Ⅱ. はじまりの記憶は赤とネオン ... 6



 ルパンたちの計画当日。その日、私は寝つくことができなかった。現場に行ったところで何ができるわけでもないし、むしろ足手まといになることは明白なので、家にいたのだけど。ルパンたちのことが心配で、うかうか寝ていることができなかった。
 今まで散々盗みを働いてきて、一度も捕まったことがない    というわけではないらしいけれど、今でも無事でいるというのだから、ルパンたちの盗みの才能や実力、そして運は相当良いということなのだろう。それでも、地下鉄を盗んで、博物館に穴を開けるだなんて突拍子もないことを、無事に成し遂げられる想像がつかなかった。

 けれども私の心配は杞憂にすぎず、ルパンたちは計画通り、収蔵品をすべて盗んでみせた。私はそのことを翌朝のニュースで知った。私も犯罪に加担してしまったのかなという罪悪感が、胸の中に黒いしみのように存在していた。でもそのことは、ルパンに依頼をする前に何度も考えたこと。
 むしろそれ以前、父さんの美術品を取り返そうと決心したときから念頭にあったことだった。
 何があっても取り戻したいと願ったことなのだから、いまさらくよくよ悔いるつもりはない。だから、父さんの絵が手に入るという興奮や、ルパンたちが無事で良かったとほっと胸を撫で下ろす気持ちのほうが大きかった。
 それと同時に、これでもうルパンたちとお別れなんだという寂しさが、徐々に広がってくる。夏の空の入道雲のように、もくもくと私の胸を埋め尽くしていく。私の心に嵐が吹き荒れる。

 博物館は、当然のことながら、閉館になった。展示品がすべてなくなってしまったことに加え、館長や主要経営者たちが、美術品を手に入れるために犯罪を犯していたことが公に発覚した。“匿名で”タレコミがあったのを、警察が調べたらしい。たぶん、ルパンだと私は直感した。
 ニュースでは、銭形警部を見かけた。ルパンを取り逃がしたと悔しそうに語っていた。

 スタッフはみんな混乱していた。警察の取り調べもあったし、自分たちのこの先のことを案じて。でも、私の不安の種類は彼らとは違うものだった。無職になるおそれではなく、ルパンたちに会えなくなることへの不安。もっと話がしたかったのに、……。


 ルパンが盗みを働いた翌朝。その日は一日中取り調べがあって、何か疑われるんじゃないかと気がかりだったけれど、何もなかった。確認のような些細な取り調べの後、当日中に解放された。

 警察を出てから、博物館のスタッフと口々に不安を言い合った。まさかあの館長が、これからどうしよう、そんな内容だったと思う。でも、私は口先だけしゃべっていたので、はっきりと覚えていない。とにかくぼんやりしていた。
 ルパンは私に『フォロ・ロマーノ』を渡してくれるのだろうけど、それがルパンに会える最後の機会なんだろうなと思った。そのとき私は、どうするだろう。どうしたいだろう。

 父さんの絵をもっと盗んで。
 また会いたい。

 その本音はきっと    言えない。あの人は自由を愛する気まぐれな泥棒。ひとつのところに留まることは決してない。それは、この短い時間でも解かっていたから。
 でも、頼んでみようか。父さんの美術品を盗んでほしい。機会があったらでいいから。それくらいは言ってみようか。駄目でもともとだし、……。

 そんな泥沼の思考を抱えたまま、アパートに帰宅したときには夜になっていた。部屋の明かりを点けると、中央にあるテーブルの上に、大きな平たい包みが置いてあることに気がついた。そして、その上に小さなカード。

For you    LUPIN the 3rd

 意外に達筆な字をしばらく見つめてしまった。そして恐る恐る、包みを開ける。中身は、『フォロ・ロマーノ』だった。父さんの愛した絵。古代ローマの遺跡が描かれた絵。
 いつの間に?どうしてここがわかったの?そんな疑問が渦巻いたけれど、すぐに消えた。父さんの絵をやっと手に入れたというのに、その喜びよりも恐ろしさや不安が荒波のように襲ってきた。

 もうこれでさよならということなんだ。

 私は慌ててアパートの外に出た。ルパンの車はどこにも見当たらなかった。あまりに愕然とした私は、ふらふらと抜け殻のように部屋に戻った。そして、ベッドの上に崩れ落ちる。

 行っちゃった。ありがとうも言えなかった。

 ルパンの連絡先は聞いていないし、聞いても教えてはくれなかっただろう。私の連絡先も聞かれていない。
 ルパンには、もう会えない。
 ずっと願っていた父さんの絵を手に入れた。それで嬉しいはずなのに、私の心には夜の沼の底のように、暗い暗い闇が訪れた。
 ルパンの明るい声と表情。小さな気遣いや、真剣な横顔や、いくつもの色を持つまなざし。

 もっと見ていたかったのに。もっと話がしたかったのに。
 もう会えない。

 ルパンと出逢って一週間も経っていないのに、この数日の間で彼の存在は強烈に私の中に刻まれていた。こんなふうに誰かを想って切なくなることなんて、今までになかった。一緒にいて、あんなに楽しかった人はいなかった。

 ああ、私    ルパンのこと好きになっていたんだなあ。
 ルパンと別れてはっきりと痛感してしまった。
 私はルパンのカードを抱きしめて、少しだけ泣いた。

 

 それからニ週間かひと月か、はっきり覚えていないけれど、少し時間が経ったころ。私は変わらず、ルパンのことを考えていた。情けないけれど、時が経ってもルパンのことがなかなか忘れられなかった。自分が失恋を引きずるようなタイプだとは思わなかったのに。
 でも、父さんの美術品を追っていれば、いつかルパンに会えるのではないだろうか、とも考えていた。ルパンは父さんの美術品に少し興味があったようだったから、もしかして、と。その考えはほんの微かな希望のように、私の晴れない心を僅かに照らした。  でも、その希望が膨らんでいく前に、頭を横に振る。

    馬鹿みたい。

 あんなふうに別れの一言も、また会おうの言葉もなく去って行ったのなら、ルパンは私のことなんて一期一会の存在という証拠でしょうに。ルパンのほうは、私との再会を望んではいない。偶然にまた会えたって、私のことを覚えているとも限らない。
 でも、このまま日本にいても何もない。それならば、世界中の美術品の多くが集まるイタリアや、イギリス、フランス辺りに行ったほうが父さんの美術品について何か進展があるかもしれない、……。

 プルルルルル

 部屋でぼんやりとしているとき、テーブルの上にある電話機が、無機質な電子音を立てた。私は気だるい身体を起こして、何も考えずに受話器を取り上げた。

「……もしもし」
「もしもーし」

 受話器の向こうから聞こえてくる声に、私は夢の中にいるのだと思った。受話器がやけにひんやりとしていて、それだけが現実のように思えた。
 しばらく会っていなかったというのに、私はその声が誰のものかすぐにわかった。私がずっと聞きたかった声だったから。
 私がぼんやりしていると、もう一度「もしもーし?」とはっきりと聞こえてくる。

「ル   パン?」

 絞り出した声は、かすれてしまった。

「そうそう、俺」
「ど、どうして?」

 夢じゃない。これは現実。ルパンが受話器の向こうにいる。話せばちゃんと答えてくれる。
 どうして私の番号がわかったの?どうして電話をかけてくれたの?その問いをする前に、ルパンが訊ねてくる。

「元気か?」
「え、いや、ううん、まあ」
「博物館、閉館だってなー。大丈夫だったのか?」
「うん、まあ……」

 頭が回らない。ルパンの質問に返事をするのがやっとだった。

ちゃん、今、どこ?」
「えっ? 自分の部屋だけど」

 敬語を使うのも忘れていた。ルパンがなぜ電話をかけてきたのかという疑問と、もしかしてまた会えるのかなという期待と不安が入り混じる。

「そうかあ、日本か」

 ルパンの声のトーンが下がった気がして、私は咄嗟に口走っていた。

「ああ、でも、次の手がかりを探しに、イギリスとかフランス辺りに行こうかと思ってて。無職になっちゃったし   
「イギリス! 俺も今イギリスだぜ。実は、『ニコラ・フラメルの書』がイギリスにあることがわかったのよ」
「ええっ?」
「なあ、ものは相談なんだが   『ニコラ・フラメルの書』、盗んでやるから、俺に見せてくれないか?」

 胸の鼓動がどんどん速くなっていく。期待が次第に膨らんでゆく。

「えっ? それは、もちろん   というより、ルパンが盗んだのならルパンのものでしょう?」
「いんや。俺はフラメルの書の謎解きをしたいだけだ。それが済んだらちゃんに返すよ。どうだ、こっちに来られるか?」

 ルパンの問いに、息が詰まって声が出なくなる。胸に手を当て、ゆっくりと息を吸って、吐く息とともに「うん」と答えた。

 

 閉じかけた私の世界は、こうしてまたはじまった。急いで荷造りをして、チケットを取り、部屋を片付けイギリス、ロンドンへと飛んだ。そこでルパンと、そして次元と五エ門と再会して、嬉しさのあまり泣いてしまいそうになった。こんなにも、彼らとの再会を待ち望んでいたなんて。
 『ニコラ・フラメルの書』を所持していたのは、ロンドンで一、二位を争う規模の財閥。ルパンはそこから『ニコラ・フラメルの書』を盗み、彼の言う“お宝”の隠された場所を解いた後、私に譲ってくれるという。
 ルパンたちと再会できただけでなく、父さんの美術品まで手に入るなんて。こんなに立て続けに喜びがやってきていいのかな、と戸惑ってしまった。

 このときも、ルパンと色々な話をした。ナイル川の遺跡を見つけて、秘宝を手に入れた話。もっともそれは初代ナイル王のしゃれこうべで、さすがに持ち出しはできなかったという。『フォロ・ロマーノ』をはじめ、東京の博物館から盗んだ際の活劇も話してくれた。
 そして、ロンドンの財閥から『ニコラ・フラメルの書』を盗んでくれたルパン。その後も、謎解きの仲間に加えてもらった。ラテン語で書かれているうえアナグラムも織り交ぜてあったので大変だったけれど、辞書と睨めっこして暗号を解き明かした。ここでもルパンの頭の回転の良さを痛感した。けれども、ニコラ・フラメルが編み出したという最高硬度の錬金石がアイルランドにあるとわかると、ルパンはすぐに飛び立ってしまった。
 ただ、そのときは、きちんと「ありがとう」と伝えられた。そして、「またね」とも。
 ルパンは、私が取り戻したい父さんの美術品のリストを教えてくれ、と提案してくれた。「おもしろそうなもんだったら、何かのついでに盗んでやるから。ま、期待はするなよ」、と。だから、別れのときも、前回ほどは寂しさに押しつぶされずに済んだ。

 それ以降、ルパンと会ったのはニ回。最初はニューヨークで父さんの美術品を取り戻してくれて、次も同じくニューヨークでルパンが盗んだ絵を修復した。
 ニ回目にはじめて不二子さんに会った。そのとき既にルパンへの気持ちをはっきりと自覚していた私は、崩れ落ちそうになったのだけど。不二子さんの美しさ、ルパンが彼女を見るうっとりとした視線に。
 それまで、ルパンは美人に弱いと知りつつも、特定の恋人はいないようだったから、ルパンへの想いを捨てきることができないでいた。
 でも、はじめて不二子さんを見たとき、痛感した。私の気持ちは実らないだろうな、と。不二子さんは美しいうえに、可愛らしさも備えていて、かつ妖艶な雰囲気もあって、スタイルもいい。強いまなざしの中に、相手をからかうような悪戯っぽい色もあって。まさに“完璧な”女性。それなのに、隙がないわけではなくて、親しみやすさもあって。
 不二子さんに心を奪われない男性がいるだろうか、と思った。
 不二子さんに愛を囁くルパンの姿を見ているのが辛かった。なるべく早くにルパンへの気持ちを断ち切ったほうがいい。そう、痛いほど思った。
 なのに、ルパンの態度は腹立たしいほどに絶妙だった。不二子さんのことは好きではあるようだったけれど、それが女性としてなのか、仲間としてなのか、興味の対象としてなのか、判然としなかった。不二子さんへの愛の言葉は、真実なのか口先だけなのかわからなかった。不二子さんに甘い言葉を使ったと思いきや、彼女のいないところではドライに切り捨てたりもする。そのドライさも愛情なのかどうかも、わからない。

 だから、私は、ルパンへの想いを諦めることができないでいた。ルパンと別れると彼に会いたいと痛切に願ってしまうし、ルパンに会うと、どうしても彼に惹かれてしまう私がいる。
 完全に袋小路の恋。想いを伝えることも、想いを消し去ることもできない。

 そして私は半年前、ここイタリア、フィレンツェにアパートを移した。以前も考えていたように、世界中の美術品が集まるこの地でなら、父さんのコレクションについても何か手がかりがあるのではないかと考えたから。
 ルパンにここで会えるとは思ってもみなかった。やっぱりルパンに会えると、見える景色が一段と明るくなる気がする。嬉しいし、楽しいし、しあわせ。私の心はそう素直に感じてしまっていた。
 諦めたほうがいいと頭の隅では考えつつも、どうしてもルパンに惹かれてしまっている、……。

 それでも、今はこのままでいいかもしれない、とも思っていた。ルパン以上に素敵な人が現れるまでは、ルパンとの再会を楽しみにしよう、と。次元と五エ門にも好意を抱いていたから、ふたりに会えることも楽しみだった。
 今回は、どれくらいフィレンツェにいるつもりなんだろう。
 空になったグラスを眺めながら、私はぼんやりと思った。

 

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(15.7.16)
過去編終了です。本当はイギリスやニューヨークでの話も書きたかったのですが、超絶長くなってしまうので控えました。いつか書いてみたいなあ。