ズキューン
無機質で耳をつんざくような銃声。雨が激しく降っているはずなのに、何も聞こえない。私はただただ足元にうつぶせで倒れる人物を見つめていた。真っ黒な血が広がっていって、雨に流され地面を黒く染めてゆく。
父さん。
頭は空っぽ。もうひとりの自分が、怒りや悲しみを携えて、空虚な自分を見下ろしている。
父さんがいなくなるなんて、嘘でしょ
場面転換。
今度は、ベッドの上に横たわる人物を見つめていた。皺だらけの手の甲。顔には白い布がかけられている。めくらなくても誰かはわかった。
心筋梗塞で急に逝ってしまったおじいちゃん
父さんが殺されて以来、気を張り詰めっぱなしだったせいに違いない、と私は思っていた。父さんが生きていたら、きっとおじいちゃんも死なずに済んだはず。
唯一の家族を失ってしまった、無力感、怒り、悲しみ、後悔、不安、絶望。
ありとあらゆる負の感情が渦巻いてきて、世界から色が失われていく。
父さんの美術品を取り戻す。そうすることが、父さんとおじいちゃん、何より自分の無念を晴らすただひとつの道だと思っていた。 いつか時間が私の心を癒してくれることを、微かに期待しながら。
でも、それでほんとうに私は救われるの
そんな夢を何度も何度も見た。
そして、目が覚めてもそれが現実であることに絶望する。父さんもおじいちゃんもいない。嫌な汗が身体を支配する。
でも。
私は時計を見た。深夜の三時近く。そして、その隣に立てかけてあるカードに視線を移す。
『For you
LUPIN。
その文字は私を絶望の淵から救い出してくれる。
世界中を飛び回る父さんについて回っていた私は、恋人になった人はいたけれど、長く付き合わずに別れてしまった。男性よりも美術品や歴史的なものが好きだった。恋なんてしなくてもいいかも、とさえ思っていたこともあった。だから、本当に人を好きになることがどんなことなのか、よくわからないでいた。
けれど、本当の恋は唐突に、強烈にやってきた。
この人ともっといろんなことを共有したい。美しい景色や、美味しい食べ物や、楽しい体験を。この人と一緒にいたい。この人の表情をたくさん見てみたい。そう強く思ったのは、はじめてだった。
ルパンは、灰色だった私の世界に色を取り戻してくれた。
一番大事だった家族を失った代わりに、心から胸を焦がす恋を得たなんて、皮肉な話。
それに、その恋も実る可能性はゼロの近い。
でも、それでも。私自身で私の世界に色を灯せるようになるまでは。ルパンのそばに、いたい。
Ⅳ. オーシャンブルーに囲まれた島で
旅行や遠足は、行く前が一番幸福な時期だと思う。はじまってしまったら、終わりまで進んでゆくだけだけど、はじまる前なら準備や計画が存分に楽しめる。
私は、昨日買って来た洋服と手持ちのものを見比べながら、あれやこれやと鏡の前で奮闘していた。洞窟に行くのなら動きやすい服装のほうがいい。荷物もコンパクトにしたい。どの服を持っていこうか。
散々悩んで、ライトブルーのデニムパンツ、ミントグリーンのギンガムチェックのシャツ、グレーのパーカー、オフホワイトのチュニック、淡いピンクのロングカーディガン、に決めた。靴は動きやすいレザーの、紐付きのブラウンのシューズ。明日着る分を残して、小さめのボストンバッグに詰め込む。化粧品も最低限のものに絞って、歯ブラシやタオルも入れて。カメラはどうしようか迷ったけれど、置いていくことにした。ルパンたちを撮るわけにはいかない。
なんて張り切ってみたけれど、彼らは私の服装なんてどうでもいいだろうなあ、と苦笑する。
カプリ島への旅立ちが明日に迫った夜、私は眠れない時間を過ごしていた。あれからルパンは何も言って来ないけれど、本当に私も行っていいのだろうか。次元や五エ門に反対されていないだろうか。天気は大丈夫だよね
興奮や少しばかりの不安でしばらく思いを巡らせていたけれど、気がつくと眠りについていた。
時計は七時を指している。ご飯を食べて、支度をして、八時半。もう一度荷物を点検して、九時十分前。外で待っていようと思って、鍵をかけ部屋を出た。階段を下りてアパートの外に出ると、ちょうどクリームイエローの車が目の前の道路に停まった。この前と同じ、小型のイタリア車。
運転席からルパンが顔を出し手を振る。私も手を振り返しながら、車へと近づいた。
とうとうはじまるんだ。カプリへの小旅行が
胸を焦がしながら、足を走らせる。
助手席から次元が出てきて、後部座席のドアに手をかけた。私は慌てて次元を止めた。
「私、後ろに乗るよ」
「しかしな、……」
「いいから」と押し切って、私はドアを開けて、後部座席に滑り込む。隣には着物姿の五エ門の姿があった。
「わあ、五エ門、久しぶり」
「ああ、久しいな」
五エ門は短く答える。次元が肩をすくめて助手席に乗り込むと、ルパンが言った。
「なんだよ、次元。おまえ後ろに行ったんじゃなかったわけ? 隣は女の子のがいいんだけどなー」
「るせーな。わかってるよ」
「いいのいいの、喫煙者同士とりあえず前でどうぞ」
六時間もルパンの隣なんて気持ちが休まらない。その本音を隠して私が言うと、ルパンは「そーかぁ?」と言いながらもエンジンをかけ、車を走らせた。
はじまるんだ。楽しい旅路が。出かけることにこんなに興奮したのは、いったいいつ以来だろう。
「なんだか遠足みたいだね」
躍る気持ちを抑えきれずに私が言うと、ルパンの笑みがバックミラー越しに見えた。一方の次元は「遠足だぁ?」と不満そうな声を出す。
「この場合、俺が引率者だな。みんなちゃーんとついて来いよー」
「冗談じゃねぇ、ったく。んな調子じゃ本当に平和ボケしちまう。楽しく観光だなんて
「……拙者は……楽しみだ。カプリ島とやら」
小声でぼそりと言う五エ門に、次元はちっと舌打ちした。
「次元。そういうおまえこそ、ガイドブックを食い入るように見てたろうに」
「うるせーな。おめぇが強引に連れて行きたがる場所がどんなところか調べただけだ」
私がくすくすと笑うと、横目を向いた次元に睨まれた。それでも、笑みが消えない。なんだ、みんなそれなりに楽しみにしてるんだ。
途中、ローマで昼食を取り、ルパンと次元が運転手を交代した。ローマから先も何度か休憩を挟み、どんどん南へ進んでゆく。再び次元とルパンが運転を代わり、次元が「寝る」と言って後部席に移ったので、結局私が助手席に座ることになった。
みちみち色々な話をした。イタリアの街並みについて。カプリ島について。実はナポリの宝石店で盗みを働いてきたということ、などなど。次元や五エ門が会話に加わることもあり、楽しい道中になった、と思う。緊張していた心はすっかり解れていた。ほどよくひとり浸る時間もあり、ほどよく会話も盛り上がり。彼らと一緒にいるのはなんだか居心地がいい。父さんやおじいちゃんに育てられた私は、男性との会話のほうがしっくりくる部分があったからかもしれない。
夕方にはナポリに着いた。ナポリの駐車場に車を停め、そこからはフェリーでカプリ島へ。ガイドブックによると、カプリ島はナポリから南へ三十キロメートルほど離れていて、面積は十平方キロメートル。小さな島だけれども、美しい景色や海、街並みが堪能できるということで、イタリアの観光地の中でも人気の場所だという。
たしかに、フェリーから眺めるカプリ島は、ため息の出るくらい美しい島だった。切り立った山が島の奥にそびえ、白を中心として赤茶、クリーム色など味わいのある建物が建ち並んでいる。陽が傾いて薄いブルーからオレンジ色に染まりつつある空と、同じ色をしてきらきらと輝く海。爽やかな潮風が頬を撫でつけ、心地が良かった。
いつの間にか隣にルパンが立っていた。
「いい島だろ?」
「うん……」
綺麗とか美しいとか素敵とか、言葉を並べても足りないくらい。私はただ頷くことしかできなかった。ルパン越しに、五エ門と次元が景色に見入る姿がちらりと見えた。
「そういえば、ルパンはカプリに来たことがあるんだっけ?」
そう訊ねると、ルパンは「ああ、まあな」とどこか言葉を濁した。何か聞かれたくないことがあるような気がして、私は深入りするのをやめた。
しばらく景色に見惚れていると、やがてフェリーは港に着いた。カプリ島の周囲は断崖絶壁に囲まれていて、島の港はひとつだけ。その港から島へと降り立っても、美しいという印象は変わらなかった。人々に活気があるのにうるさくなく、空気が澄んでいる。
「こっちこっち」
迷わず歩くルパンに従っていくと、ケーブルカー乗り場があった。これに乗って街の中心部へ行けるのだと言う。カプリ島にはカプリとアナカプリというふたつの地区があって、私たちが向かっているのはカプリ地区らしい。
ケーブルカーからの眺めも、降りてからの眺めも素晴らしかった。輝く海と澄んだ空。どこまでも広がる水平線に、落ちていく太陽。フィレンツェの夕焼けも息を呑むほど美しかったけれど、カプリの夕暮れも言葉を失ってしまうほど見事だった。永遠に眺めていても飽きないような気がした。
まずは腹ごしらえということで、私たちは近くのバールに入った。海の幸が美味しい賑やかなお店だった。
「で、これだけ観光客がいて、泊まるアテはあるんだろうな?」
メインの魚料理を食べ終え、ひと息吐いたところで、次元がルパンに問いかけた。
「ここのホテルは大概埋まってるだろうなー。長期滞在者も多いし」
「なんだって? ここまで来て野宿なんてこたぁないよな?」
「心配しなさんな。ちょっくら
ルパンはそう言って席を立ち、どこかへ行ってしまった。それを見て五エ門も立ち上がる。
「拙者も出かけてくる。もう少し地理を見ておきたいのでな」
取り残されてしまった次元と私。次元はバーボンを、私は島の名産というレモンを浮かべた紅茶を飲みながら、呆然としていた。
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(15.8.1)