Ⅳ. オーシャンブルーに囲まれた島で ... 2




「どうしたんだろう……ふたりとも」

 私はルパンと五エ門が消えていった方向を見て、言った。

「五エ門のやつは浮かれてやがるな。ここが気に入ったのか」
「いい島だものね」
「ルパンは    どうせ女でも引っかけに行ったんだろ」
「ここまで来て?」
「いい女がいりゃあどこだって同じさ」

 そうか。現に、さっきのフェリーでだってフランス人の美人をナンパしてたっけ。「俺たちと一緒に観光しない?」なんて。思い出すだけでも胸が悪くなってくる。

「……私も飲もうかな」

 私はウエイターを呼んで赤ワインを注文した。最近少し飲めるようになったワイン。
 ルパンの女好きは今にはじまったことじゃないのに、むしゃくしゃした。せっかく四人で美味しい食事を食べながら、ゆっくり話せる機会なのに。馴れ合いを期待してしまっていた私が間違っていたのかな。

「おまえ、ワインなんて好きだったか?」
「べつに。でも、イタリアっていったらワインでしょ?」

 ウエイターがグラスワインを持ってきて、私は次元と乾杯した。胸のもやもやをかき消すように、ぐいと赤い液体を喉に押し込む。喉とお腹が熱い。すぐに顔も火照ってくる。やっぱりアルコールにはまだ強くないみたい、……。でも、気分は少し上向きになった気がする。

「いいところだね、ここは」
「ま、たまには悪かねえな。こういう場所も」

 最初は悪態をついていた次元も、少しはカプリを気に入ったらしい。表情を穏やかにしてバーボンを飲んでいる。
せめて次元とは会話を楽しもうと、私は話題を頭のなかで模索した。何を話そう。けれども、次元が先に切り出してくれた。

    訊きたいことがあるんだが」
「なに?」

 次元はバーボンに口をつけ、数呼吸置いてから口を開いた。

「おまえ    ルパンに惚れてるな?」

 口に含んだワインを吹き出しそうになったけれど、なんとか飲み込む。でも、動揺して頭が真っ白になってしまった。珍しく次元が話を持ちかけてくれたと、安堵さえしていたのに。
 狼狽に気づかれないように、すぐに体勢を立て直す。

「まさか。どうしてそうなるかな」
「勘だよ」

 いやな勘だ。ルパンだって気づいてないというのに。
 私はふと鼻で笑ってみせる。

「ルパンが私のことを好きになるわけがないでしょうに」
「ルパンじゃねえ。おまえのことを訊いてるんだよ」

 次元に鋭く突っ込まれ、たじろぎそうになるのを寸前のところで堪える。次元には知られちゃだめだ。絶対に。ルパンに一番近い次元には、……。

「私、……」
「勝てない勝負はしないとか言ってなかったか?」
「うわ、よく覚えてるね……ずいぶん前のことなのに」
「あいにく記憶力はいいほうでね」

 ルパンや次元と出逢ったばかりのころ。次元とふたりきりで車に乗ったことがあった。そう、次元との夜のドライブ。それも楽しかった。そのときの会話を思い返す。
 『あいつに惚れると苦労する』と言った次元。でも、次元の助言は役に立たなかった。本当に、ルパンを好きになるつもりなんてなかったのに。叶わない恋をするつもりはなかったのに。いつの間にか、ルパンに惹かれてしまっていた。
 自分にも腹が立ってくる。見込みのない勝負をしてしまった私。私が悪かったんだ、どうぜ、……。
 私はグラスのワインを飲み干し、同じものをオーダーした。このやるせない悶々とした気持ちを全部押し流してしまいたかった。でも、胃のあたりが熱い。顔がどんどん熱くなっていく。

「おい……アルコール弱いんじゃなかったのか。顔、赤いぞ」
「大丈夫」
「倒れるなよ」
「大丈夫」

 とは言ってみたものの、酔う以前に身体が反応してしまって、これ以上のアルコールを受け付けなかった。顔も喉もお腹も熱を持っているよう。頭が少しばかりぼんやりしてくる。もっと酔えたらいいのに。

「まったく、なんでそんな無謀な酒の飲み方をするんだよ。普段飲まないやつが」
「次元がへんなこと言うからでしょう」
「図星だからか」
「ちがうって。私   ルパンのことなんて、なんっとも思ってないもの」
「ほお」
「ルパンが私のことをなんとも思ってないのと同じように」
「ははあ、なるほどな。そこか。ルパンがおまえさんを女として見てないから認めようとしないわけだ」

 次元にそうはっきり言われると泣きそうになる。

「だから、違うって」
「そこまで否定するなら教えてやるがな。昔、ルパンに泣きつく不二子に対して見せたときのおまえの表情かお   あれは、完全に女が男に惚れてるときの表情だった」

 うわあ、私、どんな顔してたんだろう。舌打ちをしたくなる。でも、「ルパーン」と猫なで声でルパンに抱きつく不二子さんと、不二子さんに甘い視線を投げかけるルパンを見て、感情を表に出さずにはいられなかった。少なくとも、そのときは不二子さんとじゃれつくルパンに免疫がなかった。今その光景を見ても辛いけれど。

「……次元の思い違いじゃない?」
「おまえがルパンのやつに惚れるような馬鹿な女だとは思わなかった」

 私の抗議なんて聞く耳を持たず、次元が呟く。
     馬鹿。そう、私は馬鹿だ。次元の言う通り、ルパンを好きになってしまうなんて。
 でも、ここでルパンへの気持ちを認めるわけにはいかない。

「私、ルパンのタイプはよーく解かってるつもりだよ。私がそうじゃないっていうことも。だから私は、……」
「ああ。腑に落ちねえのはそこだな。なんで惚れてもいない女に構うのかってな」

 次元はあくまで私の否定を聞かないつもりらしい。でも、たしかに、次元の抱く疑問は私も持っているものだった。ルパンは父さんの美術品を盗んでくれたり、食事に誘ってくれたり、こうして遠出にも連れだってくれたりしている。
 けれども、それは。
「父さんの美術品を盗んでくれるのは……ついでだったり、盗みの楽しみが増えたりするからでしょう? 食事に誘ってくれるのは……私が絵を直してあげてるからで……ルパンにも私にも、お互いに得があるから……」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれん。あいつのことは俺も未だによくわからんところが多いしな」

 次元は言葉を切ってバーボンを飲む。

「前途多難だろうが、ま、せいぜいがんばるこった」

 次元はどこかおもしろがるようすで言った。

「なにを」
「あくまで白を切るつもりなら、それでもいいが」
「次元、あのね、」
「一応言っておいてやると、ルパンはおまえがどう思ってるかなんて気づいてないだろうから、安心しな。おまえのポーカーフェイスはなかなかうまい」

 次元は完全に楽しんでいる。もう、他人事だと思って。

 私は残りのワインを全部飲み干して、「勝手に誤解していればいいよ」と、無駄な捨て台詞を吐いた。

 

 まさに一時間経つかというころ、ルパンと五エ門は戻ってきた。私がアルコールをニ杯で断念して、レモンティーに切り替えて落ち着いてきたときだった。ルパンと五エ門は、ちょうど店の前で遭遇したらしい。

「なんだぁ? ふたりでずいぶんと楽しそうにしてたじゃないの」

 ルパンはにやにやしながら椅子に座る。
 先ほどの次元の会話に続いて、私は打ちのめされそうになる。ここで変な勘違いをされたら、望みがどんどん遠のいてゆく。ただでさえこんな台詞を言うということは、私に興味を持たないということなのに。

「おまえの悪口で盛り上がってたんだよ、ルパン。急に消えやがって」

 次元の巧い切り返しに、内心で拍手を送る。

「わりぃわりぃ。宿を調達してきたんだよ」

 宿を? 次元と五エ門と私の三人は眉をひそめる。

「さ、行こうぜ」

 にっと笑ってルパンが立ち上がる。次元はルパンを見上げながら訊ねた。

「宿が取れたのか?」
「いんや。宿よりもいい場所さ。この島にはな、あるんだよ   じいさまが建てた別荘が、な」

 

 ルパンについて街外れから森に入り、獣道を進んで行く。置いて行かれないように早足で、かつ足元を注意しながら歩くのは骨が折れた。動きやすい服装で来て良かった。
 汗をかきながら十五分ほど歩くと、月明かりに照らされて白く輝く、ニ階建ての家に辿り着いた。豪勢ではなく、どちらかというと小ぢんまりとしているけれど、情緒のある佇まいだった。ルパン一世が使っていたという別荘にしては、古めかしくはなく、むしろ手入れがされていて綺麗だった。草も伸びきっていないし、壁も塗り直されている。
 すぐ近くは切り立った崖になっていて、海が見渡せた。月が水面に明かりを揺らしている。ニ階には広めのテラスがあって、そこからだとさらに見渡しが良さそうだった。

 ルパンは胸ポケットから鍵を取り出し、玄関の扉を開けた。そして、中に入り、明かりを点ける。電気はきちんと通っているんだ。次元と五エ門、そして私も建物の中に入った。不快な臭いもなく、物も整頓されている。壁も汚れや崩れなどはなく、整っていた。
 ルパンは私たちをリビングに案内した。そこにはカウンターキッチンとその手前にバーチェアが三つ、奥には食器やドリンクのグラスが並べられた棚。部屋の中央にはアイボリーのふたり掛けのソファがふたつ、それに挟まれてローテーブルがひとつ。そして大きなガラス戸と、その先の外にはウッドデッキ、さらにはアップライトピアノまであった。

「ルパンよ……おまえ、しょっちゅうここに来てるのか?」

 私も疑問に思っていたことを次元が口にする。

「いーや。十年ぶり……いや、五年かぁ? 忘れちまったが、とにかく久しぶりだ」
「にしちゃあやけに片付いてるじゃねぇか」
「ああ。ここを世話してくれてるエミリオってじいさんがいるんだ」

 ルパンはソファに腰掛けながら語った。このコテージはルパン一世がカプリ島を気に入り建てたものらしい。世間にはルパン一世のものとは知られぬよう、信頼できる地元の人間   エミリオさんという人に管理を頼んだのだとか。

「ガキのころは俺も何度かここに来て、エミリオじいさんの世話になったんだ」

 ルパンはしみじみとした表情で、煙草に火をつけた。ルパンが昔のことを語るのは珍しい。
 そういえば私、ルパンの過去をなにも知らない……。

「さっき会ったら全然変わってなかったんで、安心したよ」

    さっき?

「おまえが突然いなくなったのは、そのじいさんに会いに行ったのか?」
「ああ。鍵をもらいにな」

 次元の問いに、ルパンは頷く。
 あれ。誰かさん、“女を引っかけに行った”って言ってなかったっけ。次元を抗議の目で見ると、彼は私のほうを見ないように煙草を吸いはじめた。

「じいさんによると、明日は朝から雨だから青の洞窟に入るのはやめとけってよ」
「じゃあどうするんだ」
「さてな。観光でもすっか。各自自由行動、ってことで」
「……調子狂っちまうな」

 煙草を吹かしながらぼやく次元に、五エ門が呟く。

「良いではないか。拙者はこの島、気に入った」
「そりゃなにより」

 ルパンはにこっと笑って、カウンターの奥へ行きグラスを取り出す。

「んじゃパーッとやるかー」

 

 その夜は、四人で食べたり飲んだり、カプリ島について語り合ったり、陽気な一夜になった。
 私はニ階の一室をもらい   ちょうどニ階には小さいながらも四部屋あった   ベッドに横になると、すぐに睡魔が襲ってきた。
 とても静かだった。フィレンツェの夜も静かではあるけれど、人の声や物音やクラクションや、様々な音が聞こえてくることもあった。でも、ここは無音。かすかに波の音が聞こえたような気がする。ぐっすりと眠ることができた。

 目が覚めると、さああという雨の音が耳に入ってきた。身体を起こし窓の外を見ると、細かい糸のような雨が降っている。時計を確認すると、九時五十分だった。
 ルパンは各々自由行動と言っていたけれど、どうしよう。扉を開けてきょろきょろ見渡すと、他の部屋は扉が開いていて、誰もいなかった。廊下に出て吹き抜けから一階を見ると、ちょうど五エ門が外に出ていくところだった。

「五エ門! どこに行くの?」

 声を上げると、五エ門は立ち止まり、振り返って私を見上げた。

「島を散策するつもりだ」
「ルパンと次元は?」
「ルパンはいずこかへ出かけて行った。次元は釣りだそうだ」
「釣り? この雨の中で?」
「釣竿があったらしい。雨の海のほうが釣れるそうだ」

 次元、釣りなんて好きだったんだ。

「おぬしも出かけるなら、施錠はいらぬそうだ」

 五エ門はくるりと踵を返し、出て行ってしまった。
 つまり、このコテージには、私ひとり。ひとまず今のうちにシャワーを浴びようと、急いで部屋に戻り、着替えを取って一階のバスルームへ駆け込んだ。
 熱めのお湯に当たりながら、今日一日何をしようかと考えた。男衆は各々楽しんでいるようだから、私も楽しもう。三人はそれぞれ一緒に何かをする、という考えは毛頭ないようだし、私もひとりで楽しもう。せっかくカプリ島に来たんだもの、街へ行ってみよう。
 浴室から出て服を着てメイクをする。髪を整えて、バッグを持つ。玄関に置いてあった傘を借り、外に出た。相変わらず雨はしとしとと降り続いている。
 無事街に出られるか不安だったけれど、明るい場所では森の道が見えたので、迷わず抜けることができた。

 カプリの街には白い壁のお店が並んでいる。雑貨や洋服、お土産、食べ物、様々なものが売っていた。雨のせいか観光客はそれほど多くない。
 そういえばお腹が空いたなあと思って、昨夜入ったバールでランチを食べた。サンドウィッチ   パニーノというイタリアでは定番の食べ物と、コーヒー。屋根のあるテラス席で、ぼんやりと人通りや降りしきる雨を眺めた。
 イタリアの料理って美味しいなぁ。これからどうしよう。お土産でも見てみようかな。でも、いったい誰へのお土産を? 自分のための?
 脈絡もなくぽつぽつと考えていると、通りを歩くカップルの姿が目に入った。仲が良さそうに腕を組んでいる。

    私、なにやってるんだろう。

 美しい島、陽気な人々、お洒落な街並み。でも、私の気分は上がらなかった。
 昨日の出来事が引っかかっている、のかもしれない。

『ルパンがおまえさんを女として見てないからひがんでるわけだ』
     次元の言葉。私自身そう解かっていたけれど、次元の口から言われるとショックだった。いつもルパンのそばにいる次元がそう感じているのだから、ルパンが私を女として見ていないのは、紛れもない事実と言うこと。

『ふたりでずいぶんと楽しそうにしてたじゃねぇか』
     そして、ルパンの言葉。次元と私を見て笑うルパン。
 ちがう。私は、ルパンのことが好きなのに……。

 それに、今ひとりだということも、気持ちが沈む原因になっているのかもしれない。今日をルパンや次元、五エ門と過ごせるかもしれないと楽しみにしていたせいもある、のかも。せっかくこんなに素晴らしい場所にいるのだから、それを好きな人たちと共有したかった。
 でもまあ、仕方がないよね、と言い聞かせる。三人とも縛られるのが嫌いで、自由を愛する人たちなのだから。私だって、そうだ。ひとつのところに束縛されるのが嫌。自分のペースを乱されるのが苦手。だから、父さんの後について世界を飛び回ることが楽しかった。

 父さん。
 父さんの絵……取り戻したら、またルパンたちとはしばらくお別れなのかな……。
 せっかく素敵な街にいるのに、私の心は空のようにどんどん暗くなっていった。

 

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(15.8.8)