苦手だよ」

 ルパンもため息を吐く。不思議に思った私は、ルパンに訊いた。

「でも……その人、女の人なんでしょう?」
「女ぁ? 女にゃ違いねぇが、あいつは元・男だ。気持ちは女だとか言ってるがな、たまに怒ると男が出る」

 ルパンがうんざりしたように答えた。

「ともかく、次元が嫌がるもんで、仕方なくじゃんけんで決めることにしたわけ。で、俺が負けてそいつのもとへ。次元は勝ってちゃんのもとへと、そういうわけ」

 そういうことか。ルパンは女の人に会っていて    口説いた女性とか    、時間に遅れそうになって、次元を遣いに寄越したのかと思っていた。ルパンに少しばかり腹を立てつつあった私は、心のわだかまりがなくなるのを感じた。すっきりした気分で、梅酒に口をつける。

「お前にゃあの男女が一番お似合いだよ」

 次元はそう言うとバーボンを飲み干す。舌を出して「けっ」と言うルパンに、「じゃあな」と言って立ち上がった。
 ああ、行ってしまうんだ。彼が去ってしまう前に、言わなきゃ。

「あの、次元さん」

 次元は私を見下ろす。帽子の下から彼の目がわずかに見えた。

「ありがとうございました、送ってくれて」
「礼はいらねえよ」

 次元は帽子を抑え込み、目深にかぶる。彼の目が見えなくなってしまう。

「あの男女よりはまともな話し相手だったしな」

 次元がルパンに向けて皮肉っぽく言うと、ルパンは手の甲を振って「早く行っちまえ」と言った。
 次元が去って行くのと入れ替わりに、マスターが料理を持ってきた。頼んでいないはずのサラダ、フライドポテト、チーズの盛り合わせ、チキンのバジルソテー、刺身。そしてカキフライ。

「あれ、これ……」
「サービスだよ。マルゲリータはもう少し待ってくれ」

 マスターは無表情で去って行く。

「なかなか素敵なことをしますね、マスター」
「だろ?」

 ルパンはマスターが持ってきたロックグラスを口につけてから、さりげなく切り出した。

「次元と何かあったのか?」
「えっ?」

 料理の豪華さに見惚れていた私は顔を上げた。ルパンはいつもの表情   微かに笑っていたけれど、目の奥にはどこか真剣な色があった。

「いやさ、ちゃんと次元、ふたりで入って来たときに、ちょっとばかし雰囲気が暗かったんで、な」

 鋭いなあ、と感心してしまった。ルパンはちょっとした空気の違いによく気がつく人だった。このとき以外にも、そう感じることが何度かあった。なにも考えていないようで、きちんとまわりを見て考えている人。

「ああ……ちょうどここに着く前に、父の話をしていたんです。あまり明るい話じゃなかったから、そのせいかも」
「なーるほど。次元のやつ、昨日調べてたからなー。あいつ、失礼なこと訊かなかった?女の子の扱いに慣れてないからな」

 私は笑って首を横に振る。

「父さんを殺した犯人についてとか……犯人を見つけたらどうするかとか、そういう話でした」
「はあ。女の子にする話じゃねぇな」
「でも、はっきり訊いてくれて良かったです。疑いを持たれたままじゃ、私も居心地が悪いし」

 まさか半分はルパンの話をしていたなんて言えなかった。
 それにしても私は“女の子”扱いなんだなあ、とルパンの言葉を振り返る。そんな年でもないのに、ルパンにとっては私は幼く見えてしまうのだろうか。
 ルパンが食べてと促したので、私はサラダやフライドポテトを自分の取り皿によそって食べた。ルパンはジャケットを壁のハンガーにかける。

「それで   ちなみに、どうしたいんだ? 犯人が見つかったら」

 ルパンも料理を自分の皿に取り分けながら訊いた。何気ない口調で。場を重苦しくしない配慮なのだと思う。私も声のトーンを変えずに答えた。

「……私に力があったら復讐、を計画していたかもしれません。でも無理だろうから、せめて真実は知りたい。それに、父の美術品を取り戻したい」
「そうだな。警察に圧力をかけられるようなやつが相手なら、復讐は難しいだろうな。真実を知るのも美術品を取り戻すのも、簡単じゃなさそうだ」
「そう……ですよね」

 でも、それしか進むべき道を見いだせなかったんだもの。私はその言葉をアルコールと共に飲み込む。不思議と暗い気分にはならなかった。お酒の力、だろうか。身体がだんだん火照っていく心地がする。それともルパンのお陰なのかな、なんてぼんやりと考える。この人にはそういう力がある。暗いものを消し飛ばしてしまうような、明るさが。

「だからすごーくお金持ちになって、全部買い戻せたらなって思ってるんです」

 せっかくの食事が暗いムードにならないように、私は努めて明るく言った。ルパンはちょいとフライドポテトを口に放り込んで、訊いた。

「どれくらいあるんだ? 取り戻したい美術品、ってのは」
「父のギャラリーにあったのは、だいだい百点です。さすがに全部は無理なので、これは手元に置きたいっていうのは、十点くらいかな……もう少し絞ろうかとも思ってるんですけど」
「そのうちのひとつが『フォロ・ロマーノ』ってわけだ」
「そうです」
「他の居場所はわかってるのか?」
「もうひとつだけは。百点のうちの何点かだったら、どこにあるかはわかっているんですけど」
「そんなもんなのか? 博物館や美術館の類に収蔵されてるなら、調べがつきそうなもんだけどな」
「そうですね。個人のコレクションとか、博物館にあっても公開されていないとか、闇オークションに流されてしまったとか……そういうものも多いのだと思います。父が気に入っていた作品なら、なおさら」
「ふーん。たとえば、どんなやつ? 俺が知ってるのがあるかもしれねぇ」
「絵画だと、エルノワールの『風車が見える丘』とか『アルノ川の春』。骨董品だと、ボナチェリの『漆黒の翼』とか、それ以外なら『ニコラ=フラメルの書』とか」
「へえ! 親父さん、いい趣味してるじゃねぇか。どれも歴史的にも価値があるもんだ。特に『ニコラ=フラメルの書』なんて、表面的には錬金術について書かれてあるが、裏には隠された暗号があるとか」
「よく知ってますね」
「俺様天下のルパン三世よ」

 ルパンは得意気に笑う。私もつられて笑った。

「父も暗号を解こうと躍起になってました。父も、私もですけど、そういうものが好きだから」

 ルパンはふうんと言って、料理に手を伸ばした。口をもぐもぐさせながら何かを考え込んでいる。
 私は、ルパンが父さんの美術品の手がかりを持っていることを期待した。それ以上に、俺が手に入れてやろうか、なんて言ってくれるのを密かに望んでいた。父さんの美術品を取り戻せる最大の近道にもなるし    ルパンにまた会える、なんて思ってしまった。

「あ、そうだ。暗号と言やぁ、ナイルの遺跡について知りたいんだったな」

 私の淡い願い虚しく、話は別の方向に切り替わってしまった。
 でも、ルパンの話は内容的にもおもしろかったし、ルパンの話し方も上手かった。ルパンは私から紙とペンを受け取り、ナイル川近辺の地図を書いて説明してくれた。かつてナイル川の南方に栄えたナスワン王国。その遺跡が、ナイル川の底に沈んでいるという。その存在はナスワンの末裔の一族によって堅く閉ざされていて、世間に知る者はいない。私も初耳だった。けれども、ルパンはどこかでその情報を手に入れ、その一族にコンタクトを取った。館長に奪われた太陽の聖杯を奪取することを条件に、遺跡の調査を許されたのだのだという。

「へえぇ……いいなあ。ナイル川の遺跡、か。私も見てみたい」

 運ばれたピザを食べながら、私は言った。ナイル川に沈んだ古代遺跡。想像するだけでもわくわくしてしまう。このころはもうアルコールのおかげもあって、緊張が解れてきていた。

「きみみたいな女の子にはちょいと危険だな。猛獣や食虫植物の類がうようよしてっから」

 ルパンは大袈裟に恐怖を煽るような口調と表情で言う。
 また“女の子”扱いだったのが気に障ったけれど、ルパンの言い分はもっともだとも思った。女に限らず、男だって無理だろう。そんなナイルの奥地に入っていけるのなんて、ルパンくらいなんじゃないかと思った。

「そうでしょうね。でも、私、本当は考古学者や冒険家になりたかったんです。ほら、考古学者が冒険をする映画、知ってますか?」
「ああ、鞭を武器に戦う考古学者、だろ?」
「そう。あれを子どものころに観て、憧れたんです。格好いいなあって」

 へえ、とルパンが微笑む。

「父が色々な骨董品を見せてくれたり、世界中の博物館に飛び回っていたりしたのにも影響を受けてるんだと思います。だから、学芸員の資格を取ったんですけど、ガイドじゃなくて本当は現場に行きたくて」
「なればいいじゃないの、冒険する考古学者に」
「でも……職業として成り立たないから」
「んなことは関係ないさ。泥棒って職業だって成り立ってるんだ」
「たしかに」

 私が笑うと、ルパンも笑った。

 ルパンと話をするのは本当に楽しかった。ルパンは美術品や遺跡に幅広い知識を持っていて、それにまつわるたくさんの経験をしていた。ルパンは話上手でもあったのと同時に、聞き上手でもあった。話の内容に合わせてころころと表情や口調を変える。スリルのある話のときはおどろおどろしく、自慢話は大袈裟に得意気に。
 私も美術品や遺跡については多くのことを知っていたし、父さんについて回って実物を見たりもしていたから、ルパンとの話は合った、と思う。話の波長も。意気投合というと、私が勝手にそう感じていただけかもしれないけれど。少なくとも、ルパンは意気揚々と語ってくれた、と思う。もっとも、ルパンが私に合わせてくれていただけかもしれないけれど、……とにかく、楽しかった。

 夢のような時間はあっという間に過ぎていって、終わりが近づくにつれ、時間が止まって欲しいという願いが胸をついた。ルパンともっと話をしていたい。人と話すことがこんなに楽しいなんて思ったのは、いつ以来だろう。

 ルパンは会計をいつの間にか済ませ、この日も家まで送ってくれた。帰りの車内、何を話したのかは鮮明に覚えていない。別れを迎える寂しさばかりに気を取られていた。たしか予告状は明日出す、準備は整った、という話をしていたと思う。
 私自身、こんなに切なさや寂しさが溢れてくるとは思わず、びっくりしていた。でも、ルパンにはそういう感情を悟られたくなかったから、それまでの調子を保つのに必死だった。

「じゃあな。楽しいディナーだったよ」

 去り際にルパンは言った。社交辞令だとしても、嬉しかった。

「私も、……楽しかったです」

 たくさん伝えたい言葉はあったはずだけれど、言葉にできなくて、せめてそれだけ言った。
 「じゃ」と短く言って、ルパンは車に乗り込む。その車が去って行く音を聞きながら、私はしばらくぼんやりしていた。
 この日の出来事を、頭のなかで繰り返す。ルパンとの会話。本当に、楽しかった。
 そして、久しぶりに心から笑っていたことに気がついた。

 

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(15.7.12)