Ⅲ. 想い出の色はサンセットオレンジ ... 3



 ルパンが連れて来てくれたのは、ワインの醸造所を兼ねているトラットリアだった。葡萄畑の中にぽつんと佇む、レンガ造りの建物。中は大衆的過ぎず高級すぎず、気さく過ぎず堅苦しくもなく、とても居心地の良い雰囲気だった。レンガの壁やオレンジ色の照明が温かい。

「こんなに素敵なお店、よく見つけたね」

 ここで作られたという赤ワインで乾杯しながら、私は言った。前菜は、パンのサラダと生ハムの盛り合わせ。

「まあな。地元のに聞いたんだよ」

 “聞いた”というか“口説いた”んじゃないの。そう言いたかったけれど、こんなに素敵なお店を見つけて、連れて来てくれたのだから、まあいいか、……。
 ワインは飲みやすくて    ワインというよりお酒全般に疎い私には、美味しさや価値がよくわからなかったけれど    料理はとても美味しかった。

「ルパンがこうやってのんびりしているのって、なんだか珍しいイメージ」

 そう言ってから、私は前菜の次に出てきた野菜のスープをすする。オリーブオイルの香りがして、これもまた美味しい。

「そうだなぁ、たしかに珍しいな。んでも、こういうのも悪くないな。のんびり観光ってのも、たまにはいい」

 なんて言いながらも、次の盗みのターゲットや綺麗な女性を物色しているんだろうなあ。誰と観光に行ったのと訊きたい気持ちもあったけれど、答えを知りたくもなくて、私は「どこへ行ったの?」と訊ねた。

「フィレンツェだろー、ローマだろー、あと、ピサ」
「イタリアは名所が多いよね」
「ああ。あと、美人も多い」
「あ、そ……」

 ルパンはにひひと笑って、ワインを一口飲む。

「今度はもっと南の方へ行こうかと思ってんのよ。あ、そうだ、。青の洞窟は行ったことないんだろ?」
「うん、ないけど」
「『青の結晶』をいただく前に、次元と五エ門を青の洞窟に連れてってやろうと思ってんだ。あいつら、いまひとつ『青の結晶』の価値にピンときてないようでさ。どうだ? ちゃんも一緒に」

 唐突な提案に、私は食事する手を止めて固まった。呆然とルパンを見つめてしまう。ルパンは、子どものようなきらきらした瞳をしていた。何かを企んでいるときのような、遠足の前の日のような、そんな表情。

「青の洞窟   カプリ島へ? 私も? いいの?」
「ああ。野郎だけより女の子がいた方ほういいだろ」

 まだ“女の子”扱い。それが気になったけれど、でも。
 カプリ島。世界有数の美しい島と言われる場所。そして、ため息が出るほど幻想的だという、青の洞窟へ。ルパンと、そして次元と五エ門と、行ける   

「それ    すごく、楽しそう」
「んじゃ、決まりだな。来週の頭はどう?」
「うん、大丈夫。月曜と火曜は休みだから」
「二日か……天候によっちゃ洞窟に入れないこともあるし、こっからだと遠いしな」

 やっぱり私はやめておいたほうがいいんじゃないかと言われるのが怖くて、私は慌てて口を添えた。

「じゃあ、もっと休みを取るよ」
「なんだ、やけに張り切って」

 ルパンはにやりと口端を吊り上げる。

「それは、……だって    ひとりじゃなかなか行けないでしょう、カプリ島なんて」
「たしかに、な。それに、冒険家の血が騒ぐんだろ?」
「え? あ、うん、」
「わかってるって。そうだろうと思って誘ったんだよ」

 ルパンの言葉と笑顔に胸が躍った。誘ってくれたことが嬉しかった。でも、次の言葉で一気に沈んでしまう。

「それにしても   ひとりじゃなかなか行けない、ねえ。一人暮らしの日本人の女の子なんて、イタリア男が放っておかないだろうに。いい男はいないわけ、ちゃん?」

 私は笑顔を凍りつかせる。こういう発言をするということは、ルパンは、私を恋愛対象としてみなしていないということ。ルパンは、私をあくまで“年下の女の子”としか見ていない。
 そりゃあ私は大人の色気はないし、同年代の海外の女性と比べたら幼く見える。それは痛いほどわかってるけれど。
 私はルパンにとっての“女性”に昇格することは、できないのかな、……。

   こっちに来てしばらくは慣れるのに大変だったの。少し余裕が出てきたところに、誰かさんが大変な依頼を持ってきたんでしょうに」

 物悲しさを隠すために、私は棘を含ませて答える。ルパンは苦笑した。

「わりぃわりぃ。デザートもつけてやっから。で   あれ、そんなにやっかいなもん?」

 ルパンの口調には本当にすまなそうな様子があったので、私は機嫌を直そうと努めた。今さらルパンの女性の好みで幻滅するなんて、無意味なことだ。

「思ったよりは酷くないよ。道具も揃えられたし。今は絵について調べ終わったから、作業に取り掛かりはじめたところ」
「絵について調べた?」
「そう。時代背景とか、作者についてとか、作者がどういう思いで描いたものなのか、とか」
「へええ。ずいぶんと念入りなこったな」
「作者がどういう色遣いや手法を好んだか、っていうのはもちろん、どういう思いを込めて描いたものなのかわかったほうが、作業がしやすいの。適当に色を補ったり傷を直したりすればいいっていうものではなくて、できるかぎりオリジナルに近づけなきゃいけないの。傍から見ると、ただ絵を直すのが修復師の仕事だと思われがちだけどね、いろいろ大変なんだから」
「はあ……奥が深いんだな。ちいとばかし軽く考えてたぜ。悪かったな」

 アルコールの力もあってちょっと気を良くした私は、少しばかり饒舌になっていた。頭で考える前に言葉が出てくる。

「興味深いのがね   作者のニコラス・オニール。ほとんど無名の画家で、唯一有名になった絵が『エリザベス一世』なの。ルパンはあの絵、どう思った?」
「んー? ま、なんというか……当時の肖像画にしちゃあ珍しいとは思ったな。昔の肖像画って言やぁ、のっぺらーとして色も薄いイメージだろ。でも、あの絵は表情が生き生きしてるし、色も鮮やかだった」

 意外。ルパンは絵のことなんてどうせ何も考えていないのかと思っていたのに、すらすらと答えが出てくるなんて。私はしみじみとルパンの顔を見てしまった。ルパンはそんな私に怪訝そうな表情をする。

「どったのよ」
「いや……的確だなと思って。そういえばルパンって、美術品にけっこう詳しいよね」

 私が誉めると、ルパンはふふんと鼻を鳴らした。

「まーな。天下のルパン三世様だかんねー。色んな美術品を見てくると、自然と目も肥えてくるってもんよ。芸術すべてに精通してるかというと、正直わからんもんもたくさんあるけど、な。で、ニコラス・オニールがどうしたって?」
「ああ、うん……まさにルパンの言う通りで、あの絵はすごく生き生きしてるんだよね。エリザベス一世といったら、十六世紀にスペインの無敵艦隊を破って、勝利の女王として有名でしょう? だから、世間的にも強いイメージが持たれてるけど……あの絵の女王は女性的で、とても優しい様子で描かれてる。多少褪せているけど、色遣いが多くて鮮やかな色を使ってる」
「わかった」

 ルパンはパチン、と指を鳴らす。

「惚れてたんだろ」

 まったく、どうして他人の恋愛には鋭いんだろう。

「……そう。ニコラス・オニールは、エリザベス一世が女王になる前から彼女のことが好きだった、っていう説があるの。でも相手は女王で、自分はしがない画家。けっして叶わない想いを絵に込めたんじゃないか、っていう解釈があって」
「ふーん。でもよ、女の後を追っかけるほうが幸せだぜ、男は」

    そうか。ルパンは“想われる”より“想いたい”のか。だから、不二子さんが素っ気なくっても、それでいいんだ。追いかけられるよりも追いかけたいんだ、ルパンは。
 今日はどんどん私の恋の望みが遠くなっていくなあ。

「それはさぁ……ルパンが“絶対に叶わない恋愛”をしたことがないからでしょ」

 思わず言ってしまった私に、ルパンは「へーえ」と興味津々の目を向ける。

「じゃ、なにか? ちゃんは“絶対に叶わない恋愛”とやらをしたことがあるってか?」

 ぐっと詰まってしまう。でも、お酒の力と自棄を起こしていて、気づくと口を開いていた。

「あるよ   ありますとも」
「へえー。詳しく聞きたいなー、それ」
「話したくない」
「なんで」

 ルパンには絶対に話したくない。話せない。

「あ、わかった。ふられたとか?」

 半ば面白がって言うルパンに腹が立った。ルパンは、全然わかってない    ううん、ちがう。私がわかってもらおうとしていないんだもの、仕方ないんだ。今のままの関係で良いと、むしろこのままでいたいと思っているから。私の想いに気がついたら、ルパンは離れていってしまうから。縛られるのが嫌で、女の人を追いかけていたいルパンだから。
 あくまで私は、たまに会うちょっとだけ気心の知れた女の子。そういう気軽な存在だからこそ、ルパンは私と関わりをもっているのだと思う。これが“自分に恋心を抱く女の子”になってしまったら、今までのようには会ってくれない気がした。

   そう。ふられたようなものかも。望みなんてないから……でも、それでも良かったんだよ……ニコラス・オニールも、たぶん。その人を見ていられるだけで」

 急にしんみりしてしまった私を見て、それまでからかうような調子だったルパンは、真面目な様子になって「うーん」と腕を組んだ。

「俺にゃあぜんっぜん解かんねえな。惚れてるなら何としてでも手に入れようとするぜ、俺なら。たとえ相手が王女様でも」

 そうだろうなあ。好きならば口説く。ルパンはそうなのだろう。そういうルパンがちょっと羨ましい。

「じゃあたとえばさ……好きな女性が次元の恋人だったら?」
「んー、そりゃあ、はじめから眼中にないな。殺されたくないし」
「なら、恋人じゃなくて……女性の片思いだったら」
「そういうことなら、全力で俺に惚れるように仕向けるね」

 はあ。私は内心で大きくため息を吐いた。どうして私は好きな人に恋愛相談しているんだろう。滑稽すぎる。しかも、ルパンの考え方は全然参考にならない。私には絶対に真似できない。

「……傷つくのが怖いとか思わないんだ?」
「思わないね。傷だらけだかんね、すでに」

 にひひとルパンは笑う。

「つまりはそこだ。“傷つくのが怖い”。何に傷つくってんだ? ふられることか?」
「それは、」
「そうやって殻に閉じこもって、惚れた相手を逃すことのほうが怖いね、俺は。もオニールも、自分を守ってるんだろ、結局」

 ルパンの言うことは至極もっともなのだけど。傷つくのが怖い。たしかにそれもある。でも、今の私は、……“この関係が壊れるのが怖い”のだと思う。
 ルパンに会いたい。今の私の一番の願いはそれだから。ルパンとの時間を支えにしてしまっているから、それがなくなってしまうのが怖い。まだ父さんとおじいちゃんが不在の悲しみから抜け出せていないのかもしれない。はじめてこんなに人を好きになったからかもしれない。
 ルパンと会えなくなるのが辛いから、自分の気持ちは押し隠したままでいたい。結局はそこに辿り着いてしまう。
 黙ってしまった私に、ルパンは明るさと優しさを込めて言った。

「ま、次に惚れた男が見つかったら言えよ。俺様が相手の心を盗む方法を教えてやるから」

 私は曖昧に笑うことしかできなかった。
 ルパンの心を盗む方法があるのなら知りたいなあ、……。

 

 せっかくの美味しい料理と素敵なお店の雰囲気を損ねないように、私は片思いの切なさを忘れて、今の時間を楽しもうと努めた。実際に、メインディッシュのステーキもデザートもとても美味しかったし、ルパンとの会話も相変わらず楽しかった。
 ルパンは言葉通り、支払いをすべて持ってくれた。
 外に出ると、月と星が煌々と輝いていた。あたりに街灯がなく明かりが少ないので、夜空がはっきりと見える。風が少し冷たかったけれど、空気が澄んでいて気持ち良かった。思い切り伸びをすると、全身に綺麗な空気がしみ込んでくるようで、心が洗われる気がする。

「ありがとう、ルパン。美味しかった。お店の雰囲気も良かったし」
「そりゃあ、なにより」

 私たちは車に乗り込み、フィレンツェの街へと戻ってゆく。まだルパンと一緒にいたいのに、無慈悲にも時間は刻々と進んでゆく。
 美味しいものをたくさん食べて、アルコールが入って、さらに車の揺れが心地良くて。私はしばらく経ってから、眠気が襲ってきて欠伸を噛み殺した。そのようすに気がついて、ルパンが言った。

「寝てもいいぜ。着いたら起こしてやるから」
「んー……だいじょうぶ」

 寝たくない。この瞬間を刻んでいきたいのに。その願いに反して、瞼が徐々に重くなっていく。

「寝てないのか?」
「そんなことないよ」

 本当は睡眠時間を削って、修復の準備をしていた。ついつい熱中してしまったせいでもあるけれど、ルパンに宣言した手前、きちんとひと月で仕上げたかった。力を入れて作品を仕上げたいから、思ったよりも時間がかかりそうだった。

「無理すんなって。急いでるわけじゃないんだから」

 ルパンは簡単に私の嘘を見破る。

「だいじょうぶ……でも……ごめんね……ねむい、かも…」

 睡魔に勝てず目を閉じてしまった。そこから一気に思考が沈んでゆく。

   ごくろうさん」

 朦朧としていく意識のなかで聞こえたルパンの呟きと、頭を撫でてくれた心地は夢のなかのことだっただろうか……。
 

 

 目を開けるとあたりは薄明るくて、私ははっと飛び起きた。
 いつものベッドの感触。いつもの景色。私の部屋。昨夜のことを必死で思い返してみる。けれども、ルパンの車に乗ったところまでしか記憶になかった。私、どうやって部屋に戻ったんだけけ、……。むしろ、昨日のことは全部夢だったんじゃないかとさえ思えてくる。
 時計を見ると六時十分だった。いつも目覚ましのアラームをかけている時間よりも二十分ほど早い。
 ふとテーブルを見ると、一枚の紙が置いてあった。ルパンの字   

『来週月曜日 朝九時に迎えに行く』

 夢じゃ、なかった。カプリ島へ行く約束は現実だったんだ。
 私はそっと文字を撫でながら、昨夜の思い出に浸った。
 一番焼きついていたのは、鮮やかなオレンジ色。素敵なトラットリアの色。ルパンと眺めたフィレンツェの夕暮れの色。燃えるようなサンセットオレンジ、だった。

 

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